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In-Depth オメガ プロプロフの真実を究明する

カルトクラシック的なダイバーズウォッチは、いかにして姿を消し、数十年の時を経て再び現れたのか。

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デビッド・スティーブンス氏は、エントリーレベルのセイコーの時計を着けてダイビングのキャリアをスタートさせたが、仕事でさらに深く潜らなければならなくなったため、その高度なダイビングに見合う防水性を誇る時計に切り替える時が来たと感じていた。多くの場合、自分の命がかかっているのだから、完璧に機能する時計が必要だった。彼は70年代と80年代にブリティッシュ・ペトロリアム社のテクニカルダイバーとして働き、危険で予測不可能なことで知られる、北海の海底で多くの時間を過ごした。ある時、スティーブンス氏は、3日間連続で水深約108mの深さに留まり、陸に戻る前に減圧室で22日間過ごさなければならなかった。1975年、彼はセイコーではなく、イギリスのケントにあるレスリーデイビス(地元の高級時計サプライヤー)に足を運んだ。ショーケースの中には、ロレックスの2倍の価格の、これまでに見たどんなものとも大きく異なる時計があった。そこには“プロダイバー専用”と書かれていた。 

オメガ プロプロフが対象とする過酷なフィールドでスポーツを楽しむ、デビッド・スティーブンス氏。

 スティーブンス氏はディープダイビングのキャリアにぴったりの相棒を見つけた。プロプロフとして知られる、オメガ シーマスター600を連れ出したのだ。現在に至るまで、その場の思いつきで購入したものの中では、最も高価なものだと彼は言う。 

スティーブンス氏と妻が依頼した肖像画。彼の手首にはプロプロフが巻かれている。

 北海で働くテクニカルダイバーは、まさにオメガがシーマスター600の対象とした種類の顧客だった。50年代後半に始まったブームをきっかけにダイビング技術が急速に進歩するにつれ、時計メーカーは、より深い水深でも機能を発揮する新たな技術革新を競い合った。ロレックス シードゥエラーに見られるヘリウムエスケープバルブのような革新(この技術は、ドクサ、またはロレックスが開発したか、あるいは両社が共同開発したのかもしれない)により、時計は減圧室の有害な影響を受けずにすむようになった。そうでなければ、クリスタルが時計から飛び出す危険があった。 

 さらに、気圧の上昇に伴って時計がさらにしっかり密閉されるように設計された、EPSA製のスーパーコンプレッサーケースも登場した。しかし、プロプロフではこうした技術が使用されなかった。オメガはヘリウムを放出する方法に取り組む代わりに、そもそもヘリウムの侵入を許さないケースを設計したのである。そして、これまでにない圧倒的な防水性を実現するために、ケースをモノブロック方式で製造した。従来のねじ込み式の裏蓋のように複数の部品を使うのではなく、単一の部品で製造したのだ。モノブロックケースの背後にある考えとは、ケースに浸水する可能性のある場所を、1つ減らすことである。 

デビッド・スティーブンス氏のダイビングログ日誌。


大深度防水の起源

最終的にシーマスター 1000となるプロトタイプ。写真:www.omegaploprof.com

 60年代半ばにプロ向けダイバーズウォッチの設計を開始したとき、オメガは既存の設計をなぞることはしなかった。当時のオメガのカタログには、アイコニックなシーマスター300が存在したが、同社は2つの“プロプロフ”モデルの製造にゼロから着手したのである。この名前は、フランス語で“プロのダイバー”を意味する“Plongeur Professionnel”に由来する。プロプロフファミリーには、シーマスター 600(Ref.166.077)とシーマスター 1000のプロトタイプ(Ref.166.093)があるのだが、“プロプロフ”の名は600にのみ定着し、シーマスター 1000はオメガコレクターの間で“グランド”と呼ばれるようになる。その最初のプロトタイプは、シーマスター600の直前に登場したのだが、実際に製造されたのは70年代もかなり経ってからだった。

シーマスター 600。

 オメガ フライトマスターやシーマスター120“ビッグブルー”クロノグラフなど、他の多くの“プロフェッショナル”モデルと共に、プロプロフを生み出した栄誉を受けるのは、フレデリック・ロバートという名の男だと考えられている。彼は、自ら設立して所有していたアクアスター社を成功させた後、1967年にアドバイザーとしてオメガに入社した。 彼の指揮下で、オメガに“マリンユニット”が設立され、1968年までに、今日、私たちが知るプロプロフの枠組みが、ロバート氏率いるユニットの下に確立された。 

 シーマスター 600、現在はシンプルに“プロプロフ”の愛称で親しまれている時計、そして現代の復刻版に焦点を当てよう。60年代後半、宇宙開発競争に先んじるのは誰かを世界が注視していた頃、静かに“インナースペースレース”、即ち内なる宇宙である、深海開発競争が起こっていた。水中で用いる技術の急速な発展は、世界の海洋を探検する人類の意欲を駆り立てた。プロプロフは、そのほんの一部かもしれないが、大自然の挑戦に立ち向かおうと科学技術に多額を投資する人類の、はるかに大きな想いの表出である。プロプロフを着用していたのは、現代のインターネット利用を可能にした海底ケーブルを敷設したり、今日に至るまで経済を動かしてきた石油を探査したりしたダイバーたちだった。そして、深い海の底で任務を果たす人々にとって、時間管理は生死を分ける問題であった。 

ヤヌス計画でシーマスター 600が果たした役割を概説する広告。

 この時計は、プロダイバーが日常的に使用する際の要求事項を満たすようデザインされたため、市場性や審美性は後回しにされた。プロプロフシリーズのコンセプト段階でおいて、唯一の焦点となったのは、深海でも安定して機能する、テクニカルダイビングの最先端をゆくダイバーたちが、信頼を寄せることのできる時計を作ることだった。これには、減圧室内で生じ得る極度の圧力変化や、海面から水深約600mへと向かう際の気圧上昇に直面しても、一貫して機能することが要求された。加えて、深い海で正確に時間を刻むことは、テクニカルダイビングにおいて絶対的に重要な要素であるため、ベゼルの偶発的な回転を防ぐ設計が必要となった。 

 1967年までに、最初の特許となるCH480680番がオメガによって出願されたが、それは非常に型破りなケースデザインの概要を示すものだった。機能を追求したデザインであることを知らない人々には、極めて不格好に思えるかもしれない。ケースは単一のスティールの塊から出来ており、優れた構造信頼性を備え、浸水する可能性のあるポイントが最小限に抑えられていた(セイコーが1967年にリリースした6215-7000も、モノブロックケースを採用していたことを付記すべきだろう)。ケースにムーブメントのためのスペースを削り出し、ムーブメントとダイヤルをアッセンブルした後、クリスタルの風防で密閉する。その際、深度が深まってクリスタルにかかる圧力が高くなるほど、ガスケットを抑えるシールの密閉度が増すというシナリオを描いた。前述のように、シーマスター 600 プロプロフに従来型の裏蓋はない。標準的な時計にはネジ込み式の裏蓋があるかもしれないが、代わりにオメガは、時計を手首に固定するための、裏蓋のような円形の中に水平に走る多くの細長い凹凸を配した形状を採用した。

 シーマスター 1000 プロトタイプも同様に、ケース上部側からアッセンブルする方式を採用したが、シーマスター 600が異なっているのは、ベゼルロック機構とリューズのアッセンブルだ。プロプロフのユニークな形状はベゼルロック機構によるものである。ベゼルのロック機構はケース右側に、リューズは左側に配置されている。ほとんどの時計でリューズはケース右側にあるが、プロプロフは右利きのダイバーが片手で、時計を手首から外さずに、ロック機構(通常リューズよりも頻繁に使用する)を操作できるようにデザインされた。テクニカルダイバーであるスティーブンス氏が行うような業務では、経過時間を正確に測定することは、決められた時間内に仕事を終えるだけでなく、致命的な状況を回避するためにも必要だ。ベゼルが意図せず回転することは、当時のほとんどのダイバーズウォッチが抱える設計上の問題点だったが、オメガはその欠陥をプロプロフで排除した。赤いプラスチックのボタンを押さずにベゼルを回そうとしても、ベゼルは動かない。ボタンを押し込むにはかなりの力が必要で、ベゼルのロックが解除されると、双方向に自由に回せるようになる。ベゼルが意図せず勝手に回転することはほぼ不可能だ。この機能こそ、現代のコレクター、そして当時のダイバーたちが、プロプロフを究極のダイバーズウォッチと見なす理由の1つなのである。

左手に装着したプロプロフは、片手で操作できる。

 リューズの構造も、当時の多くのダイバーズウォッチとは異なっている。ケース左側の突き出た形状はリューズガードとして機能し、リューズは通常グリップするリューズ部分に取り付けられた、正方形のプレートでケースに収まっている。リューズが閉まっているとき、ケースは1本のスムーズなラインを描き、何にも引っ掛からず、リューズや巻き真への損傷を防ぐのに役立っている。適切に装着すれば、リューズロック機構は、当時のどの製品よりも安全な方法で、液体の侵入を防ぐ密閉性を発揮した。 

 早い段階で、プロプロフのチタン製プロトタイプがケースメーカーのシュミッツ・フレール社によって開発されたが、存在するのは10本に満たないと考えられている。標準のSS製プロプロフケースの重量は82.5g、TIケースの重量は49.5gである。プロプロフはよく、扱いにくくて重いと批判される。TIケースならこの問題は解決するのだが、大量生産が難しく、コストもかかり過ぎた。当時、チタン素材は民間航空機や軍用機に採用され始めたばかりだった。供給量が非常に不足していたため、米国政府は実体のないペーパーカンパニーを設立してロシアからチタン素材を密かに購入し、ロッキード SR-71 ブラックバード偵察機を製造(これも高度な機密だった)しなければならなかったほどだ。しかし、オメガが最終的に採用したSSケースは、正当な技術的進歩により得られたものだった。 

 オメガの製造記録によれば、使用されたタイプの合金は供給元であるフランスの製造業者によって“ウラヌススティール”と呼ばれていた。このタイプのスティールは、酸が引き起こす腐食への耐性をもつようにモリブデンを加えてある。オメガはSSの時計に対する塩水中での水中溶解の影響を研究し、この合金の採用に落ち着いたのだった。現在、このタイプの鋼材は、しばしば“904Lステンレススティール”と呼ばれている。COMEXが製造した船や工具は、多くの場合904LSSで製造された。海水への耐性が証明された材料なのである。 

 SS製プロプロフは、すでに2つのロレックス サブマリーナーと同程度に高価であり、チタンを使えばさらにコストがかかる。ゴム製の“イソフラン”ストラップタイプが690スイスフラン(約7万8000円)、メッシュブレスレットタイプが720スイスフラン(約8万2000円)で販売された。1970年から79年までの間に小売店に置かれたが、競合商品と比べるとかなり高価だった。※共に1970年代当時の物価に基づく価格。

 しかし、この時計に備わる高度な技術は価格に見合うものだった。1971年に発行された古いオメガのサービス紀要によると、シーマスター 600 プロプロフ各機は、実際には1000mの防水性をテストされており、600という命名は、この時計がテストされた限界値に対して非常に控え目に思える。 

プロプロフのケース構造は、ムーブメントの各パーツが上記の順序でケースに“積み上げられる”ようなものである。

1971年のサービス紀要は、シーマスター 600 プロフェッショナルが、他のダイバーズウォッチと一線を画す理由を概説した。

ベゼルロック機構とクラウンシール機構の断面図。

 60年代後半、テストの一環として、ダイバーのクリスチャン・コルニヨ(Christian Cornillaux)、ミシェル・リオジェ(Michel Liogier)、パトリック・カデュー(Patrick Cadiou)が、ヤヌス計画中にプロプロフを着用した。石油会社のエルフ・アキテーヌ(Elf/Erap)は、COMEXで働くダイバーチームと契約し、フランス沖のアジャクシオ湾を8日間探査した。テストおよび開発プログラムの一環として、ダイバーたちはこの任務の間、水深約250mの深海で毎日4時間プロプロフを着用した。COMEXは、コンパニー マリティーム エクスパティーズ(Compagnie Maritime d'Expertises)の略で、ディープダイビングオペレーションの専門知識で有名だ。COMEXはまた、高圧試験における数多くの技術やシステムを開拓した。これは静水圧室内で、一定の圧力レベルを生じさせ、操作する技術である。1970年当時、プロプロフが対象とする環境で適切にテストできる民間組織が地球上にあるとすれば、それはCOMEXだった。 

  オメガは、ニューヨーク州タリータウンにあるオーシャンシステム社にテスト用としていくつかのプロトタイプを送った。このダイビング調査会社は、プロプロフは潜水艦以上の防水性を有していると回答した。どんな指標で測定されたかは述べられていなかったものの、要点は明らかだった。プロプロフは、北海であれアジャクシオ湾であれ、海面下で時間を正確に告げる能力を備えたツールだったのだ。

COMEXでテストされている初期のシーマスター 600 プロプロフ。写真:www.omegaploprof.com 

 オメガのブランドヘリテージ責任者であるペトロス・プロトパパス(Petros Protopapas)氏によると、シーマスター 600については、ヤヌス計画でのテスト記録がよく知られる一方、1968年にCOMEXの“ハイドラ計画I”でテストされる予定だったのは、シーマスター 1000の方だった。ハイドラ計画は、ダイバーが経験する震え、視覚障害、吐き気、めまいといった高圧神経症候群の影響に対抗するために、ヘリオックス とハイドリックスのガス混合物をテストするためのものだったといわれている。 シーマスター 1000もテスト中に確かに機能したのだが、COMEXはヤヌス計画同様、その後のテストに、シーマスター 600のデザインを採用することにした。 

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野に放たれたプロプロフ

ジャンニ・アニェッリ(Gianni Agnelli)氏は、ビジネスの腕前だけでなく、その洗練されたスタイルでも知られていた。 

 プロプロフは、他のアイコニックなダイバーズウォッチ、例えばロレックス サブマリーナーのように、ダイビングコミュニティの外に浸透することはなかった。この時計の価格と、高度に専門化された特徴のため、生産数は比較的少数だった。70年代にプロプロフを特集したメディアは、たいていダイビング関連である。例えば、68年から75年にかけて放送された人気テレビ番組『ジャック・クストー(Jacques Cousteau)の海底世界』では、クストー氏のチームが、水生生物を紹介しながら世界の海を旅するのだが、そこにプロプロフが登場する。

 しかし、プロプロフの予想外の唱道者が1人いる。ダイビングとの関係はほとんどなく、洗練されたスタイルと企業経営にあらゆる関係をもつ人物、有名なイタリア産業界の巨人、ジャンニ・アニェッリ氏だ。彼はそのチャーミングな手法とハンサムな美学のゆえに“リヴィエラの道楽者”と呼ばれていた。アニェッリ氏は、シャツの袖の外側に、黒いゴム製のイソフランストラップのプロプロフのような、ユニークな時計を着用することで知られていた。 

アニェッリ氏(右)は、プロプロフの普及に貢献した。 

プロプロフは、テレビ番組『ジャック・クストーの海底世界』に何度も登場した。

プロプロフのイソフランストラップには、多くのカラーバリエーションがあった。これは最も一般的な黒のイソフランストラップの1本。  


壁を乗り越える

 おそらく、プロプロフの奇妙な性質がオークションでの成功を限定的なものにしているのだろう。その型破りな美的感覚は、非常に忠実ではあるが、範囲の狭い愛好者グループを引き付ける。今でさえ、潜在的入札者は比較的少数だ。これはメインストリームの魅力を備えた時計ではなく、むしろ単一の目的のために設計されたツールウォッチに特別な関心を寄せるコレクターのためのものなのだ。もちろん、他のすべてと全く異なるものを好むコレクターも大勢存在する。

以下は、2006年から現在までにアンティコルム、サザビーズ、クリスティーズ、およびフィリップスで取引されたプロプロフをまとめたものだ。 

 2006年6月、初代プロプロフがサザビーズで3000ドル(約31万3000円)で落札され、壁を乗り越えた。最近では、同じような別の初代モデルが2020年9月にアンティコルムで4000ドル(約41万8000円)で落札された。全体的に言って、標準生産のプロプロフの価格は、ここ数年あまり変化していない。しかし、データにいくつかの外れ値があるのにお気づきだろう。3万3125ドル(約346万円)から9万937ドル(約950万円)という高額な落札結果は、プロトタイプのプロプロフである。オークションには、これまで3つのカテゴリーのプロトタイプが登場した。まず、オメガが製造した未使用品で、これらはデザイン目的の可能性がある。そして、COMEXダイバーのクリスチャン・コルニヨ(Christian Cornillaux)、ミシェル・リオジェ(Michel Liogier)、パトリック・カデュー(Patrick Cadiou)によって、アジャクシオ湾でテストされたもの。最後に、アメリカのオーシャンシステム社によってテストされた時計だ。 

このプロプロフは2017年にクリスティーズで取引された。もともとジャック・クストー氏が所有し、アンドレ・ガレーヌ(Andre Galerne)という名の仲間のダイバーが、彼から購入したものと言われている。ガレーヌ氏はインターナショナル・アンダーウォーター・コンストラクター社を設立した。取引価格は6250ドル(約65万円)だった。 

 もう1つ高額落札結果を得たカテゴリーは、2007年の4月14、15日にジュネーブのアンティコルムで開催された、重要なオメガ作品のオークションであるオメガマニアの結果である。取引の数日前にニューヨークタイムズ誌に掲載された記事の中で、アンティコルムの最高経営責任者であるオズワルド・パトリッツィ(Osvaldo Patrizzi)氏は、「この取引でオメガは他のブランドに対して自然な位置に戻るはずです。私の意見では、技術や堅牢性の観点から見て、オメガとロレックスの間には何の違いもありません」と述べている。同記事によると、ロレックスの時計の価値は、前年の間に30から35%上昇した。パトリッツィ氏は確かに使命を果たした。

 3本のプロプロフがオメガマニアでオークションにかけられたが、いずれもプロトタイプではなく、落札価格はそれぞれ1万4750ドル(約154万円)、2万479ドル(約214万円)、2万9256ドル(約305万円)だった。その前年、同等のプロプロフのオークション落札価格が3000ドル(約31万3000円)だったのにである。プロプロフの価値は、オメガマニアをきっかけに大きな飛躍を遂げた。オメガマニアオークションは大げさな売り込みの例としてよく引き合いに出される。これらの時計は、オークションの前にワールドツアーに参加したが、この異常な高額結果は、アンティコルムによる大げさな売り込みと話題性によるものと考えられる。現在、HODINKEEのヴィンテージ部門責任者であるサオリ・オオムラは、オメガマニア時代にアンティコルムのニューヨークオフィスに勤務していた。そして確かに、「このテーマ別オークションが、プロプロフ市場に新たな命を吹き込んだことは否定できない」と述べている。プロプロフの価格は、オメガマニアの直後は比較的高いままだった。5月(当時)の2つの例を挙げると、アンティコルムで1万4750ドル(約154万円)、クリスティーズで1万4876ドル(約155万円)で取引された。

 その後、プロプロフの価格は下がる。2008年には、アンティコルム、サザビーズ、クリスティーズ、フィリップスにおけるプロプロフの平均落札価格は8453ドル(約88万2000円)だった。 2020年、前述のオークションハウスに登場したのは3本のみだ。1本は取引が成立せず、他の2本はアンティコルムで4659ドル(約48万6000円)と4000ドル(約41万8000円)で取引された。長年のオメガコレクターであり、専門家でもあるビル・ソーネ(Bill Sohne)氏は、オメガマニアがより高い価格を標準化する前の2000年代初頭に、eBayで700ドル(約7万3000円)から900ドル(約9万4000円)で、プロプロフを購入できたことを覚えている。彼は、スピードマスター以外のヴィンテージオメガにとって、900ドルという価格は、当時としてはやはり非常に高額だったと念を押した。  

“PROTOTYPE”と記されたこの1本は、委託者の祖父が、COMEXのダイバーから購入したものだ。 2017年にサザビーズで3万2500ポンド(約440万円)で取引された。

 今日、プロプロフは正当に評価されているのだろうか。HODINKEEのヴィンテージマネージャーであるブランドン・フラツィン(Brandon Frazin)は、「ここまで興味深くはなく、市場でもっと頻繁に見かける他のダイバーズウォッチ(ベーシックなサブマリーナー)の価格に比べると、過小評価されています。プロプロフの難点は、そのサイズですが、手首に着けてみると驚くほど快適です」と言う。ある時計が、コレクターに人気を博す理由を特定するのは難しいが、歴史的重要性は確かにその1要素であり、プロプロフのそれは非常に大きい。私は着用性が完璧であるとも、視覚的にバランスが取れているとも考えていないが、それこそまさにプロプロフを非常に興味深い時計にしている要素である。そのおかげで会話が始まり、ダイバーズウォッチは、皆同じ外観をしていなければならないという概念を打ち破るのだ。さらに、ほとんどのCOMEX プロプロフは、実際に現場で使用されたもので、出所の確認が容易だ。匿名を希望するある専門家は、将来、COMEX プロプロフがオークションに出品されれば、25万ドル(約2600万円)もの値を付ける可能性があると予測している。 

 プロプロフが売りに出されることはめったになく、Fratello Watchesの2018年の記事によると、サービスのためにビエンヌにあるオメガ本社に送られてくるプロプロフの約60%は、それ以前にムーブメントを交換済みだという。時間が経つにつれ、オリジナルのプロプロフを見つけるのは、ますます困難になっている。


プロプロフのオーバーホール

サービス中の劣化したガスケット。黒いタールのような残留物に注目。

分解されたCal.1002。劣化したガスケットの残留物除去前。

  「新型」プロプロフが、2009年に発表された頃(詳細は後ほど)、トム・ネスビット(Tom Nesbit)氏はシアトルにある彼の店、ネスビット ファインウォッチサービスに、ヴィンテージのプロプロフが月に少なくとも2本、オーバーホールのために持ち込まれるのを見た。この興味深い観察は、オークション数の傾向とも一致し、新型プロプロフの発表がなされた時期に、ヴィンテージへの関心が急上昇したことを示している。

 しかし、ここ最近、少なくとも過去1年間、彼はプロプロフを1本も見ていない。

  「比較的簡単にオーバーホールできる時計です。ガスケットを正しい順序で組みさえすれば簡単です。一貫して600mの圧力テストをクリアします」と、ネスビット氏は言う。

 以前に、サービスを一度も受けたことのないプロプロフが持ち込まれると、多少難しい状況になる。何十年も密閉されたままで、時計のガスケットは劣化して粘着性を帯びており、ムーブメントを損傷したり、ダイヤルを台無しにしたりする可能性がある。ダイヤルはしばしば時計の最重要部分とされ、古いガスケットを取り外す際にダイヤルを損傷しないよう最大限の注意が必要だ。ネスビット氏によると、ムーブメントのパーツは超音波洗浄機に入れることができるが、ダイヤルの洗浄には細心の注意を払う必要がある。本記事の執筆時点では、ミドルケースを除くほとんどの部品がオメガから入手可能であり、レストアは容易である。

  一部のプロプロフは、リューズが右側にある標準的な時計の向き、つまり、“前後逆”の状態で持ち込まれる。これはダイヤルの脚が対称で、ムーブメントに逆さまに取り付けることができるからだとネスビット氏は言う。時計が、この状態で出荷されたことがあるかどうかは、オメガ愛好家間で論争の的だが、ベゼルロックは標準仕様の方が間違いなくずっと使いやすい。 

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アイコンのリメイク

 プロプロフの生産期間は10年足らずで、1979年に生産終了となった。しかし、その短い期間の間に、プロプロフが対象とする人々が使用するための真のツールウォッチとして、名声を築いた。時計がダイビングの装備として不可欠な部分だった時代に、極めて明確な目的のために設計された、極めて特殊な時計として。ダイビングコンピューターが腕時計に取って代わり、この時計の大きな役割は長年の間に変化した。プロプロフは、ダイビングブームが水中世界を征服して探索する、様々なツールを生み出した時代の時計だったのである。79年に製造が終了しても、革新は終わらなかった。プロプロフの生産終了後、オメガはディープダイビングクォーツモデルを、そして最近では、シーマスター プラネットオーシャン ウルトラディープ プロフェッショナルをテストしていた。

 しかし、オメガは、バーゼルワールド2009で、シーマスター 600 プロプロフのデザインを復活させる。とはいえ、今回は、いくつか本質的なデザイン変更を伴っていた。1200mの防水性、ネジ込み式の裏蓋、プラスチックではなく陽極酸化金属製のベゼルロックボタン、コーアクシャルムーブメント Cal.8500の搭載などである。視覚的にはオリジナルのプロプロフからあまり変わっていないが、ほとんどの点でこの時計は全く新しいものであり、そして、ある一点が特に際立っていた。

 オリジナルのシーマスター 600 プロプロフは完全密閉設計のため、ヘリウムエスケープバルブは必要ない。ヘリウムがそもそも侵入しないのだから、ヘリウムエスケープバルブを通って外へ排出させる必要もないという考えだ。2009年に、ヘリウムエスケープバルブ付きのプロプロフがリリースされると、サイズが数mm大きくなったという点と共に、これが大きな論争となった。

 物議をかもすヘリウムエスケープバルブの搭載にもかかわらず、現代のプロプロフは大ヒットした。我らがジェーソン・ヒートン(Jason Heaton)も2010年に購入し、スリランカでのダイビングで使用した際には「古くからある素晴らしいものです。正直に言うと、ダイビングのタイミングを計るには重いし不格好です。でも、信じられないほどよく出来ています。細部にまでこだわって作られているのです」とレポートした。実際、確かに重かった。ステンレススティール製のこの時計は、279gもあったのだ。しかし、2017年、オメガは1971年のプロプロフ発表に至る研究開発段階で定めた当初の目標を達成する。 

 チタン製のプロプロフを製造したのである。

 オメガは60年代後半にチタンモデルを試していたのだが、手頃な価格にすることも、大量生産することもできなかった。2017年、同社はそれを実現させたのである。TIモデルと並行してSSモデルの製造も続けられたが、 SSモデルにはCal.8912が搭載され、ダイヤルのバランスを優先してデイト表示をなくした。そして付属のメッシュブレスレットもTI製だった。


結論

 1977年の映画『スターウォーズ:新たなる希望』で、暴れ者の宇宙密輸商人ハン・ソロが、主人公のルーク・スカイウォーカーに、自分の宇宙船ミレニアム・ファルコンがタトゥイーンからの輸送にふさわしいと保証する有名なくだりがある。「見た目はボロだが中身で勝負だぜ!」

 プロプロフのケース形状がミレニアム・ファルコンの輪郭に似ているだけでなく、彼が宇宙船について言っていることは、この時計にも当てはまる。従来の時計のように美しくはないが、任務完遂をサポートする高度な技術を間違いなく備えていた。デザインは時に、純粋に技術的側面を実現する役割を果たし、審美性は二次的なものになることを思い出させてくれる時計だ。極限の環境下で機能する必要から生まれたデザインをもつ、この時計の概念は非常に強力なもので、テクニカルダイバーが、もはや機械式時計を必要としなくなった現代にさえ、オメガが復活させたほどだ。そして、今に至るまで、オメガのカタログに残っている。

 本記事のための調査に際して、私が相談した多くの人々にごく簡単ではあるが、感謝を述べたい。オメガのブランドヘリテージディレクター、ペトロスプ・ロトパパス氏。 www.omegaploprof.comの背後にいる紳士(匿名希望のため)。オメガ研究の第一人者、ビル・ソーネ氏。熱心なコレクター、ジョニー氏(@johnnyw_b)。そして、シアトルのネスビット ファインウォッチサービス。