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In-Depth 高級時計の価格と品質は和解し難い不和に陥ってしまったのか?

払った金額に見合う時計を手が入る、あるいは手に入れられないかもしれない...それも、払えたとしたらだが。


トップ画像は、2017年にフィリップスで1775万ドル(約20億円)で落札されたポール・ニューマン所有のポール・ニューマン・デイトナ。

今では遠い昔。2000年代初頭、時計愛好家のための最初のあるインターネットフォーラムは、かつて俗世界から遠く離れた緑の日陰の避難所のような存在だった。そのサイトはThePuristS.comと呼ばれた。その名にはフォーラムの理念が反映されていた。つまり個人間取引や価格や割引についての議論に邪魔されることなく、時計が好きな人なら誰でも迎え入れ、時計について自由に話すことができる場所という意味だ。パテックのミニッツリピーターを買える人もいれば、そうでない人もいるが、だからといって学びを得たり、語り、意見を持てないわけではない。全盛期には、私がこれまで見たどのサイトよりも中身の濃い議論が繰り広げられていた。

 そして今でも、私は高級時計の価格にほとんど興味がない。おもしろい時計は、価格とはまったく関係のない理由で(あるだけで)おもしろい時計なのだという信念を、その時代から深く受け継いでいるからだ。

PuristS.com homepage 2002

2002年頃のPuristS.comのホームページ。スクリーンショットはInternet Wayback Machineより

 しかし最近では、それは無謀でないにせよ、ますます世間知らずな考え方になってきているようだ。高級時計の価格は希望小売価格でも、店頭価格でも、ヴィンテージウォッチのオークション市場でも、あるいは拝金主義者の手先が法外な価格で捌くグレーマーケットであっても、唯一の話題ではないながら、確実に時計談義の柱のひとつとなっている。この2年間は高級時計の最も魅力的なモデルが慢性的に不足していることで問題が悪化している。原因の一部は、少なくともコロナ禍における工場閉鎖と、それによる減産と長期化したサプライチェーンの麻痺によるものだ。

 しかし新型コロナウイルスが現れる前から、高級時計市場の基本的な傾向は決定的であった。価格は下がるどころか上昇し、高級時計に対する世界的な需要は年々高まっており、供給が需要に追い付かず、近い将来均衡する見込みもないということだ。高級時計は全体的にプレミアム化が進んでおり、生産量が増えても価格はインフレ以上に上昇しているのだ。

 2、30年前の状況を見てみよう。

かつては慈愛に満ちていた時計の世界

2002年に私が入手した価格表によると、パテックのRef.3919J(時・分針とスモールセコンドを備え、ホブネイルパターンのベゼルを持つ、Cal.215搭載のカラトラバ)が8850ドル(当時の最高値の為替で約119万2800円)で販売されていた(興味深いことに、これらは今でも中古で2002年のリストとさほど変わらない値段で入手可能だ)。同じ年、スティール製のロイヤル オーク ミディアムサイズは定価で約8000ドル(同約107万8000円)、ジャンボはそれ以上の約1万3000ドル(同約175万2000円)だった。SS製のデイトナの定価は4448ユーロ(当時の日本国内定価は税込80万8500円)、オメガのスピードマスター プロフェッショナルの2003年の定価は2190ユーロだった(同じく当時の日本国内定価は税込40万円)。定価をユーロで表示しているのは、私が使用したデータベースがユーロ建て価格を表示しているためだ。

Patek Calatrava Ref. 3919

パテック フィリップ カラトラバ Ref.3919(1999年)

 誤解を恐れずに言えば、広義の高級時計は20年前にはまだ高価なものであった(そして物議を醸したTwenty-4という例外を除いては183年間、手ごろな価格のパテックというものは存在しなかったということも忘れてはならない)。しかし、2002年以降の状況がどう変化したか見てみよう。

 ある情報源によると、現在、医師の年収の中央値は約21万3000ドル(約2438万円)だそうだ(実際の報酬は医師が働く地域に大きく左右されるので、あくまで中央値だということを留意されたい。なお、2002年当時の給与15万ドルはインフレ調整後、現在に換算すると23万6000ドル程度になる)。パテックのRef.5196JはRef.3919Jよりわずかに大きく(37mm vs. 35mm)、同じムーブメントを使用しているが、現在の定価は2万4600ドル(日本国内定価は税込282万7000円)だ。比較のため、2002年の希望小売価格はインフレ調整後、現在では1万3257.29ドル、151万7561円となる。これは1ヵ月の総支給額1万7750ドルに6850ドル満たない(さらに連邦政府が税金を巻き上げた後の可処分所得はさらに減る)。医師のモデルケースは、おそらく医学部の学資ローン(10万ドル以上、20年間の利息を加えるとさらに高額になるかもしれない)を返済中だろうし、家族を養うことを考えているかもしれず、それなりの家を持ち、休暇にはどこかすてきな場所に行きたいと思っているかもしれないし、自動車ローン支払いがあるかもしれないし、子供の大学進学のための貯蓄計画があるかもしれないのだ…。

Rolex Daytona 16520

2000年、ロレックスは完全自社製ムーブメント Cal.4130をデイトナ Ref.116520に初めて採用した。

 つまり、このモデルケースの医師の給与は地域にもよるが、多かれ少なかれインフレに連動している。それと同時にカラトラバの価格は2002年から実質的に2倍になっている。

 Apple Watchが売れるのも納得である。

医師がドクターズウォッチを購入する余裕はあるのか?

 私が言いたいのは、購買層から締め出されてしまった専門職を持つホワイトカラー層が出てきたということだ。スティール製の41mm ロイヤル オーク自動巻きは希望小売価格で2万3600ドル(日本国内定価は税込291万5000円。見つけられればの話だが)、SS製のジャンボは3万3200ドル(同385万円)だ。(ランゲのSS製オデュッセウスは発売時に2万8800ドル、日本国内定価は税抜310万円だった)。少なくともロレックスは希望小売価格で売られている個体を見つけられれば、まだ手が届く…恐らく無理だろうが。とはいえ、希望小売価格と中古の店頭価格は乖離しているが、36mmのSS製オイスターパーペチュアルは“たったの”5800ドル(日本国内定価は税込64万1300円)だ。

エントリーモデルでさえ入手することが夢のような状態である。現行のロレックス 36mm オイスター パーペチュアル。

 スイス時計産業連盟(FH)は毎年、価格の分布や輸出額などのレポートを発表している。おもしろいことに彼らは価格を(スイスフランで)200以下、200〜500、500〜3000、3000スイスフラン以上にクラス分けしている。これは過去の遺物のようだが、今ある情報をもとに考えてみよう。

 2000年には3000スイスフラン(現在の為替で約37万6700円)以上のカテゴリーで48万8000本の時計が輸出された。2020年には同カテゴリーの輸出総数は134万2000本となり、その価格総額は2000年の31億スイスフランから2020年には3倍強の113億7100万スイスフラン(約1兆4278億8234万円)にまで膨れ上がっている。ほかのすべてのカテゴリーは横ばいか大幅に減少している一方、前年比で未曾有の成長を遂げているのだ。

 アインシュタインでなくても、どこが稼ぎ頭かわかるはずだ。

 全体像はどのようなものだろうか? もし自分が予算ギリギリの時計愛好家であれば(そしてますます我々は皆、予算を切り詰めなくてはと感じ始めている)、伝統的な高級ブランドにはまったく目を向けないだろう。中古で、できれば最近販売された検証可能なサービス履歴のあるもの、そしてセイコーやノモス グラスヒュッテのような高価格帯のブランドに目を向けるだろう。しかし高級時計やオート・オルロジュリー(超高級時計)のように、人生の節目に少しずつ貯金をして購入し、その品質や思い出を大切にして、充実した人生を送った後に愛する人に譲るという、昔ながらのロマンティックな考え方は、もはや絶滅危惧種のようだ。

ポスト資本主義の時代に絶望する時計収集家。

 価格が上がっても品質が維持、向上していれば、特に人の手仕事が重要視されるハイエンドウォッチでは問題にならない。しかし、ここにも懸念すべき理由がある。例えば、LVMHやスウォッチグループのような国際的なラグジュアリーコングロマリットが上場しているとする。株主は四半期ごとに株価や企業価値の上昇を期待する。それは当然のことである。非公開企業であっても取締役会は一般的に成長を望んでいる。では、ラグジュアリーブランドはどうすればよいのだろうか?

 答えは明白で、利益率を上げ、コスト削減の道を見つけることである。

 コスト削減にはさまざまな意味があるが、そのひとつが生産工程の省略であり、特に多くのトレーニングを必要とする手作業を伴うものが効果的だ。これは高級時計製造業界が人件費の安い国や地域で部品を生産を極大化することと併せて、材料を安い地域から調達しようとすることでサプライチェーンの透明性が最も低くくなる理由でもある(もちろん、サスティナビリティにも影響する部分だ)。

2002年、未来への衝撃:伝統的な時計製造に6桁ドル台の挑戦状を叩きつけた、新世代のスーパーウォッチの先駆けとなるロイヤル オーク コンセプトの第1弾が発表された。発売時の希望小売価格は13万スイスフラン(当時の月平均レートで1027万円)だった。

 値上げは取扱いが難しいが、要はプレミアム価格を付けて煽ることが肝要だ。お金持ちや大金持ちは労働者が価格に敏感であるのとは対称的に感応度が低いものだ。もちろんビジネス全体を可能な限り最新の魅力で飾ることも必要となる。高級時計よりも“ラグジュアリーな体験”を作る方がずっと簡単なのだ。

 油断すると、品質では底辺層との競争、価格ではトップ層との競争という、かなり危険な状態に陥ってしまう点に要注意である。

彼らはダンプカーに大金を積んで家に来たんだ!

私だって人間だ!

– ピエロのクラスティ 米アニメ『シンプソンズ』より

 当然、高級品としてのイメージを維持するために生産、流通、配分をコントロールするなど、できる限りの努力はするだろう。しかし全体的に見ると、品質を下げて価格を上げようとする誘惑には抗しがたいものがある。この現象はラグジュアリーとその意味の変遷を研究している人なら誰でも読むべき本、ダナ・トーマス(Dana Thomas)著『堕落する高級ブランド(原題:Deluxe: How Luxury Lost Its Luster)』で見事に研究されている。この本を読めば、独創的な思い付きなどほとんどないことがわかるだろう。

金がものをいう時代でも、誠実さは色褪せない

私は何も高級時計界隈が品質なんかには目もくれず、儲かり過ぎて笑いが止まらない計算高い富豪どもの巣窟に過ぎないと言っているのではない。実際のところ、スイス人(そしてドイツ人や日本人)は非常にビジネスライクに会社を運営しているが、高級時計製造に携わる人々のなかには、自分たちの仕事をとても大切にしている人が数多くいる。ジュラ地方の時計工場を訪れると、同じ姓の持つ人が6人もいることに驚くが、多くは3代目(または4代目、5代目)の当主として事業を継続しているのである。

Laurent Junod Patek Watchmaking School NYC

パテック フィリップのローラン・ジュノー氏、(2015年、ニューヨークのパテック ウォッチメイキングスクールにて)。パテックの社内時計製造プログラムは厳格で、学生はドライバーの正しい研ぎ方を学ぶことから始まる。

 例えば、パテック フィリップの熟練時計師であり、テクニカルサービスディレクターであるローラン・ジュノー(Laurent Junod)氏は入社して30年以上になる。私は彼の講演に何度も参加したことがあるが、彼は時計のことしか考えていないくらい熱心だ。スティーブン・キング(Stephen King)の長編小説『ダーク・タワー(The Dark Tower)』に登場する最後のガンマン、ローランド・デスチェイン(Roland Deschain)が“暗黒の塔”を探し求めるより真剣に時計作りに取り組んでいるのだ(本を読んだことがない読者のために補足すると、極めて命がけで、大真面目にということだ)。ランゲのアントニー・デ・ハス(Anthony de Haas)氏やジャガー・ルクルトのステファン・ベルモント(Stéphane Belmont)氏など、ほかにも多くの人物にも同じ資質が感じられる。

Jaeger-LeCoultre Gyrotourbillon 3

ハイエンドもまだまだ捨てたものではない。ジャガー・ルクルト、ジャイロトゥールビヨン3、球状のヒゲゼンマイ、2013年に筆者が撮影。

しかし、メゾンにとっても我々にとっても値札を通して時計を見ることは難しくなっている。

 現代の高級時計製造は、ほかの多くの高級品に比べて高度に合理化された高精度の生産ラインを必要とするラグジュアリー産業だ。他のラグジュアリー製品に比べてもずっとその傾向が強い。しかし手仕上げや手作業が減ることは、ブランドが工業的規模で信頼性の高い高級時計の生産を可能とするため、必ずしも消費者にとって不利益をもたらすものではない。そもそも時計製造は見かけ倒しの粗悪品が通用するような分野ではない。スーツの肩やドレスの裏地に手を抜いても、それを気にする人はほとんどいないが、ロレックスやオメガ、グランドセイコーのような高精度の機械に手を抜けば、それがそのまま性能に表れる可能性が高いのだ。ほかの何よりも物理学と力学の法則が時計製造に誠実さを保たせているのである。

グランドセイコー GMT、SBGM221。現在の希望小売価格は55万円(税込)で、高級時計のなかでも最もお買い得なモデルのひとつだ。グランドセイコーの価格は確実にプレミアム路線を歩みつつあるが、それでも40万円以下で購入できるモデルもラインアップされている。

 高級時計を買える人がこれまで以上に少なくなってきているのは確かだが、そんなことはどうでもいい。(例えば)価格を吊り上げていると道徳的な観点から文句を言うこともできない。500億円規模の大富豪が500万円の時計を買うことは価格を吊り上げることにはならないからだ。値段を吊り上げるというのは、大嵐で停電しているときにパン1個に10ドルを請求するようなことを指すのだ。

 しかし、別の記事でも言及したが、業界全体が意図しているわけではまったくないのとは裏腹に、事態が悪化しているように見えることを私は憂慮している。私は時計が愛しているので、人々に気後れしてほしくない。それではおもしろくないからだ。

 希少性、排他性、そしてどこを見ても価格がどんどん上がっていく様子は、数年前に長男が私に言った「わからないよ、父さん、高級品なんて信じられないほど幼稚に見えるんだけどな」という言葉が、時計業界全体の真に迫っているように思えてならない。実際の時計製造の現場よりもSNSでの情報発信に関心の高い、ひと握りの富裕層や超富裕層の気まぐれなコレクターに全経営資源を注ぐことは、うまくいくかもしれないし、今のところうまくいっているようである。この先数十年、この大きな古き世界がどう変化するかによっては、それが一番スマートなあり方かもしれない。率直に言って、ラグジュアリーブランドは独力で今の地位を築いたわけではない。利益を追求することで生き残ってきたのである。

しかし私が期待しているのは、時計がより手ごろな価格で手に入れられるような世界というよりは、少なくとも、いくら払ったか、どれだけ早く抜け駆けして手に入れたかではなく、品質の良し悪しで大騒ぎされるような世界なのだ。馬鹿げているかもしれないが、私は“ラグジュアリー”が工芸、時間、材料を贅沢に満喫できた時代に憧憬を抱いている。

 金への執着ほど、ラグジュアリーを安っぽく見せるものはないのだから。