trophy slideshow-left slideshow-right chevron-right chevron-light chevron-light play play-outline external-arrow pointer hodinkee-shop hodinkee-shop share-arrow share show-more-arrow watch101-hotspot instagram nav dropdown-arrow full-article-view read-more-arrow close close email facebook h image-centric-view newletter-icon pinterest search-light search thumbnail-view twitter view-image checkmark triangle-down chevron-right-circle chevron-right-circle-white lock shop live events conversation watch plus plus-circle camera comments download x heart comment default-watch-avatar overflow check-circle right-white right-black comment-bubble instagram speech-bubble
Shop
January 19, 2021
January 19, 2021
In-Depth ロレックス ポール・ニューマン所有のデイトナが史上最高額で落札!(2017年10月)
Play

In-Depth ロレックス ポール・ニューマン所有のデイトナが史上最高額で落札!(2017年10月)

1本の時計が全てを変えた。

※本記事は2017年10月に執筆された本国版の翻訳です。

2017年10月、ポール・ニューマンの私物である“ポール・ニューマン デイトナ”が、1775万ドル(約20億円)という記録的な価格で落札され、これまでで最も高額な腕時計となった(当時)。2017年6月1日のウォールストリートジャーナルでフィリップスへの委託販売のニュースが報じられて以来、時計界は騒然としてきた。一体どれくらいになるのか? 誰に売れるのか? 売却後どうなるのか? わたしたちはこの時計をHodinkee Magazine Volume.1の表紙に掲載したり、ハンズオンに赴いたり、フライデーライブで特集を組んだりと、幅広く取材してきた。オークションに至るまでの1週間、わたしたちはディーラー、コレクター、競売人、Hodinkee読者を含む多くの時計業界のインサイダーに話を聞き、ポール・ニューマン デイトナについて、彼らが何を語る必要があったか、そして、それが時計界とコレクションにおいてどういう意味をもつのかを確認した。

 さて、オークションも終わり、落ち着きを取り戻し始めたところで、このステンレススティール製クロノグラフが、どのようにして時計の歴史を作ったのかを見ていきたい。


会場内の様子

 オークションの様子はどうだったのだろう?

 それは、壮絶のひと言だった。今までわたしは、オークションにかなりの回数参加してきたが、これは今までに経験した中で最もクレイジーなものだった。通常、時計のオークションは退屈なもので、いつも同じ人たちが同じ場所に集まって、同じロットが売れるたびにお互いにブツブツ言い合っているのだ。今回はそのような状況とは全く違ったのだ。

 それでは、最初から見ていこう。

“今、歴史が刻まれました!”

 オークションは、ニューヨークのパークアベニューにあるフィリップスで、6時きっかりに開催された。当然のことながら、わたしたちは時計を生業としている人間なので、4時には着いていた。5時頃には部屋が埋まり始め、5時半には満員になっていた。最初に集まってきたのはコレクターで、そのほとんどが上品な中年男性であり、ニューマンのような落ち着いた態度で入ってきた。そして、エリック・クー氏、アンドリュー・シアー氏、マット・ベイン氏といったアメリカのディーラーが、イタリアのディーラー(ダビデ・パルメジャーニ氏やアルフレッド・パラミコ氏のように、ルイ・ヴィトン×シュプリームの衣装を身に纏っていたのは、それはそれで格好よかった)と一緒に、場内を巡回していた。それから、わたしが名前を挙げることができないようなセレブたちと、2人のロレックスの重役(1人はジュネーブから来ている)のような業界人たちも訪れていた。

 予定通り、6時ちょうどにオーレル・バックス氏がスタンドに立ち、いくつかの短いオークション前のアナウンスと共に、スクリーンにロットNo.1が映し出され、オークションが開始された。最初の7ロットまではあっという間に過ぎていき、8ロットめが近づいてくると、わたしの胃がキュッと縮んだ気がした。もうすぐだ! 場内の興奮が伝わってきた。入札を開始する前に、彼は白い“プレミアム”番号札の事前登録者が16名いることを発表した。つまり、ポール・ニューマン デイトナのライブに入札できる人は16名で、エリック・クー氏、ダビデ・パルメジャーニ氏、ジェリー・ローレン氏(ラルフ・ローレンの実弟)、その他7名のおなじみの面々も含まれていた。さらに、フィリップスのスペシャリストと電話で繋がる16名の入札登録者が別に控えており、合計32名の購入希望者が参加した。オンライン入札は禁止されていたが、これは誤入札や“猫がキーボードを踏んでしまったので、1800万ドル(約18億円以上)の時計を買うつもりはなかった”という言い訳(実話)を防ぐための試みであった。

フィリップスで1775万2500ドルの値が付いたポール・ニューマン デイトナ。

 バックス氏は、その日の初めに100万ドルの不在者入札があったと言って入札を開始したが、彼が電話機材に目を向ける前に、アジアのクライアントと電話で話していたジュネーブ支部の専門家ティファニー・トゥ氏が「1000万ドル(約11億3670万円)!」と叫んだ。部屋は笑いと不信感に包まれた。ほとんどの人は、100万ドルから1000万ドルへの飛躍は、奇妙なジョークか、フィリップスが30分間のチマチマとした入札を避けるために練られた演出ではないかと考えていた。しかし、この前代未聞の1000万ドルの入札は本当に、まさしく現実のものであったことを、わたしたちは複数の情報筋(匿名)から裏を取っている。この大胆な2回目の入札は、部屋にいた16名の入札者を全て一掃し、今度は電話入札者の戦いとなった。場内の番号札は1度も上げられなかった。1度も。

 バックス氏は気を取り直して「まあ、こんなことになるとは思っていませんでした」と言い、1100万ドルを投じることに興味のある人はいないかと尋ねた。ナタリー・モンバロン氏(フィリップス ジュネーブ支部事業開発部長)と電話で話していたフランス語圏の参加者が入札した。入札はその後、ニューヨーク支部のスペシャリストであるリー・ザゴリー氏に飛び火。入札は最終的に1400万ドルに達し、モンバロン氏のクライアントがトップに立ったが、そこには耐え難いほどの長い緊張と膠着状態が続いた。

長引く入札を見守るバックス氏。

 さて、おさらいをしておくと、この時計はこれまでに販売された中で最も高価な腕時計として君臨した、SS製のパテック フィリップ Ref.1518を超え、スーパーコンプリケーションの領域に近づいていた。“リー、リー......どうでしょう? 電話入札者の様子はどうですか?” バックス氏は催促し、“彼は今何をしたいのでしょう? 夕食でしょうか? 一杯やりに行ったのでしょうか?” やがて、入札は再燃し、1550万ドルまで上昇した。最後はトゥ氏のクライアント(最初の1000万ドルの入札者)とモンバロン氏の一騎打ち(代理対決)になった。一瞬が永遠のように感じられた後、バックス氏はそれを止めようと切り出した。「歴史が刻まれました! 1550万ドルで落札です!」

 バイヤーズプレミアム(手数料)を含めると、2017年(そして、おそらく過去数十年)で最も話題になった時計は、最終落札価格が1775万2500USドル(当時の為替レートで約20億1792万円)、世界新記録を達成した。


オーレル・バックス氏とは何者か?

昨晩のポール・ニューマン デイトナを含む数々の世界記録を打ち立てたオークションの仕掛け人、オーレル・バックス氏。

 もうお察しの通り、まさにオーレル・バックス氏に始まり、そして終わる物語であった。

 バックス氏は、“ロレックスを買うことだけを夢見ていた”頃、500ドルの時計を求めてヴィンテージ市場を探し回ることからキャリアをスタートさせた。今や彼は、過去1年間でロレックス Ref.6062 バオ・ダイSS製パテック フィリップ Ref.1518、ポール・ニューマン デイトナを販売する実績を築き上げた。

 46歳の彼は、そのキャリアの中で数多くのオークションハウスを渡り歩いてきた。サザビーズでキャリアをスタートさせた後、彼はフィリップスに移り、2003年にクリスティーズに移籍した。多くのオークションハウスが強力な品を揃えるのに苦戦していたのに対し、クリスティーズは彼の指揮の元、成功を収めた。2003年にクリスティーズに入社した時の時計部門の年間売上高は800万ドルだったが、10年後に彼が退社したときには1億2600万ドルにまで成長していた。

2014年にサザビーズ ジュネーブにて2400万ドルで販売された史上最高額の時計、通称“ヘンリー・グレイブス Jr. スーパーコンプリケーション”。

 一連の成功の後、バックス氏は(もちろん昨夜以前)彼の大作であり、デイトナオークションの集大成である2013年のクリスティーズ「レッスン・ワン」を手掛けた。オークションハウスがオークション全体を単独のコレクションカテゴリーに特化させたのは、この10年近くで初めてのことだった。その斬新なアイデアとプレゼンテーションは、業界の大物たちの注目を否が応にも集めた。彼は古い世界に挑戦し、古いやり方が通用しないことを人々に認識させたのだ。シンプルでスマートなマーケティング手法をデイトナオークションに応用したことで、オークションでの時計購入体験を再び魅力的なものにしたのだ。 

 「彼と1ヵ月間働いてみて、彼が何をしようとしているのかは分かっていました」と、駆け出しの頃バックス氏と一緒に働いていたダビデ・パルメジャーニ氏は語る。

 デイトナオークション:「レッスン・ワン」は、1200万スイスフラン(約13億6710万円)超をもたらしたが、直後、バックス氏はクリスティーズを去ると発表した。彼は約1年間、完全に(文字通り完全に)姿を消した。彼はどこに? いつ戻るのか? どこへ向かうのか?

バックスの元、2014年初めに500万ドル(約5億1917万円)で販売されたユニークとされるロレックスのバオ・ダイ。

SS製パテック フィリップ Ref.1518の4本中の1本であるこの個体は、2016年11月に1100万ドル(約11億4197万円)で売却され、同じくバックス氏の元で販売された。

 2014年のジュネーブでの出来事だ。オークションシーズンが本格的に始まり、この10年で最大のロットであるヘンリー・グレイブス Jr. スーパーコンプリケーションが出品されようとしていた。入札が始まり、人々はゆっくりと番号札を上げ始めた。混雑した部屋の中で、1人の紳士(“赤いネクタイの男”)が番号札を上げた。男の正体はバックス氏だった。囁きが部屋中に広がった。「オーレルか? 彼は戻ってきたのか? 誰の代理で入札しているのか?」 入札は続き、彼は依頼人のために勝利した(彼が誰の代理人だったかは明らかにされていないが、少なくともパテック フィリップではない)。

 ともかく、彼は戻ってきたのだ。

 時計界へのドラマティックな復帰を果たしたバックス氏は、妻のリヴィア・ルッソ(同じく時計の専門家として名を馳せている)と共に、フィリップス時計部門の運営を請け負うコンサルタント会社“バックス&ルッソ”を立ち上げた。予想通り、バックス氏は、衝撃的なセールスを連発し、ヒット商品を次々と生み出すことに成功した。最初に「グラマラス・デイデイトオークション」と「ジュネーブウォッチオークション:ワン」を手掛けた。2015年5月には、初開催のオークションに続いて、香港とジュネーブでのオークションが開催された。2014年5月にはフィリップスが第5回目のジュネーブオークションを開催し、その際にバオ・ダイが500万ドルで落札され、これまでで最も高額なロレックスとなった。そして、今回のポール・ニューマン デイトナの売却で、バックス氏のキャリアは一巡した。昨夜、他の誰かが競り台にいたとしたら、少し不思議な感じがしただろう。


ポール・ニューマン デイトナの出現

ポール・ニューマン デイトナは、1980年代後半に時計ディーラーで呼ばれた愛称だと噂される。

 ポール・ニューマン所有のデイトナの価値を知る前に、そもそも、どのようにしてポール・ニューマンのデイトナが誕生したのかを理解しておく必要があるだろう。

 わたしたちはHODINKEEでポール・ニューマン デイトナを集中的に取り上げてきたので、Ref.6263とRef.6241の違いをご存じない読者はいないだろう。しかし、こちらはご存じないかもしれないが、1960年代に“エキゾチック”ダイヤルをもつ最初のデイトナが市場に出回ったとき、誰もそれを欲しがらなかった。1960年代と70年代には、ロレックスのデイトナは、実際には、ザ・クラウン(ロレックス本社)によって生産された、最も望ましくないモデルの1つであった。デイデイト、サブマリーナー、デイトジャストは全て、この“醜い”SS製クロノグラフを凌駕し、一方で、デイトナはディーラーの棚に埋もれてしまっていた。そして、トライカラー(3色)の“エキゾチックな”ダイヤルをもつことは、特に望ましくなかったため、半額で売られることもあった。最後の件は本当だ。なぜだかよく考えてみよう。

ポール・ニューマン デイトナのインダイヤルを拡大。

 20年間不人気だったロレックス デイトナのヴィンテージに目を付けたイタリア人とアメリカ人のディーラーグループが買い漁り始めた。パルメジャーニ氏によると、有名な俳優が身に着けていたエキゾチックダイヤルの時計にちなんで“ポール・ニューマン”と呼ばれるようになったのは、この小さなディーラーグループのおかげだったという。彼らは頻繁に電話でデイトナの在庫数についてやり取りしたが、“エキゾチックダイヤル”という言葉を使うのが面倒になったため、1980年代後半のある日、“ポール・ニューマン”という隠語が使われるようになった。今では、この時計を他の名前で呼ぶことは考えられないほどだが。

画像提供:Jake's Rolex World 

 しかし、話はそれだけでは終わらない。ご存じの方も多いと思うが、ポール・ニューマン デイトナは何年もかけてスーパースターに成長した。1980年代後半から90年代前半に再評価された後も、価格は安定したペースで上昇し続け、ほとんど衰えることはなかった。1980年代後半に1500ドルで始まったものが、1990年代前半早々に1万ドル、2000年代前半には10万ドルを達成し、デイトナオークションに出品されたRef.6263/6239 ポール・ニューマン オイスター Sotto(訳注/イタリア語でを意味する:OYSTERが、最下段に表記されることに因んでいる)が、2013年の「レッスン・ワン」で、ついに100万ドルの大台を突破した。今日に至るまで、ポール・ニューマン デイトナは珍しい仕様でコンディションが良いほど高価なモデルとなっている。その後も数字は上がり続け、ロレックスのデイトナの中で過去最高額だったイエローゴールドケースにレモンダイヤルを備えた、Ref.6263が370万ドルを叩き出した。

ポール・ニューマン デイトナは、今までに販売された腕時計の中で最も高価な腕時計になった。

 バブルが崩壊するかどうかを尋ねられたとき、ロレックスのディーラーでありコレクターでもあるエリック・クー氏は、“それはないだろう”と答えた後、すぐに“市場の調整”はあるかもしれないと付け加えた。好き嫌いは別として、この時計がヴィンテージ市場のパワープレーヤーであることを否定するものではない。大学時代に入れたタトゥーのように、ポール・ニューマン デイトナは無視できない存在であり続けるだろう。


ポール・ニューマンとデイトナの関係

ポール・ニューマンと妻ジョアン・ウッドワード(写真提供:Keystone-France、Getty Imagesより )。

 今さらながら、読者はこの話を知っているかもしれないが、念のために、ここで少し補足しておこう。ポール・ニューマンの妻であるジョアン・ウッドワード氏は、1968/1969年に彼にエキゾチックダイヤルのデイトナを(おそらくニューヨークのティファニーから)購入した。正確には、Ref.6239だ。裏蓋には“Drive Carefully Me”と刻まれていた。ポールは、何年もこの時計を身に着けていた。それを証明する写真が数多く残されている。彼はコネチカット州ライムロックでレースの測定に使用し、後にル・マン24時間耐久レースでも着用した。ポールの長女で彼の妻との間に生まれたネル・ニューマン氏は、週末のレース中にRef.6239を使ってポールのタイムを計測していたと父親のことを懐かしそうに語っている。彼はそれを着けて泳ぎ、行動し、仕事をし、そしてクールに着けこなした。10年以上愛用したRef.6239を、1984年に娘ネルの当時のボーイフレンド(現在は親しい友人)であるジェームズ・コックス氏にプレゼントした。彼はコネチカット州ウェストポートにあるニューマンの家の裏庭でツリーハウス修理をしていた。

車の中でポーズをとるポール・ニューマン (写真提供:Ron Galella、Getty Imagesより) 。

1982年、ウェストポート歴史協会の募金活動でのポール・ニューマンとジョアン・ウッドワード(写真:ウェストポート歴史協会提供)。

 長年にわたり、コックス氏はこの時計をニューマン家との関係を象徴するものとして愛用していた。「この時計の雰囲気は本当に良いですね」と彼は言う。「この時計には出かけて行った場所、長年共に過ごした想い出がたくさん詰まっています。今まで持っていた中で最もクールなものでした。僕は多くのものを持っていませんから」と彼は言った。彼はその10年後の1990年代になってから、長年身に着けていた時計がコレクターの間でカルト的な支持を得ていたことを知ることになった。

裏蓋にエングレービングが施されたポール・ニューマンのデイトナ Ref.6239。


ポール・ニューマン デイトナがオークションに出品された経緯

 ディーラーやコレクターと話をしてわかったのは、ほとんどの人がこの時計を“家族のもとにある”と知っていたということだ。しかし、彼らが知らなかったのは、ジェームズ・コックス氏がこの時計をずっと所有していたということだった。コミュニティの間で囁かれたり、ディナーパーティーでワインを飲みながら深夜に議論されたりしたが、2016年の春にバックス氏が運命的な電話を受けるまで、誰もこの時計の在りかを特定することはできなかった。

ジェームズ・コックス氏とポール・ニューマン。

ネル・ニューマン氏とジェームズ・コックス氏。

 ニューマン家の弁護士から電話を受けたバックス氏はカリフォルニアに飛び、ジェームズ・コックス氏とネル・ニューマン氏に会った。彼は、計画を練って契約書にサインするまでに数日しかかからなかったと述べ、これは彼のキャリアの中でも最も友好的な取引の1つだったと語った。契約が締結されると、バックス氏はニューヨークの同僚ポール・バトロス氏に電話をかけ、「ポール、もし契約が成立したら君はどう言うだろうね?」
 バックス氏が何を言っているのか分からず、バトロス氏はさらに答えを求めた。バックス氏は「ポール、もし我々がそれを手に入れたら何て言う?」と繰り返した。バックス氏が何を言っているのかようやく理解し、バトロス氏は衝撃を受けた。この伝説的なクロノグラフを中心に、49ロットをニューヨークで開催されるオークションに出品する手筈が整っていた。フィリップスが、この時計を売ることを知ったときの感想を聞かれたヴィンテージロレックスのディーラー、アンドリュー・シアー氏は「おぉ、オーレルがまたやったんだ!」と答えた。

左からピート・ミーハン氏、ネル・ニューマン氏、そしてポール・ニューマンのデイトナを着用したジェームズ・コックス氏。


最終的な考え

ポール・ニューマンのデイトナは、1770万ドル強で取引される最も高価な腕時計となった。

 結果は何を意味するのか? 当然の疑問ではないだろうか? 

 1775万2500ドル(約20億円)の最終価格をマークしたことで、前述のロレックス バオ・ダイSS製パテック フィリップ Ref.1518を破って、オークションで販売された最も高価な腕時計となった。この時計にこれだけの金額とは、他に言葉が見つからないが、クレイジーである。それは全く狂気の沙汰だし、他に言いようがない。 

 1歩引いて、ポール・ニューマン デイトナをバオ・ダイやSS製Ref.1518と比べると、比較的シンプルな時計だ。SS製のクロノグラフで、エキゾチックダイヤルとバルジュー社製ムーブメントを搭載しており、1960年代に生産された完全に同一のRef.6239 デイトナは何千本も存在する。バオ・ダイは、ゴールドケースとブレスレット、ダイヤモンドが散りばめられたダイヤル、ロレックスがこれまでに製造した中で最も複雑なムーブメントを搭載した完全にユニークな時計だ。ポール・ニューマン デイトナの価値は、その歴史と市場への影響力にかかっている。そうとしか説明のしようがない。

他の追随を許さない歴史をもつこの時計は、わたしたちに多くのことを教えてくれた。

 しかし、幸いなことに、ポール・ニューマンのデイトナの落札は、時計業界の新しいページの幕開けとなった。これほどまでに、時計がわたしたちの世界で注目を集めたことはなかったからだ。一般的に時計に興味のない人たちは、この販売を取り巻く報道の大きさのために、わたし(と同僚)にこの時計について尋ねてきた。わたしたちが夢見ていた以上に報道は賑わった。ポール・ブトロス氏はCNNのリチャード・クエスト氏のインタビューを受け、ロバート・フランク氏はオーレル・バックス氏をCNBCの番組『シークレット・ライブス・オブ・ザ・スーパーリッチ』にゲストとして呼び、CBSのサンデーモーニングでフォローアップ番組が放送された。この時計は、これまでのどの時計よりも多くのメディアで取り上げられた。それだけでなく、このオークションはまた、カテゴリーとしてのポール・ニューマン デイトナの相場を強力に押し上げる可能性をもつだろう。ほとんどの関係者が相場は上昇するだろうと見ている。なぜなら、コミュニティの垣根を超えて需要が高まると思われるからである。わたしが話をした十数社のディーラーの中で、今週ポール・ニューマン デイトナを売ろうとする人は一人もいなかったが、彼らは皆、市場がどのように変化するかを見極めるために、オークションが終わるまで我慢したいと思っているからだ。

 そして、“ポール・ニューマンのポール・ニューマン”については聞き飽きたかもしれないが、わたしたちの趣味がこのような名声を得るまでに成長していくのを見ると、かなり誇らしい気分になることは否定できない。ポール・ニューマンのデイトナは時計コレクターの常識を変えたが、より重要なのは、この時計が1775万2500ドル(約20億円)で販売されたことで、市井の人々のヴィンテージ時計の見方が大きく変わったことだ。

 しかし、時計界は常に新しい時計、新しい記録、新しいホーリー・グレイル[聖杯]を求めている。ポール・ニューマンが過ぎ去った今、本当の真価が問われるのは、次に何が来るということなのだ。