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Dispatch ジェラルド・ジェンタのホームスタジオをイヴリン・ジェンタが語る

故人となったデザイナーが代表作の数々を製作した空間を拝見。そして聞こえてくるBGMが…まさかのスヌープ・ドッグ?

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ロンドンにあるジェンタのタウンハウスのちょうど真ん中に、故ジェラルド・ジェンタ(Gérald Genta)のスタジオがある。吹き抜けとなっているこの部屋は高い窓から差し込む自然光であふれている。「家の中央にいつもいて、それがお気に入りでした」と回想するのは彼が遺した妻であり、仕事でも人生でもパートナーであったイヴリン・ジェンタ(Evelyne Genta)だ。この部屋は、群を抜いて最も高名な時計デザイナーであるジェンタが、2011年に80歳でその生涯を閉じるまで、そのデザインに明け暮れていた場所である。

 自らの名を冠した会社は亡くなる10年以上前に売却していたが、ジェンタが仕事の手を緩める気配は一切なかった。「生きていたとしても、リタイアした紳士みたいな人生は絶対に歩まなかったと思います」。ジェンタ夫人はこう語る。「好きだった仕事はデザインでしたし、止まることを知りませんでした。彼は毎朝6時には起きて、まずネクタイを締めます。ノーネクタイは許せない人でした。それからたいていスポーツジャケットを羽織り、自分の机に向かっていましたね」

Evelyne Genta poses in Gerald Genta's studio

 ジェンタは時計界のピカソと呼ばれ、この春のサザビーズでは彼の一連の画作がオークションにかけられる。熱烈なファンたちが、オーデマ ピゲのロイヤル オークが発売される2年前、1970年に初めて描かれたジェンタのオリジナルデザイン画を競り落とすことができるオークションだ。それだけでなく、ジェンタが描いた1976年のパテック フィリップ ノーチラス、1986年のミッキーマウスのレトログラード(壮麗なファンタジアスタイル)、1995年のグラン・ソヌリ(当時、世界で最も複雑な腕時計といわれた)、そして1985年のカルティエ パシャ ムーンフェイズ(珍しいオーバル型で、空はラピス・ラズリ、月はゴールド)もオークションにかけられる。そして、時計ではないものたちも。さるヨーロッパの王室が、中東の要人への贈答としてジェンタに託した宝石入りのペンダントとベルトなど、ジェンタが描いたジュエリーやオブジェのデザイン画も含まれているのだ。

 オークションはオンラインにて、3ヵ所で実施される。今週はジュネーブ(2月24日まで)で、3月は香港。4月がニューヨークだ。そして、ジュネーブで開催されるサザビーズ「Important Watches」オークションが実売形式でのフィナーレとなるが、今回はジェンタの個人所有であったロイヤル オークが競りにかけられる。エスティメートは30万~50万ドル(約3400万~5700万円)だ。

Gerald Genta's sketches

 合わせて100点に及ぶジェンタのデザイン画が登場するが、ジェンタ夫人が大切にしている3250点もの作品からすれば、その数は微々たるものだ(ご機嫌取りの時計師たちが立て続けに夫人の家の戸を叩き、秘蔵の品のおこぼれを少しでも頂戴しようという姿が目に浮かぶようだ)。100点に絞り込むことは、夫の多才さゆえの至難の業であった。「午前中は永久カレンダー、午後にはジュエリーウォッチをデザインするなんてことも、彼はやってのけたものです」とジェンタ夫人は言う。「ですから、(デザイン画の)選別なんて無理でした」。

 ヨーロッパの王室向けに製作された置時計、フォークやスプーン、そしてゴールドのデカンターラベルなども含まれていたが、ジェンタがいつも最初に始めたと思われるのは、腕時計だった。彼の一日は、まずコンパスで円を描くことから始まる。それをパイを切り分けるように線で区切り、いよいよ筆と絵の具の作業に着手する(ジェンタ夫人によれば、「ジェラルドはスケッチはしませんでした。ひたすらデザインでしたね」)。毎朝娘のアレクシア(Alexia)が父が数時間向かってデザインをするデスクの横を通り、そのあいだ部屋には音楽が流れていた。たいていはクラシックだが、ときにはヒップホップも。「スヌープ・ドッグ(Snoop Dogg)よ」と、アレクシアは言う。「父はギャングスタ―ラップにはまった時期があったんです」

Gerald Genta paintings

 ジェンタのスタジオにどっしりとしつらえられているのは、大きなパネルを配した木製のデスクにゴールドで縁取りされたレザーのデスクカバー。そこから見上げる壁にはインドネシアの伝統衣装が飾られている。クライアントとの打ち合わせで長期にわたり訪れた、ジェンタ夫妻のアジアへの旅の数々。そのなかで立ち寄ったシンガポールで購入したという衣装には、白い貝の柄が刺繍されている。「夫はシェルがダイヤルによく合うと考えたんです。目にすべきすべてのものは自然界にあり、その構造にあると彼は信じていました。一度目にしたものは、どれもよく再利用していましたね」と、ロイヤル オークがヴィンテージの潜水ヘルメットを模していることで有名な彼についてジェンタ夫人は語る。

 ジェンタのデザイン画は長年、スタジオ内のそこかしこに積み上げられていたが(アレクシアが言うには「父はだらしないのではなくて、ただ整理ができない人」)、今では美しく整理され、撮影ができるようになっており、彼のみならず、夫妻の働きざまが瞬時に感じられる部屋だ。夫妻はまごうことなきパートナー同士であった。世界をともに旅し、助け合って働いた。ロンドンに住む前はモナコとスイスを行ったり来たりの生活だった。スイスには20年にわたってジェンタが構えたマニュファクチュールがジュネーブにあり、より複雑なムーブメントのマニュファクチュールはル・ブラシュにあった。200人近い従業員を雇っていたこのマニュファクチュールでは、ジェンタのプロトタイプが生産された。オリジナルだけでなく、ファンが知らないであろうブランドとの提携作品も生産されていた。彼のお気に入りのメゾンのひとつ、カルティエがその一例だ。

 腕時計を中心に回っていた彼の人生。「朝一緒に起きて、よくふたりで並んで工房へ向かいました」とジェンタ夫人が思い出を語る。「彼はデザインが仕事ですが、ケースの製作を監督したり、特別なダイヤルの担当工と話し合ったりもします。そこからル・ブラシュに行って、ムーブメントの打ち合わせをするんです」。そのあいだ、夫人はクライアントや営業管理を担当し、売上回収が滞らないよう徹底した(「私たちの作品はとても複雑で、製作に長期間を要しましたから」と夫人は説明している)。

 「こうした仕事を彼がやっていたら、創作なんてできなかったでしょうね。時間を要する仕事ですし、彼自身も好きではなかったですから。そして、家に帰って時計の話をよくしました。腕時計のことを、日がな一日話しているのが当たり前だったんです」。

 それについてはアレクシアも、母が決して父のクリエイティブな面について口出しをしなかったことで、芸術面のゆとりを全面的に父に与えていたと言葉をつなぐ(「私のオフィスは彼のすぐ隣でしたけど、お節介はやきませんでした」とジェンタ夫人は言う)。だからといって、彼のアーティスト気質を家族が上手に扱っていたというわけではない。公の場での小さな争いごとは頻繁にあった。ジェンタが自作のミッキーマウスウォッチをスイスの時計づくりにおける汚名だと評され、スイスの腕時計展示会から暴れて飛び出したことなどは有名だ。さらに身内へのかんしゃくも、ときどき爆発させていた。「かじ取りの妙が必要でした」とアレクシアは振り返る。「毎回夕食のときに決まって複数の新デザインの話が出るんです。ときにはみっつとか4つとか。そこでもし昨日のデザインの方がよかったなどと言おうものなら、この世の終わりですよ。いつも前向きなことを言わないとだめなんです。父は常々お気に入りのデザインは最後にデザインしたものと言っていましたから。ですから、過去のものがいいというのはだめなんです」

 ジェンタ夫人にとっては、ひとつひとつのデザイン画それぞれにストーリーがある。例えば、特別なクライアントとの思い出などだ。クリストファー・コロンブスのアメリカ大陸発見の旅をイメージした、ゴールドダイヤルのクッションウォッチや、派手な黒檀で数字を配したエルメス、動物一家をテーマとした個人委託の卓上時計シリーズなど、ウトレな(突拍子もない)作品群もある。4月のウォッチズ&ワンダーズに展示予定の後者は、水晶の台の上にセットされ、動物の赤ちゃんの斑点模様はダイアモンド、そしてすべては色付けされた金で手作りされている(ワニはグリーンゴールド、象はピンク、アメリカンイーグルはブルーなど、など、みな実話であって嘘ではない)。

 ジェンタのデザイン画が他人の手にわたるのは、きっとつらいことだろう。「ええ、少しは」とジェンタ夫人。「ですが、それと同時に評価されるということはこの上なく大切だとも思うのです。若い人たちの熱中ぶりをSNS上で拝見します。25歳から30歳くらいのコレクターの方々のことですが、数々のデザイン画が銀行の保管庫から外に出ていくのは、本当にすばらしいことです。人に知れ渡るということですから。きっと彼も望んでいたことだと思います」

Evelyne Genta's hands

 最も重要なことは、サザビーズがこれらのデザイン画作をNFTを使って競売にかけるということだ。特にさまざまな人たちが長年ジェンタの作品を自分のものにしようとしてきたわけで、このことは作品の認証と所有に関する機能としてジェンタ夫人がことのほか好ましいと感じている点だ。「この“永遠に”という発想が気に入っています」と夫人は言う。「大理石に文字を刻むようなもので、違うのはブロックチェーン上に刻まれるということですよね。ブロックチェーンが何かは知りませんけど」

 今年はオーデマ ピゲのロイヤル オーク生誕50周年だが、ジェンタ夫人には、このオークションがジェンタの没後10年に当たるということの意味合いのほうが大きい。生前には決して満足の行くものではなかった名声を、彼にようやく届けることができる日が来たことが、彼女にとっては重要なのだ。「芸術家がすべてそうであるように、私の夫も正しく評価されるととても喜んでいます」とジェンタ夫人は言う。「少しうれしくもあり、少し悲しくもあります。彼にふさわしい評価を与えてくださらなかったブランドもあったからです。それがようやく今、我先にと良いご評価をいただけています」