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今日は、HODINKEEの2人のライターが、「キャラクターウォッチとは何か」について、全く異なる意見で議論します。ジャック・フォースターは、「キャラクターウォッチ」と呼ばれるためには、時計の針がキャラクターの腕として動いて時を告げるキャラクターが必要だと主張します。一方、ダニー・ミルトンは、「キャラクターウォッチ」という言葉の定義をもっと広く、腕の形をした針をもたないキャラクターも含めて受け入れるべきだと主張しています。ぜひ、両方をお読みいただき、コメント欄でご意見をお聞かせください。
「ルールがないからこそ、アートが生まれる」伝説的な抽象表現主義の芸術家、ヘレン・フランケンタールのこの言葉は、あらゆる芸術媒体を理解する鍵となる。時計のデザインは芸術であり、私たち、つまり衒学的に時計を愛する人々は、期待を裏切り、規範を覆すブランドを賞賛する。例えば、H.モーザー、ウルベルク、レッセンス、そしてMB&Fなどだ。 彼らのデザインは、最も基本的な次元で、私たちに「これは時計なのだろうか」と疑問を抱かせるような場所に連れて行ってくれる。私はそれが大好きだ。みんな大好きなものだ。
「この方法しかない」「この方法以外はダメだ」という独断的な理想に縛られていては、人間は進化できない。
ジャック・フォースターには敬意を表すが、彼のキャラクターウォッチの定義は、1933年に作られた4ドル以下のポケット・ウォッチがベースになっている。実際、彼はキャラクターウォッチの歴史を語るなかで、真の意味での初代モデルについて簡単に言及し、すぐに捨ててしまっている。そう、バスター・ブラウンの海中時計だ。実際には、このモデルが最初のキャラクターウォッチであり、それについての説明は必要ない。このモデルがなければ、インガーソル社が30年後にミッキーマウスのアクティブハンドモデルに発展することはなかっただろう。
もし誰かが「キャラクターウォッチは文字盤に描かれた静止画でなければならない」と言い切っていたら、ミッキーは存在しなかったかもしれない。恣意的に「ミッキーマウス」がキャラクターウォッチの全てであると決めつけてしまうと、他の多くのキャラクターウォッチの存在意義が薄れてしまう。
私は、彼らが「文字盤上にある単なる静止画像に過ぎない」という考え方に憤りを感じている。単なる? おい、頼むよ。
ご存知の方も多いと思うが、私は嫌々ながら、新旧問わずスペース・ジャムをテーマにした時計の専門家のようになっている。フォッシルの新しいカプセルコレクションは、キャラクターウォッチではないと理解してよいのだろうか?
オールスター・コレクションでは、ルーニー・テューンズのキャラクターたちが、クラシックで明るくカラフルに文字盤の中央に描かれている。動かないからといって、そのキャラクター性を否定することは、芸術性を損ねることになる。また、「寮のポスターと変わらない」というのも、若い人たちへの冒涜だ。私は、コズモ・クレイマーが描かれたポスターを選んだことに誇りをもっていた。
スラムダンクコレクションでは、風貌と文字盤の両方にキャラクターのアウトラインが描かれている。テューン・スクワッドでは、文字盤のイメージが変化し、静止していない状態になる。
世界的に有名なアニメのキャラクターが3種類も描かれているのに、それがキャラクターウォッチではないって?
そして忘れてはならないのが、僕たちの親友スヌーピーだ。スヌーピーは、NASAのシルバースヌーピーアワードに描かれたことで有名だが、この賞を記念して、のちにオメガのスピードマスターにも採用された。この時計には3つの異なるバージョンがある。
1つめは、シルバースヌーピーアワードに見られるように、スヌーピーをプリントでカラー表現し、サブダイヤルの1つに配したもので、今回の議論では最も説得力のない提案だ。第2弾は、白文字盤に、“Failure is not an option”(失敗という選択肢はない)と書かれた吹き出しとともに、犬小屋に寝そべったような姿勢のスヌーピーが描かれている。彼の腕は時刻を知らせていないかもしれないが、間違いなく時計の全体的な体験に積極的に参加している。彼は思考しているじゃないか!
ジャックが少し避けたのは、最新のスヌーピーエディションについてだ。2020年のオメガ シルバー スヌーピーに関しては、私に言わせれば、彼の議論全体を台無しにするような態度をとっている。このモデルでは、スヌーピーはサブダイヤル上で踊る姿に戻っている(前モデルは蓄光素材で描かれていて、光るのだ)が、それだけではない。
時計を裏返すと、そこは宇宙空間が広がる。地球は回転し、スヌーピーはロケットに乗って、月の裏側あたりから飛んでくる。大声で叫んで飛んでいるのだ。この作品には、1人ではなく2人のスヌーピーが登場しているのに、バラバラで不釣り合いな腕で時間を知らせていないからといって、キャラクターウォッチではないと信じていいのだろうか?
ちょっと余談だが、気持ち悪くはないだろうか。解剖学的に言って、腕はそのように動くべきではない。だから、時間を確認するたびに吐き気をもよおしたくないことを許して欲しい。また、かわいそうなキャラクターの友人たちにとっては、大変な作業になる。12回も腕を回転させて、また最初からやり直さなければならないなんて、(ジャックの言葉を借りれば)まるでシジミのようだ。
あえて言えば、私のキャラクターウォッチの定義は、より人道的なものだ。私は、キャラクターとその疲れた腕に代わって、正義を唱えている。キャラクターのために、キャラクターウォッチの定義を広げることができないとしたら......それは我々のことを何と言うだろうか?
でも、もし動くキャラクターを探しているのなら、それはある。 ただし、動く部分が必ずしもあなたの求めるものではないかもしれないが。
今年の4月に発売され、時計界に衝撃を与えた「オーデマ ピゲ ロイヤル オーク コンセプト“ブラックパンサー”フライング トゥールビヨン」だ。これがキャラクターウォッチであることは間違いないが(私の意見だが...)、とりあえずどんな時計なのか見てみよう。
まず第一に、オーバーエンジニアリングとハンドクラフトによるミニチュア彫刻がある。文字通りブラックパンサーの瞳孔が見え、スーツやヘルメット、爪などの細部に至るまで精巧に作られているのだ。これができる寮のポスターや、それを買える大学生を探してみてくれ。また、文字盤という制約のなかで、立体的な奥行きを感じさせるダイナミックな造形となっている点も注目だ。
ムーブメントに関しては、針がキャラクターの股間から出ているように見え、その下にトゥールビヨンが配置されている。私が言えることは、これは子供の頃のキャラクターウォッチではないということだ。しかし、たしかに動きはあるのだ。
私が言いたいことをまとめるためにこの例を最後に書いた。オーデマ ピゲはこの時計を作るにあたり、かつてのミッキーマウスの時計から直接インスピレーションを得ている。実際、ジェラルド・ジェンタ自身(この時計のベースとなったロイヤル オークのデザイン)も、ミッキーマウスの時計を作っていた。オーデマ ピゲはブラックパンサーをキャラクターウォッチだと思っている。作り手よりも詳しい人はいるだろうか?
最終的に、私は自由を支持する。芸術的な意味でも、キャラクターがその疲れた腕を休める自由の意味でもだ。キャラクターウォッチは、動く必要はなく針を動かす必要もない、ただ幸せをもたらすだけだ。キャラクターウォッチとは、私の友人たちが言うように、時計に描かれたキャラクターのことなのだ。
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