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Opinion: ジャングルにまつわるロレックス GMTマスターに触発され、ワンウォッチ・ガイを夢を見る

私はいつも、憧れていた。ダイビングの難破船から庭仕事、結婚式まで、すべてのために自身のロレックス サブマリーナーを着用し、ベゼルは色あせ、ブレスレットはひどく傷ついていたとしても、ひとつの時計を使い続けるような男に。私はそのような男ではない。しかし、少し前に、そんな人物に出会った。そして、その時計はとんでもない彼の物語を語った。

※本記事は2013年2月に執筆された本国版の翻訳です。

2本のロレックス GMTマスター(上が筆者のもの)。

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 昨年の秋、私はニューメキシコ州ロズウェルに滞在し、フェリックス・バウムガートナー氏によるレッドブル・ストラトスミッションの打ち上げを取材していた。打ち上げが何度も延期されるなか砂漠の空気を吸っていると、近くに立っていた男性の腕に見覚えのある時計があることに気がついた。赤と青のペプシベゼルが特徴的なロレックス GMTマスターである。変に思われないようにしながら私は彼のところに行き、「いい時計だね」と言いながら、自分の腕にある同じ時計を見せた。彼は微笑みながら「ありがとう」と言い、私たちはこの象徴的な時計について語り合ったのだ。

 話しているうちに彼のGMTは、私のよりもずっとボロボロで、色あせていて、伸びたリベットブレスレットにかろうじてしがみついているような状態だった。しかし、間違いなくこのふたつのうち、より好ましいものであることにも気づいた。思わず嫉妬した。彼の時計にではなく、彼にだ。

 彼は、私が決してなれない男、つまり、いつだって1本の時計だけをつける男なのだ。彼はロレックスを外して私に渡し、その状態を詫び、奥さんから何年も買い替えるように言われているのだと話した。なので私は、この時計の価値が上がっていること、プラスチックのクリスタルについた傷が取れることなど、時計屋ならではの言葉をまくしたてて、その時計を褒めちぎった。この時計をいつから持っているのかを尋ねると、彼は笑顔で時計を裏返すようにいった。

 ひどく傷ついたケースバックには、刻印があることをなんとか確認できた。“Kinshasa 1974”と書かれている。その人は、ナショナルジオグラフィックのプロデューサーで(ロズウェルにドキュメンタリー映画を撮りに来ていた)、私にその意味を知っているかどうか尋ねてきた。私はしばらく考え、モハメド・アリとジョージ・フォアマンが、当時のザイール共和国の首都の熱帯の暑さのなかで戦った有名な「キンシャサの奇跡」を思い出した。彼は70年代初頭、仲間と一緒にアフリカに行き、援助活動や映画製作、そして様々な傭兵的な悪ふざけをするために「ジャングルもの」をやったのだと教えてくれた。

 アリがフォアマンをノックアウトし、王座を奪還したその夜、彼らはそこにいたのだ。それ以来、このロレックスは彼の冒険のお供となり、その役目を果たしているという。

 私はいつも、憧れていた。ダイビングの難破船から庭仕事、結婚式まで、すべてのために自身のロレックス サブマリーナーを着用し、ベゼルは色あせ、ブレスレットはひどく傷ついていたとしても、ひとつの時計を使い続けるような男に。しかし、私はそのような男ではない。確かに、私は自分の時計とともにいくつかのハードなときを費やしてきたが、身につけるものは常にローテーションで、さまざまな時計を身につけ、売ったり、交換したり、そしてしまい込んできた。

 私たち時計コレクターは、特にロレックスのスパイダーダイヤルやトロピカルダイヤル、黄ばんだトリチウム、完全に色あせたベゼルなど、ハードで使い潰されたヴィンテージ時計の難解な細部にうっとりし、見惚れる。70年代に新品で購入されたパテック フィリップのノーチラスをエステートセール(遺品整理)で見つけ、毎日使い続け、すっかり古くなってしまったオリジナルのコルク箱に収納することを夢見ているのだ。

 しかし、私たちは時計をこのように身につけることはほとんどない。これらの時計を欲し、これらについて記し、体験することで、そうした時計のかつての所有者がどのように使っていたのかに触れる。つまり、時計を計時装置、道具、仲間として大切にしながらも、決して甘やかしたり、あるいは珍重な貴重品として扱っていなかったということだ。

 GMT マスターを持ち主に返すと、彼は手首の上でクラスプをカチッと音を立てて閉じた。彼が今まで何千回と繰り返してきたように。別れの前に、彼は私に新しいロレックス GMTマスター IIについてどう思うかを訪ねた。いい時計だが、私ならあなたの持っている時計を手放さないだろう、と私が言うと彼は、「あぁ、捨てはしないさ。結局、この時計は今でもよい時を刻んでいるんだからね」と言った。