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想像して欲しい。ドバイ・ウォッチ・ウィークのチプリアーニのテントの下、真昼の太陽を浴びてのんびり食事をしながらおしゃべりしているのは、ジャン-フレデリック・デュフォーとフランソワ-ポール・ジュルヌ。
ドバイで2年に1度開催される小規模なフェアに何度も訪れる人々にとっては、こういうカジュアルなシーンはさほど驚きにあたらないだろう。しかし、他の好奇心旺盛な人たちは、業界の大物たち(1つの巨大企業と、とある完全制覇したインディーズ企業)が何を話しているのか(ブッラータチーズについて? 暑さのなかでジャケットとネクタイを着用するための知恵? それとも、フランシス・フォード・コッポラを説得して、デュフォーのロレックスのボスとしての秘密の生活を映画化してもらうこと?)、気にしていないふりをしながら聞いているのだ。
H.モーザー パイオニア・センター・セコンドを着用したクレール氏。
リシャール・ミルRM-10を着用するナジェスワラン氏。
このデュフォー x ジュルヌの午後のコラボレーションは、第5回ドバイ・ウォッチ・ウィークの縮図だった。中東の大手時計小売業者Ahmed Seddiqi & Sons社が主催するこのイベントは、リラックスし、オープンで、パワーがみなぎっていて、そしてとても暑い。太陽の光からも、詮索好きな人からも、隠れる場所はほとんどない。ある意味、スイスで開催される春のウォッチフェアのような高貴な雰囲気へのアンチテーゼであり、解毒剤でもある。コロナが引き起こした高級品のカジュアル化やTシャツやスニーカーのビジネスウェアとしての容赦ない台頭によって、より自由な雰囲気がもたらされたのだ(私も超賛成だ)。
カルティエのSS製パンテールを着用のワンダ氏。
隔年11月の5日間、首長国の金融センター中心部にあるゲートは、偶然の出会いと、あまり割とオープンな野外活動の場となっている。ここでは時計業界のスーパースターたちが、このイベントに参加するためにメールアドレス(と、おそらく飛行機のチケット)以外にコストをかけていない時計ファンたちと知り合うことも起こり得る。それは結構面白い。
また、そのスピード感も上がっている。コロナとそれに伴うトラベルのハードルにもかかわらず、また、ロレックス、オーデマ ピゲ、ウブロ、チューダーといったヘッドラインに誘われたのか、主催者によると、プラスチックのフォークで突っ切れる程度のバリアを通って、2年前の約2倍となる1万6000人が来場したという。2019年に8万1000人が来場したバーゼルワールドのような注目度の高い国際的時計イベントがひしめくなかで、かつてドバイ・ウォッチ・ウィークは砂漠の異端児と思われていた。いまや業界の中心的存在へと発展を続け、時計メーカーのなかでも最も進取の気性に富んだ、そして最もチャンスに恵まれた人々が集まる場所となっている。
業界のプロたちが足首や手首につけたものを腕を広げるように嬉々として見せているあいだ(ついでに派手な服装も)、非公式に参加し、会場で精力的に仕事をする人たちもいた。モンブランの元MDであるダヴィデ・チェラート氏 は、現在倒産に瀕しているHYTのボスになったばかりだが、このイベントが提供するライフラインにつながっている非出展者の一人だ。
ロレックス デイデイト 18239 ホワイトゴールド オニキスダイヤルとデイデイト グリーンダイヤモンドダイヤルを着用したタリク氏。
パテック フィリップ ユニーク スカイ・ムーン トゥールビヨン チタニウム Ref.5001Tを持つクロード氏。
クルーガー カオスPurple Powを着用するフィオナ氏。
オーデマ ピゲ ロイヤル オーク スケルトン オープンワーク 39mm 15306OR.ZZ.D088CR.01(2012年)とロレックス デイトナ ソーダライト 116519(2000年)を着用するモハメド氏。
確かに新作もあったが、そのほとんどがアラブ首長国連邦の建国50周年を記念して地元の人々を魅了するために作られた地域限定モデルだった。またそれ以外は、 パンデミックの第3波、いや第4波でデジタル化されてしまった春の発表会を再放送したもので、来場客を呼び込もうとする意図だ。フレデリック・コンスタントは、驚異的でほとんど理解できないモノリス脱進機のプレゼンテーションで我々を魅了しかけたが、きちんと髪を撫でつけたMDのニールス・エッゲルディング氏(若き日のジャン-フレデリック・デュフォーのように)がステージを歩き回るあいだに、困惑した同僚が私の耳元でささやいたのは「これは春にすでに見たことがあるのではないか」ということだ。確かに、そうだった。
オリスの新作は、レクタンギュラーと呼ばれる長方形の時計と、シグネチャーであるビッグクラウンポインターデイトにディープブルーのダイヤルを配し、5日間自動巻きのCal.403を搭載するという斬新な組み合わせで登場した。ジラール・ペルゴは、「Infinity to Eternity(無限から永遠へ)」をテーマに、エナメルダイヤルのロレアートとキャッツ・アイのペアを発表し、さらに1889年のポケットウォッチ、ラ・エスメラルダに目がくらむような再構築を加え、創業230周年の幕開けを飾った。ウルベルクはUR-100Vのブレスレットバージョンを「フル・チタニウム・ジャケット」と名付けて、まるで黙示録を生き延びたかのような時計に仕立てた。ユリス・ナルダンは、ブラックのダイバー X スケルトンにイエローのラバーストラップと "カーボニウム "のベゼルを装備し、CEOのパトリック・プルニエ氏は当然のことながら、高度な技術を要するダイバーズウォッチはサンゴ礁では育たないことを強調した。そしてH.モーザーは、 ロシア語ロゴを使ったヘリテージ・ブロンズ “Since 1828” 限定モデルを発表し、評価を二分することになった。
アーミン・シュトローム グラヴィティコールフォースを装着したオリビエ氏。
セイコー モデル5 21石 オートマティックを着用したギーツ氏。
ルイ・エラール アラン・シルベスタイン コラボモデルを着用するマニュエル氏。
UAEのAP ロイヤル オーク ローズゴールド スケルトンとパテック フィリップのアクアノート5167を身につけるスルタン氏。
残るのはトークだ。ドバイ・ウォッチ・ウィークは2年に1度しか開催されないが、サブブランドであるホロロジー・フォーラムは毎年恒例のイベントだ。このフォーラムでは、業界の内外から著名人を招き、時計の収集方法やブランドのサステナビリティに関する主張など、不変的な事柄について意見を交わし、議論を深めることを目的としている。
これらはすべてよく計画されたものであり、ときに興味深いものでもあったが、参加者にもっと上級の業界人を呼んでステージで質問させたり、知識がしばしば上辺的だった
」外部のオブザーバーをもっと減らしたりして欲しかったと思う。パネライのポントルエ氏やオリスのスチューダー氏が参加していないサステイナビリティ・パネルは、機会を逸しているように感じられた。
しかし、それでもだ。ドバイ・ウォッチ・ウィークの楽しさと手ごたえのおかげで、時計見本市の死亡記事担当者のペンはまだ白紙のページに留まっているのだ(バーゼルワールドが自ら招いた死のサイレンに捕らえられているにもかかわらず)。しかし、今年のイベントの余韻で残るのは、イベントの最初のフォーラムでジョージ・カーン氏をブライトリング南アフリカのCEOとして紹介し、ステージで大失敗をした、不運な(そして残念ながら準備不足の)司会者のことかもしれない。業界のベテランが皆すぐに指摘したように、カーン氏の任務はもっとユニバーサルなものだ。そして、もしランチ会合効果が何かをもたらすものであるならば、ドバイ・ウォッチ・ウィークの影響力は今後数年間続くことになるだろう。
ロビン・スウィッシンバンクは独立系ジャーナリスト、ライター。HODINKEEでは「3つのスウォッチで綴る私の人生物語」やそのほかの記事を執筆。ニューヨーク・タイムズ・インターナショナル、フィナンシャル・タイムズ、GQ、ロブ・レポートなどに定期的に寄稿。また、彼はハロッズのコントリビューティング・ウォッチエディターでもある。
Photos by Andrea Salerno Jácome
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