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WATCH OF THE WEEK 30歳の誕生日に母から贈られた繊細なスイス時計

まるで本当の大人になったような気がしてきた。

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Watch of the Weekでは、HODINKEEのスタッフや友人を招いて、時計を愛する理由を説明してもらう。今週のコラムニストは我らが副編集長だ。

我が家の言い伝えでは、あるクリスマスが重要な意味を持っている。私はたしか4歳か5歳で、クリスマスの朝にたくさんのプレゼントをもらって目覚めたことをはっきりと覚えている。人形や絵本、たぶん流行りのおもちゃの包みを開けたのは確かだが、…枕の包みも開けた。そして、靴下も。当時はただ開けるのが楽しくて、「へえ」と思うまで数年かかった。でもどうせ両親が必需品を買ってくれるのなら、なぜちょっとしたお祝いの気持ちを込めないのだろうか?

A small Eldor watch

 私がこの話を持ち出したのは、父と母が自分たちのできる範囲で抜け目のない贈り物の仕方をしたことを恨むためではなく、我が家での贈り物のあり方を描くためだ。最大限の実用性をもって。

 サプライズのチューブソックスはデリアのカタログで欲しいものに○をつけると、ひとつのものが手に入るというものに変わった。限られた資金と自分の好きなものに敏感な二人の子どもの思いが合わさり、私たちは何が来るかわからないことが多かったし、わかっていても気にしなかった。それでもありがたくワクワクしていた。これは私が今でも実践している贈り物の仕方だ。誕生日とクリスマス以外にはあまり贈り物をすることはあまりなかった。私は高校の卒業式にDELLをもらった人間だ。これも実用的だ。

An Eldor watch

 だから、30歳の誕生日にシカゴから車で訪ねてきた母が小さなエルダー・ジュネーブの腕時計をくれたとき、私は震えたのだ。その日、父が電話で言ったように、私はいろいろな意味で「ずっと30歳」だったのだが、同世代の人たちから遅れをとっていると感じていた。20代後半で転職し、ニューヨークに移り住んだ私は大人になるのが遅いと感じていた。母が来たとき、私は最初のひどいブルックリンのアパートに引っ越したばかりで、(だが、前もってガスのことを連絡するのを忘れ、前の週は氷のように冷たいシャワーを浴びて過ごしていた)私は自分自身に落ち着き始めたかもしれないと感じ始めていたのだ。私はこの変化に気づいていたが、私にとって最も大切な人たちには、私がまだ少し混乱しているように見えることを心配していた。何杯もコーヒーを飲んだあと、彼女は財布から小さなバッグを取り出した。彼女だけができる方法で、彼女は私にそれを取るようにジェスチャーをした。「はい、これ。ハッピーバースデー」と。

 それは彼女の時計だった。何年も前から憧れていた時計だ。彼女が身につけているものはとてもシックで大人っぽく見えた。小さな長方形の(戦車をイメージした)時計に、黒いペンキのはがれた斑点がついた“ゴールド”のブレスレットをつけただけの信じられないほどシンプルなものだ。今まででいちばん実用的でない贈り物だった。私はそれを身につけ、号泣した。

An Eldor watch on a piece of wood
The caseback of an Eldor watch
The bracelet of an Eldor watch

1968年に母がジュネーブでエルダーを手に入れたのは、裕福な祖父母が援助した8週間のフランス語漬けの研修のときだった。ジュネーブは当初の予定にはなかったが、パリで学生暴動が起きたため、彼女の研究グループはパリを離れてフランスとスイスの国境にある小さな町トノン・レ・バンに変更されたのである。ジュネーブに行ったとき、お金はほとんど残っておらず、お土産を物色していたところ、お店でこの時計を見つけ、28ドルで持ち帰ったそうだ。

 私はこのジュネーブの話をずっと知っていて、母が一人でふらりと店に入り、黒いタートルネックを着てタバコをふかしながら、偶然この時計を見つけて全財産をそれにつぎ込んだのだと神話化していたのだが、実際はそうではなかった。いや、そうではない。「高校生が一人で外国をぶらぶらするわけがない」と母は私に言い聞かせた。しかしタバコを取り去り、インディアナ州サウスベンドに住む6人ほどのカトリックのティーンエイジャーを加えれば、舞台は整う。

A black and white photo of a group of women

卒業記念アルバムで腕時計をするナンス(中央の席)。

 彼女は高校時代までこの時計をつけていたが、大学卒業後、ウェイトレスをしていたときにこの時計を氷の中に入れてしまった。その後、何度かストラップを交換し、最終的には80年代に父が贈ったスウォッチに取って代わられた。教師から管理職になり、再びデリケートなものを身につけるリスクを負うことができるようになるまで、彼女は毎日スウォッチを愛用していた。一時期、逆さまにつけていたこともあった。それは時間を読むのに少し頑張ることで頭がシャープになると何かで読んだからだ。彼女は今でも機知に富んでいるが、確かに効果があったのだろう。

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 私の知らない土地で、私の知っている人と結びついたオーラを腕時計の周りに作り出していた。私はヨーロッパに語学留学したことはなかったが(友人にもいない)、ありえないほどシックに思えた。両親を個人として見る前、しかし両親が両親としてのみ存在する後の、その特別な時間に私は時計に夢中になったのだ。母である前に、彼女は誰だったのか? 母と私の人生はこんなにも違うのに、どうしてこんなに似ているのだろう? 時計は彼女のあらゆる可能性を知るための手がかり、窓のように感じられた。

 最近、30歳の誕生日になぜその時計をくれたのか、彼女に聞いてみた。彼女は私を大人として見ていたのだろうか? 私が立派な大人であることを証明したのだろうか? 「まあ、30歳は大切な誕生日だし、あなた、いつもそれが欲しいと言っていたじゃない」 。ほら、実用的だ。

Eldor Geneve watch on a mirror

 その後、いくつかの時計を購入し(この会社に就職したおかげだ)、時々高価な自分用のジュエリーを購入したが、この時計は今でもいちばん大切にしているものだ。家中探し回って無くしたと思って泣いたこともあったが、実は泥棒に入られないようにうまく隠しすぎていただけだったこともあった。毎日身につけたいけれど、こんなに小さいと使いにくい気がする。でも身につけると、意味もなく母にメールするいい口実になる。母を身近に感じられるし、自分自身も充実しているので勇気を出してつけている。時計の世界では、この時計がある種の自由を与えてくれ、コレクション性や希少性といった喧噪から逃れる安全な着地点にもなっている。

 今は私のものだが、目を閉じるといつもこの時計が母の腕にはめられているのが見える。その光景のなかで、私はいつも特別な日のために身支度をする母の心象風景に立ち戻る。ドレス、香水、ネックレス、そして最後に時計。自分もあんなに美しくなりたいと願い、あんなに自由になりたいと待ちながら、私は母がそれを身につけるのを見守っているのだ。

Photography by Tonje Thilesen.