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Just Because 誰も知らないジェラルド・ジェンタのこと

「これは書かないでいただきたいのですが、私は時計が好きではありません」- ジェラルド・ジェンタ(2009年)

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本稿は2020年9月に執筆された本国版の翻訳です。

ヒーローイメージは、1990年頃製のジェラルド・ジェンタ ミニッツリピーター スケルトンパーペチュアルカレンダー。Image: Phillips

ほとんどの人にとって、2011年に80歳(今月で9年前)でこの世を去った故ジェラルド・ジェンタは、ロイヤル オーク、ノーチラス、そしてIWCのインヂュニアといった時計でよく知られる人物である。ジェンタの実際の仕事ははるか広範囲に及んでいた。彼がデザインした時計は、自身の見積もりだと約10万本と、彼でさえ全部は覚えていないほどである。多くの愛好家からは、AP、パテック、IWCでの仕事ぶりから、保守的なミニマリズムのようなもの、古典的な調和とバランスの空気を漂わせる、控えめなウォッチメイキングのお手本のような存在だと思われている。そのため、2000年にジェンタの名を冠した会社を買収したブルガリが、今月初めにバイレトログラードウォッチの新バージョンを発売したとき、ジェンタはこの時計を嫌っただろうと意見する読者がいた。というのもジェンタがどれだけの種類の時計をデザインしたのか知らなければ、少なくともロイヤル オークやノーチラスに基づいた、バロック的な複雑さは、彼にとっては忌み嫌われるだろうと考えてしまうことも理解できる。しかし実際には、ジェンタの信じられないほど豊かな想像力が、これまで誰も作ったことのないような奇抜で素晴らしい時計を生み出している。

 ジェンタのことをもう少し詳しく知るには、2009年にVeryImportantWatches.comに公開されたインタビューが最適だ(PDFで閲覧可能だ)。インタビューでは引用された言葉や興味深い事実に満ちており、ある時点でジェンタは(時計が嫌いで、身につけることを拒んでいると言ったあとに)「私にとって時計は自由のアンチテーゼです。私は芸術家であり、画家であり、時間の制約に従わなければならないことは嫌いです。イライラするんです」と話している。ジュエラーとして修業を終えたばかりで、画家として成功するためにデザイナーとして生計を立てようとしていた1950年初頭のスイスの状況を考えると、彼がそれに固執したのはいささか驚きである。当時のスイスの時計デザイナーが安楽な生活をしていたと思っても仕方がないが、ボー・リヴァージュでシャンパンを飲み、グシュタードのアフタースキーで上質なマリファナを吸っていたのがすべてではなかったのだ。むしろ信じられないことに、ひとつのデザインにつき相場は15スイスフラン(当時の相場で約3000円)だったと、ジェンタは話しながら思い出していた。

 つまり、ジェンタは早い段階から時計ブランドだけでなく、サプライヤーも含めて、できるだけ多くの顧客のためにデザインをしていた。「例えば私の直接のクライアントはオメガではなく、オメガのサプライヤーでした。このように、私はケースをデザインしたり、ダイヤルやブレスレットをデザインして、シーマスターやコンステレーションの製作に参加したのです。今日、オメガ自身でさえ、私が彼らのためにしてきたことのすべてを知らない。まあそんなことは関係ない! 」と話している。デザイナーとしてのキャリアのなかで、ジェンタはとてつもない数のクライアントを抱えていたが、そのなかには意外なクライアントも含まれていた。確かに1953年からはAPで働いていたが、アメリカのベンラス、ハミルトン、ブローバのほか、セイコー(1979年のセイコークレドール “ロコモティブ”)やロレックス(キングマイダス)のデザインも手掛けている。そして、ブルガリ・ブルガリのロゴが入っている時計が一部の人にひどく嫌われていることはわかっているが、そう、彼はブルガリ・ブルガリも手掛けていたのだ。

 1969年、ジェンタは自身の会社を立ち上げ、1998年に会社を売却して絵を描くことに専念するまで、自分の名前で時計を製造していた。彼が会社を所有して指揮をとっていた時期、多くの時計が、ロイヤル オークを世に送り出した人物が作ったとは思えないほど、華々しくバロック的な時計でつくられていた。そのなかにはレトログラードコンプリケーション、レトログラード針を備えたディズニーキャラクターの時計、ハイコンプリケーションなどが含まれており、バイエルン国王のルートヴィヒが使用するのに十分な装飾が施されたケースに収められていることが多かった。

1996年製、ジェラルド・ジェンタ レトロファンタジー ミッキーマウスウォッチ。Image, Christie's

ジェラルド・ジェンタによる、グランドプチソヌリ、ウェストミンスターチャイム、パーペチュアルカレンダー、ムーブメントと輪列のパワーリザーブ、デジタルミニッツ、レトログラードアワーが収められたホワイトゴールド製ケース。レオパードラウンジで会おう、またね。

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 レトロファンタジーの腕時計は、実は私の今まででいちばん好きな腕時計のひとつだ(私はミッキーマウスの時計に弱い。実はHODINKEEに勤める以前、レボリューション誌に初めて寄稿したのはミッキーマウスウォッチの歴史だった。レボリューションUSAのローンチパーティーで、創刊したウェイ・コー氏に冗談でこの話を持ちかけたところ、彼に3000語は欲しいと言われた)。かなり多くのモデルがあり、ミッキーマウスの時計は高級時計と呼ぶにふさわしいものだった。実際、WG製のレトロファンタジーミッキーは、ミッキーマウス史上最も高価な時計であった。最近はあまり手を出していないが、今はグーフィーのレトロファンタジーウォッチを見つけるのがいちばん難しいことは知っている。さらにWatchUSeekにはオンラインガイドもある(この記事の著者は、自身の聖杯時計がWGのレトロファンタジーミッキーであることを、“未熟で奇妙”であると魅力的に表現しているが、これは時計愛好家がこれまで公の場で言ったなかで、最も自意識過剰な発言かもしれない)。

 過去20年間のウォッチメイキングにおける様式美を追求し、ときにはぞっとするほどまでの過剰な行為のあとでは、ミッキーマウスの高級時計など取るに足らないように見えるが、実は1984年にこれを発表したジェンタは、(モントレ・エ・ビジューフェアの)見本市から追い出されている。

 確かに“スイス時計業界を揺るがしかねないスキャンダル”の基準を、それほど高く設定しているわけではないが、見本市であるモントレ・エ・ビジューフェア主催者の反応は、ドレフュス事件か何かかと思うほどだ。ショーのマネージャーたちは、スイスの見本市のマネージャーにしてはかなりユーモアのない連中だったようだ。業界紙であるThe Eastern Jeweller and Watchmakerには、こう書かれている。

 「彼ら(ショーマネージャー)はこのような観点で物事を見ておらず、そんな優しい思い出には触れようともしなかった。彼らは、問題のモデルがゴールドとダイヤモンドで作られていることに違いはないと断言し、自分たちが運営する真面目な展示会には、ネズミや、パンサー(特にピンクの品種)、ポパイやその他不適切なキャラクターが登場する余地はないと冷たく付け加えた」

ジェラルド・ジェンタと、彼の代表作である3本。Image, Genta Heritage Foundation.

 実直で歯に衣着せぬ物言いで評判のジェンタは、“アニメのキャラクターウォッチをブースウィンドウから外して欲しい”というイベント側の要求に応え、完全に撤退した。今でこそ見本市から追い出されるには、何が必要なのか考えなければならないが、昔は違ったのだ(HODINKEEの編集長であるジョー・トンプソンによると、ニューヨークで行われたこのショーはメトロポリタン・クラブで行われたそう。予想される雰囲気はおわかりいただけるだろうが...それにしても、である)。

 ジェンタの経歴についてはほかにももっともっと語るべきことがあるのだが、ここまで読んでいただけたのであれば、いつか“保守的なミニマリズム”と呼ばれた彼が、少なくともたまには“クレイジータウンの長”も務めていたことを楽しんでもらえたと思う。彼の妻であるエヴリン(Evelyn)氏は昨年2月のヨーロッパスターとのインタビューで、「創造するには自由でなければならない。だから彼は、誰のためにも働かなかったのです」と答えている。このインタビューとVeryImportantWatches.comのインタビューは、ぜひ皆さんに読んでいただきたい。どちらもステレオタイプを超えて、非常に複雑で、一見無尽蔵にも見えるクリエイティブ精神が存在していたことを示している。ジェンタは少々芸術家気取りではあったが、自分自身を表現する方法を無数に見つけることができていたのだ。

ジェラルド・ジェンタの作品に対する認知度を高め、現代の高級時計製造における彼の価値を広めるために、エヴリン・ジェンタはジェラルド・ジェンタ ヘリテージ財団を設立しています。