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VINTAGE WATCHES ブシュロンウォッチの黄金時代

なぜパリ発のジュエリーファーストブランドが、次の時計コレクションブームになるかもしれないのか。

ちょうど1年ほど前、私は友人のケビン・オーデル(または@theydid)のInstagramの投稿を見つけた。ケビンは時計に独特の視点を持っていて、(もちろん)主にヴィンテージ、特に“ハイプ”の範疇に入らないブランドの小ぶりな時計に焦点を当てている。彼のフィードにはいくつかのロレックスがあるが、それはサブマリーナーやGMTではない。彼が2022年11月11日に投稿したその時計は、シンプルなスクエア型イエローゴールドケースにクル・ド・パリ仕上げを施した、初めて見るものだった。同じ投稿の次の写真をスクロールしたらとても驚いた。ケースバックには手書きで、“Boucheron Paris”と刻まれていた。私は夢中になり、それをもっと知りたくなった。

A Boucheron Reflet

リブ仕上げのYG製リフレ。Photo courtesy of Kevin O'Dell.

A Boucheron Carrée

サテン仕上げのホワイトゴールド製カレ。

 カルティエやピアジェ、そして貴金属を使ったネオヴィンテージの“ドレスウォッチ”が注目される風潮に乗って、ケビンのような数人のコレクターは、130年前からヴァンドーム広場26番地に店を構えるハイジュエリーメゾンに目を向けている。

 ブシュロンは1859年に懐中時計、1885年に最初の腕時計コレクションを発表している。ジュエリーの歴史家は、ブシュロンが繁栄した時代を中心に歴史を組み立てている。創業者のフレデリック・ブシュロンと彼の動植物への愛の下、このメゾンはアール・ヌーヴォーの核心を突いていた。フレデリックの息子であるルイは(不可解だ)、クリーンなラインとキュビスムを好み、ブシュロンはアール・デコの美学を取り入れた。アール・ヌーヴォー、アール・デコ、そして第2次世界大戦のあと、トレンドは過剰なものではなく革新的な方向へと向かう。パリの嗜好は、最もユニークで美しい貴重な宝飾品よりも、精巧なつくりを求めたのである。ブシュロンの最高の腕時計がデザインされたのは、この革新の時代からである。

A Boucheron patent

1944年に申請されたBT 908247。リフレでよく見られる。

A Boucheron patent

1958年に申請されたBT 1203255はカレでよく見られる。1964年に、この時計が世界で最も薄い時計として宣伝された理由のひとつである。

 メゾンは腕時計がどのように手首に装着されるか、こだわっているように見えた。ブシュロンは従来の時計の世界にはない、少なくとも3つのクラスプシステムの特許を取得している。ほとんどのブシュロンの時計の裏蓋には、ブランド名の下に“BT 908247”または“BT 1203255”と誇らしげに刻印されている。これらはフランスの特許番号であり、シリアルでもリファレンスでもない。いずれもブシュロン独自のものであり、時計の世界では斬新なものだった。どちらの特許も“ラグ”をスライドさせることで、シングルピースのストラップを着脱できるようにしたものである。

A Boucheron clasp

ブシュロンのもうひとつの革新(BT7023160、1970年に申請)は、デプロワイヤントスタイルのバックルのようにかさばることなく、レザーストラップを調整可能にするクラスプシステムだった。Photo courtesy of Alexandre Tritz.

 これらの特許について説明するのは、裏蓋の刻印を解読するためだけでなく、ブシュロンが構造と革新に焦点を当てていたという考えを実証するためでもある。ジュエリーブランドとして、各モデルはイチからデザイン設計されている。1947年に登場したリフレは、バネ棒、フーデットラグ、ツーピースストラップ、ピンバックルを使えば簡単につくれた時計だったが、問題はそこではなかった。1960年に発売されたカレも同じことができたかもしれないし、リフレのチューブシステムを使えばもう少し厚くすることもできたかもしれない。もう一度言うが、論点はそこではない。重要なのは、見栄えのいい時計ではなく、時を告げる美しいジュエリーを作ることだった。例えば、花のブローチに時間を組み込んだ、ブランド最初となるフレデリックの時計と似たようなものだ。

 カレを着用していると、クラスプを引っ掛けたり外したりするのがやめられなくなる。これは仕事中、レベルソを何度もひっくり返すのをやめられない人に似ているが、その行為はそれほど迷惑ではない。時計は非常によくできており、カレのロックスプリング機構は何度触っても壊れる心配はない。

Two Boucheron Carrée watches

2本の特別なカレ。Photo courtesy of Alexandre Tritz.

A Boucheron Reflet watch

文字盤にサインが入ったブシュロン リフレ。Photo courtesy of Alexandre Tritz.

 ブシュロンは時計のムーブメントを製造せず、代わりにオメガを含むいくつかのサプライヤーを利用していた。具体的には、宝石がセッティングされたり、石がはめ込まれた高級時計や、1970年代までのほとんどのリフレには、オメガのムーブメントが搭載されていた。オメガムーブメントを使用した時計の裏には、小さくオメガのロゴが刻印されているのでわかる。ケースはカルティエやティファニーのために製造していたクリストフォル社や、“ファブ・スイス(スイス製の意)”オメガのケースを供給していたジャン・ピアソン社などのサプライヤーによって、常にフランスで製造されていた。


ブシュロンウォッチの収集
A group of Boucheron watches

Photo courtesy of Alexandre Tritz.

 ブシュロンがここ数十年で提供している時計の種類は膨大だ。最もコレクターの多いモデルはリフレとカレだが、ブシュロンはこれらの名前を使用していなかった点に注意する必要がある。それぞれは単なる“腕時計”として販売されていたのだ。(コレクションとして)取り決められたモデルであっても、ケース金属、サイズ、仕上げには非常に多くのバリエーションがある。これらは少なくとも、YG、ローズゴールド、WG製で、クル・ド・パリ(またはギザギザのホブネイル)、垂直サテン、よりはっきりとした垂直リブなど、さまざまな仕上げが施されている。通常、ダイヤルにサインはないが、一部(特に1970年代)にはケースの仕上げと同じサインが入っているものもある。またクル・ド・パリ仕上げのケースには、同じくクル・ド・パリのテクスチャーが施された文字盤が組み合わされている。

 リフレやカレ以外だと、コレクターは“ガレ”や“エッグ”と呼ばれる、後期モデルに注目しているようだ。これらは、大きな卵形ベゼルが小さなダイヤルを囲むという興味深いケース形状をしている。外側の部分は、オニキス、アカシアの木、亀の甲羅など、オーガニックな素材が多く、文字盤はそれにマッチするサテン仕上げのゴールドで表現されることが多い。ほかにもさまざまなシェイプをした時計があるが、見つけるのはかなり難しい。例えば、(カルティエ)タンク風のレクタンギュラーウォッチがその例である。

A group of Boucheron watches.

Photo courtesy of Kevin O'Dell.

 アレクサンドル・トリッツ(Alexandre Tritz)は、アクリヴィアとレジェップ・レジェピの専属ストラップメーカーである。それ以外の場合、彼はInstagram(@thewatcham)で“The Boucheron Guy”と名乗っている。アレクサンドルはモバードのバッグウォッチや、もちろんブシュロンの腕時計のように、彼が“秘密のメカニズム”と呼べるような時計が大好きだ。

 ここで明らかに類似しているのはカルティエだ。多少無理があるかもしれないが、この比較はまったく問題にならないというわけではない。現代の時計界における両ブランドの位置づけはさておき、このヴィンテージ時代においては、両者は確かに競合関係にあり、同じ市場で、同じような数量で、同じようなモチーフに焦点を当てた形で販売されていた。もちろんデザインコードは同じではないし、ブシュロンのデザインはタンクやサントスのように時代の試練に耐えたものではない。しかし、このブランドには何かがある。

A Boucheron Carrée

 「ブシュロンを手にすると、すべてが完璧に調律されているような、高い品質を感じられるのです」とアレクサンドル。彼はこの感触をカルティエと対比させ、「ヴィンテージカルティエのリューズ構造は、操作したときに内部がすべて動いているのを感じることができます。ブシュロンの場合、そのようなことが起こらないよう、ケースのなかにシステムを備えています」と述べた。

 ケビン・オーデルは、「あの時代のカルティエよりも素敵だと思います。カルティエはポリッシュかサテン仕上げしかしていなかったし、ブシュロンのデザインや仕上げは型にはまらず、より優れていました」。コレクターがこの時代のパリで作られた時計を買うということは、デザイン、希少性、ハンドメイド性を求めてのことだ。ケビンは、私がうっとりしたハンドエングレービングについて、カルティエが刻印したエングレービングを挙げている。カルティエのムーブメントのほうが優れているという意見もあるが、ケビンが言うように、「ムーブメントのためにこの時計を買う人はいません」

A Boucheron Carée caseback

 カルティエとは対照的に、この時代のブシュロンの時計に関する情報はかなり不足している。ただそれを発見するよろこびが、このブランドを一層おもしろくしている。ブシュロンの時計製造の歴史については、1992年にフランス語でのみ書かれた1冊の本があるだけ。取り寄せてみたが、まあ、あまり役には立たなかった(ジル・ネレさんには申し訳ないが)。ブシュロンのアーカイブから抜粋すると(これはブランドが製造した各時計の絵画を含むアーカイブで、興奮して心臓の鼓動が早くなるものだ)、価格は1200ユーロ(当時の相場で約41万円)だった。

A Boucheron Carrée

Photo courtesy of Alexandre Tritz.

 ブシュロンの腕時計が販売されたり、Instagramでコレクションの一部として紹介されたりするたびに、我々はブランドについてより深く知ることになる。これは2023年のヴィンテージウォッチコレクト ver1.0であり、何か特別なものがある。時計を手に入れる前に情報を得るべく、努力をするのはクールだ。ディーラーが“Ref.1675、GMT マーク1、ロングE、フューシャペプシ”とガタガタ言うのを聞くこともある。ただこの発見は爽快感がある。

 現在、ブシュロンにも決定的な価値がある。素晴らしいリフレは1万ドル(日本円で約151万3000円)以下で、カレは金素材と仕上げにもよるが3000~4000ドル(日本円で約45万3000~60万5000円)程度だ。エッグシェイプや、初期の珍しいクロノグラフ、レクタンギュラーウォッチなどのほかのモデルとなると、“持っているのなら値段をつける”ゲームだ。これらの時計は簡単には手に入らないし、我々が知る限りでは少量しか製造されていない。ただ彼らが発見されたとき、少なくともカルティエとの論争はする価値があると、考慮すべきなのだ。

A Boucheron caseback

エングレービングするガイドラインが残った、カレの裏蓋。Photo courtesy of Alexandre Tritz.