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オメガに宛てられた1通の手紙とオリンピック公式計時を実現した30分の1のクロノグラフ

オリンピックのオフィシャルタイムキーパーといえばオメガ。もはや一蓮托生とも言える、この2者のはじまりにまつわるストーリー。

熱戦が連日続いた東京2020オリンピックは、日々新たな記録が生まれメダリストが誕生した。日本代表も柔道で歴代最多の9つのメダルを獲得するなど、空前のメダルラッシュとなった。始まる直前まで開催国である自国で色々と物議を醸していたオリンピックであるが、競技が実際に始まり、アスリートたちのパフォーマンスと新時代の到来を予感させる若手選手の台頭を目にすると、自然と興奮を覚えてしまった。

 よい意味で鮮烈な記憶に残るオリンピックとなった東京2020だが、その記録に関しても公式計時を担ったオメガタイミング社が大幅なアップデートを行った大会であった。新たなモーションセンサーやポジショニング技術など、より公平性を高めつつレース展開が数値化されることで、観戦している僕らにも臨場感を届ける元となるデータ・記録を計測できるようになったのだ(機材の総量が400tというから気が遠くなる)。
 しかしながら今回は、時計の針を20世紀前半に戻し、オメガが公式計時を担当することになった1932年のロサンゼルス大会での革新と、その功績を公に認められて「第10回オリンピック ロサンゼルス組織委員会」から贈られた1通の手紙を軸にその歴史を振り返ってみたい。

東京2020オリンピック「オメガ ショーケーシング」で展示された、公式計時初期で用いられた計測機器など。

1932年のロサンゼルス大会で用いられた、原点となるスプリットセコンドクロノグラフ。

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1人の時計師が鞄に詰めて運んだ、30個のストップウォッチ

 20世紀初頭、この時代はオリンピックも含めて大規模なスポーツイベント自体の数が少なく、また、大きなスケール感のもとでスポーツ計時が行われるということもほぼなかった。オメガにとってもオリンピックにとっても、1932年のロサンゼルス大会がそのファーストステップであり試金石だったようだ。オメガは、それ以前に世界中の天文台で行われていた精度コンクールで多くの勝利を収めており、可能な限り信頼度の高いストップウォッチのもとでオリンピックを実施したいと考えていた組織委員会が、オメガにその夢を託すかたちで本番を迎える。オメガにとって初めての大規模大会となったオリンピックでは、当時世界最高の精度を持つとされていたスプリットセコンドクロノグラフで計時が行われた(上写真)。この大会では合計30個のクロノグラフが用いられたとされており、これらの時計はスイス・ビエンヌからロサンゼルスまで1人の時計師がトランクに詰めて運んだという。

 当初はわずか30個のストップウォッチでスタートしたオメガの公式計時だが、現在では総量400tもの機器が導入されているのは上述のとおり。精度の面では、10分の1秒単位までの計測が世界最高峰だった1932年から、2012年のロンドンオリンピックで登場したクアンタム・タイマーにより1マイクロ秒(100万分の1秒)の計測までが可能となっている。オメガが公式計時を務める以前は、それぞれバラバラのメーカーが製造したストップウォッチを使っていたというから、約100年のあいだに計時における信頼性を確たるものとしたのはオメガであると言って過言ではなさそうだ。

 ここで、いくつかデータにおけるオリンピックの推移を見てみたい。1932年大会では1人のタイムキーパーが計時を担っていたが、東京2020では約500人に。37ヵ国だった参加国は205国になり、1334人だった参加選手数は1万1092人へ。117の競技種目数が、33競技339種目と約3倍の多種多様な競技が行われるようになっている。ここまで巨大なスポーツイベントとなりえたのはオリンピックが平和の祭典であることが最大の要因であるものの、実際の優劣を決める計時においていかに公平性を担保できるかが実のところ重要な要素だった。その計時においてオメガ タイミング社が実現したことについてはこちらの記事を参照いただきたいが、技術革新を続けてきたオメガの姿勢は最初に計時を担当した大会から一貫して変わっていないようである。

The Xth Olympiad Committee of the Games of Los Angeles(第10回オリンピック ロサンゼルス組織委員会)からオメガに宛てられた手紙。ここから、この時計ブランドとオリンピックとの関係が強固なものとなっていく。

 1932年のロサンゼルス大会終了後、組織委員会からオメガに向けて宛てられた手紙にはこうある。

“Among the many new Olympic records prevailed in the Olympic swimming championships in which every Olympic record but one was broken and, as in the case of track and field, not once but several times.

The thirty Omega split second timers which were supplied by you, were the only official timers supplied by this Committee for the use of the Olympic Games officials in all sports in the 1932 Olympic program. They were highly satisfactory in every way and their obvious accuracy was the cause of considerable comment among the officials.
(なかでもオリンピック水泳では、1つを除くすべてのオリンピック記録が更新され、陸上競技と同様に、1度だけでなく数回にわたって記録が更新されるなど、多くの新しいオリンピック記録が生まれました。
あなたがたから提供された30個のオメガ製スプリットセコンドタイマーは、当委員会が1932年のオリンピックプログラムのすべてのスポーツのオリンピック競技役員が使用する唯一の公式タイマーでした。あらゆる面で非常に満足のいくものであり、その明らかな正確さは関係者のあいだで大きな話題となりました)”

スケルトン化された初代クロノグラフ

1932年に使用されたスプリットセコンドクロノグラフにオマージュを捧げ、1980年に製造された18KYG製のスケルトンストップウォッチ。ムーブメントと3時位置のベゼルに44の数字が刻印された、限定生産モデルだった。

 ロサンゼルス大会から飛躍的に計時精度が向上し、その信頼性が保たれたことに加え、その計測の正確さから多くのオリンピック新記録が誕生するという副産物ももたらした。これは大会自体の権威をより高めることにも寄与したわけで、上の手紙はそうした事実を現代に伝えている。オメガ・ミュージアムの館長であるペトロス・プロトパパス氏によれば、こうした公式の文書が送られた事例はほとんど確認されておらず、オリンピック組織委員会とオメガという2つの組織間だけでシェアされたリアルな言葉であるという。ペトロス氏は、現代のようにマーケティングやソーシャルメディアを意識する必要がなかった時代であったことも強調し、時計メーカー1社が公式計時のすべてを担った初めての年という、史上初の大仕事を終えたのちに送られた文書であることも特別であるとつけ加えた。

 その後もオメガはオリンピックとスポーツ計時への貢献を続け、世界が第二次世界大戦の傷跡から癒えつつあった1952年、「スポーツ界に対する優れた貢献」を称えられてIOCからクロス オブ メリット(勲章・IOC功労十字賞)が与えられる。この中心人物となったのはオメガ使節団の代表チャールズ・シッカートであり、ロサンゼルス大会から続くオメガにおけるスポーツ計時を確立した。

 今や、その計測技術は単に競技のタイムを計るだけでなく、例えばモーションセンサーシステムを用いて、競技・演技中の選手の動きの軌道をビデオ映像化し、彼らがいかに高度な動きをしているのか僕らが知ることを可能にしている。オメガは1956年冬季オリンピックの広告で、「1秒よりもはるかに短い時間が決定的な差になるような、あらゆる国や民族のスポーツエリートたちによる競争では、公式タイムは疑いの余地がいっさい残らないものでなければなりません」というコピーを残したが、これは翻ってオメガの腕時計を所有する喜びを一層豊かにしてくれる言葉である。NASAとのパートナーシップに並ぶ同社の代名詞的活動は、驚異的に真摯な企業姿勢に裏打ちされたものだった。

 今回、オメガとオリンピックとの関わりを改めて理解しなおすにあたり、スイスにあるオメガミュージアム館長であるペトロス・プロトパパスさんへのメールインタビューと、メディア向けのみの公開となってしまった東京・有明での「オメガ ショーケーシング」での取材を行った。コロナ禍かつ、オリンピックの慌ただしい時期に対応いただいた関係者の皆様に感謝をお伝えしたい。

 その他、詳細はオメガ公式サイトへ。