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時計の直径に関する話を遠くから注意深く観察していた。先週述べたように、男性が小さな時計をすることは、これまで私ができる限り避けてきた話題である。意見がないからではなく(当たり前だ)、ほかにもっと差し迫った問題があったからだ。男性用の小さめな時計? まるで天啓のようだ! 私のことは気にしないで。時計マニアのまわりに居座り、孤独のなか叫び続けている…つまり女性のための意図的な時計デザインに関連するあらゆることに言及しているのだ。
スウェットパンツに“レディスサイズ”のカルティエ タンクをつけた男性。70年代のピアジェ アルティプラノ ストーンダイヤルをつけてボーディのジャケットを着ている友人。そしてライカを携え、グリーンのチョアコートとデザートブーツを履き、Ref.16570にはグレーNATOが似合うと力説する純粋主義者たちにだ。みんなを見て、認めて、ある程度のレベルでみんなのことを理解している。
この男性主導による時計サイズの“論争”は、新しい何かを求める戦いではない。“熱狂的なファンが逆張りをする”という典型的な構図に集約される。平均的な消費者がオメガ シーマスターやチューダー ブラックベイを身につけていて、ロレックスがサブのサイズを41mmにアップしたのなら、カルティエの時計のなかで最も小さくて希少な、無名なシェイプのものしか身につけないという理屈も理解できる。私の脳もこのように働くので共感する。
同じ小振り・ミドルサイズ時計愛好家のフィル・トレダノ(Phil Toledano)の洒落た言葉を借りれば、私は病的なほどの逆張り主義者なのだ。私は、その場ではカッコよくないものを着るのが大好きで、かつて大切にしていたアイテムがどこにでもある普遍的なものになるとすぐに捨ててしまう。そうやってファッションの優越コンプレックスを養っている。私は2017年の冬のあいだアグのブーツを履いていたが、そのときは学童保育に通うママたちのものだった。そして、すでにプラダのリエディションナイロンバッグは使っていない。なぜなら今ニューヨークにいる人やその母親がみんな、プラダのリエディションナイロンバッグを身につけているからだ。さらに私の愛するセリーヌ トリオンフのサングラスを、ウェストヴィレッジにいるすべての女の子たちが突然かけはじめた。リフレッシュするときがきた。
時計の分野に話を戻そう。サイズと平等性に関する、はるかに大きくて複雑な問題に。“レディス用”のウォッチデザインに関して、多くのブランドにほんの少しでも多くの意図やニュアンスを求めることにほとんどの時間を費やしている私が、取るに足らないと感じる時計の直径に関する暴論にスポットライトを当てたい理由は何か? これらの非常に独断的な男性たちは、ただ小さいヴィンテージウォッチを身につけて、最終的に自分たちに有利に振れる予測可能なトレンドの振り子に対処することができないのだろうか? 私は常にアスレジャー(アスレチック&レジャー)に激しく反発しているが、その偏在性が私の個人的なスタイルの選択に影響を与えることはないだろう。スリムウォッチを愛用しているなら、いつも身につけているものを着こなすのが究極のおしゃれではないだろうか? 時代を超越するために? ダイアナ・ヴリーランド(Diana Vreeland)は“エレガンスは拒むことだ”という信条を貫いていた。彼女が言いたかったのは、人に流行の服だと言われるのではなく、自分の信念を貫き、自分がいいと思うものを着るべきということだ。
“小さな時計を再び偉大な存在に”という言葉の荒波から距離を置き、傍観者たちのあいだで反芻したあと、私は1歩引いて熱狂的なファンたちの過剰な自我と高揚から離れ、ヴィム・ホフ・メソッドを行った。結局、ある程度の時間と距離を置くことで、このサイズ議論は私が実際に求めていたすべてのものと、それほどズレが生じていないことに気づいた。実際、男性用時計の小型化を求める声は時計業界の流動性向上を求める声に簡単に言い換えることができる。
それはつまり、私は敵に味方していることになる(念のため言っておくが、ここでは冗談で敵という言葉を使っている)。実際、敵は私の想像をはるかに超えた先を行っていた。コレクターはここしばらく小型化を推進してきた。反応が遅れているのはブランド側だ。
この仮説は最大の収穫の瞬間につながった。新しい視点を養ったり、現代的な態度に同調したりするのが遅いのはコレクターやマニアではない。時計の世界が堅苦しいという印象を植え付けているのは、主にブランド側だ。さらに愛好家の数はかなり厚くなった。今ではラップの歌詞や有名人、ソーシャルメディアなど、従来とは異なる媒体を通じてこの趣味にたどり着いた、より若くて流行に敏感な消費者も含まれている。さらにラグジュアリーセクターでの女性の購買力上昇も加わって、まさに多様な顧客が混在しているのだ。
ここまで記事を読んでくれたのであれば、2024年の時計消費者の欲求とニーズの多様性を認識・評価することに関して、私と同じ考えを持っているだろうと期待している。また願わくば、これはもはや男性用の小さい時計や女性用の大きい時計の話ではないと納得いただきたい。これは、より汎用性の高いアジェンダを推進するものなのだ。今日、商業的には、より大きな時計が売れることは理解している。39mm以上の時計を追放しろと言っているのではない。実際、私はウニマティックのダイバーズとオーデマ ピゲのオフショア、リシャール・ミルを文化的枠組みへ残すことに強く賛成している。しかしブランドは創造的な拡張と商業的な実行可能性の中間で、バランスを保つことを学ばなければならない。
このサイズに関する議題は、もはや命名法の問題ではない。時計をユニセックスと呼ぶのは最低限のことであり、これにはカーラ・バレットも同意するだろう。これは、はるかに熱を帯びたタイプの現代性の探求である。新しい製品と既存の製品の異なるマーケティング方法によって文化を変えようとする動きなのだ。
時計ブランドの皆さん、“大きな時計はバランスシートにいい”という議論はちょっと脇に置いておこう。私は40mm以上の時計を維持しつつ、比例的平等にも投資することをおすすめする。同じように愛されている堅牢なスポーツウォッチを、時計デザインと完全性をほとんど損なうことなくもっと小さくしてみては。その点、チューダーはBB54で道を切り開いている。その時計はとてもインパクトがあり、セルペンティとストーンダイヤルにこだわっていた私に衝撃を与え、チューダーのモダンな斬新さに目を向けさせたのだ。それは小振りな時計の抜本的な見直しや再設計ではないことを証明している。正しいやり方で縮小することなのだ。
28mm径のラウンドローズゴールドケース、マザー オブ パールダイヤル、ダイヤモンドインデックスが特定の市場で販売されている場合は、あらゆる手段でそれらの時計を販売し続けて欲しい。私は地域によって大きく異なる多様性を否定するつもりはない。各市場に合ったものをつくって欲しいのだ。
私がすべての女性を代弁することはできない。決して。しかし自身が知る女性のほとんどを代表して話すことはできる。彼女らはピンクの文字盤やダイヤモンドで覆われたレディスウォッチに興味を示さない。このことにオーデマ ピゲは精通している。ロイヤル オークは34mmと37mmで展開している。ダイヤモンドをあしらったものもあれば、セラミック製のものもあり、あるものは完全に実用的な外見である。さまざまなサイズで多様な美しさを提供しているのだ。ジェンダーのラベルも一切ない。
女性の時計ユーザーは、もっともっと成長できるはずだ。女性を意図的に意識したデザインもいいだろう。モダンなデザインで、余計な装飾のないジュエリーとして、ベニュワールバングルは大成功を収めたのだから。現代的なセンスとトレンド(この場合、ジュエリーの重ね付けとチャンキーゴールド)を考慮している。このジュエリーが好きな男性も知っている事実だ。これは私にとって驚きではない。私のInstagramのフィードには、クールなシェイプやカラフルなストーンダイヤルについて熱弁するディーラーや愛好家であふれている。同じ1970年代のヴィンテージパテックやピアジェを欲しがる男女もたくさん知っている。私のインターネットの世界では、時計の趣味はすでに流動的だ。
今はお願いだから、カタログにスモール/ミディアムサイズを追加することだけに集中してもらえないだろうか(時間をかけて実行することに関して寛大な心を持っている)。もしロレックスが37mmのサブマリーナーをつくったら、時計のインターネットは壊れてしまうだろう。もしパテックが30.5mmのカラトラバ、つまりオリジナルのメンズサイズを製造したら、1999年さながらにパーティを楽しみ、3796はいつでもティファニーで購入ができただろう。
簡単なことだ。男性にも女性にも魅力的に映る、より均整のとれたデザインの時計をつくればいい。この流動的な美学には十分すぎるほどの顧客がいる。男性用のスモールウォッチだけでなく、すべての人のための、均等に比例したサイズの時計が必要なのだ。確かに議論の規模に関してはすでに飽和状態に達している。男性が33mmの時計をしたり、あるいは女性が41mmの時計をしたりすることが境界を超えるという考えは、少なくとも私のなかでは滑稽なことだ。今日ファッションの世界では、性別関係なくモノを借りたり交換したりするのは当然のことである。流動性と性別に関係なくという考え方は、むしろ直観を探求するためのものなのだ。時計をつけた瞬間、適正サイズの大当たりを引いたと感じることだろう。
そして伝統的な時計の消費者が、まだそこまで来ていないとしても、なぜブランドが一般的な市場に迎合してのんびりと傍観していなければならないのだろうか? ぜひ全力で突き進んでもらいたい。ファッションにおけるすべての優れたトレンドは、革新的かつ活発なコミュニティやサブカルチャーによって開拓されたアイデアから始まるのだ。
コラムで時計の着用の仕方についてアドバイスしているにもかかわらず、皮肉なことに、私はどんなルールも強制しようとはしていない。私は今日におけるラグジュアリーの産業集合地帯のなかに置かれると、その個性のすべてを失う危険性のある趣味についてコメントしているだけなのだ。念のために言っておくが、私は男性の腕に巻かれた小ぶりな時計が好きだし、女性の腕に巻かれた大ぶりな時計も好きだ。その逆、中間、極端なものまで気に入っている。もし私たちがジェンダーの二項対立を乗り越えて、中間(中間とは34~37mmのこと)のどこかで出会うことができれば、プロポーションに関する比例を問う国民投票にこそ、確かなチャンスがあると思う。
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