trophy slideshow-left slideshow-right chevron-right chevron-light chevron-light play play-outline external-arrow pointer hodinkee-shop hodinkee-shop share-arrow share show-more-arrow watch101-hotspot instagram nav dropdown-arrow full-article-view read-more-arrow close close email facebook h image-centric-view newletter-icon pinterest search-light search thumbnail-view twitter view-image checkmark triangle-down chevron-right-circle chevron-right-circle-white lock shop live events conversation watch plus plus-circle camera comments download x heart comment default-watch-avatar overflow check-circle right-white right-black comment-bubble instagram speech-bubble shopping-bag

エベレスト登頂に携行した2つの時計

伝説的な登山家であるコンラッド・アンカー氏がHODINKEE初掲載で、自身の時計についての考え、そして時間そのものについての考えを語った。

ADVERTISEMENT

人間は時間を理解する。我々が時間を発明したわけではなく、制御することもできないが、時間に対する感覚は先天的なものである。我々は誕生と同時に時間とのつながりをもつ。年齢と経験を重ねることで、我々は時間の使い方を理解するようになり、時間を意識するようになる。我々は年に1度、年を重ねる誕生日として時間に印をつけるのである。人間の時間がいかに些細なものであるか気づかされるときが来るかもしれない。時間を地質学的あるいは天文学的に見たときに、これは特に明確になる。このプリズムを通して、我々は一瞬一瞬の時間の大切さをますます認識するようになるのである。最終的に我々の存在は消え、我々の身体を構成している炭素は45.4億年前から始まっていた旅に再利用されるのである。与えられた時間をどう使うかは人生の大きな課題である。

 「至福のひと時」という肯定的な表現は、ある瞬間の喜びを反映するものである。共有され、肯定されるような、この個人的な時間が我々の生きがいなのである。家族との時間、コミュニティの集会、スポーツイベント、卒業式、そして休暇は全て「至福のひと時」を構成するスイートスポットとなり得る。私自身の特別な時間の核となっているのは、屋外にいる時間、具体的には登山をしている時間である。野生の場所では、自然に囲まれた環境によって人と人とのつながりが強くなり、チームワークや仲間同士の友情が構築されるのである。この基本的な探求が、私を山での暮らしに導いたのである。

 私の父の家族はカリフォルニア州トゥオルミ郡出身である。シエラネバダ山脈やヨセミテ国立公園は私の祖父母の牧場と喫茶店の目と鼻の先にあった。子供のころ、日中に牧草地や石庭を探検した後、星空の下で寝ながら、広い世界について想像していた。私が生まれた翌年の1963年に、アメリカ合衆国の登山隊がネパールでエベレスト(チョモランマ)登頂を果たした。トム・ホーンバイン氏(Tom Hornbein)とウィリー・アンソールド氏(Willi Unseold)によるウエストリッジ登頂はとても重要な成果であり、当時33歳だった私の父は家の書斎にそのポスターを張っていたほどだった。順々に、登山に関する本や地図が、毎月ナショナルジオグラフィックの雑誌の黄色い長方形の中に書かれた冒険の基礎となった。このように、私の両親によって家中にちりばめられた登山の物語は私の想像を掻き立てた。他の子供たちは将来宇宙飛行士になりたがった一方で、私は登山がしたいと熱望したのだった。14歳で登山を始めたとき、他に逃げ道はないということに気が付いた。私はやりきるしかなかった。

我々は人生の価値、まじめに磨き続ける経験という名のダイヤモンドの貴重な価値を認識する。時間の価値を認識するのである。

 私は過去34年間山で過ごしてきた。登山というスポーツの多様な修行―特に地球上の最難関の場所の登頂―は私に、自身の創造物を洗練させる無数の機会を与えてくれた。ザイオンやヨセミテの新しいルート(ストレックド・ウォールとコンチネンタル・ドリフト)では実際にキャンプをすることができ、岩壁を登る際の基礎を習得することができた。滝が凍る季節の(スタンレー・ヘッドウォールのエクストリーム・コンフォート・ルートのような)アイス・クライミングへの挑戦は、手が麻痺するような気温下で、変化する地面に対応することができるようになった。アラスカ(キチャトナスパイア2回、ハンター、デナリ5回)やパタゴニア(バッドランド、トレ・エグヘル)の氷河および悪天候によって、好天候時のみの技術しかもっていなかった私は鍛えられた。これら全ての経験はついにガルワールヒマラヤにある峰、メルーのシャークスフィン登頂という成果となって実を結んだのである。私の友人のジミー・チン氏(Jimmy Chin)は、これを映画にした。山頂の高揚感には常に死の暗い影が付きまとい、それが偏在する力となり、登山に現実味を与えるのである。自ら挑戦することを選んだ苦難の試練を終えると、友人や登山仲間はより近い親密な存在となる。我々は山から帰る際、自分たちの弱さで謙虚な気持ちになり、山の素晴らしい景色の見事な美しさと力に畏敬の念を催すのである。我々は人生の価値、まじめに磨き続ける経験という名のダイヤモンドの貴重な価値を認識する。時間の価値を認識するのである。

 上記の理由により、私は何十年もエベレストに惹かれてきた。その高度は謎であり、それが登山の難解な謎解きの最後の鍵なのである。エベレスト登頂は私の夢であり、その実現に22年かかった。1999年に、当時36歳だった私はエベレストにおけるマロリー&アーヴィン研究遠征隊に加わり、開拓者である登山家ジョージ・マロリーの遺体を発見したのである。2007年に、マロリー氏の伝記映画作成の一環として、私は標高8610メートルのセカンド・ステップでフリークライミングを行った。そして、2012年に私は、1963年にエベレスト登頂を果たしたアメリカ合衆国登山隊の50周年を記念して結成されたナショナルジオグラフィック遠征隊の隊長を務め、酸素補給なしで登頂した。この最後の登山についてもう少し共有させてほしい。そして、私の時計の選択が、私の2つの異なる視点での時間の見方をどのように反映しているかについても言及したい。

Anker

ニクソンの腕時計をつけた筆者

 1963年、当時はまだアナログの時代だった。登山用腕時計の最も大きな特性は耐久性とメンテナンスのしやすさだった。その後、急激に機能が向上し、最終的にデジタル時計はアラーム、高度計、ルート追跡、心拍数計測機能、メッセージおよびメール機能を搭載して非常に良くなり、「アナログ腕時計をつける意味などあるのか」と疑問を抱く人もいたほどだった。それは特に、1つ1つの道具がとても貴重である遠征において言えることであった。しかし、2012年の登頂に私はどちらも持参したのだ。

 山では時間はシフトし、分割される。ベースキャンプよりも標高の低い場所での時間と山頂での時間は全く異なる種類の時間なのである。ヒマラヤでの登頂にはクンブバレーからの長い道のりがあり、その道中でこれらの偉大な山頂の陰で暮らす人々に出会うことがある。彼らは皆時間に関して独自の考えをもっている―というよりは複数の考え方をもっている。ネパールの友人にある場所までの距離を聞いた際に、彼らは限定的な時間の答えを返すのである。私が言っているのが、平均的な移動速度か、観光客の移動速度か、若者の移動速度か、ヤクの移動速度か、どの場合なのかと聞いてくるのだ。

容赦ない地形では、足を滑らせるとそれが転落に発展することがある。時間はますます抽象的なものになると同時に、ますます現実的なものになる。

 一度この複数の現実を理解すると、全てが明確になる。ベースキャンプよりも標高の低い場所での時間は落ち着いている。そして寛容なのである。喫茶店で誰かに時間を聞いた場合、聞かれた人は腕時計をちらっと見て「10時45分」と一般的な答え方をするだろう。トレッキング用ブーツから登山靴に履き替え、本格的に登山が始まると、規律とともに私の時計も変わる。容赦ない地形では、足を滑らせるとそれが転落に発展することがある。時間はますます抽象的なものになると同時に、ますます現実的なものになる。1分1秒で生死が分かれることもあるのだ。

 人間の無力さが誇張されるエベレストの上層部に位置するクンブ氷瀑ほど、これが現実的な場所はない。近距離で氷河が割れ、倒れ、そして固まるが、そのサイクルは人間の旅の妨げになる。そこはエベレストで最も命取りとなり得る地点で、技術や能力よりも運が重要となる場所である。ここを登る最も良い方法は、危険に気付かずに進むことだろう。多くの経験と、氷の致命的な力への深い理解があればあるほど、恐怖も大きくなるだろう。潜在的な危険について無知であれば、氷瀑を進むのは深い青の迷路の中を散歩するようなものである。いずれにしろ、それは山頂に辿りつくための通過儀礼なのである。これらの条件下で、デジタル時計の無数の機能は便利なのだ。

 2012年のエベレスト登頂の際に、私は全面黒色のニクソンのアナログ腕時計をつけていた。私の子供たちが選んでくれたものだった。それは数年前に着けていたスカーゲンの非常に薄い腕時計とは違い、文字盤は重厚感があってコンパクトだった。エベレストに行くにあたって、たくましい腕時計が必要であると私は考えたのである。加えて、腕時計は贈り物としても素晴らしく―食べ物と交換することもできる。体調や天候によるが、エベレストへ辿りつくのには3から12日間かかる。私はのんびりとしたハイキングを好み、毎朝中程度のハイキングをし、昼食を取ってまた少しハイキングをした。「山に慣れた足」を得るための日々は、後に登山をするときのために必要なのである。登山が始まると、私は腕時計をスントの高度計付きの腕時計に変えた。私はアナログ腕時計を無線中継器の横につけた。基地で登山隊をモニタリングしている人は皆バックアップの時計を持っている。

Anker

エベレスト登頂に必要な機能をすべて搭載したアンカー氏のスント。

 個人的なレベルで、時計を交換することは水平世界と垂直世界の間を移動することを意味した。高高度登山家として、標高および気圧を測れる機器―加えて大きな音のアラームがあるもの―は必須である。重いリュックサックに苦戦したことのある人なら、それを手首につけるのは無駄な労力であることは分かるだろう(しかも、腕時計をしていないほうが手袋は上手くはまり、指を温めるための脈拍も熱を供給するべき対象物が1つ少なくて済むのである)。代わりに、私はリボンで、胸骨にくるストラップを作った。テント内で休む際にその機器を自分の頭の数フィート上にぶら下げることで、私は確実にアラームに気づくことができたのである。2012年の遠征の終わりに、私は補給用酸素を持たずにエベレストを登頂した―高度計付き腕時計は持っていたが。

 エベレスト登頂成功は、経験、技術、道具、そして運が実を結んだ成果である。私のお気に入りの道具の一つが腕時計である。それは控えめな大きさでありながら、本質的に信頼できるものなのである。そしてそれは、多くの分野で自信を持たせてくれるものなのである。2012年に2つの腕時計によって私は好調を保つことができた。それは、時間がすべての経験の根底にあるということをそっと常に思い出させてくれた。経験によって知識と思い出が得られる。そして、知識と思い出によって、至福のひと時を過ごすことができるのである。

 コンラッド・アンカー氏は世界で最も勲章を受章している登山家のひとりであり、南極からザイオンに至る登頂成功経験をもつ。彼は、ノース・フェイスのアスリートチームを26年間率い、1999年に著書『The Lost Explore』の共著者となり、2015年にはドキュメンタリー『Meru』に主演した。モンタナ州在住である。 

Top photo: Zhang Weiguo/VCG via Getty Images