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ブライアン・シュル氏は、空を飛んだ人類最速の航空機の一つであるSR-71を操縦した、わずか85人のパイロットのうちの一人だ。彼はまた、世界で最も称賛される航空機を操縦した個人的なストーリーを集めた「Sled Driver(スレッドドライバー)」の著者である。彼は、航空ファンなら誰もが耳にしたことがある伝説的なスピードテストの逸話で知られている。まだ読んだことがない、聞いたことがないという方は、こちらをご覧いただきたい。
そして空軍退役後の今、彼は自分の功績リストに“時計デザイナー”を加えることができる。
ボール ウォッチとのコラボレーションにより、彼はエンジニア ハイドロカーボン エアロ GMT SLED DRIVERの製作を指導した。この時計は、6時位置にSR-71のシルエットをレイアウトし、ケースバックにはマッハ3のエンブレムが刻まれている。SR-71を操縦した数少ないパイロットの一人である彼は、SR-71の非公式なアンバサダーとなっており、この時計はSR-71のレガシーを伝えるという彼の大きな使命の一部だ。
「それが私の使命になるとは想像もしていませんでしたし、そういうことをしているとも思っていませんでした。私はただ、それが何であるかを人々と共有し、本を書くことでそれを祝いたいと思っただけです。しかし、ある意味では25年間世界中で講演をしたことで、ジェット機のことをあまり知らなかった多くの人々にジェット機の記憶を伝えられたのではないかと思います」
私の個人的なヒーローの一人と話すことができて、とても光栄だった。ブラックバードに乗っていたときの話や、時計の世界に入ったときの話など、シュル氏の生の声をどうか聞いて欲しい。
スピードテストの話は今でも史上最高の航空ストーリーのひとつです。あなたの考えではこのストーリーはどのように熟成されていますか?
上質なワインのように熟成されただけです。最初にこの話をしたときには、それが何かになるとは思いませんでした。偶然の産物だったのです。
毎月、1万通のメールが届きます。レストランでは、私のところに来て、それを引き合いに出す人もいます。一番のご褒美は、1、2年前、COVID-19のパンデミック前に、ラスベガスで開催された航空管制官の代表者会議で講演したことです。ご存じのように、航空管制官はこのストーリーの重要な部分を占めています。2000人もの航空管制官がいて、その誰もが一語一句すべてのストーリーを知っているのです。まるで訓練の一環のようです。
ここで多くの人が知らない、その成り立ちの話をしましょう。ある日、私はシアトルの子供向けスペースキャンプで、中学生たちにSR-71のスライドショーを使って話をしていました。そして講演の最後に12歳の子供が立ち上がり、私が12歳の子供だったら聞いていたであろう質問をしたのです。彼は「楽しいことはなかったのですか?」と尋ねたのです。なぜなら、私はそれがどれほど大変で深刻で、危険なことかを話したからです。子供はただ、楽しかったかどうかを知りたいのです。そして、その1つの質問で私は立ち止まって考えなければなりませんでした。
そこで私はその子に「その日は本当に楽しかったんだ、僕らが一番速かったんだよ」と伝えました。そして、スピードテストの逸話を簡単な形で話ました。観客はとても気に入ってくれて、私は「これはいい話だなと思い、自分のレパートリーに加えよう」と思ったのです。今では、どの部分が聴衆に好まれているのかがよくわかっているので、50倍くらいうまく話せるようになりました。そしてそれは私の死後、墓石に刻まれることでしょう、きっとね。
最初は誰もがそれに固執することを忌々しく思っていましたが、今はそれを受け入れています。あなたが飽きることもあるでしょうし、ある日突然、人々が飽きることもあるでしょう。しかしその時には新しい世代の人々がそれを受け入れることになるでしょう。だから熟成されただけでなく、超大作になったのです。そして、私が行う講演でその話をしないと、私はそれについて聞くのです。
あなたやほかのSR-71パイロットは、コックピットでどのような時計をつけていましたか? 空軍が時計を支給していたのか、それとも個人の時計を持ち込んでいたのでしょうか?
まず第一に、飛行機を操縦しているときは宇宙服を着ているので、時計は一切つけていません。ダッシュボードにある時計を使っているのです。後部座席には世界最高の原子時計を持った人がいて、ナビゲーションシステムを動かしていましたね。
そしてパイロットは皆、フライトスーツを着ているときに腕時計をつけていました。それがパイロットの流儀だったからです。誰もがロレックスを、セイコーを、そしてクールなデジタルウォッチを手に入れました。かっこいい時計を持つことがパイロットのサブカルチャーになったのです。しかし、最終的には、機能性を追求した格好いい時計を手にするようになりました。
T-38のコックピットではゴールドのセイコー(筆者注:リファレンスはわからなかった)をいつも身につけていました。小さなストップウォッチがついていて、フライトごとに時間を計ることができたのです。問題は、ジェット機に乗っていると時計が油で汚れてしまうこと、飛んでいるジェット機に強打することです。何年にもわたって、たくさんの時計を壊しました。
でも、早くSR-71の時計を手に入れたいですね。あれは会話のネタになりますから。
ボール ウォッチはあなたに敬意を表して時計を作りましたが、それはどのようにして実現したのですか?
誰も本当にかっこいいSR-71の時計は作ったことがありません。そこで、私がインターネットで広く知られていること、そして何百ものYouTube動画に厚かましくも登場していたことから、ボールウォッチの皆さんは実際に私のことを見聞きして時計を作りましょうと連絡してきたのです。私は「作るだけでなく、デザインを手伝いたい!」と申し出ました。
時計ファン以外にもブラックバードのファンがいると思いますが、彼らは普通、ボール ウォッチという会社を知らないかもしれません。 しかし、ボール ウォッチを知っている多くの人から「すごいね、何これ? 時計を作っているなんて知らなかったよ!」と連絡がありました。
そのため、時計を期待しているのは時計ファンと飛行機が好きな“sled heads(スレッドヘッズ)”と呼ばれる人たちの2つのグループだと思っています。
空中ではそこにより速いものは何もありません。そのレベルのスピードで操作することは時間の認識に影響を与えますか? それはどんなもの? タイムワープしたような感じですか?
誤解を恐れずに言えば、空を飛んでいるときはとてもスムーズで相対的な動きをしています。つまり、あなたの時間は飛行機の中の小さな時計を基準にしていて、それは地球上で感じている時間とまったく同じです。驚くべきことはあなたがカバーしている距離の長さです。慣れないうちは時間ではなく、その時間でどれだけの距離を移動できるかが問題でした。例えば、ベーシックな空軍の戦闘機であれば、通常は1分間に7mi(約11.3km)、調子の良い日には8マイル8mi(約13km)くらいのスピードを出すことに慣れています。SR-71では、1分間に32マイル(約51.5km)も走ることになるのです。
しかし、時間やその他に関しては私たちが乗っているのはロケットではなく、地球の重力から離れているわけでもなく、出て行ったときよりも若返って戻ってくるわけではありません。
飛行機の中で、最も風変わりな興味深い瞬間は何でしたか?
私個人としては、飛行機とそれを操縦することについて興味深いことがたくさんあります。例えば、飛行中に4インチ伸びるとか、亜音速の時に意図的に漏らしても、その後、熱で膨張してまったく漏れなくなるとかね。60年代の技術で飛行機を作り、それを実現できるというのは、それだけでも驚きのコンセプトなのです。このように飛行機には人々を魅了するような細かなことがたくさんあります。でも、個人的に一番印象に残っているのは、コックピットの照明をすべて消して、深い闇の中で星を眺めた夜のことです。
天の川や流れ星などがとてもきれいに見えました。電気を消したのでメーターが見えないのではないかと心配していましたが、すべてが星の光に照らされていることに気がつきました。とても明るかったのです。今となっては、5秒から10秒くらいしか見られなかったあの景色がずっと心に残っています。大気圏外であのような星を見ることは二度とないでしょう。
ブラックバードの飛行は、ほんの少しでも日常的なものになったのでしょうか、それとも毎回違ったものでしたか? コックピットに乗り込むたびに新しい挑戦に直面したのですか?
それが日常になることはなかったですね。
ジェット機の操縦を生業としていると、毎日が新しい挑戦で、常にいろいろなことが起こります。しかし、このジェット機は特に決して快適ではありませんでした。私たちは、このジェット機のことを「黒く長いドレスを着た女性」と呼んでいましたが、彼女は一緒にダンスをしてくれます。しかしダンスをしてくれるのは数人だけで、外に出るときはステップを知っておいたほうがいいでしょう。彼女は少し自分の考えを持っていて、ただそれに乗っているだけの日もありました。
そのほかにキャリアの中で印象に残っている出来事はありますか?
20年も戦闘機のパイロットをやっていて、心に残る瞬間がたくさんないなんてことはありません。それがないとしたら、それは間違った職業に就いているということです。秋にニューメキシコ上空でA-7を低空飛行させて、紅葉を見たことを覚えています。秋の紅葉は本当に素晴らしく、釣り人が早くから川に出て、山の中へと出ていくような美しさで、まさに天蓋のように色づいていました。
私たちはこの風景を400knots(約740km/h)ほどで巡航していましたが、会話はなく、静寂に包まれていましたが、写真のように夢中にさせられました。美しさ、壮大さ、スピード、パワーの一瞬。子供の頃にやりたいと思っていたことが、実際に操縦桿を握ってやっているのです。そして、その瞬間の途方もない大きさに圧倒されました。
そうしたちょっとした瞬間のことを覚えていますが、同時に戦争機械を操縦していること、爆弾の落とし方や銃の撃ち方を学んでいること、危険なことをたくさんしていることも忘れてはいけません。私は20年間で100回ほど自殺しそうになりました。お葬式にも何度も行ったし、危険な仕事です。だから、本当に身の引き締まるような深刻で危険な人生なのです。だからこそ人は「寂しくないの?」と言いますが、私は「もう毎日やらなくて大丈夫だし、多くの友人たちはそれができなかったんだ」と言います。このように、真剣に戦争に取り組む姿勢の中で、ちょっとした喜びの瞬間があると、それが心に残るのです。
ブラックバードに匹敵するものは出てくるでしょうか? それとも時代は完全に終わってしまったのでしょうか?
あなたの言う通り、過ぎ去ったのだと思います。私たちはドローンやロケットも手に入れました。しかし、将来のことを考えると……、それは誰にも言えません。もしあなたが40年代に座って次のことを考えていたとしたら、50年代や60年代に見られるジェット機や69年に月に行くことなど予測することはできなかったでしょう。つまり、予想などできなかったということです。
では、次の50年には何が起こるのか? 推測の域を出ませんね、本当に。ただ、私は博物館であのジェット機を見るたびに「ああ、これは今でも飛んでいるかもしれない」と思うのです。当時の設計者は今日のようなコンピュータやテクノロジーを一切使わずにあの機体を作ったのです。つまり、愛情と配慮、そして天才的な設計者によって作られたということです。
そして、あなたはそれを飛ばせる特権を持っているのです、本当に。
エンジニア ハイドロカーボン エアロ GMT SLED DRIVER(日本未発売)は、42mmケースで100m防水。ムーブメントにはETA 2893-2を改良したCal.RR1201-Cを搭載。ストラップとブレスレットの2種類があり、ダイヤルには44個のトリチウムチューブ付き。ボール ウォッチの公式サイトはこちら。
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