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Auctions パテックの永久カレンダーはすでに価値のある時計だが、元オーナーのストーリーがそれをさらに魅力的なものにしている

今週、6本しかないうちの1本にあたるピンクゴールド製パーペチュアルカレンダーがオークションに出品される。これはかつて謎に包まれていた大富豪が所有していたもので、その生死が関心(そして調査)の的になっていた。

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ピンクゴールド製のパテック フィリップ 2497 永久カレンダーというだけで、すでにひとつの物語になりそうなほど、これは希少な時計だ。今週行われたクリスティーズ・ジュネーブのオークションでこの時計を見たとき、ダイヤモンドを散りばめたデイトナや、星がついたロレックスの文字盤に少しのあいだ気を取られたあと、最初にクリックしたもののひとつだった(このふたつについては近日中に詳しく紹介する予定だ)。だがこのパテック 2497 PGモデルはほかのモデルと一線を画している。かつて早すぎる死が新聞の見出しを飾り、警察の捜査対象にまでなった男、ピーター・S・ノール(Peter S. Knoll)のコレクションだからだ。


今回の時計
peter s knoll patek philippe 2497

 まずは時計からいこう。1951年から1963年にかけて製造された永久カレンダー 2497は、パテックが初めて連続して生産し続けたパーペチュアルカレンダーのひとつだ。このモデルはマトリョーシカ人形のように希少なモデルで115本しか生産されず、そのなかでもPG製はわずか20本しかなかった。またその20本のうち、ノールの2497のような最初のシリーズに属するものはわずか6本しかない。このように珍しいことから60万~120万スイスフラン(日本円で約9050万円~1億8100万円)という高額な見積もり額を叩き出した。テイラー・スウィフト(Taylor Swift)のThe Eras Tourに家族4人を連れて行くのと同じくらいの値段である。

 このファーストシリーズのモデルが持つケースはヴィシェ社製であり、初代2499のケースとよく似ている。段差が設けられた細長いラグは鋭くカーブしていて、2497や2499の後期のウェンガー社製ケースと比べると、裏蓋は完全にフラットな状態である。特にノールの2497のケースはホールマークがそのまま残っていて大変状態がいい。またクリスティーズによると、アラビア数字をあしらったシルバーのシュテルン・フレール社製の文字盤は洗浄されているようだが、オリジナルの状態のままである。この時代のパテックの文字盤は、それ自体に職人技を遺憾なく発揮している。まずカレンダー窓を手作業でカットしたあと、エングレーバーが“Patek Philippe” のサインを施し、ミニッツカウンター、カレンダーを彫ってから、ハードエナメルのサインを塗って熱処理していた。このように時間をかけて工程を行うからこそ、製造から70年経った今でもディテールが鮮明に見えるのだ。

patek philippe 2497 perpetual calendar pink gold

 もともとパテックは、1953年にすでにノールの2497を製造していたのだが、1970年まで売れ残っていた。その後ピーター・S・ノールが1980年のオークションでこの時計を落札し、自ら裏蓋に“Peter S. Knoll, New York City, 1980”と刻印を施した。製造から30年近く経ってから、オークションで落札した時計にエングレービングをするというのは、だれしも考えられない思い切った行動だが、私はノールに敬意を表したい。近年ではコレクターのあいだでも、ケースバックに彫刻したという素晴らしい背景や独創性、オリジナリティを評価する声が高まっているが、当時は必ずしもそうではなかったからだ。時計に刻印を入れるということは、今でも大それたことに感じるかもしれないが、当時は“この時計を買ったんだから、この時計をずっと持っていたい”という意思表示の表れだった。この40年間、刻印がキレイに残っていたのは大変喜ばしいことだ(初期の時計コレクトの世界では、エングレービングは磨かれてしまう傾向があった)。これがなければ、この2497は私の目に留まらなかったかもしれないのだから。

 ノールの2497が最後に姿を現したのは、2015年のフィリップス オークションだ。そして見積もり額40万~80万スイスフラン(当時の相場で約5035万円~1億円)に対して、下限気味の59万3000スイスフラン(当時の相場で約7465万円)で落札された。数字だけを見れば、2004年に44万6250スイスフラン(当時の相場で約3885万円)で落札されたことがあるため、オーナーにとっては少し残念な結果だったのかもしれない。もちろんこの10年間、6点ある本物のパテックのうちの1点を身につけることができたから、まあまだ大丈夫なほうだろう。その10年のあいだに、この2497に比べて多くの時計が価値を高めていったのだ。

 今回の見積もりも前回同様、少々ハードルが高いが、もしかしたらもう少し入札者が増えるかもしれない。ここ数年、ベーシックでスタンダードな現行の時計に人々は熱狂していたが、時計収集の長いチャプターは、いつもそうであるようにヴィンテージ・パテックへと戻り始めているように感じている。さらになんといっても、このオークションシーズンで最も多くの人々が楽しみにしているのが、これまた複雑なパテックの“インペリアルパテック”、コンプリートカレンダー 96だ。

 それが時計というものなのだ。それにしても、かつて“ノール 2497”を所有していた、ピーター・S・ノールとは一体何者だったのだろう?


彼のストーリー
peter s knoll

ピーター・S・ノールの数少ない画像は、オンライン上で見ることができる。

 ピーター・S・ノールは、ハンス・ノール(Hans Knoll)の息子であり、妻のフローレンス(Florence)とともにノール・ファニチャーを設立。美術館や建築ダイジェスト、またHODINKEEの有名な写真でも目にするような、多くのデザイナーズ家具を製作していた。若き日のノールは2018年、アッパーイーストサイドのタウンハウスで75年の生涯を終えた。ノールは2014年から、暖房のないブラウンストーンを使用していたために低体温症で死亡したと新聞が報じたことから、彼の死は論争を巻き起こし、調査が行われた。その見出しはノールの死因の究明が行われることにつながる。どうやらノールは晩年からかなり疎まれるようになり、親しい人にも自分の状況を打ち明けることはなく、特に寒い夜にはストーブを使ったり、ほかの知人の家に泊まったりしていたようだった。ただしこれは高齢者へのインフラに関する問題が注目されるだけで、解決には至らなかった。

 ノールは晩年、自分の殻に閉じこもっていた。その晩年の心境については、彼の死後さまざまな憶測が飛び交った。死後の報道で、ノールは隣人のひとりから“hoarder”(溜め込む人)と呼ばれていた。まあ、ある人にとっての溜め込みは、別の人からすれば収集家であるわけだが。家具王の息子であるノールは贅沢を好み、そのための資金も十分にあったため、生涯をとおしてクルマやデザイナーズ家具、アートや時計に囲まれた生活を送っていたようだ。

 2019年に行われた遺品整理のためのオークションでは、大量の腕時計を含む、彼がかつて所有していた数百の品々が展示された。ノールは以前から有名な時計コレクターとして知られ、数十年にわたりオークションやプレビューに足繁く通っていた。そういえば、彼が2497をオークションで購入したのは1980年のことだった。この数年のあいだにノールを知り、この魅力的な話を教えてくれたエリック・ウィンド(Eric Wind)氏に感謝する。

 彼の遺品からは20世紀初頭、アール・デコの時代、そしてミッドセンチュリー(あるいはミッドセンチュリーモダンとでもいうべきか、彼の父親が手がけた家具の多くがそうであった)に至るまで、数十年にわたる時計へのデザイン志向への関心がうかがえる。

rolex pre-daytona chronograph knoll

2019年開催のノールの遺品整理のためのセールで落札された、2本のクロノグラフ。

movado m95 chronograph borgel

 20世紀初頭に製造されたゼニスの壁掛け時計で、約8日間のパワーリザーブを備えたムーブメントを搭載したものがあり、こちらは1万5000ドル(当時の相場で約165万円)で落札。ボロボロの状態だが、ブレゲ数字とパテックスタイルのケースを持つ珍しいモバード M95 クロノグラフは5500ドル(当時の相場で約60万円)で落札された。この遺品には、アール・デコ時代のゴールドロレックス クロノグラフと、50年代の後期に登場したプレデイトナもあり、どちらも3万ドル(当時の相場で約330万円)以上で販売された。さらにジャガー・ルクルト、ブライトリング、タグ・ホイヤーなどの時計に加え、ゴールドのロレックス キングマイダス初期のエクスプローラーなど、さまざまなデザインの時計があった。しかし長いあいだ、パテックの2497は彼のウォッチコレクションのなかでも別格だった。

patek philippe 2497 perpetual calendar

 実際にインターネットで“Peter S. Knoll”と検索すると、なんだかちょっと不気味な検索結果がでてくる。彼は大富豪の息子であり、その死に関するある報道によると、“生涯1日も働いたことがなかった”というフレーズを見たことがある。しかし彼の名前を検索しても、彼の死を取り巻く不幸な状況や生前に積み重ねたものを除いては、彼の人生を示す証拠はあまり見つからないだろう。時計、家具、美術品、デザインオブジェがいっぱいに並んだオークションは、生まれながらにして必要なものをすべて持っていたにもかかわらず、それ以上のものを常に探しているように見える男の姿を描いているようだ。

 あまりにも不気味すぎるというわけではないが、私たちの生活を取り囲んでいるモノについて考えさせられた。確かに、私たちについて何か言ってもらえるのはうれしいことだが、それ以上にほかに言うべきことがあるということのほうが重要である。結局のところ、パテック史上最も希少な時計に数えられる、1本の時計の裏蓋に刻まれたシンプルな刻印は、ノールが作った最も偉大な印のひとつとなったのである。

 5月13日に開催されるクリスティーズのレアウォッチセールにて、ノールのパテック フィリップ 2497が出品される予定だ。ジュネーブ オークションの取材に、ぜひご注目を。