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Buying, Selling, & Collecting 意外と知られていない、希少で複雑なパテックのカラトラバがオークションに出品予定

フィリップスは、“ラストエンペラー”が所有していた8本のカラトラバのうち1本を出品すると発表した。今回、初期のコンプリケーションカラトラバについて、我々が知っていることを紹介しよう。

掲載されている相場はその当時のものです。

日ごろ目にすることのないパテックを紹介しよう。それはパテック フィリップのカラトラバに初めて与えられたリファレンス、Ref.96だ。しかしこれはただの96ではない。一般的な時刻表示のみのRef.96とは異なり、こちらはムーンフェイズ付きのトリプルカレンダーモデルなのだ。このようなコンプリートカレンダーを持つRef.96が発見されたのはこれが8本目であり、そして今回特に注目したいのが、その出自である。清朝最後の皇帝である、愛新覚羅溥儀(あいしんかくら ふぎ)が所有していたもので、フィリップスが年末のオークションで出品すると発表したのだ。

 溥儀はわずか2歳で清朝の皇帝に即位したが、そのわずか4年後に退位を余儀なくされている。我々のほとんどがABCもわからない年齢で皇帝を退位したという、中国で複雑な人生を歩んだ人物だ。彼の生涯は、映画監督のベルトルッチ(Bertolucci)が1987年に発表し、アカデミー作品賞を受賞した大作、『ラストエンペラー』で描かれている。

emperor puyi Patek complete calendar ref 96

彼のRef.96 “カンティエーム ルナ”とともに、溥儀の義弟が収集した水彩画など、溥儀の遺品が多数付属している。

 パテックにとって、彼の数奇な人生のなかで重要だったのは、1945年から1950年にかけての時期だ。この間、ソビエト連邦の捕虜になっていた溥儀は、通訳のゲオルギー・ペルミャコフと親しくなった。フィリップスによると、溥儀の甥は、最終的にこのカラトラバをペルミャコフに贈ったとしている。この時計はペルミャコフが2005年に亡くなるまで、そして2019年まで彼の遺産として残されていたものだ。当時の記録によると、この時計は1937年にパリのリテーラーで購入されたもので、溥儀がどのように入手したかは定かではない。しかしこのタイミングから考えると、彼が満州国の皇帝であり日本の傀儡(かいらい)として行動していたときに時計を手に入れたことになる。

 シンプルなRef.96のように、このコンプリートカレンダーモデルも直径30mmという大きさだ。なかにはパテックの初期の複雑なキャリバー(初のスプリットセコンドクロノグラフ、初のクロノグラフ、初のミニッツリピーターなど、数えるときりがない)の多くを提供した、ムーブメントサプライヤーであるヴィクトラン・ピゲのエボーシュムーブメントが納められている。

Patek Calatrava 96 triple date moonphase calendar

使い古されたものだが、ここにはストーリーがある。

 このコンプリートカレンダーは単なる歴史的な変わり種というだけでなく、パテックにとっても時計学的に、非常に重要なものであることが証明されている。これらはすべて1930年代から40年代前半に作られたものであり、パテックがこのような複雑なカレンダーを搭載した腕時計を、本格的に継続して生産し始める前のものだからだ。ブランドが1941年に初めて(10年以上)継続して生産した永久カレンダー(Ref.1526)と、初となる永久カレンダー クロノグラフ(Ref.1518)を発表したことを思い出して欲しい。それまでは、このようなコンプリートウォッチは基本的に、特別注文か、極めて少量の限定生産品で展開していた。つまりここにあるのは、ただ単に(見てのとおりクールな)カラトラバを複雑にしただけのものではない。これはパテックがつくった、最初のカレンダーウォッチのひとつだったはずだ。

 このようなRef.96の例はほかに7本しかないのだから、全部を見つけるのは難しいだろうと考えた。そして見つけたのがこの5本である。ほかに知られているコンプリートカレンダーのカラトラバ 96のうち、プラチナ製が5本、イエローゴールド製が2本だ。ここで紹介する同じプラチナ製の例で、ルーレットダイヤルと同じものは、現在、パテック フィリップ・ミュージアムに収蔵されている。皇帝のカラトラバについてはまた後日紹介するとして、ここではそのほかの5本のコンプリートカレンダーカラトラバを見ていこう。これらはすべて、(後述するハズレを除けば)ケースとムーブメント番号の狭い範囲内に収まっているため、その情報も合わせて記載している。

ゴールド製 Ref.96、ブレゲ数字インデックス
Patek Philippe reference 96 calendar

 私が見つけた最初の例は、1940年にニューヨークのティファニーに売却された個体だ。ゴールド製のケースで出来ており、さらにアプライドのブレゲ数字が配された、このなかでいちばんのお気に入りだ。こちらは2011年に、クリスティーズにて50万7000スイスフラン(日本円で約4570万円)で落札されている。当時のカタログにも、この複雑なカラトラバは7例しか発見されていないと記されている。ヴィンテージウォッチの知識は、たとえどんなに研究されたブランドであっても、いかに進化し続けているかを示しているかがわかる。ムーブメント: 860,230 / ケース: 295,441。

ゴールド製 Ref. 96、ルーレットダイヤル
Patek 96 complete calendar

以前のようには作られていないのだが、この1998年のクリスティーズの(かろうじて写っている)カタログ画像には、溥儀のものに似たルーレットダイヤルを持つ、コンプリートカレンダーのRef.96が掲載されている。

 次のイエローゴールドの例は、ムーブメントとケースの番号が、先ほど紹介したブレゲ数字の文字盤に極めて近い(2桁しか違わない)個体だ。これは1998年にクリスティーズが、82万8500スイスフラン(日本円で約7480万円)で販売し、その後、実は2010年にも72万3000スイスフラン(日本円で約6090万円)とより安く販売されたものだ。以前伝えたように、コレクターはゴールドでできた小振りで複雑なパテックに以前ほど興味を示さなくなったことを表すものである。ムーブメント: 860,232 / ケース: 295,939。

プラチナ製 Ref.96の2本の例、パテック フィリップ・ミュージアムに所蔵
Patek Philippe reference 96 calendar platinum

Image from the Patek Philippe Museum Watches, Vol. II

 続いてパテック フィリップ・ミュージアムに収蔵されている、2本のプラチナ製モデルについてだ。最初のモデルは1990年に、アンティコルムで110万ドル(日本円で約1億5930万円)という高値で落札されたものである。同モデルは現在、パテック フィリップ・ミュージアムで見ることができ、この画像は当館の書籍に掲載されているものである。パテック フィリップ・ミュージアムによるとこのRef.96は、1940年にニューヨークのブローバ・ウォッチ・カンパニーに納品されたものだという。ムーブメント: 860,231 / ケース: 295,442。

 写真には写っていないのだが、もう1例のプラチナ製 Ref.96は、パテック フィリップ・ミュージアムに収蔵されている。こちらもフィリップスのRef.96と同じ、プラチナケースとルーレットダイヤルの構成となっている。そして2002年に、200万ドル(日本円で約2億5080万円)で落札されたものだ。

プラチナ製 Ref.96、1935年製造
patek 96 triple calendar date

 そして最後に、1939年にギルマン・パリで販売されたプラチナの例をもうひとつ紹介しよう。こちらが最後に公で販売されたのは2010年で、当時は48万3000スイスフラン(日本円で約4070万円)で落札された。このRef.96にはおもしろい前史がある。1927年、トノー型ケースで誕生するも、当時はトノーケースが好きな声はなかったようで(同時期の世界恐慌の影響もあったのだろう)、1935年にプラチナ製の96ケースに交換されて同年に発売されている。前の例のケース番号とムーブメント番号が極めて狭い範囲にあるのに、この例はそうでないことにお気づきだろうか? そういうことだ。文字盤も後から、おそらく50年代か60年代に作り直されたようである。ムーブメント: 198,103 / ケース: 294,400。

エンペラーズ ニュー グルーヴ(皇帝による新しいカラトラバ)
Patek Philippe reference 96 calendar

 溥儀のコンプリケーションカラトラバは、ケース番号(294,462)とムーブメント番号(198,299)が、この最後の例に近いのだが、ここでは意味があるようだ。フィリップスによると、ムーブメントは1929年にいったん完成し、ケーシングは1937年にされたというのだ。

 では、皇帝のコンプリートカレンダー 96はいくらで取引されるのだろう? プラチナを例に挙げると1990年(パテック・ミュージアムがこのバイヤーであることが判明している)に100万ドルを突破したが、ここで紹介した結果をすべてグラフ化すると、実はそれ以降はあまり伸びていない。とはいえ5モデルのそのどれもが、今回のような実績がついたものではなかったため、もしかしたら今回は大きな結果が出るかもしれない。

 Wind Vintageのコンテンツ・リサーチ・ディレクターであるチャーリー・ダン(Charlie Dunne)氏に、本記事の一部の情報および画像の提供にご協力いただいた。

 溥儀皇帝のRef.96 “カンティエーム ルナ”の詳細については、フィリップスをご覧いただきたい。3月18日の香港を皮切りに国際ツアーを行い、今年の年末にはオークションに出品される予定だ。