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Beginner's Guide パテック フィリップを時計の超初心者が過剰に摂取する

時計を理解するためには、パテック フィリップを理解しなければならないと思った。そこで私は、ジュネーブにあるパテックの総本山ともいうべきミュージアムを訪れた。教訓その1。計時のすべてがある場所に、遅刻してはならない。

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ジュネーブのパテック フィリップ・ミュージアムでは、訪問者は500年にわたる時計製造の歴史を一望にできる。ならば私がたった12分遅れたとしても問題ないのでは? 「何をするにしてもスイスでは絶対遅刻してはいけない」と周囲から忠告されていたというのに、汗だくで、くたくたで、申し訳なさいっぱいで美術館に入った私は、新しい履修科目で早速D判定をくらってしまった。時間学だ。

 ガイドの女性はエレガントで洗練されたジュネーブ女性で、日焼けとクリーム色を基調として中年期を過ごしているように見えた。私は同じ年代を、信頼するTrillbilly Worker’s PartyのTシャツと安物のピアスで通り過ぎていたけれど、彼女のアクセサリーは、小さな腕時計と長いネックレスからぶら下がった猫のペンダントを含め、センスのよさが伺えた。彼女は私が遅れたことを「問題ない」と言ったが、ペンダントの猫と同じような厳しい表情をし、テープレコーダーを持ち込んではいけないと言った。抗議すると、ますます厳しいお顔に。そして紙が何枚か挟まったルーサイト(熱硬化性アクリル樹脂)製のクリップボードが私に突きつけられた。

 私は初歩から学ぼうとこのガイドツアーを予約した。まず初めにスイスの初期の高級時計について知り、その知識を、史上最も偉大かつ威圧的な時計ブランドのひとつの進化と結びつけてみたいと。もちろん、これらの知識を実際に現場で統合することになるとは思ってもいなかったが。それはこの記事を書いている最中のことだけれど。しかし、テープレコーダーを使えなかったことは心細そかった。2500点もの貴重な品々に対して、有益で読みやすいメモが取れていたかどうか自信がなかったのだ。また、私が持ち出すメモが『メメント』のガイ・ピアースの思いのように意味不明であれば、世界最大かつ最高の時計コレクションのプライベートツアーでさえ、私を入門者から本格的に前進させることはできないかもしれないと思った。

 しかし、ひとつだけ疑問の余地がないことがある。私はガイド女史に気に入られたかった。

プレキシガラスのゲートをくぐって美術館に入り、私は彼女にいくつか質問をした。彼女は通訳として働いていて、4ヵ国語を話すという。私は、1と3分の1ヵ国語を話すと答えた。時計は何をつけているのか。ボーム&メルシエだそうだ。パテック フィリップは持っているかと聞いた。彼女は持っていなかったが、憤慨している様子も家にパテックのブードゥー人形があるようにも見えなかった。もし私なら時計を案内する仕事をしていて時計を1本も支給されなかったとしたら、どうしたかわからない。

The Patek Philippe Collection

パテック フィリップ・コレクション。

 アントワーヌ・ノルベール・ド・パテックとアドリアン・フィリップの胸像の前で立ち止まると、彼女はパテックのビジネスセンスとフィリップの技術力(彼は、リューズで巻き上げとセッティングの両方を行う機構を発明したと思われる。それ以前は、それぞれの働きのために巻上げ機が必要だった)を熱っぽく語った。パテック(頬髯のお爺さんと私は呼ぼう)は鋭いまなざしで収益源を見抜くのに適しており、フィリップは繊細な芸術家の目で、これまた収益源を見抜くのに適したいるのだ。1844年のパリ万国博覧会で、ポーランド人のパテックとフランス人のフィリップが出会い、ペット・ショップ・ボーイズ(Pet Shop Boys)の曲『オポチュニティ』を即興でデュエットしている姿を想像した。「私は頭脳を、あなたは鍵のない巻き上げ機構を手に入れた、さあ大儲けしよう」と歌ったかも。この画期的な洞察は、素晴らしすぎるので秘密にしておこう。

 ここは、パテック フィリップの工房があった場所に2001年にオープンした博物館だそうだ。私たちは工房を再現した部屋に入った。トラック照明があり、床は灰色の大理石でピカピカに磨かれていた。もし、作業員が私のように髪を乱していたらそれが映って恥ずかしくなるほどはっきり分かるだろう。右側はガラス張りのスペースで、ルーペをつけた男性がいた。短い灰色の髪はバンカーズランプの光で少し緑色になり、小さな真珠で飾られた金の懐中時計を修理しているところだった。

Artisans at the Patek Philippe Museum

 「彼は実際に修理しているのですか? それとも、オールドスターブリッジビレッジ(1830年代のアメリカ、ニューイングランド地方の生活を再現した"生きた博物館”)の人々がバターを作るふりをするように、やっているふりをしてるだけですか?」と私は尋ねた。「いいえ」と彼女は少し顔をしかめた。世界で最も長い歴史を持つ時計メーカーのひとつが、そんなことをするはずはないでしょう、と言うかのように。彼女は、忍耐強く、かつ堪忍袋の緒が切れるかもと感じさせるその笑顔で、ミュージアムにある作品はすべて実際に使用できるのだと教えてくれた。私たちは黙ってエレベーターに乗り、3階へ向かった。私は、「時計修理はフリではない」「緑色のランプ」「猫のペンダント」と書き留めた。

 コレクションはふたつのセクションに分かれており、1500年代から1800年代半ばまでのパテック フィリップ以前のタイムピースは3階に、2階はパテック フィリップのみとなっている。まずは3階から。米ドル色のカーペットに、少し明るい色合いの緑色のシダがプリントされ、微風に揺られているような雰囲気。一番最初に展示されていた機械式クロックは針が1本しかなかったが、より具体的に言うと精度が足りないので1本でいいことを知った。ガイド女史が丁寧にこのシンプルな情報を説明してくれたその瞬間、正直言って、私はそのことが耳に入ってこなかった。時計自体に魅了されてしまったのだ。真鍮にローマ数字と太陽の絵が彫られた、カールスジュニアの「リアリィビッグ・カールバーガー(The Really Big Carl Burger)」ほどの大きさと形をしたその時計に。

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 私がその時計所有したいと思い続けているあいだ、彼女は事実を語り続けた。ヒゲゼンマイ(これが何かは知っている!)のおかげで時計の精度が上がり分針がついた。これは確かに刺激的だ。 しかし、イギリスの時計職人ヘンリー・ジョーンズによる、この時計の完璧なデザインに比べれば、何のことはない。円形に刻まれたローマ数字が時間を数え、楕円形に刻まれた数字が分を数える。そんな銀色の幻のような時計は、私がこれまで目にしたもののなかで、たちまちトップ5に躍り出たのだ。

 次に、ブリッジについて学んだが、ガイド女史によると、この革新的な技術により、時計を薄くすることが可能になったとのことである。ブリッジとは何かもっと具体的に説明されたはずなのだが(私のメモにはBRIDGESと書いてあり、LAPINEと書いてあったが、あとでLépineと知った)、私は時計を薄くできること以上のことは理解できなかった。残念だ。しかし、例えば、ブレゲやフィルズの自動巻きリピーターウォッチ(秒表示付き)のような出来栄えには、うっとりとさせられた。カレンダーとムーンフェイズを搭載し、シンプルなゴールドの巻上げリューズを備え、渋いホワイトフェイスの下には、より繊細で芸術的コンプリケーションがセットされていた。私は今、ムーンフェイズとは何かを知っている。そしてそのデザイン、特に月が小さな顔見せるときなど、本当に素晴らしいと思っている。

Three watches

1925年製の永久カレンダー(中央)。

 約1年前、HODINKEE専属の時計初心者としてこのコラムを書くことになったとき、私はただ時計が美しいからという理由だけで引き受けた。初めてロレックスを身につけたとき、見た目は気に入ったが(感触も気に入った)、その仕組みについてはまったく考えなかった。正直なところ、それを気にする人が(それを作るのが仕事の人以外で)いることすら知らなかったのだ。今でも持っている最初の1本の時計についても、「秒針が赤くてかっこいいけど、ホントはもっとずっと高価なものが欲しい 」ということしか言えない。"初心者プロジェクト”が始まって数週間後、HODINKEEのジャック・フォースター(Jack Forster)が「サラ、 時計の仕組みをどの辺まで理解した?」と聞いてきたので「ジャック、基本的にはなんにも」と答えた。その後、腕時計について大急ぎで勉強し、その仕組みについて最も基本的なことを学んた。それでいいような気がした。「脱進機がゼンマイの信号機みたいなものだということはわかったから、それで十分だわ」と誰かに言ったと思う。そうして、本当にそのままになってしまった。

 しかし、美術館でイチから全体像を把握した(把握し始めた?)私は、またしても知らず知らずのうちに時計の世界に嬉々としてハマっている自分に気づいたのだ。このとき、時計をもっと知りたいと思ったのは美しいからというだけではない。新しい友人と出会ったらその人のことをもっと知りたくなるのと同じような感覚だと思う。私は、時計の仕組みに興味を持つことには皮肉な要素もあると思う。あるところまで来ると、その強烈で過激なゴージャスさに心を打ち砕かれから、ひと息つかなければならないのだ。何度こう言いそうになったかわからない。「見て見て! 空飛ぶ馬に乗った3人の男性の彫刻よ!」「ヴィクトリア女王の作品に描かれているダイヤモンドでできたあの花、目が離せない!」。そして、ガイド女史は何度、猫のペンダントのある位置まで左手を上げ、咳払いをして「はい、素晴らしい作品です」と、うんざりした丁重さで答えたことだろうか。

The case and dial of a pocket watch

ヴィクトリア女王のポケットウォッチ。

 その結果、私は初めてウィンドーショッピングで慣れ親しんでいた自分から抜け出し、これらの作品に実際に深く入り込み、「何も知らなかった」とわかるだけのもどかしさを打破したいと思うようになった。

 ガイド女史が、クリスチャン・ホイヘンスが発明したヒゲゼンマイに話を戻したとき、私は彼がどうやってそれを思いついたのか知りたいと思った。同じことをしようとしたロバート・フックが思いつかなかったことを、ホイヘンスは考えたのか、あるいは試したのか。(私は彼女をホイヘンス/フック・プロジェクト、仮題『ゼンマイへの競争』に参加させようとしたのだ。要領を得ない年上のイギリス人が、若くて粘り強い、しかも非常に鬱屈したオランダ人に負けたという話なのだが、残念ながら、これは彼女を納得させるものではなかったようだ) 脱進機が進化していることはわかったが、それが何を意味するのか? 一ヵ月前の私は、コンプリケーションが何であるかさえ知らなかったのだ! 今、私はその最初の作品を見ながら、それを学んでいる。1777年頃に作られた、無地だが完璧な白文字盤の懐中時計(ここには500本もの白文字盤がついた金の懐中時計があるそうだ)。シルバーフェイスの文字盤にストップウォッチと時計を配置したブレゲ。1820年に作られたもので、トゥールビヨン(私の理解では、それは時計にとって人体で言う盲腸のようなものだが、よりクールなものだ)を搭載した最初の時計のひとつだ。次に、パテック フィリップのコレクションでは、1925年製の永久カレンダーを搭載した最も初期の時計のひとつがあった。

Patek Philippe collection at the Patek Philippe Museum

パテック フィリップ・コレクション。

 今、私たちは1階下のパテック フィリップのパテック フィリップ・コレクションにいるのである。ここに来るまでのエレベーターのなかは、以前よりも緊張感が減っていた。おそらく、あらゆるものに驚き続ける無知な私に対して彼女は温かい気持ちになったのだろう。秒が「セコンド」と呼ばれるのは、時間を表す2番めの単位だから? へえー。そして彼女は、満面の笑みではなく謎めいた視線を細めながら、「なぜ、ジュネーブで時計を作っているのか知っていますか?」と聞く。私は知らなかった。でも、カルヴァン派と呼ばれる宗教的に厳格で、宝石を嫌うプロテスタントの人たちがここに追放され、高い理想を掲げてもなお自分達の富を誇示したかったので、その人たちはすごい時計を作り始めたらしい。それがジュネーブ。

 ミュージアム内のパテックだけの展示に入ると、結局のところ、時計とは機能のある宝石であることを思い知らされる。まるでジュネーブのデパート、グローブスの1階がル・ラボの香水ローズ31で満たされているように、金色の小滴が空気中に充満しているように見えるほど、ここにはきらびやかで完璧な品々で溢れている。「パテックは最初から、このブランドをラグジュアリーブランドにするつもりだったんですよ」とガイド女史が言った。Cal.10を搭載した1896年製の「Feuilles d'or」(どういう意味?)と、グリーンエナメルの茎からゴールドの細かい花びらが伸びた1897年製の「Chrysantheme」というふたつのペンダントウォッチを見て、お金で幸せは買えないというのは嘘かもしれない、と思った。初めてこれを手にした女性たちがこれを喜んでくれていたらいいと思った。そしてこれを手に入れるために寂しい思いをしたりしなかったらいいと願った。これはアール・ヌーヴォーの一種で、第一次世界大戦前のベルエポックと重なり、かなり温和で「楽観主義が特徴」と、彼女は付け加えた。私は、イギリスの大不況、フランスのシャンパーニュ暴動、キエフのポグロムを思い浮かべ、楽観主義...確かに、一部の人々にとってはそうなのだろう、と思った。

 また、パテックがラグジュアリー市場の強さを信じ、これらの素晴らしいオブジェが作られた小さいながらも成長を続ける世界の経済が、いつの日か5600万人の大富豪に所有される信じた先見性は何だったのだろうかと考えたりもした。彼の未来の顧客たちだ。

Elipse watch

パテック フィリップ  エリプスウォッチ。

私はこのブランドを前にして、萎縮した記憶がはっきりとある。70年代後半、子供だった私は「世界で最も高価な時計のひとつはスティール製」というキャッチフレーズのパテックの広告を見て、スティールを鍋やフライパンの地味な素材としか思っていなかった自分が、何か悪いことをしたような、とんでもないような気持ちになったのを覚えている。そしてもちろん、90年代からは「あなたはパテック フィリップを所有するのではありません。ただ、次の世代のために世話をするのです」。パテックは、買った瞬間に称賛と恐怖がくるような時計だ。たとえ買うだけの力があったとしても、一生かけてこの時計と自分のライフスタイルを守っていかなければならないのだから、それくらいの覚悟は必要だろう。私は「どれも自分には当てはまらない 」と思ったのを覚えている。安心と憤りの両方を感じながら。そして今。その感覚は倍増している。

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 これらを所有していた大物たちを紹介するコーナーがあること自体、非常に希少なのだとお高くとまっているような気がした。パッカード・モーターカー・カンパニーのジェームズ・ウォード・パッカード。コークス社の社長、エイサ・キャンドラー。ジェイ・グールド、強盗男爵。しかし、私はこれらの品々に対する直感的な欲望を否定することはできなかった。

 ただ渇望という言葉しかなかった。150年にわたるパテック フィリップのクラフツマンシップと独創性が、磨き上げられたウォールナットのディスプレイケースのなかで輝いているこの場所に立つと、私は一種の時計ファンタジアに入り込み、突然23歳の独身女性に戻ったような気がした。レマン湖のボー リヴァージュで行われたクラブ仲間の姉の結婚式で、3杯めのお酒を飲んでいる。時計たちは、結婚式に出席する、表向きは独身でありながら手の届かない男性になっていた。1946年製のカラトラバは、アルザス地方のリースリングのブドウ畑の半分を、大嫌いな父親から受け継ぐことになったナチュラルワイン醸造家になっていた。1974年のゴールデンエリプスは、スタンフォード大学を卒業したばかりのLSAT満点の学生だ。彼は気まぐれで弁護士ではなくモデルになることを決意した。プラチナ製の2499/100永久カレンダークロノグラフ(かつてエリック・クラプトンが所有していた時計)は、まあ、他よりも年上で、銀色に輝き、世界的に有名な建築家で、実際に私に挨拶してくれた。彼はモンブランの氷の彫刻の近くに座っていて、寒いから何とかならないかと言われるまで、私は興奮しっぱなしだった。

A Patek Philippe watch

プラチナ製 2499/100 永久カレンダークロノグラフ。

 ガイド女史は、私が遅れても気にしないと言っていたのに、終了時刻は正確に16分後だった。そのことを指摘すると、彼女は笑顔で「気づきませんでした」と言った。 

 「あの」と私は別れる前に言った。「あなたは通訳者だから聞きたいんだけど、『インタープリター』って観たことある?」彼女は笑って「ありますよ」と言った。「ああいうことって本当にあるのよ」と。実のところ、私は『インタープリター』で何が起こったのかさえ覚えていない。しかし、絶望的状況のなかで私たちはつながったのだと嬉しくなった。「事実はもっとすごいの。信じられないだろうけど......」私たちは一緒に、私以外の悪人たちについて目を丸くしたのだ。

 もし、このミュージアムを見るために旅行を考えていて、私のアドバイス(非常識なようだが、ここまで読んでくれたなら、おそらくあてはまる)を望むなら、以下のことを提案したい。少なくとも4日間ジュネーブに滞在し、1日めと3日めにこのミュージアムを予約する。初日は午前中アンティーク、午後はパテックフィリップのコレクション、2日めは、午前中は特定のイノベーションの軌跡を追うことに専念し、午後はまた見たいものを見る、というように計画を立てて来て欲しい。

 また、来られない方のために、ミュージアムは今年、2冊の本を出版する予定だ。1冊はアンティーク・コレクション、もう1冊はパテック フィリップ・コレクションである。もちろん、実際に足を運ぶことに越したことはないのだが。

An illustration of a Patek Philippe watch

 普通の美術館に行くと、たいてい何人かの常連客のことを思い出してしまうものだ。ゴーギャン美術館の前に何時間も立っているオーバーコートの冴えない男、アンティーク美術館で仲睦まじい中年カップル、バーネット・ニューマンの前で母親に「これなら私にも」と鼻を鳴らすティーンエイジャー......。ガイドを除けば、この美術館で見た人のことは一人も覚えていない。絶え間なく吸収していた。時計が美術品より優れているとは言わない。ただ、小ささのために集中が必要だということだ。

 最後に、もしあなたがパテック フィリップの経営陣で、私のアドバイスをお望みなら(笑)、ここに記します。ツアーガイドにパテック フィリップをプレゼントしてください。他の誰かがケアできるなら、彼女にもできます。ケースから取り出してみて。彼女以外、誰も気づかないはずよ。

サラ・ミラー(Sarah Miller)氏は北カリフォルニア在住のライター。 彼女のツイッターはこちら@sarahlovescali 。彼女のサブスタックの登録もぜひ。彼女がHODINNKEEで執筆した記事はこちら

Illustrations by Andrea Chronopoulos.

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