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WATCH OF THE WEEK ラドー トゥルー スクエア フォルマファンタズマ、ほとんど時を刻んでいない幽霊のような時計

スマートフォンの時代には、もはや時計は必要ないと言われている。このアバンギャルドなデザインは、私たちが時計を必要とする理由を考えさせるものだ。

Watch of the Weekでは、HODINKEEのスタッフや友人を招いて、ある時計が好きな理由を説明してもらう。今週のコラムニストは、当サイトのシニア・バイス・プレジデントだ。

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時計のデザインは、どうしても「足し算」が中心になってしまう。例えば、時計職人が複雑機構を追加する。2つでもいい、あるいは9つ。また、青焼き針やポリッシュ仕上げのセンターリンク、もちろん夜光や回転ベゼルなども追加する。今、私の頭から離れないのは、「引き算」の時計だ。そのシンプルさのなかに、いくつかの深遠な問いかけがある。まず第一に、なぜ私は時計をつけるのか? そしてもっと実存的に、時計とは何かである?

 時間は平らな円だと言われる。このラドーの時計の場合、時間とはつぶされた正方形のことだ。
 
 セラミック時計のパイオニアとイタリア・オランダのデザインデュオのコラボレーションによるラドー トゥルー スクエア フォルマファンタズマのことを言っている。極めてシンプルなデザインで静かに挑発してくる。そして、これは2021年の私のお気に入りなのだ。

White Rado watch on a white background

 今年「最高」の(それが何であれ)時計とは言わない。黒の34mmのAP ロイヤル オークの方がセクシーだ。ローズゴールドのパテック カラトラバの方がエレガントである。一般的な基準で言えば、どちらもこの変わったラドーより優れているだろう。しかし、私は率直に言って、従来の基準にはうんざりしているのだ。私が時計を見るとき、今まで見たことのないものを見たい。もっと言えば、今まで感じたことのないものを感じたいのだ。

 ミンとマッセナがハニカム時計を作ったときは、注目した。あれは素晴らしかった。アーノルド&サンの古株たちが、素敵で珍しい大理石のムーンフェイズを発表したときでさえ、ちょっと胸が高鳴ったくらいだ。それはまったくクールではなかったにもかかわらず。まあいい。私は大人だし、何がクールかなんて気にしていない。ティーンエイジャーの頃は気にしていて、クールさは私にとってとても重要だった。しかし、振り返ってみると、大人になるということは(20代か30代だったかも。確実に遅かった)、大まかに言って自分のテイストをありのままに受け入れることだった。自分の特異な世界観を受け入れることができたとき、私はとても幸せになった。とにかく、最近は時計について考えることを仕事にしている。そして、ラドーのトゥルー スクエア フォルマファンタズマが私の頭から離れないことをここでお伝えする。

 フォルマファンタズマとは、「ゴーストの形」という意味で、この時計をよく表現している。また、この名前は、このデザインスタジオが素材に広く関心を持っていることを示唆している。共同設立者のシモーネ・ファレジン氏とアンドレア・トレマルキ氏は、企業の世界(レクサスやエルメスから依頼を受けたことがある)とアートの世界(ヴェネチア・ビエンナーレ、サーペンタイン・ギャラリー、ライクス美術館などに作品が展示されている)を行き来しているが、本機はそのどちらとも一線を画している。

The caseback of a white Rado watch

 ファレジン氏は1980年代のイタリアの郊外で、建築家のアレッサンドロ・メンディーニやメンフィス・グループのアーティスト、ナタリー・デュ・パスキエのスウォッチを身につけて育った。そのため、彼はずっと時計とデザインのつながりを感じていた。2014年には、トレマルキと一緒にシチリアの火山の溶岩を冷やしたものから時計を作った。ラドーと仕事をすることになったとき、彼らは機能を超えたものを作りたいと考えた。彼らは実用的なものには興味がなかった。それより感情と知性を注視していた。最初は、アンティークの懐中時計のように文字盤を閉じることを考えていたそうだ。針もアワーマーカーもない、ただの真っ白なフェイス。時計は動くが、それを知る方法は「カチカチ」という音だけだ。

 最終的に、彼らは(賢明にも)それが不要な挑発であることを理解した。美学を追求することと、誰もつけたくないものを作ることは紙一重なのだ。そこで彼らは、サファイアクリスタルで保護された小さな窓を切り取り、そこから目を細めれば針が見えるようにした。
 
 計時という厄介な問題を排除し、この製品の残りの部分は持ち主に考えさせることにしたのだ。そして、考えることはたくさんある。

 この時計は、素材の研究として理解するのが一番かもしれない。セラミックについてだ。フォルマファンタズマは、現代のセラミックの多くが、少なくとも遠目には金属のように見えることを認識していた。それは何のためだろうか? 彼らは光沢のあるものではなく、有機的なものを求めていた。そこで彼らは、見た目も感触も骨のようになるまで素材を削ぎ落とした。
 
 その結果、落ち着きと不気味さが同居するものとなった。手首に装着すると、親密さを感じる。あまりにもだ。時計のアズマー(ASMR)かもしれない。

Rado watch crown view
White Rado watch and bracelet

 厚さ10.4mmの38mmケースは、ユニセックスで使用できる。これは重要なことで、この時計は男性的なパワーウォッチではないのだ。実際、パワーを放射するのではなく、パワーを吸収するかのようだ。価格(28万6000円と控えめ)も包括的なジェスチャーだが、もちろん時計の世界では経済的な包括性は相対的なものだ。多くの消費者がこの製品を見て、「2500ドルもするのに時間がほとんどわからないじゃないか」と言うに違いない。
 
 そのような人たちは要点を見落としている。あなたがこの時計を身につけるのは、Kindleではなくて本を読むのと同じ理由なのだ。あなたは触覚を求めている。確かに、同じ仕事をもっと効率的にこなせるデバイスはある。しかし、我々のなかには、効率性を犠牲にしてでも本物の驚きを求める者がいる。

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