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Business News ブレモンの驚異的な新マニュファクチュールは、イギリスの時計製造を復活させることができるか?

彼らは新しいスペースを「ザ・ウィング」と呼ぶ。そして、それを自身の目で見た私は、イギリス人としての心を揺さぶられた。

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今年の夏の初め、イギリスのヘンリー郊外にあるブレモンの新しい時計製造施設のアスファルト舗装されたばかりの道を運転していると、最近では珍しくなった驚きに近いものを感じた。“やったぜ!”という高揚感。そして、それに付随する誇りのようなものも。

 説明しておこう。

 15年ほど前、今は閉店したメイフェアの宝石店で行われた、ブレモン初の時計の発表会に行ったことがある。当時、時計業界を取材していたイギリス人のライター数人と、創業者の友人や家族が参加した小さなイベントだった。ブランドの陰には気骨のあるイギリス人兄弟ニックとジャイルズ・イングリッシュの存在があった。彼らは人を引きつける方法を常に心得ており、人々の多くが、途中で何かあっても彼らに忠実でいてくれた。あの日、入り口にいた明るい目をした代理店のPR担当者は、今では会社の広報部長になっている。

Bremont founders

イングリッシュ兄弟。Photo by Alan Schaller

 当時から、イングリッシュ兄弟には明確な使命があった。元金融マンで情熱的な飛行家であった彼らは、ブレモンの漠然とした構想を具体的な製品にするまでに5年を費やし、そのために、イギリス人のほとんどいない国際的なサプライヤーのネットワークに頼らざるを得なかった。彼らは、いつの日かイギリスに時計製造を取り戻し、1970年代に衰退した国内産業と、18世紀にはスイスでさえ敵ではなかった時計製造文化の復活を果たしたいと考えていた。

 それ以来、彼らはこのスローガンを繰り返してきた。何度も何度も。もし彼らが野心的で、活発で、広い人脈をもつ人物でなかったら、笑われていただろう。スイス式の精密マイクロエンジニアリングビジネスを、この分野での経験がほとんどなく、さらにインフラも整っていないイギリスで行おうと考える人が、まともな人間と思われただろうか。

 しかし、年を追うごとにブレモンは、軍との提携、影響力のある著名人からの推薦、ライトフライヤー号やエニグマ暗号機の所有者のようなありえない人物との関係を積み重ね、そのビジョンは徐々に現実味を帯びてきた。

 彼らはヘンリーに施設を開設し、時計の組み立て、テスト、修理を始め、その過程で時計職人の見習いを育てていった。しかし、それを立ち上げるやいなや、手狭になってしまった。私が訪れてみると、技術系以外の部署は現場の仮設小屋に追いやられていたことが何度もあった。そこで、ヘンリーから北へ50マイル(約80km)の、F1の舞台であるシルバーストーンに小さな工場を借り、CNCフライス盤を数台設置し、主に少数のケースや地板などの部品を製造することにした。その後、この施設はヘンリーに近いラスカムという村に移転し、現在に至っている。すべては暫定的だったし、あまり注目されていなかった。しかし、これらは将来の到来を告げるものだった。

 そして、本格的な製造施設を建設するための計画と、そのための土台ができたのである。資金を調達し、2年間の計画を経て、2019年6月に起工した。2020年3月16日、私はそこを初めて訪れた。当時はまだ窓が半分しかなかった3万5000ft²(約3250m²)の施設を、ヘルメットを被ってまわった。COVID-19の暗雲が立ち込めるなか、現場監督はその年の夏にオープンする予定だと言った。

 だが、パンデミックによるロックダウン、遅延、継続的な不確実性により、それは実現しなかった。コロナ前の自由への回帰のように、オープンの日も何度か延期された。しかし、今年の3月、ブレモンのマニュファクチャリング&テクノロジーセンターがついにオープンしたのである。ニックとジャイルズは屋上でカメラに向かってユニオンジャックを振った。ミッションは達成されたのか?

 それはまた別の機会に。

 あの車道に戻る。ニックやジャイルズ、そして彼らのチームと一緒に旅をしてきたと言うのは間違っているかもしれない。しかし、多くのイギリス人の同僚と同様に、私も彼らがここまでの道のりを戦ってきたことを比較的近い距離で見守ってきた。私たちの距離の近さと共通の母国語は、そう、必然的に、イギリスのプレスとブレモンの間に、通常の時計メディアと時計ブランドの間よりも密接な絆があることを意味している。

 だからこそ、初めてゲートをくぐり、フロントガラスにセンターの緩やかなアーチ型のシルエットと、床から屋根までの窓を全面窓が映し出されたとき、正直なところ、プロの客観性という通常の境界線を超えた魂の揺さぶりを感じたのだ。私は楽しんだのではなく、中で働く人たちのために嬉しいと感じた。その時、私は自分自身に問いかけた。それはなぜか?

Founders wave flags over Bremont building

ザ・ウィングの屋根に登場した兄弟。 Photo by Alan Schaller.

 ブランドと航空業界との関係にちなんで「ザ・ウィング(=The Wing)」と呼ばれているこのセンターには、ちょっとした違和感がある。ブランドロゴや玄関先に赤い電話ボックスがあるにもかかわらず、スイスの近代的な時計工場のような雰囲気が漂っているのだ。ただ、それはイギリスの田園地帯の中にある。

 内部はもちろん完璧にクリーンで、建物内に光が行き渡るように大量のガラスが導入されている。外を眺めると、畑とその向こうに低い丘が広がっている。隣にはポロクラブがあり、1.6km先にはイギリスらしい目抜き通りをもつヘンリーがあることも知っているため、まさにジュウ渓谷にいるようだとは言えないが。だが、もし目隠しをされていたら、わからなかったかもしれない。

 ジャイルズ・イングリッシュは卒業式の卒業生総代の親のような笑顔を見せ、ここまで来るのが大変だったことを認めた。彼は私を連れてウィリアムズのF1カー(ブランドの最新の話題のパートナー)が置かれたブティックの前を通り、ガラス張りの窓から有人の組み立てラインを見て、2階にあるスタッフ用の食堂と接待用のバーを案内し、また下ってCNCフライス盤が並ぶ広々とした部屋を見せてくれた。私が思わず「疲れないんですか?」と聞くと、彼は「疲れていますよ」といいながらも笑顔だった。

 彼とニックは、ザ・ウィングにかかった費用を正確には言わなかったが、最終的な請求額が2000万ポンド(約30億円)を超えたことを認めている。この金額は、年間1万本以下の時計しか製造していない会社にとっては巨額であり、最新の会計報告では、パンデミックの影響を受けた2020年半ばの売上高が1430万ポンド(2019年比25%減)と報告されている。同社は、よく言われるロックダウン後の立ち直りを享受しているとしているが、まだ数字には表れていない。一方、ニックによると、ザ・ウィングの生産能力は年間5万本で、これは確かに投資を回収するのに役立つだろうという。

 しかし、そこに至るまでが大変だ。パンデミックの最悪の事態がようやく終わったことで、ブレモンは活動の規模を再び拡大している。今月初めにはイギリスで3つの新しいブティックを開いたと発表したが、いずれもシグネットグループの小売店とのジョイントベンチャーだ。今年中にさらに1軒のブティックをイギリスにオープンする予定で、その後は海外にも2軒のブティックをオープンするという。1軒は上海、もう1軒はロサンゼルスのアート地区に9月にオープンするイギリスのモトカルチャーコンセプトを体現した「Bike Shed」だ。

 ブレモンはまた、ハイエンドな自社製キャリバーについても語っている。このプロジェクトは何年もリリース日が未定のまま進められていた。今年の秋にはニュースがあるかもしれないとジャイルは示唆している。いずれにしても彼らは、時計業界を味方につけるための大きな仕事を抱えていると知っている。2014年には、ラ・ジュー・ペレ社が製作したことが証明されたムーブメントの全所有権を主張したことが発覚し、HODINKEEのコメント欄は閉鎖せざるを得ないほど炎上した。

 今のところ、二人は来たるべきムーブメントについて多くを語っていないが、ムーブメントデザイナーのスティーブン・マクドネルの指揮の下、ブレモンのチームがデザインすることだけは確かなようだ。新しいムーブメントの部品の一部は、ザ・ウィングとラスカムで自社生産されるが、どの部品かは私の推測に任せてほしい。プレート、ブリッジ、そしていくつかのホイール? おそらくはこのあたり。アソートメント、ネジ、穴石? これらはないだろう。

夕暮れ時のザ・ウィング。Photo by Jim Stephenson. 


 いずれにしても、ザ・ウィングのオープンはブランドにとって歴史的な瞬間であり、そのことがブランドの飛躍につながるかもしれない。イギリス、アメリカ、香港では大きな存在感を示しているが、他の地域ではまださほど知られていない。上海のブティックが示すように、次は中国本土だろう。

 ザ・ウィングはまた、イギリスの時計製造の歴史上、重要な出来事でもある。ジョージ・ダニエルズやロジャー・スミスなど、この国の時計製造技術は決して消滅することはなかった。しかし、産業復興の芽は長い間、出てきたばかりの状態のままだ。イングリッシュ兄弟は、彼らが単独で水を与えられるとは微塵も思っていない。

 また、その必要はないかもしれない。今のところ、ブレモンは単独でイギリスの時計製造に投資しているが、この国の時計産業のために旗を振っている人たちがほかにもいるのだ。

 今年の夏、KPMGは、スミスとクリストファー・ウォードの共同設立者であるマイク・フランスが中心となって新たに設立された「Alliance of British Watch and Clockmakers」の代理として重要な報告書を発表した。それによると、イギリスには100社以上の時計メーカーがあり、それらの会社の年間売上高は1億ポンドを超えていた。まだまだ小さな会社たちだが、成長している。

 報告書によると、それらの企業の多くは過去10年間に設立されたものだ。ブレモンとクリストファー・ウォードというイギリスの2大企業がリードしてきたが(後者はブレモンの2年後、2004年に設立された)、ほかの企業も追随している。

 しかし、すべてがバラ色というわけではない。兄弟は、自国の時計産業の復興を支援するための投資に消極的なイギリス人に苛立っていることを否定するのに必死で、アライアンスのメンバーからは目立った欠席者が出ている。

 イギリスで時計を製造している企業は、スイス、ドイツ、そして何よりも中国に大きく依存している。このレポートによると、生産量ベースでイギリス製時計の部品やパッケージの98%が中国から調達されているという。しかし、セコンダやアキュリストなどのハイストリートブランドは、この数字を変化させている。

 今のところ、「任務完了」という言葉は強すぎる。ザ・ウィングは、イギリスの時計製造インフラの欠点を一発で解決するものではない。また、兄弟は、彼らの時計が国内市場を独占することや、我々が理解するような垂直統合を主張しているわけでもない。これは、非常に野心的な長期目標に向けた、大きな一歩なのだ。

 さらに言えば、ザ・ウィングが健全な投資であることが証明されれば、イギリスの他国への依存度は低下するかもしれない。勇敢な誰かが、最初にならなければならなかったのだ。もしもザ・ウィングがそのきっかけとなれば、イギリスの時計産業は永遠に恩義を感じることになるかもしれない。そうなれば、どんなに素晴らしいことだろう。

 ロビン・スウィシンバンク氏は独立系ジャーナリストで、HODINKEEではスウォッチについてほかの記事も書いている。『ニューヨーク・タイムズ・インターナショナル』、『フィナンシャル・タイムズ』、『GQ』、『Robb Report』などにも定期的に寄稿。また、ハロッズの時計記事の寄稿編集者でもある。

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詳細については、Bremont.comをご覧ください。