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シャネルの時計が魅力的な理由

シャネルの時計は、ガブリエル“ココ”シャネルのデザイン核となる理念を再パッケージ化し、それを転用している。HODINKEEのスタイルエディターは、私たちがなぜ気にしなければならないのか、その理由を正確に教えてくれる。

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Photos by Andy Jackson

シャネルは世界で最も認知されているファッションブランドのひとつであるだけでなく、グローバルな帝国でもある。ナイキやコカ・コーラのように、ブランド名やロゴが大衆的なスケールで識別できるのは、高級感や洗練された雰囲気、そして指をくわえて見ていられないような“フランスらしさ”を象徴するブランドであることに由来している。

 メゾンのレガシーと、女性ファッションにおける極めて重要な役割は、ガブリエル“ココ”シャネルと彼女がブランドのために創り出した重要なビジュアル的柱から始まる。リトルブラックドレス、キルティングバッグ、ツイードスーツ、ツートンカラーの靴、カメリア、パール、そしてシャネル No.5 パルファムだ。これらのシャネルのトレードマークはすべて、私たちの祖母や母、さらには若い世代の心にも刻まれた、一種のファッショナブルなソースコードとして機能している(そして今も)。

Model in Chanel

ドレス&ハンドバッグ&コード ココ ウォッチ&イヤリング/シャネル、ストッキング/スタイリスト私物

 10代のころに欲しかったものとして鮮明に覚えているものがふたつある。クラシックなシャネル 2.55 フラップバッグと、J12の時計だ。このアイテムは分子レベルで憧れた。非常に高価なふたつのものを所有することで、私は華やかでクールになり、シャネルのアンバサダーであるキーラ・ナイトレイ(Keira Knightly)に1歩近づけるような気がしたのだ。しかし15歳のときに、祖母が持っていたハンドバッグや口紅、香水も売っているブランドの時計を母にねだって、毎朝学校の送迎前に、シャネルブランドのアイテムを日常的につけていたのはどうしてだったのだろう?

 10代のとき、シャネルは私の世界の隅々にまで浸透し、存在していた。欠けたルージュノワールのマニキュア、ケイト・モス(Kate Moss)がココ・マドモアゼルの広告でポーズをとっている写真、そして『ジ・オーシー』のエピソードでミーシャ・バートン(Mischa Barton)がシャネルの大きいバッグを身につけているのを見て育ったのだ。このようにブランドが(母や祖母と同様)私の人生の至る所に遍在しているのは、シャネルのクリエイティブディレクターであるカール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)による影響が大きい。1920年代、女性の服装を変えたココ・シャネルが現代の議会で法案を通過させるような革命的な政治行為をするように、ラガーフェルドもまた先駆者だった。

 ラガーフェルドはココの信条を現代風にアレンジして、1980年代から1990年代の好みに合うようにしたファッションの先導者だ(シャネルのプレタポルテとオートクチュールコレクションで彼のクリエイティビティが最も高まっていた時期といっても過言ではない)。彼は急速に存在感を失いつつあった由緒あるファッションハウスを刷新して、超モダンでスーパーモデルに満ちた夢の世界へと変えた。彼が参考にした歴史的時代や文化的現象に関係なく、どんな時代、どんな文化の現象があってもすべてがシンクロしているのは、前述したデザインコードへのこだわりがあったからだ。ラガーフェルドはココのモチーフを自分の想像力と融合させ、シャネルの作品全体にそれを取り入れた。

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Chanel Premiere ads

Image: courtesy of Ad Patina

 1987年、ブランドの最も目立つふたつのシンボルが、プルミエールと呼ばれる時計に生まれ変わった。デザインを考案・実行したのは、1965年から2007年までシャネルのフレグランスや美容製品、時計、そしてジュエリーのアーティスティック・ディレクターを務めたジャック・エリュ(Jacques Hélleu)である。業界外の人にはあまり知られていない名前だが、エリュはラガーフェルドと二人三脚で、今日私たちが認識しているブランドイメージの最もインパクトのある側面をいくつか創り出した人物だ。アイコニックなフレグランス、No.5のブランドを再構築した彼は、カトリーヌ・ドヌーヴ(Catherine Deneuve)、キャロル・ブーケ(Carole Bouquet)、ヴァネッサ・パラディ(Vanessa Paradis)、ニコール・キッドマン(Nicole Kidman)といった女優やモデルを起用して、ヘルムート・ニュートン(Helmut Newton)リドリー・スコット(Ridley Scott)リュック・ベッソン(Luc Besson)バズ・ラーマン(Baz Luhrmann)などが撮影した広告キャンペーンやコマーシャルに出演させた。

Ines in Chanel

1987年、プルミエールをつけたラガーフェルドのミューズ、イネス・ド・ラ・フレサンジュ(Inès de la Fressange)。Image: courtesy of Chanel

 シャネルが1921年に生み出した、そのモダニズムなデザインのNo.5のボトルはいまもほとんど変わっていない。これは1959年にMoMA(The Museum of Modern Art)の常設展示に置かれ、1985年にはアンディ・ウォーホル(Andy Warhol)の手によってシルクスクリーンシリーズも描かれた。ダイヤモンドのようにカットされたストッパーは、パリのヴァンドーム広場の幾何学模様からインスピレーションを受けており、プルミエールウォッチのケースデザインの元ともなった。プルミエールのブレスレットは、アイコンのひとつであるキルティングバッグのレザーとチェーンのストラップが交錯する様子を模してデザインしている。シャネルはすべて(そして今もまだ)ココの核となる理念を再パッケージ化し、それを転用(モチーフを現代的なコンテクストに落とし込んで再構成して、そのなかから選りすぐった方法だ)したものである。

Chanel premiere and no 5

Image: courtesy of Ad Patina

 当時、ランウェイで披露していたジュエリーやアクセサリーと同様、この時計もラガーフェルドが生み出した80年式(および90年代初期)シャネルのマキシマリズムの美学の一部だった。過度で派手なファッションの10年間だった。ラガーフェルドはゴールドのチェーンを腰に巻いたり、ネックレスとして使ったり、パールのロングネックレスを混ぜたり、はたまたベルトや“ダブルC”ゴールドのフープイヤリングやカフスに至るまで、ゴールドのコスチュームジュエリーを多彩にコレクションに取り入れた。これらのアクセサリーはすべて、ウエストを絞ったブラックタイトドレス、巨大でインパクトのあるショルダーを持つキルティングレザージャケット、キャンディーカラーのツイードのミニスカートスーツ、ブルーデニムのジーンズを装飾して、劇的に表現するために使用していた。90年代、シャネルのショーでジーンズがランウェイに登場したのはとても大きな出来事だった!

Lind Evangelista in Chanel jewelry

1995年頃のハーパーズバザーに掲載されたリンダ・エヴァンジェリスタ(Linda Evangelista)。Image: courtesy of Chanel

 プルミエールは、1987年にカール・ラガーフェルドが発表したシャネルをエリュが解釈した、今も昔もクラシックなシャネルだ。宝石のないモダンなレディスウォッチは、既存の“時計ブランド”製品の派生品でもメンズウォッチのスケールダウンアイテムでもなく、独自のアクセサリーとして考案されている。ブランドのなかからデザインのヒントを得て、スタイルを第一の原動力としている。確かに、この時計はクォーツかもしれないが、しかしここまで私の記事を読んでくれた人はそこは論点でないことを理解してくれているはずだ。

 2022年にプルミエールは、シャネル ウォッチメイキング クリエイション スタジオの現ディレクターであるアルノー・シャスタン(Arnaud Chastaingt)氏によって外観のマイナーチェンジが施され、ランウェイが支配していた時代のブラックとゴールドのフォルムを持つ完璧な復刻版として登場した。ゴールドの八角形ケースに納められたブラックラッカーの文字盤には、数字やインデックス、秒針や日付表示はなく、12時位置に小さな白いシャネルのロゴと6時位置にスイスのロゴがあるだけで、シャネルNo.5のストッパーのようにシンプルでクリーンなラインである。

Chanel premiere

シャツ&パンツ&ネックレス&プルミエール/シャネル

Chanel Premiere and robot

プルミエール ロボット(左)とプルミエール メタル チェーン(右)。

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1990年初頭までに、ラガーフェルドはシャネルをファッションの頂点に押し上げ、その結果シャネルは世界で最も魅力的なブランドのひとつとなった。シャネルの91年のFWコレクションで、パール、チェーン、ベルト、ロゴといったクラシカルなシャネルのイディオムが特大化し、ブランドに新たな時代が到来した。ラガーフェルドはヒップホップやダッパー・ダンのような黒人デザイナーからヒントを得て、それが主流のラグジュアリーに辿り着いたり認められるずっと前からブラックカルチャーの要素を取り入れていた。

 それならば、メゾンが極めて大胆な変化を遂げてココのデザインコードを完璧に再現した時代に、エリュがJ12のデザインしたのは理にかなっている。当時としてはより大胆で男性的なデザインコードを持つ機械式時計で、オールブラックのセラミック製、後にオールホワイトセラミックも登場した。

Model in Chanel

ウェストコート&セーター&パンツ&イヤリング&J12/シャネル

Model in Chanel j12

ウェストコート&セーター&パンツ&靴&イヤリング&J12/シャネル

 J12はセラミックでつくられた最初の時計ではなかったが、時計製造の経歴がまだ確立されていない高級ファッションブランドとしては予想外の選択だった。このセラミックは美観的に申し分ない。一方が純粋なディープブラック、もう一方がきらめくパールのようなホワイトという二面性を持たせることができたのだ。この選択はブラックとホワイトという掛け合いの執着、キアロスクーロ(イタリア語で明暗という意)のモダンな遊び心といった、ガブリエル・ココ・シャネルとカール・ラガーフェルドのデザイン上のヒントとも一致している。

 1993年、シャネルはラ・ショー・ド・フォンにあるスイスのケース・ブレスレット製造会社のG&Fシャトランを買収した。しかしエリュが2000年にJ12を発表するまで、さらに丸7年の歳月が必要だった。18歳からシャネルで働き、ブランドのデザインとクリエイティブなプロセスにどっぷりと浸っていたにもかかわらず、エリュはそのあいだずっとJ12のデザインの仕上げに専念していた。

 J12はそのワイルドな外観とは裏腹に、男性だけのために用意されたものではなかった。20世紀初頭に男性的なスタイルを積極的に取り入れたココ・シャネルへの意図的に意識したのか、それとも単なる偶然なのか、この“ユニセックス”デザインはその後、エリュとブランドを代表する時計になった。

 J12の名前はヨットレースの世界から由来する。より具体的にいうと、アメリカズカップのような外洋ヨットレースのレガッタに使用された、1930年代のJクラス12mレーシングボートのことだ。やや華奢なプルミエールとは異なり、J12はスポーティで堅牢な時計として設計された。

Chanel J12 ads

Image: courtesy of Ad Patina.

 2002年に発表した最初のクロノグラフを皮切りに、同モデルは時を経るとともにさまざまなアイデンティティを確立し、時計の複雑性を表現するキャンバスとして機能するようになった。しかしそれだけではない。2005年のJ12 トゥールビヨン、2007年のJ12 GMT、2010年のレトログラード ミステリユーズ(ルノー・エ・パピが開発)、チタンセラミックのコンポジットを使用した2011年のJ12 クロマティック ドリームス、2012年のJ12 ムーンフェイズ、彗星の形にかたどってダイヤモンドをフルセットした2014年のJ12 フライング トゥールビヨン(これもまたルノー・エ・パピ)、2016年のJ12 スケルトン フライング トゥールビヨン(ルノー・エ・パピ再び!)もある。

 2019年にアルノー・シャスタン氏の指揮のもと、クラシックな38mmのJ12を改良したものをリリースし、のちにジュネーブ時計グランプリ(GPHG)でレディス部門を受賞した。(シャネルが株式の20%を保有する)ケニッシ社製の自動巻きCal.12.1を搭載しているのが特徴で、サファイアクリスタルのシースルーバックからその動きをみられる。

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Chanel J12 watches

Image: courtesy of Ad Patina

 著名ジャーナリストで作家のニコラス・フォルケス(Nicholas Foulkes)は「J12は、ファッションブランドがつくる真のクラシカルな時計学であるという、不可能に近い偉業を成し遂げたという点で特別な存在に位置します」と私に語ってくれた。そして私も心からそう思っている。“ファッションウォッチ”という言葉の使い方と、その本質には軽蔑的な意味合いが含まれていることについて説明する必要はないが(みなさんもよくご存じのはずだ)、シャネルが時計製造と真剣に関わりを続けているのは注目すべき点だ。ブランドは2001年にベル&ロスを買収し、2011年にはローマン・ゴティエ社への出資をはじめ、そして2016年にはムッシュー ドゥ シャネル ウォッチで、同ブランドとコラボレーションを行った。さらに彼らはF.P.ジュルヌの株式も保有しており、2018年からはケニッシ社を介してチューダーと産業提携を結んでいる。

 「シャネルがどれほど時計製造に真剣に取り組んでいるかを知れば、その職人技と文化的地位を評価せずにはいられなくなります」 とParchieの創業者で元HODINKEEの卒業生であるカーラ・バレットは説明する。「常に人の手首に装着されている腕時計はほとんどなく、J12はカルティエのタンクやロレックスのサブマリーナーといった優れたメーカーと並ぶ1本です。どちらも持っていて損はないでしょう」 

Chanel Premiere and No.5 bottle

Image: courtesy of Ad Patina

 私が2005年のJ12に夢中になっていた話へ戻そう。

 2000年代のitガール(一躍有名となったかわいらしい女性)ウォッチ(失敗に終わったが)を探し求めたのは私だけではなかった。「ゴシップガールのアッパーイーストサイド出身者として、私はホワイトのJ12を、バット・ミツバ(ユダヤ教の女の子が成人を迎える12歳になったときに祝福される儀礼)のプレゼントウォッチとしてずっと考えています。もしあなたが、下校するときにタウンカーが出迎えるようなタイプのお嬢さまだったら、J12か父親の古いサブをつけていたことでしょう」と、エッセンス(SSENSE)のヘッドクリエイティブ・コンテンツであるトム・ベットリッジ(Thom Bettridge)は、最近のメールのやりとりのなかでこう述べている。それに対して私は「それはまた飲酒運転をした時代のリンジー・ローハン(Lindsay Lohan)やパリス・ヒルトン(Paris Hilton)らしさもありますね」 と答えた。

 この時計はピンクのジューシークチュールのトラックスーツにバレンシアガのモーターサイクルバッグ、サイドカーに乗ったチワワとともに、Y2Kファッションに身をつつんだLAセレブスタイルを象徴するものだった。ヨーロッパではそれはもう少し洗練されたものだった。ロンドンのスローン・ストリートを、きらびやかなセラミックの時計を身につけたシックな女性が何人も歩き回っていたのを覚えている。彼女らはパリやミラノといったスタイリッシュな大都市に存在していたのだと思われる。

 J12の人気は発売当初からやや衰えたかもしれないが、シャネルは現在もこのプラットフォームを使って、市場に流通しているモデルのなかで最も革新的なデザインの時計をいくつか製造している。今年のWatches and Wondersで発表されたJ12 サイバネティック(下の写真)は、多くの時計ジャーナリストの目に留まった。トラディショナルなデザインのものが多い展示会の中でひときわ異彩を放っていたのだ。

Model in Chanel

シャツ&ハット&手袋&J12 サイバネティック/シャネル

Model in Chanel

ジャンプスーツ&シャツ&スカート&靴&ハット&手袋&J12 サイバネティック/シャネル

 「ブランドの力は助けにはなりますが、それだけが長続きする理由ではありません。オリジナルのJ12デザインと数年前のリローンチを見れば、ジャック・エリュがこれをデザインしたときの変化がほとんど感じられないため、それがほとんど未来志向だったことがわかるでしょう」 とフォルケスは指摘した。続けて「ちなみに私は、エリュのシャネルへの貢献はカールの貢献と同じくらい価値があると信じています」と話す。

 シャネルはハイジュエリーから完全にスケルトナイズされたレディスウォッチ、フライングトゥールビヨンのプルミエールやクリスタルサファイアでできたJ12まで、時計製造のあらゆる分野に進出した。その一方で、無数のキルティングデザインやカメリアのモチーフを取り入れて、“ガブリエルコード”に忠実であり続けている。

 「シャネルの永遠ともなる要素を強調し、その無数のバリエーションを、想像力に富んだデザイナーが次から次へとコレクションのために発明し続けました。(ラガーフェルドにとって)言語や地理の壁を越えて理解されるシンボルを見出したのです」と、作家のパトリック・モリエス(Patrick Mauries)は著書の『Chanel: Catwalk』の序文で述べている。エリュはラガーフェルドと同じように、ココ・シャネルとシンクロしていた。これは彼女のデザインコードの進化を象徴している。同じことが今のシャスタン氏にも言えるのだ。

Chanel watch

キルティングとロゴのディテールを施したコード ココ ウォッチはキルティングへの賛辞によってつくられた。

 プレタポルテ、クチュール、アクセサリー、コスメ、そして時計のデザイン間の相互補完を詳細に説明することは、時計愛好家にシャネルウォッチをより真剣に受け止めてほしいと求めているわけではない。彼らは十分に真剣だ。シャネルが100年以上にわたって保ち続け、世界的に認められた美意識とそのDNAの重さ、力強さを理解すること。まあというかそのことを物語っているはずだ。

 シャネルは世界的なブランドアイデンティティを持っていて、99%の時計ブランドよりもはるかにパワフルだ。そして非常にわかりやすいシャネルのデザインの柱は、ロレックスのジュビリーのブレスレットやカルティエのシェイプケースと何ら変わりはない。私は、時計の外観は中身と同じくらい重要で価値があるという主張を墓場までもっていくつもりだ。そして皆さんのなかにも、“見た目は大事だ”という意見を持つ人も多いのではないだろうか。

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Model in Chanel

ジャンプスーツ&ネクタイ&ボーイフレンドウォッチ/シャネル

 シャネルの時計は特に強い共感を呼んで、子供のころの甘い思い出を呼び起こしてくれる。初めて自分で購入した2003年4月号の英国版ヴォーグ(ピンク色で、アンジェラ・リンドヴァル/Angela Lindvall が表紙を飾っていた)をパラパラとめくると大胆な白黒のシャネルのタイポグラフィを目にしたり、シャネル チャンスの香水を買ってクラスみんなの頭が痛くなるくらいそれを吹きかけたり、写真やファッションショー、パパラッチされた写真のすべてにおいてケイト・モスに夢中になったりする。そしていつか私も、2.55のバッグとJ12の時計を所有してシャネルガールのように華やかになりたいと願っている。

 シャネルの時計はファッションとオロロジーが交わる場所で出合った歴史があり、そのどちらも否定する必要はない。私の理想とする完璧な世界では、両方の要素が等しく評価され尊重されるはずなのだ。