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Photos by Mark Kauzlarich
ジャン-クロード・ビバー氏による最初の時計、カリヨン トゥールビヨン ビバーのプロトタイプの落札価格が100万スイスフラン(日本円で約1億5300万円)に迫ったとき、競売人のオーレル・バックス(Aurel Bacs)氏が演台の下から(非常に高価だと思われる)ワインボトルを取り出した。
「万が一、落札価格が100万フランに達した場合に備えて、ビバー氏は落札者のために彼の生まれ年(1949年)のワインをプレゼントしてくれました」と、バックス氏は観客に語りかけた。カリヨン トゥールビヨンは最終的に総額127万スイスフラン(約1億9400万円)で落札された。この週末における最高額ではなかったものの、ビバー氏とバックス氏というふたりの業界の重鎮がその場で小刻みに競り合いを煽っていたため、ジュネーブで最も盛り上がった瞬間となった。
最終的にフィリップスは合計4700万スイスフラン(約72億円)を売り上げ、クリスティーズの4000万スイスフラン(約61億2000万円)をわずかに上回り、サザビーズはさらに1200万スイスフラン(約18億3600万円)を上積みしてみせた。市場のすべての分野で利益が上がったわけではない。だが、史上最高額を記録したロレックスのトリオに関する記事でも述べたように、本当に希少価値のある重要な時計は依然として好調な動きを見せており、そのほかは低迷しているのが現状である。
ファースト・インプレッション
ジュネーブのオークションに参加するのは初めてだったが、上位のロットを競り落とすのは同じようなひと握りのプレイヤーであるということにはすぐ気がついた。ロレックスが費用を惜しまずに5本の時計を落札したことはすでに述べたとおりだが、それ以外にもいろいろとあったのだ。ビバーのトゥールビヨンと1949年製のワインを落札したのはアメリカのオンライン入札者だったが、この入札者はこの時計の前にも多くのインディーズウォッチを落札しており、特にフィリップ・デュフォー氏によるオーデマ・ピゲ グラン・プチ・ソヌリは88万9000スイスフラン(約1億3600万円)で取引されていた(デュフォー氏による初の懐中時計として重要なものだ。……ビバーの時計と比べると、お得に思えてしまうが)。
ほかにも、イタリアの大手ディーラー2社がフィリップスで未修復の文字盤を持つ初代パテック フィリップ Ref.2499をめぐって争った挙句、電話入札者によって240万スイスフラン(約3億6670万円)で落札されたりしていた。群衆に混ざったディーラーが、入札中にWhatsAppアプリをスクロールしながらディーラー同士のチャットで“市場価格”を調べたり、顧客の存在を確認したりしているのを見るのも珍しくなかった。また、フィリップスがパリッとしたホワイトゴールド製のパテック フィリップ Ref.3448を売却したあとにRef.3448用のブレスレットだけを出品。バックス氏が「すでにRef.3448を所有していますね」とコメントした会場の入札者と新しいRef.3448の所有者が争った結果、4万4000スイスフラン(約673万円)のブレスレットとなったそうだ。この界隈では誰もが顔見知りのようなものだ。
時計同様、カクテルも限定仕様だ
その前の土曜日の朝、クリスティーズで週末のオークションがスタートした。フォーシーズンズの古びたダンスホールは満席で騒がしく、前夜に夕食をとったブラッスリーと大差なかったように思う。時計業界に身を置くさまざまな分野の人々が少なくとも3つのテーブルに分かれ、時計やオークション、そしてスイスワインの秘密(名産品であるスイスワインの99%は国外に輸出されることはない)について語り合っていた。オークショニアが壇上から会場を統制しようとしているのだが、その声はほとんど聞こえない。ヨーロッパとアメリカの若いディーラーと年配のイタリア人コレクターが後方で肩を並べ、ディーラーたちはロレックスのステラダイヤルやストーンダイヤルの初期型に対して大声で応札し、いずれも予想以上に好調な結果を残した。Instagramで話題になるモデルは、会場でも注目されていた。
フィリップスは依然として多くの話題をさらっているが、クリスティーズはおそらくもっともエキサイティングな目録を作成し、そのなかでヴィンテージとネオヴィンテージのパテックに焦点を当てていた。先日、私は記事でRef.3974とノール氏のRef.2497を取り上げている。後者は120万スイスフラン(約1億8300万円)で落札されており、これが8年前のオークションでの実績だと考えれば、想像を超える素晴らしい結果だといえる。私の知り合いのコレクターは、この週末にRef.2497を、クリスティーズが出品した文字盤修復済みのクロノグラフ Ref.130(ブレゲ数字とセクターダイヤル)のペアともう1、2本のパテックと合わせて購入した。繰り返しになるが、このレベルの落札者は希有である。
パテックのオークションののち、ジュネーブから20分ほど離れたラ レゼルヴに向かう前のランチへと人々が繰り出したため、クリスティーズはしばし閑散としていた。ラ レゼルヴでフィリップスは、非常にフィリップスらしいやり方でほかの3つのメゾンとの差別化を図っていた。高級ホテル正面の芝生広場に、クリスティーズのダンスホールの少なくとも2倍はある大きなテントを張ってオークションを開催したのだ。
ライブオークションの極意は、大物出品に向けて少しずつテンションを上げていき、それを開放したのちに再び盛り上げてを繰り返すことだ。フィリップスでは、記録的な高値で落札されたロレックスのミルガウスとピンクゴールドのパテック フィリップ Ref.2499がその最初の一幕を飾った。パーペチュアルカレンダー クロノグラフが320万スイスフラン(約4億9000万円)で落札されたあとは、ディーラーやコレクター、そして盗み聞きしていたエディターたちが、イタリア人が提供するタバコの煙を縫ってテントに出入りし始め、ラ レゼルヴの会場にある薄暗い木造のバーで30フラン(約4600円)の“フィリップス限定”カクテルに口をつけていた。照明が落とされて会場が暗かったからかもしれないが、業界の顔見知りや、あるいは見知らぬコレクターとの会話にも、ちょっとしたミステリアスな雰囲気が生まれていた。
初日にはいくつかの時計が取引され、大きな話題を呼んだ。ホワイトゴールド製のパテック フィリップ、“Asymétrie”が21万5900スイスフラン(約3306万円)で落札。その後、サザビーズでそのゴールドモデルが10万1600スイスフラン(約1556万円)で落札された。ジルベール・アルベール氏によってデザインされたこれらの時計はもっとも奇抜なパテックのひとつであり、そう、90年代の近代的なクラッシュのような希少かつ同様に興味深いモデルよりも高値で落札されたのは驚くべきことだ。もちろん、夢のように複雑な機構を載せたパテック フィリップは素晴らしい。だが、それ以外の風変わりなモデルへの評価も高まっている。
蚤の市か? それともオークションか?
日曜日の朝、リッチとマークと私は、ジュネーブの若きディーラー数人のすすめで早朝に開催されていた小さなヴィンテージウォッチフェアに足を運んだ。高級時計のオークションというよりは蚤の市のようなもので、安い時計やパーツ、古いカタログが散乱しており、ヴィンテージウォッチに10万ドルの値札が付けられるのに麻痺していた週末の口直しにはもってこいだった。オーデマ ピゲのパーペチュアルカレンダーの文字盤を買った人を見かけたが、数時間後に私がサザビーの会場に行くと、マンダリン オリエンタルの前でそれを売るために取引しているのを目撃してしまった。
サザビーズでは最初、ふたつのロットが落札されずに終了した。その後、技術的な問題からオークションは約30分間中断。参加者の緊張がほぐれたのか、問題が解決して以降は取引が活発になった。だが、サザビーズが用意した119のロットのうち30%近くが売れ残る結果となった。この数字は、経理担当者の予想を大きく裏切るものであったことは間違いない。そのなかには、夜光がはげ落ちたヴィンテージ ホイヤー、ポリッシュ仕上げのGMTマスター、パテックのノーチラス Ref.3711など、真にコレクター向けとはいえない時計も少なくなかった。サザビーズは他国での販売も行っているためか、今回もっとも目録の内容が乏しかったが、翌日のオンライン販売では隠れた逸品も見受けられた。
アメリカのディーラーが購入した美しいパテックのミニッツリピーター搭載米暦懐中時計は、前日のプレビュー会場で初めて手にしたとき、その重さに驚いて危うく落としそうになった。このような古い懐中時計をひとたび扱ってみれば、(同僚のマークだけでなく)あなたもまた、誰かに時計製造の素晴らしさやその相対的な価値について語りたくなることだろう。サザビーズの展示室はフィリップスやクリスティーズに比べて狭いので、著名な人物を見つけるのは簡単だった。ヘルムート・クロット(Helmut Crott)博士、ジョン・ナガヤマ(John Nagayam)氏、タリク・マリク(Tariq Malik、モメンタム・ドバイのオーナー兼店長)氏、ジョン・リアドン(John Reardon、コレクタビリティ・ドットコム)氏、そして若手ではアダム・ゴールデン(Adam Golden、メンタウォッチ)氏、サシャ・ダビドフ(Sacha Davidoff、ダビドフ兄弟)氏、そして、競売でパドルを上げているとき、おそらく父親のダビデ(Davide)氏と電話するのが通例となっているアンドレア・パルミジャーニ(Andrea Parmegiani)氏だ。
サザビーズののち、私は内覧会のためにアンティコルムのオフィスに立ち寄ったのだが、ほかのメゾンのように完璧に演出されたものではなく、むしろ蚤の市のような印象を持った。私はすべてのトップロットをまったくの無人のなかで扱い、撮影した。パテックの"カメレオン"をどうやって写真に収めようかと考え、ひとりで慄いていたのだ。この時計は最終的に38万7500スイスフラン(約5930万円)で落札され、このイベントのトップロットとなった(繰り返すが、私たちはクレイジーなものを求めているのだ!)。また、新古品のRef.6263は31万2500スイスフラン(約4780万円)で落札された。やはりコンディションが重要なのである。内覧会では、イタリア人が座る大きなテーブルの隣に座っていた。彼らは時計を手に取って数本の指で触り、その時計に"魂"が宿っているかどうか、お互いに力強いジェスチャーを交わしながらほとんど感覚で判断しているようだった。テーブルで私のリストにある時計を彼らが見終わるのを待っていると、アシスタントが「彼らのチェックは早いですよ。ご心配なく」と話しかけてきた。このアシスタントも同じように、彼らがよくも悪くも、長年培った直感のようなもので判断することを理解しているようだった。私はまだ、その胆力を養っている最中である。
アンティコルムの次は、フィリップスでの2日目だ。初日に負けず劣らず騒がしかった。最初の盛り上がりはビバーの時計が売れたときで、その後に人々は一服したり、エスプレッソを飲んだり、スイスワインを追加したりするために外に出て行ったりしていた。フィリップスのラストも、期待を裏切らないものだった。発見されたばかりのユニークなホワイトゴールド製ヴァシュロン・コンスタンタン Ref.222が57万1500スイスフラン(約8745万円)、オーデマ ピゲのクロノグラフ コンプリートカレンダー(この週末における、私のお気に入りロットだ)が73万6600スイスフラン(約1億1272万円)で売れ、初期のRef.2499は最終的に、クリスティーズで取引された忠実な復元ダイヤルを持つ初期Ref.2499(170万スイスフラン、約2億6000万円)を上回る210万スイスフラン(約3億2120万円)という結果となった。
価値が上がったものと、落ちたもの
ヘッドライナーはヘッドライナーであり、前述のとおりそれは一部の人々のためのものだ。それ以外の人たちのあいだでは、ほかのあらゆるジャンルに関心が寄せられていた。80年代製と90年代製の貴重なパーペチュアルカレンダーは、29万2100スイスフラン(約4470万円)で落札されたバイヤー・クロノメトリーのRef.3940に限らず、引き続き人気を集めている。ひとつはストラップで、もうひとつは一体型のブレスレットを持つふたつのオーデマ ピゲ QPスケルトンがよい結果を残し、ジェラルド・ジェンタのホワイトゴールド製パーペチュアルカレンダー(5000~1万スイスフランの予想価格に対し、3万3020スイスフラン、約505万円で落札)も同様に好調な結果となった。船のホイールのような形状の奇妙な時計だが、そろそろ何か変わった時計が欲しくなってきたのではないか? ユニークなジェラルド・ジェンタのホワイトゴールド製レディースウォッチも、16万3000スイスフラン(約2495万円、予想価格は1万~2万スイスフラン)という驚異的な価格で落札された。LVMHとLa Fabrique du Tempsだけが、ジェンタの隠れた名作の復活に興味を持っているわけではないのだ。
ショパールのL.U.Cトゥールビヨンでさえも6万9000スイスフラン(約1055万円)で取引され、1万2000から1万8000スイスフランという控えめな見積額をはるかに上回っていた。この半年間、ショパールの初期のL.U.Cコレクションについてさんざん喧伝してきた私の功績ではないだろうか? しかし、2005年製造のクロノメーター認定を受けた自社製トゥールビヨンキャリバーを搭載しているのだ。そろそろショパールもオークションで評価されていいころだ。
それ以外では、ブシュロンのカレ リフレ、90年代製のエベル、そしてさまざまな形状の時計が話題になっていた。しかし、一般的には80年代前半以前に見られた真のヴィンテージウォッチが大々的に復活してきていると言われている。それは決して間違っておらず、ごく少数のモダンな時計が私たちの関心と情熱を呼び起こした結果だと考えている。
一方、それらの“ハイプ”モダンな時計は下落を続けている。ティファニーのノーチラス Ref.5711は220万スイスフラン(約3億3650万円)で落札され、昨年11月の320万スイスフラン(約4億860万円)を下回った。さらに値上がりして欲しいと願っていたディーラーは、失望したことだろう。私はオークションの季節ごとに1本か2本が出品され、このまま価格が下がり続けると予想している。
アメリカドルもスイスフランに対して2022年より大幅に下落しており、多くのアメリカ人が慎重になっている。ジュネーブにいるアメリカ人は本当に少数で、ここでの観客はニューヨークの光景とはまったく異なり、ほとんどがヨーロッパ人で占められていた。
F.P.ジュルヌに関する追記
実はこの週末の始まりは、金曜日に行われたクリスティーズのArt of F.P.ジュルヌのイベントからだった。これは、存命の時計職人に捧げられた初のライブオークションだ。39のロットすべてが売却され、スースクリプション(Souscriptionとは仏語で“予約販売”の意)のトゥールビヨンや初期の真鍮製レゾナンスを筆頭に、最上位のロットは期待通り高いパフォーマンスを示した。一方、一般的なジュルヌは控えめな結果となった。それにしても、1400万ドル(約19億3800万円)相当の価値がジュルヌにつけられるというのは、数年前までは考えられなかったことだ。過去数年間で大きく上昇したジュルヌの相場がこの先どうなるかはわからない。だが、しばらくこの状態が続くとしてもなんら不思議はない。
情熱はどこへ行った?
オークションは取引という側面にとらわれがちだ。結局のところ、誰もが表向きは時計を売買するために、あるいはその売買について記事を書くためにそこにいる。蚤の市でAPの文字盤を買った人が数時間後にそれを売りに出したり、週末にはディーラーがWhatsAppやオークション会場の外で取引したりするのを見かけた。周りを見渡せば皆が慌ただしく、オークションそのものへの情熱がなくなっているように感じるのは無理もない。そして実際そうなのかもしれない。時計市場はここ数年で著しい成長を遂げており、その勢いはとどまるところを知らない。
しかしジュネーブに滞在していると、時計のコミュニティというものは実際に対面することが何よりも大切なのだと思い知らされる。日曜日の夜、私はジュネーブ出身のロイ・ダビドフ氏やほかの多くの人たちと夕食を楽しんだ。ロイ氏はジュネーブの旧市街に店を構えるディーラーだが、宝石鑑定士としての訓練を受け、キャリアを通じて多くのブランドで働いた経験を持つ。夕食をとりながら、彼にとって初めての時計である1970年製のオメガ スピードマスター マークIIを、まだ子供だった1989年に父親から譲ってもらったときの話を聞かせてくれた。ロイ氏は「父はこの通りの先で買ったんだ」と、暗がりの向こうを指差して言った。その時計は完璧ではなかったが、そんなことは問題ではなく、ロイ氏はそれ以来時計の世界に足を踏み入れるようになったのだ。私が生きているあいだよりもずっと長い時間をこの業界で過ごしてきた男が、日々腕時計について学び、新しい魅力を見出しているのであれば、きっとあなたや私もそうなれるはずだ。では、また次のシーズンにお会いしよう。
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