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WATCH OF THE WEEK 時計はあまり好きではなかったが、ロイヤル オークを買ってみた

冷厳なデザインに惹かれた。そして、そのデザインに魅了され、ここにたどり着いたんだ。

HODINKEEのスタッフや友人に、なぜその作品が好きなのかを解説してもらう「Watch of the Week」。今週のコラムニストは、ハイスノバイエティ(Highsnobiety)の編集長です。

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生まれてから30年間、私を知る多くの人は、僕が腕時計を一本も持っていないことに驚いた。僕はいつだって素敵なものが好きだ。その魅力は、スタイル誌の編集者というキャリアを経て(さらには「The Materialist」というコラムも執筆)、ますます膨らみ、僕の時計に対する無関心さは常軌を逸しているようにも思えたのだろう。

「他に好きなものがたくさんあって、お金に困っているんだ」でも、もっと突っ込んで言えば、時計はダサいと思っていた、というのが本当のところかもしれない。

 待てよ、今僕はこの文章をHODINKEEの神聖な場所で書いてしまったのか?

 まあ、でも実際そうだったんだ。そして、その気持ちを忘れないようにすることが大切だと思うのだ。なぜなら今の僕は時計学のクールエイドを飲み干してしまったから。日曜日の午後に、2年前のフィリップスのオークション結果を読んでいる私を捕まえてくれ。結局のところ、そのダサさを自覚するのは自分自身なのだ。

The Audemars Piguet Royal Oak

 かつての私の時計嫌いをエレベーターピッチで(簡潔に)表現するならば、こうだ。時計は、ありもしない世界に憧れている存在だ。

 時計は、誰もiPhoneを持っていない世界を切望している。うるう年を教えてくれるパテック フィリップのRef.3940や、宇宙からの緊急着陸時に時間を計測するためにスピードマスターが必要になる日が来るかもしれないと思い込んでいるのだ。時計は、特に男性に、よく言えばポール・ニューマン、悪く言えば映画『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のレオナルド・ディカプリオになりたいと思わせるものだ。時計は男性が憧るファンタジーの発信源であり、それはときに危険であったり、クールであったり、陽気で悲劇的であったり、(しばしばそうであるように)みっつのファンタジーが同時に存在するものなのである。

 ところが不思議なことに、30歳を過ぎて父親になった頃から、逃れられない重力が私を腕時計に引き寄せるようになったのだ。裸の手首を時計で飾りたいという、ほとんど生物学的な欲望ともいえるような経験だった。そして、それは青春の終わりを告げるような感覚でもあった。ただ親父になっただけでなく、時計を持つ親父になったのだ。次に待っているのはミッドライフ・クライシスのコルベットだろうか?

 最初の時計に引き寄せられた気持ちを探っているうちに、我が意を得た。私が時計に求めたものは、自分自身のアイデンティティの永続的なシンボルであることに気づいたのだ。フロイト的な言い方をすれば、私は時間という経験を通じて、自分の死と向き合っているのかもしれない。

The Audemars Piguet Royal Oak on the wrist

 時計は、どんな服を着ていても、実際に動き、表情を伝え、身の回りに置いておけるアクセサリーとして、誰にとっても身近なお守りのような存在だ。正しく選べば、車やハンドバッグ、あるいはプロフィール写真のブロックチェーンの霊長類から得られるような完全な感覚を与えてくれる。それが、私が時計に求めている感覚だった。

 自分の時計が何であるかを考えるには、まず周りの人の時計のお守りに目を向けることから始まった。例えば、私のパートナーのカルティエは、特注のリザードストラップが付き、風防が少し掛けた小さな手巻きのタンクで、アクセサリーというよりは彼女の存在の一部となっている。エージェントのゴールドのロレックス デイデイトは、シャンパンカラーの文字盤が、彼の陽気なキャラクターの下に沸き起こる権力者のエネルギーへの入り口のように作用している。アンディ・ウォーホルのオニキスのピアジェは、彼が創刊した雑誌『Interview』のリブランディングの際に私が魅了された時計で、彼の類まれな魅力、才能、そして軽薄な堕落を表現していた。また、亡き父の万華鏡のようなスウォッチ20数本は、その豪快さと気楽な実用性が、僕の記憶の中に深く刻み込まれている。

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 僕が時計の世界へ旅立つとほぼ同時に、きっと自分の時計はオーデマ ピゲのロイヤル オークだと思ったのだ。世界で最も人気のある時計のひとつであることを考えると、それはあまりにも当然の直感だった。もっと個性的な時計をいろいろと調べてみても、その直感は揺るがないものであった。

 僕がロイヤル オークで最も気に入ったのは、今もそうだが、その冷厳さだ。なぜなら、冷厳であるということは、新しいアイデアのために、現状でのコンフォートゾーンを抜け出すことにつながるからだ。オーデマ ピゲが1972年に“ロイヤル オーク”を誕生させたように、産業存亡の危機の最中に世界で最も高価なスティール製機械式時計を発表することは、残忍な行為と言えるだろう。ロイヤル オークのデザイナー、ジェラルド・ジェンタがおこなったように、ダイビング用ヘルメットのようなベゼルのネジを露出させ、オールドスクールな高級時計市場向けにデザインすることは、残酷な行為と言えると思う。ディスコ、パンク、グランジ、トラップミュージック、Y2K、アバター、ボーイズバンド、Xbox、Instagram、ミレニアルピンク、イカゲームといった文化現象が世界中を駆け巡るなか、このデザインを50年間、比較的手を加えずに維持し続けることは、まさに残酷の極みと言えるだろう。

The Audemars Piguet Royal Oak

 僕は冷厳なアイデアが好きだ。それは、この場合、奇妙な航海の雰囲気を持つファンシーウォッチだが、ロイヤル オークの真のポエトリーは、そのクラフツマンシップの深さ。これまで見たなかで、最も精巧にハンドメイドされた“インダストリアル・ルック”のオブジェだ。表面の無数のテクスチャーが、ジオメトリをシャープに浮き彫りにしている。例えば、ネジの切り欠きがベゼルの周囲に完璧な円を描いているように、ちょっとした内輪ネタがあるのだ。そして、サファイアクリスタルケースバックの下で踊る、手仕上げの機械部品たち。ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエのシーグラム・ビルディングやカニエ・ウェストのイーザスに匹敵する冷厳なデザインは、まさに超越的な存在と言えるだろう。

 実際にロイヤル オークを手にしたとき(41mmのRef.15500、元ラインバッカーの僕には39mmの15202はクラシックに見えた)、高級セダンの価格で取引される機能的なジュエリーでありながら、私の日常生活にスムーズに溶け込んでいることに驚かされた。半リモートワークが当たり前となった興味深いこの時代、Zoom会議に出て、メールを返信して、子供と遊ぶ日には時計は箱のなかにしまっている。Highsnobietyのオフィスで仕事をする日、ファッションカレンダーを追いかけて飛び回る日、あるいは書斎兼リビングルームではない場所で誰かに会う日は、最初のコーヒーを飲む前に、律儀に15500を巻いてセットしている。手首にはめると、編集者トム(編集注: 自分のこと)の電源ボタンを入れるような感覚になる。大人になったんだ。ちょっとダサいかもしれないけど、気にしないくらいには賢くなった。これこそ、私が求めていた感覚なのだ。

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ロイヤル オークの詳細については、オーデマ ピゲのウェブサイトをご覧ください。HODINKEE Shopでは、中古およびヴィンテージのロイヤル オークのセレクションをご用意しています。