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Introducing グラスヒュッテ・オリジナル アルフレッド・ヘルヴィグ トゥールビヨン 1920 - リミテッド・エディション

(ドイツの)礎に還る。

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現在のトゥールビヨンは、精度を向上させるという本来の目的から大きくかけ離れているように見えることがある。トゥールビヨンは、その歴史上のほとんど常に、作るのが面倒な機構だった。そのため、19世紀初頭にブレゲによって発明された後、トゥールビヨンの製造は、技術的な力の結晶を作ることに夢中になっていたか、あるいはトゥールビヨンの性能がどの程度向上したのかを研究することに夢中になっていたか、という場合を除いては、ほとんどの人の関心をひかなかった。作ること自体に非常に手間がかかるため、向上の程度は実際にはトゥールビヨン自体に起因するものであって、ほとんど進化とは言えないものだった。

 そのため、懐中用トゥールビヨンは天文台コンクールでは、しばしば最高の数字を記録したが、腕時計としての理論的な役目を果たしたかというと、不明な点が多い。クォーツショック後の機械式時計ルネッサンス以前には、トゥールビヨンの時計は、主にクロノメーターの実験用(オメガやパテック フィリップなどから)として、ごく少数しか製造されていなかった。しかし、スイスで再び人気が出始めてからのトゥールビヨンは、素晴らしい俳優が芸術性に忠実であるより、高予算で莫大なギャラを得られる大衆向けのつまらない大作映画に出演し続けるかのように見えてきた。

 もちろん、飢えた俳優はすぐ歳をとってしまうし、目を眩ませ、工夫を凝らして楽しませるために作られたトゥールビヨンも悪いことではない。ただ、たまには口直しをしたいと思うこともある。そこでグラスヒュッテ・オリジナルの新しいフライングトゥールビヨンの登場というわけだ。

 新しい「グラスヒュッテ・オリジナル  アルフレッド ヘルヴィグ トゥールビヨン 1920」は、私たちのほとんどが覚えていないようなトゥールビヨンであり、少なくともこの「スリーリング・サーカス(豪華絢爛な)としてのトゥールビヨン」の時代における、トゥールビヨンの個人的体験からは思いもよらないものだ。多軸機構もチェーンフュジーもなく、文字盤に開口部がないために時計を外さずに内部の動きを楽しむこともできない。また、スケルトンではなく、明らかな駆動機構なしで時を刻むミステリー・トゥールビヨンでもなく、他の複雑な機構を伴っているわけでもない。
 実際、「アルフレッド・ヘルヴィグ トゥールビヨン 1920」は、グラスヒュッテ・オリジナルのトゥールビヨンを含む、過去30年間のトゥールビヨンのデザインに反発していると言っても過言ではないほどの、純粋なトゥールビヨン・ウォッチである。 これが「不条理の劇場」とも言うべき2020年の、世界中がやりきれない混沌の中でリリースされたと知らなかったとしたら、このモデルが20世紀半ばに製造されたものだと容易に確信してしまうだろう(少なくとも1950年代にはグラスヒュッテでは誰もトゥールビヨンを製造していなかったという事実を除けば ― 私は誰も作っていなかったと思うが、間違っているかもしれない ― 不満をもった時計職人が、集団製造の時計を浄化するために秘密裏に自宅でいじっていたかもしれない)。そして、この時計に、豪華な娯楽のためのものとしてではない、最先端の精密時計学における真摯な実験機としての意図を感じるはずだ。

 この時計は全体的にクラシカルな雰囲気を醸し出している。単なる40mm x 11.6mm のローズゴールド製のスモールセコンド付き腕時計ではないことを示唆する唯一のヒントは、シルバーメッキのゴールド製文字盤に「トゥールビヨン」の文字が刻まれていることだ。スモールセコンドは窪んだサブダイヤルになっており、針はスティック状、マーカーはゴールドのアプライドだ。だが往年の天文用懐中時計や腕時計のトゥールビヨンと同様に、この時計の本当のポイントはケースの中にある。

 さて、読者の中で特にトゥールビヨンの構造や歴史に詳しくない方は、アルフレッド・ヘルヴィグとは何者なのか、そして1920年の何が特別なのか、という疑問をもつかもしれない。結局のところ、その年は大変な年だったらしい。スペイン風邪の大流行からベルサイユ条約まで、全てが与えられた...まあ、リストは長い。また、その年の2年前にザクセン国王フレデリック・アウグストゥス3世が退位した後、ザクセンはドイツの新しい憲法の下でザクセン自由州となった。もちろん、ザクセンには国際都市ドレスデンとその近くにある小さな村グラスヒュッテがある。グラスヒュッテは、小さな村であったにも関わらず、ドイツ時計学校「グラスヒュッテ」の本拠地であり、その最も輝かしい存在の一つは、1913年から1954年までそこで教え、約800人の見習い時計職人を訓練することになるアルフレッド・ヘルヴィグ、教授兼技術監督であった。

 当然のことながら、ヘルヴィグの主な関心は精密時計学全般と、特に精密時計の微細な調整にあったが、今日では、1920年にフライングトゥールビヨンを発明した人物として最もよく知られている。彼が発明する前に、フライングトゥールビヨンの技術的な定義に合致する時計が少なくとも一つ、ロバート・ベンソン・ノースによって作られていたが、私の知る限り、今日のメカニズムを定義するフライングトゥールビヨンを独自に開発したのはヘルヴィグだ。

アルフレッド・ヘルヴィグ トゥールビヨン1920の手巻きキャリバー54-01のフライングトゥールビヨンキャリッジ。

 アルフレッド・ヘルヴィグ トゥールビヨン1920のムーブメントは、手巻きキャリバー54-01で、サイズは32mm x 6mm、ピラーでプレートを支える構造だ。このムーブメントは2万1600振動/時(現代の多くのトゥールビヨンに共通する速度)で、石数は20、2個のダイヤモンドエンドストーンがテンプのために使用されている。これまでグラスヒュッテ・オリジナルのトゥールビヨンは自動巻きで作られてきたが、ハイグレードな手巻きトゥールビヨンムーブメントの登場は非常に素晴らしい。古臭くて反動的と思われるかもしれない。 しかし、私はいつも、トゥールビヨンは色々な自動巻きシステム使わず、基本構造だけのものが一番楽しいと感じている。その方が純粋で、機械式時計の精神に忠実であると感じている(私にとっては)。

 ご存知のように、トゥールビヨンは一般的に最も壊れやすい機構だ。トゥールビヨンは回転するケージやプラットフォームで構成されており、その中に時計の調整機構であるガンギ車、レバー、ヒゲゼンマイ、テンプが組み込まれている(ここではレバー脱進機を搭載していることを前提としている。トゥールビヨンは、クロノメーターデテントエスケープメントを含む他の脱進機で作ることも可能)。ブレゲの発明は、もともと懐中時計の縦位置で精度が異なるという問題を解決することを目的としていた。時計の垂直面内で回転する調整部品を設定することで(ポケット内に直立して装着した場合)、縦姿勢での均一精度を得ることができる。
 ケージは、最大限の安定性を得るために、一般的に片側がムーブメントプレートで、もう片側がアッパーブリッジで支えられている。ヘルヴィグの発明は、アッパーブリッジを廃止し、理論的には従来の構造よりもフラットなトゥールビヨンを実現しただけでなく、ケージ自体を遮るものがないようにしたのだ。

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 このことが、ヘルヴィグがフライングトゥールビヨンを開発した動機の一部であったかどうかは分からないが、その答えはラインハルト・マイスの大著『Das Tourbillon』の中にあるのではないか。ヘルヴィグが何本のフライングトゥールビヨンを完成させたか分からないが、前回その本を調べたときには、ヘルヴィグとコンラッド・リヒターが1920年に製作した1本しか見つからなかった。ヘルヴィグと彼の同僚であるヴォルデマール・フレックが1931年に製作したフライングトゥールビヨンが、2012年にサザビーズのオークションに出品されてたので、見落としがあったかもしれない。(それは2004年にBarneby'sに登場したのと同じ時計のように見えるが、フレックとヘルウィグが同じ年に2つのトゥールビヨンを製造したかもしれない。可能性は低いが)。
 いずれにしても、フライングトゥールビヨンは、現代の高級時計製造の定番となっており、伝統的な構造よりフラットなムーブメントを実現するために使用されることが多いが、少なくとも1920年から1960年の間には、これらのモデルは非常に希少なものであったようだ。

 トゥールビヨンをコンプリケーションと見なすことができるのかどうかという疑問が生じることがある。一般的に「コンプリケーション」とは、トゥールビヨンやルモントワールのような調整機構ではなく、永久カレンダーや均時差のように、時計に付加的な情報を表示させる機構のことを指す。私はこのことについて非常に教条的であったが(実際の写真が掲載されているフォーラムの投稿に対して「モデム・バーナー」という言葉が投げかけられていた20数年前のことだ)、年を追うごとに頑なではなくなり、より哲学的になってきた (実際、"今年のお気に入りの複雑時計"として、トゥールビヨンの時間表示のみの時計を選ぶことに何の抵抗も感じなかった。数人の読者から怒られはしたが。

 グラスヒュッテ・オリジナルのこの限定モデルは、ほとんど全ての点で1920年の発明をそのまま受け継いだ時計であり、ヘルヴィグもきっと喜んだに違いない。これほど重厚感がある時計は本当に久しぶりと言っていい。この時計を見ると、ここ数十年にわたる委員会主導の設計や、マーケティング主義のデザイン、技術的な意思決定などがすべて消え去り、もっと無垢で純粋だった時代に戻ってきたような気がする。ミニッツリピーターのゴングがまだ馬の尿で焼き入れされていたような時代、真の卓越性をゆっくりと追求することが、ラグジュアリーウォッチと呼ばれる時計の商売に、今より有効だった時代だ。

 ところで、これは高価だ。皆の好きなドル札で12万1800(1387万円)だ。が、その対価に、あなたは誇り高い自信に満ちたものを得ることになり、ほとんど(ほとんどだが)お金の問題を忘れられるほどだ。それは富の象徴ではなく、むしろ、富を象徴するのはその時計の尊厳の下に位置し、あなたにとってもそれは同じだと語ってくる。それは、品よく洗練され控えめなライフスタイルのエッセンスを息づかる。例えば、塗装が必要なボロボロのヴィンテージベントレーが雑草の生え始めた田舎を行くような風景。例えば、数十年来のパートナーが、ウサギがまたきゅうりを盗りに来たとイライラした声で文句を言うこと。または、クリスマスの朝、親戚たちが盛り上がっている間、火のそばに一人で座って、ダメ犬が歩かないと叫んで皆の注意を引くことなどだ。笑えばいい、男は夢を見ることができる。今回、私が唯一落ち込むことは、このとても素敵な、あらゆる種類の無意味で価値がないと思われるはかなさにも迎合するこの時計は、限定版であるということだ。このような時計は、定期的に作られるべきだと私は感じる。この時計メーカーに、そして顧客に、哲学的、技術的、芸術的な重心がどこにあるのかを、手と目と心を研ぎ澄まして常に思い出させるために。それでも、限定版しかないとしても、全くないよりは良しとしよう。

ローズゴールドケース製、40mm x 11.6mm、30m防水、文字盤、ゴールド製摩擦メッキ、シルバーのアワーマーカー、ローズゴールド製スティック針、トゥールビヨンキャリッジにスモールセコンド。ムーブメント、Cal.54-01、手巻きフライングトゥールビヨン、2万1600振動/時、20石(ダイヤモンドエンドストーン2個を含む)、パワーリザーブ100時間。ヘルヴィグ型のトゥールビヨンケージ、オーバーコイルを備えた自由自重式の調整可能なテンプ。世界限定25本、価格は1387万円(税抜)。詳しくはグラスヒュッテ・オリジナル公式サイトをご参照のこと。