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Historical Perspectives フライング・トゥールビヨンを発明したのは誰なのか?

その答えは“誰”や“発明”をどのような意味で使うかによって違ってくる。

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※本記事は2018年1月に執筆された本国版の翻訳です。 

時計製造において、誰が最初かというのは難しい質問なのだが、それには二つの理由がある。まず一つめとして、時計製造とは革命的にではなく漸進的に進化を遂げる傾向が強い分野であり、概して良いアイデアというものは同時に、そして同じ動機によって、大勢の人が思いつくからだ。誰が最初であるかというのは懸命な努力やインスピレーションの問題であるとともに、時として、運の問題にもなるのだ。 

 二つめの理由として、ある特定のアイデアには往々にしていくつかの異なるバージョンがあるからだ。この点で、時計製造における最も興味深い発明のひとつが、トゥールビヨンだ。ブレゲが1801年にトゥールビヨンの特許を最初に取得したことはよく知られているが、その後、このテーマでは非常に多くの興味深いバリエーションが生まれた。トゥールビヨンの基本的な考え方としては、脱進機、テンプ、ゼンマイを回転ケージに入れるか、あるいは回転する土台の上に載せるかすれば、垂直方向がどのポジションに来ようとも、ある単一の平均速度になるという理屈だ。この速度を、時計を平らに置いたときの速度に合わせさえすれば、理論上は完璧な計時が得られることになる。ただ実際には、ジョージ・ダニエルズ博士が著書『Watchmaking(ウォッチメイキング)』の中で指摘するように、トゥールビヨンがその約束する性能を完璧に果たすには、オイルを必要としない脱進機が必要となる(さもなくばオイルの粘度の経年変化により、少なくとも長期的な速度の安定性という面でトゥールビヨンが与えてくれるメリットは、相殺されてしまうことになる)。 

 トゥールビヨンは、時計のある基本的な問題を解決するために設計されたのだが、その問題とは、時計は姿勢が異なると動く速度が変わり易いという事実だ。そして、それを制御する構造体に回転の助けを利用するという思いつきが、トゥールビヨンの基本原理となる。しかしトゥールビヨンにはさまざまな構造が可能であり、さらに言えば、そうしたトゥールビヨンを全く使わずに制御コンポーネントを回転させる方法もさまざまにある。


クラシックなトゥールビヨン

 トゥールビヨンの機能は非常に単純明快だ。この1889年に製作されたジラール・ペルゴのクロノメーター懐中時計のムーブメントが、その原理を示している。主ゼンマイの香箱が右にある。香箱が回転すると、それが中央の歯車のピニオン歯車を動かす。中央の歯車が回転すると、それがキャリッジのピニオン歯車を連動させる。このピニオン歯車はキャリッジの下にあって見えない。

Girard Perregaux observatory tourbillon pocket watch

ジラール・ペルゴのトゥールビヨン付き天文台懐中時計。

 トゥールビヨンのキャリッジの真下に見える歯車は回転しない。実は、これはプレートに固定されている。この固定された歯車の歯は、下の写真のキャリッジの10時位置辺りに見えるガンギ車のピニオン歯車と噛み合う。キャリッジが回転すると、ガンギ車が固定された歯車と噛み合って動き、ロックが外れてテンプに振動が伝わる。

Girard Perregaux observatory tourbillon pocket watch, balance and cage closeup

下に固定された歯車のついたトゥールビヨンケージ。

 トゥールビヨンの脱進機や望む速度によって、さまざまに異なる構造が可能だ。しかし、それら全てに共通するのが、ケージが回転することでケージ内の歯車を駆動させる、固定歯車の存在だ。固定された4番車(通常は1分で1回転し、回転軸上に秒針がつけられる)によって1分に1回転するトゥールビヨンが得られるが、もし望むなら、3番車を固定して使い、4番車とガンギ車をケージの中に取り付けることも可能だ。この配置は、より効率的なトゥールビヨンを望む設計者が好んで使う。回転が遅くなれば、エスケープメントが解除される際に克服すべき慣性が小さくて済むからだ。

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フライング・トゥールビヨン

 今日、通常見られるようなフライング・トゥールビヨンは、1920年にグラスヒュッテ時計製造学校で、アルフレッド・ヘルヴィグ(Alfred Helwig)によって開発された。グラスヒュッテ・オリジナルのセネタ・トゥールビヨン アルフレッド・ヘルヴィグでは、ヘルヴィグが使用した(やや詩的な趣のある)形状のキャリッジを搭載した、クラシックなグラスヒュッテのフライング・トゥールビヨンを紹介している。

Glashütte Original Senator Tourbillon Alfred Helwig

グラスヒュッテ・オリジナルのモダンなフライング・トゥールビヨンウォッチ。

Glashütte Original Senator Tourbillon Alfred Helwig  tourbillon cage

グラスヒュッテ・オリジナルは、1920年にグラスヒュッテの時計製造学校の講師をしていたアルフレッド・ヘルヴィグによって設計されたフライング・トゥールビヨンを使用している。

 標準的トゥールビヨンとフライング・トゥールビヨンの主な違いは、フライング・トゥールビヨンにはケージ上部のブリッジがなく、下側のみで支えているという点だ。しかし、基本の原理は標準的なトゥールビヨンと全く同じで、例として提示したこのモデルには、テンプの下に固定された4番車と、ガンギ車(ケージに取り付けられている)を始めとする制御関連のコンポーネントが見える。ムーブメントが固定した4番車を使うようになって以来、1分の回転周期が得られている。ということはつまり、このケージに針を取り付ければ、そのまま秒針として使えるというわけだ。

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カルーセル:歯車を固定しない回転式脱進機

 既に述べたように、脱進機を回転させる策としては、いくつかのやり方がある。1892年に、仕事人生の大半をイギリスで過ごしたデンマーク人時計師であるフェーネ・ホニクセン(Bahne Bonniksen)が、“カルーセル”と呼ばれるものの特許を取得した。下にある腕時計(最近サザビーズに出品された)は、ホニクセン式カルーセルの非常に典型的な例だ。トゥールビヨンの利点を全て備えながらも、構造がより頑丈で複雑さが軽減されたため、イギリスのメーカーが好んで採用した。 

Karrusel pocket watch by Richard Thornloe, Coventry, UK

2016年にサザビーズオークションに出品された、イギリス、コヴェントリーのリチャード・ソーンロー(Richard Thorneloe)によるカルーセル懐中時計。34分で1回転の、スプリントデテント脱進機付きカルーセル。1902年頃。

 見てわかるとおり、テンプは土台の回転軸からわずかに中心が外れており、縁についた歯を介して動く。土台中央の回転軸に付いている歯車は、輪列の歯車によって動き、土台は、同じ歯車のピニオン歯車によって動く。この懐中時計では、土台上の1番車がガンギ車を動かし、ガンギ車がテンプに決まった間隔で振動を伝える。カルーセルウォッチとトゥールビヨン(いずれの種類であっても)の一番の違いは、カルーセルには、トゥールビヨンのように固定された歯車がないことだ。

 ジョージ・ダニエルズ博士とセシル・クラットン(Cecil Clutton)は、『Watches(腕時計)』の中で次のように書いている。「19世紀末にトゥールビヨンの取り組みが成功を収めたのを見て、それに興味を抱いたホニクセンは、トゥールビヨンを非常に高価なものにしている構造上の余分な精密さを排除した極めて巧妙なやり方で、回転する脱進機を構築する方法を考案した。彼はこのメカニズムをカルーセルと呼び……この仕組みを使った腕時計は、非常に均一な速度で時を刻み、試験でも優れた性能を示した」。同書はまた、カルーセルの通常の周期は52.2分だが、上の写真のような短い周期のバージョンの場合、センターセコンド針の使用も可能であったと指摘している。


イギリスのフライング・トゥールビヨン

 最初のトゥールビヨンはブレゲによって作られたにも関わらず、それはフランスとスイス以外の場所で注目を集め、グラスヒュッテとイギリスが数々の美しいトゥールビヨン懐中時計を作った。イギリス人は回転式脱進機に非常に興味を惹かれたようで、ブレゲのオリジナルデザインに、頑丈さと精度の面で改良を加えることを模索した(そしてカルーセルとなった)。我々は最近ある読者から、フライング・トゥールビヨンは実際には、グラスヒュッテではなく、イギリスで発明されたのだとのご指摘を受けた。ロバート・ベンソン・ノース(Robert Benson North)というイギリス人男性が、1903年に出願した特許番号6737「腕時計を始めとする携帯式時計用の回転式エスケープメントの改良」で、1904年に特許を取得していたのだという。うちの特派員が、ノースの特許トゥールビヨンを搭載したスミス&サンズ製のクロノグラフウォッチについて教えてくれた。

An English pocket watch, with Robert Benson North's patented tourbillon.

ロバート・ベンソン・ノースの特許トゥールビヨンを使用したイギリスの懐中時計。

 サミュエル・スミス(Samuel Smith)は、1851年に宝石商として開業した。ドクター・クロット・オークショニアズが、スミス社の1898年製カルーセルについての記述の中で、同社に関する情報を一部紹介している。「19世紀末から20世紀初頭にかけて、ロンドン有数の高品質な複雑機構の時計を製造していたスミス&サンズは、宝石商であり時計製造職人であったサミュエル・スミス氏が1851年に設立した会社である。個人客向けの幅広い時計に加えて、信頼性の高いクロノメーターを製造していた同社は、海軍本部の納入業者となった。ハーバート・S・A・スミス(Herbert S.A. Smith)の経営の下で、同社は自社研究所をもつ大手製造会社へと発展した。次の世代のアラン・ハーバート・スミス卿(Alan Herbert Smith)は、製品の幅をさらに拡張し、自動車や航空機の計器の製造も始めた。この頃に、イギリスの時計製造全般の衰退期が始まった。それでもイギリスのいくつかの時計メーカーは、未だ自分たちが最高水準にあることを世界に証明するかのように、非常に優れた超複雑機構の時計を製造していた。そうした時計の中には、非常に名の知られたスイスの時計メーカーとの提携で作られたものもあった。チャールズ・フロッドシャム(Charles Frodsham)、エドワード・ジョン・デント(Edward John Dent)、サミュエル・スミスなどが、コヴェントリーのJ・W・プレイヤー(J. W. Player)と共に、こうした提携でよく知られるロンドンの時計師であった」。スミス&サンズはトゥールビヨンも製造しており、その中の一つが 2011年のクリスティーズオークションで出品された。

 メールの中の画像を見た時、私は最初、読者が所有されているこの時計はフライング・トゥールビヨンではなく、カルーセル懐中時計だと思っていた(読者の方から連絡をいただくまで、ノースの特許について私はよく知らなかったのだ)。

右側にトゥールビヨンの土台が見えるムーブメント

 ご覧のとおり、このトゥールビヨンはテンプ、4番車、ガンギ車が全て回転台の上に搭載されており、一見したところ、容易にカルーセルと見誤ってしまう。しかし、ノースの特許がオンライン上で公開されているが(奇跡的なことに)、確かにこれはトゥールビヨンの定義を満たしている。土台は、メインの動力系輪列の一部である小さな歯車によって縁の部分が動力を受け、土台の下には3番車が固定されている。土台上の4番車とガンギ車を駆動する動力は、固定された3番車の歯と土台上の4番車のピニオン歯車とが噛み合うことでもたらされる。これと同じ配列が、ブレゲの4分トゥールビヨンと6分トゥールビヨンで使われているが、ブレゲのケージは従来型のものだ。ノースは特許の中で次のように主張している。「この発明の主な目的は、ポジションが変化することから生じる誤差を緩和もしくは除去することであり……同時に、脱進機を動かす回転式土台の安価で実用的な搭載形態、もしくは搭載方法を実現することである」。また彼は、その設計は「……土台を駆動するための既存の構造と比較して摩擦が少ないため、長年の摩耗から生み出される誤差を軽減することにもなる」と記している。

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ノースのフライング・トゥールビヨンの設計

 トゥールビヨンの基本的な特色は、覚えておられるだろうが、固定された輪列上の歯車が、ケージの中の、あるいは土台上にある、下側の歯車に噛み合い、そしてケージが回転すると、下側にある歯車が固定された歯車の上で回転し、脱進機に動力を伝えるというものだ。フライング・トゥールビヨンの基本的な特色は、トゥールビヨンケージの上部のブリッジがないというもの。スミス&サンズ社製トゥールビヨンでは、土台が取り払われており、固定された3番車がしっかりと見える。

テンプとテンプ受けが取り外されたトゥールビヨンの土台。 

ムーブメントから土台が取り外され、固定された歯車が見える。

 また、トゥールビヨンのケージ、というかどちらかといえば土台に、上部ブリッジがないのが明確に見てとれる。ノースの特許と設計は、いかにもフライング・トゥールビヨンの基本的な基準を満たしている。ということは、歴史書を書き換えるべきなのだろうか?

 まず第一に、間違いなくノースの特許は、フライング・トゥールビヨンの基本的な特徴の全てを備えている。また、歯車装置としての意味ではブレゲの4分や6分のトゥールビヨンと、そして全体的な配列という意味ではホニクセンのカルーセルと、概念的に多くの共通点がある。その一方で、ヘルヴィグのフライング・トゥールビヨンはテンプとケージが、固定された4番車と同軸上で回転するという標準的な1分構造で、ノースの設計とは視覚的な印象がかなり異なる。これはある部分、ヘルヴィグのフライング・トゥールビヨンには独立したテンプ受けがなく、ノースの方にはあるという事実にもよる。ケージではなく土台を使っている点、そして従来型のテンプ受けの存在、その2つが、ノースとヘルヴィグのトゥールビヨンの設計上の大きな違いだ。それらはまた、ノースのトゥールビヨンとカルーセルとを見分けるのが非常に難しい理由でもある。両者は、それを考案するに至ったモチベーションも異なるようだ。ノースは少なくともある部分、より効率の良い、頑丈な、精度の高いメカニズムへの探求が動機付けとなっていたのに対し、ヘルヴィグは、美的効果を探求したようにみえる(ヘルヴィグのフライング・トゥールビヨンは、ケージ上部にブリッジがある従来型トゥールビヨンに比べれば、間違いなく頑丈さでは劣る)。

 フライング・トゥールビヨンは、非常に特殊な品であったようだ。従来型トゥールビヨンよりもさらに組み立てが難しいという事実、そして時を刻む安定性という意味では何も付加されていないという事実が、従来型トゥールビヨンよりもはるかに希少性が高かったのだということを意味する。実際に、ラインハルト・マイス(Reinhard Meis)の著書『ダス・トゥールビヨン (Das Tourbillon. 別名「時計に興味があるあなたにドイツ語が読めたらいいのにと最も思わせる本」;残念なことに翻訳版が出ていない)』は、1920年から1960年に作られたフライング・トゥールビヨンをまさしく1つだけ挙げており、それが、コンラッド・リヒター(Conrad Richter)とアルフレッド・ヘルヴィグが1920年にグラスヒュッテで制作したものだった。その後、懐中時計用がいくつか作られたが、腕時計に使われた初めてのフライング・トゥールビヨンは、外ならぬブランパンのCal.23であるようで、ヴィンセント・カラブレーゼ(Vincent Calabrese)の設計したトゥールビヨンが搭載されていた。

現在生産されているブランパン Ref.6025-3642-55Bは、1989年のCal.23に似ているが、自動巻きが追加され、8日間のパワーリザーブがある。

 全般的にさまざまな点で興味深い。まず、これらさまざまなメーカーは、先行していた作品についてどれだけ精通していたのだろうかと気になる。ノースはブレゲの長い周期のトゥールビヨンを知っていたのかどうか、また、彼はホニクセンのカルーセルに影響を受けたかどうか(ほぼ確実とは言えないまでも、可能性はかなり高いように思われる)、それらは知る由もない。また、グラスヒュッテで働いていたヘルヴィグが、ホニクセンやノースの作品を知っていたのかどうかも、同じく(おそらく)我々には知る由もない。グラスヒュッテはロンドンからかなり離れているが、しかし、そうはいっても、歴史的に時計師たちの間では、アイデアはかなり急速に拡散するものなのだ。

 しかしながら、どのような切り口で見たいのであれ、ノースの設計は、長らく失われていた19世紀末から20世紀初頭のイギリスの、精度の高い時計の世界を垣間見るという興味を掻き立てる。精密さをこよなく愛する人々にとって、イギリスのメーカーがカルーセルやトゥールビヨンに取り付かれていたことや、当時はヨーロッパのどの時計メーカーとも渡り合えるほどの高品質な仕事をしていた事実は、何か非常に心温まるものがある。また、ノスタルジーを好む人々にとっては、これらイギリスのトゥールビヨンやカルーセルウォッチには、失われた産業や芸術性の世界の遺物であるという素晴らしい魅力がある。