Auctions 直前にあった混乱と、ジュネーブ・オークションに関する不完全で極めて主観的な分析

(予想価格100～200万スイスフラン、375～650万スイスフランに修正）

理にかなう理由：マーロン・ブランド（Marlon Brando）のGMTマスターは1本しかない。このロレックスは『地獄の黙示録（原題：Apocalypse Now）』でブランドが着用していたもので、わずか4年前にフィリップスに出品され、195万ドルで落札された。時計への関心は4年前よりもかなり高まっており、過去18カ月間で市場はかなり軟化しているものの、コレクターは希少性には喜んで大金を払う。

理にかなわない理由：クリスティーズのPassion for Timeのオークションにおいて奇妙なことが起こった。まず、ムハンマド・ザマン（Mohammed Zaman）氏のコレクションを対象としたシングルオーナーオークション（こちらでプレビュー済み）の開始が1時間近く遅れた。ようやく開始されると、入札者はすべてのロットの見積もり額が、場合によっては大幅に上方修正されたことを知らされた。さらに、すべてのロットに第三者保証が入ったことも告げられたが、この事実は最初に印刷されたカタログには記載されていなかった。開始直前の会場での洪水のようなアナウンスのなかで、この1点を聞き逃してしまった可能性もある。

　第三者保証は金にまみれた美術品の世界ではある程度一般的だが、時計の世界ではそれほど多くはない。第三者保証とは、保証企業がロットの最低売却価格に同意する金融商品である。そのロットが最低価格以上の入札を得られなかった場合、保証企業はその価格を支払い、そのロットを落札する。このリスクを負うために、クリスティーズは販売条件の項で説明しているように、保証企業に対して手数料を支払っている。また、保証企業は通常、保証されたロットが取り決められた価格より高く売れた場合、取引の一部として利益の一部を受け取る。今回のように全体の売上げを保証することは、それなりの手数料を伴うものと考えてよいだろう。

　このメカニズムは、時計市場の金融化が進んでいることを示すひとつの兆候に過ぎない。過去10年間、美術品の世界で保証の利用が増加したことに対し、批評家たちはしばしば批判を浴びせてきた。濫用や利益相反が起こりやすいだけでなく、価格が人為的につり上げられて市場を歪める可能性があるとの指摘である。保証に対する擁護は簡単だ。保証はマーケットに流動性をもたらし、オークションハウスが顧客によりよいサービスを提供することを可能にする。

　オリジナルのカタログ（参照）では、ブランドのGMTマスターは当初100万～200万スイスフラン（日本円で約1億6700万〜3億3500万円）と見積もられていた。だが、販売直前に、予想価格は375万～650万スイスフラン（日本円で約6億2800万〜10億8800万円）に修正された。これはすべてのロットで起こったことだ。最終的に、ブランドのGMTの落札価格は458万2000スイスフラン（日本円で約7億6500万円）となった。

　ブランドのGMTマスターだけが、見積もり額の下限に近い価格で落札されたわけではない。全ロットのうち約70％が修正された予想価格の下限近くで落札され、その多くが同じ1013番のパドルに渡った（ブランドの時計はこの入札者に渡らず、電話入札者が勝ち取った。ロレックスではなかったとも聞いている）。以下はクリスティーズからの説明である。

 「昨晩の午後6時ごろにアメリカの保証企業から、出品者が第三者保証を検討しないかという打診がありました」と、クリスティーズのヨーロッパにおける時計部門の責任者であるレミ・ギルマン（Remi Guillemin）氏は売却直後に語った。ギルマン氏によれば、クリスティーズはザマン氏に第三者保証のオファーを持ちかけ、11月6日（オークション当日）の午前10時に契約を交わしたという。そのため、オークションはその日の午前に45分遅れで開始された。すべてのロットについて第三者保証が設定されたことで、クリスティーズは最低価格を新たに保証された価格まで引き上げる法的義務を負った。

　ギルマン氏はこの保証企業について、「高級品とオークションの世界に精通していました……、第三者保証は彼らにとってこれが初めてではないでしょう」と述べた。彼は、この企業は昨夜までにこのコレクションを調べ、精査していたが、オークション当日の朝まで何も動きはなかったと語った。

　コレクションの売却を確実にするために、クリスティーズがザマン氏に一定の保証をしたという噂や、財政的な理由から早急にコレクションの買い手を見つけなければならなかったという指摘もある。これに対して、クリスティーズは反論している。

 「私たちがザマン氏に売却額を保証したというのは、まったくのフェイクニュースです」と、ギルマン氏は言う。「私たちはほかのハウスとの競争に参加し、最終的にカタログに掲載された見積もり額を提案し、従来通りの条件で勝利を収めました」。最初のカタログには、クリスティーズまたは第三者企業が販売全体を保証したとの記載はなかった。これは、クリスティーズが開示しなければならない事項である。

　私はコレクターや入札希望者と話をしたが、彼らは一連の出来事と、その経過に関する不明確なコミュニケーションに困惑し、苛立ちを感じていたようだった。コレクターたちはセールの数週間前に印刷されたカタログの見積もりをもとにザマン氏のコレクションを評価していたにもかかわらず、ロットがハンマーにかけられるとその予想は覆された。見積もり額は大幅に上方修正され、多くの入札希望者にとって完全に手の届かないものとなった。

　実際、土壇場での第三者保証は、美術品オークションで確認されている露骨な戦略であり、保証企業は“不透明性と混乱を引き起こす”ためにこの戦術を使っている。あまり一般的ではないものの、オークションの開催中に見積もり額が変更されることもある。

　今回の取引は速やかに成立したようだが、おそらくクリスティーズは、入札希望者に当日の出来事をよりよく伝えるために開始をさらに遅らせたほうがよかったのだろう。まだ疑問は残るが、誰もが口を揃えるのは、クリスティーズのPassion for Timeセールが時計オークションとしては極めて異例だったということだ。

　この混乱は、オークションハウス、特にクリスティーズにとって時計市場の軟調という苦しい局面のなかで起こったことだ。わずか数週間後には、香港にパトリック・ゲトライデ（Patrick Getreide）氏のオーク コレクションが上陸を開始し、また新たに大規模なシングルオーナーコレクションが販売されることになる。

 “パドル1013”のバックにいたと思われる謎の第三者企業については、Passion for Timeの販売中、そして販売後に何が起こったのかをより完全に理解するために、この落札者が落札した多くの時計が再びオークションに出品されるまで待つ必要があるかもしれない。

（予想価格 前者が6000～1万スイスフラン、後者が2万～4万スイスフラン）

理にかなう理由：奇抜でクールなカルティエは、今なお人気が高い。クールなカルティエの元祖である「クラッシュ」の相場が落ち着きを取り戻した一方で、コレクターたちは人気のシェイプシフターから、さらに無名のシェイプを探し求めている。

　まず、カルティエ ロンドン黄金期の「ダイス」が13万8600スイスフラン（日本円で約2330万円）で落札された。同じ時計が2014年にわずか7500ドル（約113万2000円）で売れたことを考えると、悪くない。この「ダイス」ウォッチはこれまで4、5本しか登場していないだろうから、6桁の価格で販売されるのも納得がいく。結局のところ、それはカルティエ ロンドンの「ペブル」と同じくらいの希少価値になり、私たちはそれが今いくらで売られているかを知っている。さらに素晴らしいことに、「ダイス」はジャガー・ルクルトの極小自動巻きムーブメントを内蔵している。なお、カルティエ ロンドンの時計のほとんどが手巻き式である。

　一方、カルティエ　「クッサン バンブー」はアンティコルムで5万スイスフラン（日本円で840万円）で落札され、こちらも見積額を大きく上回った。

 「生産数はわかりませんが、（クッサンは）クラッシュよりも希少であることは確かです」とディーラーでTikTokerのマイク・ヌーヴォー（Mike Nouveau）氏は言う。彼は、カルティエがイエローゴールドで生産したのは数百本程度かもしれないと付け加えた。9月、彼は自身のコレクション用に1万2750ドル（日本円で約195万円）で購入したことを記録している。

　その前にもシカゴのオークションハウス、ヒンドマンにて3万4000ドル（日本円で515万円）で落札された例があり、より大きなハウスがクッサンを5万ドル以上で取引することはまったく予想外のことではない（アンティコルムの見積もりは常に低めであった）。さらに、私はアンティコルムで「バンブー」を購入したディーラーを知っているが、彼は情熱を持って買いつける一方で、入札に関しては非常に合理的で慎重だ。

理にかなわない理由：これらのカルティエはどちらも「タンク」や「クラッシュ」、あるいは「ベニュワール」のように一般にアピールするには少し無名すぎるような気がする。

 「タンクにあれほど大胆なバリエーションがあるなんて、想像もしませんでした」とヌーヴォー氏は「バンブー」について語った。「これはかなり異例なものですね」。「バンブー」はカルティエの歴史的、象徴的なデザインではないし、「クラッシュ」や「タンク」、あるいは「ベニュワール」のような人気を博すにはあまりにも知名度が低すぎる。

　その一方で、「ダイス」の実例はほんの数本しかなく、カルティエ ロンドンは「クラッシュ」のおかげもあって依然として熱い注目を浴びているが、これは実際にはシェイプドウォッチですらない。クールなダイヤルの四角い時計で、かなり小さい。それでも、2年以上前に投稿されたものを初めて見て以来、私はこの時計に魅了されている。

　とはいえ、オークションで大きな結果を出すにはふたりの入札者が必要なだけで、広くアピールする必要はない。フィリップスでは、カルティエのシンプルなサイン入りカラトラバが30万ドル（日本円で約4520万円）近くで落札された。確かに、リッチ氏はこの時計が見積もり額を「大きく上回るだろう」と書いていたが、誰もこの結果は予想していなかった。

（予想価格1万～2万スイスフラン）

理にかなう理由：つい数週間前、私は90年代のブレゲの魅力について書いた。時計職人のダニエル・ロート（Daniel Roth）がまだこのブランドに携わっており、アブラアン-ルイ・ブレゲ（Abraham-Louis Breguet）にインスパイアされた美しく複雑で伝統的な時計を製造していたころだ。ブレゲの初期のトゥールビヨン、パーペチュアルカレンダー、クロノグラフは、引き続き高い関心を集めており、価格もここ1年ほどで大幅に上昇している。

　このRef.3237は1995年に製造されたもので、コレクターが今でもこのブランドの時計を“ロート期”として熱望するほど初期のものである（スウォッチがブレゲを買収したのちに作られたものよりも、はるかに素晴らしい）。このモデルは90年代のブレゲの多くとは異なり、アウタートラックにラピスラズリが使用され、ダイヤルに非常に美しい効果をもたらしている。これはこの時計を極めてユニークなものにしており、伝統的なギヨシェ装飾が施されたほかのブレゲの時計とは一線を画すものだ。

　複雑でユニークで、ロート時代のものであり、そして美しい。このブレゲが（いつだって控えめな）見積もり額を大きく上回ったことについて、なんら不思議はない。

理にかなわない理由：まあわかる。ブレゲが熱いのは当然だ。ロートとアブラアン-ルイ・ブレゲという史上最も重要なふたりの時計師とつながりがあるのだから。しかし、90年代のレマニア製クロノグラフに15万ドルも払うのか？　数週間前にわずか2万ドル（日本円で約305万円）で落札されたラピスダイヤルのない個体があるだけに、なおさら納得がいかない。90年代のQPはクリスティーズで落札に至っておらず、このようなドレスウォッチに対する購買意欲は無限ではないことが明らかになりつつある。今回の落札は、カルティエやルイ・ヴィトンの時計が過去に大流行したように、ネオヴィンテージブレゲが“次の大流行”になることを強く望んでいる少数のコレクターたちの表れであるように感じられる。このようなユニークな時計で大きな結果を出せば、ニュースとして取り上げられ“ブレゲが熱い”というストーリーが構築されるに違いない。

　それに、ダイヤル全体がラピスラズリというわけでもない！

（予想価格200万～400万スイスフラン）

理にかなわない理由：ピンク・オン・ピンクのパテック　Ref.1518 永久カレンダーはコレクターの夢である。この時計は、これまでに製造されたなかで最も複雑で重要な腕時計のひとつだ。パテックはRef.1518を281本しか製造しておらず、そのうち“ピンク・オン・ピンク”は14本しか知られていない。

　この時計にも楽しい歴史がある。1944年、自動車産業のパイオニアであるクラリン・ムスタッド（Clarin Mustad）氏に贈られた。当時、O.ムスタッド＆サンはノルウェー最大の製造会社のひとつだった。これだけでは不十分だというなら、この個体にはパテックのサインが入った一体型のゴールドブレスレットまで付いている。そんなピンク・オン・ピンクのRef.1518がオークションで不落札となるのを見るのは、ちょっとショッキングな感じがする。

理にかなう理由：確かにRef.1518は美しく重要なものだが、もしあなたが欲しいと思っても、この時計は少し違う。サザビーズのコンディションレポートが説明するように、この1本には（正直に言えば、ほとんどのRef.1518がそうであるように）いくつか手が加えられている。これは一体型ブレスレット付きだったが、ある時点で、ラグと革ストラップを追加できるように切り落とされている。そして2004年にパテックはこの時計を修復し、再びブレスレットを追加した。ジェイ・ZのRef.2499についての記事を読んだことがある人は、その時計のストーリーと似ていると思うだろう。ダイヤルも修復され、カレンダーの窓は丸みを帯び、（もともとそうであったような）シャープな形状ではなくなっている。それでも、このような扱いを受けた時計がJay-Zにとって十分にクールだったのなら、誰かにとっても十分にクールなのかもしれない。

　ジュネーブ・オークションの模様は今週後半にお届けする。