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キッチンの引き出しで発見された、英国海軍北グリーンランド遠征探検に挑んだ歴史的チューダー オイスター プリンス

バーゼルワールド2015で、チューダーはノースフラッグという奇妙な名前のまったく新しい時計を発表した。この時計の原点は、“ノースアイス”と呼ばれるキャンプ地を拠点に、1952年から54年にかけて行われた英国海軍北グリーンランド遠征探検(BNGE)に挑んだ25人の隊員に支給されたある時計にまでさかのぼる。その時計のほとんどは歴史のなかで失われてしまったが、そのうちの1本は現存しており、イギリスのとある家のキッチンの引き出しから発見されたのだ。

※本稿は2016年10月に執筆された本国版の翻訳です。

 2015年のバーゼルワールドで、チューダーが発表したノースフラッグ。その姿は1970年代前半に製造されていたレンジャーIIにどこか似ている。しかしその名前はそれよりも前の時代の、探検や極地遠征を連想させる。チューダーはノースフラッグの関連広告におけるキャンペーンの一環として、氷に覆われた世界を旅する探検家の映像を制作した。その映像には、現代における最新の登山用道具(アイゼン、ピッケル、グレイシャーグラスなど)を身につけた探検家が、クレバス(氷河の割れ目)に懸垂下降する様子が描かれている。映像の最後、雪原に出た彼らは、何年も前に墜落したとされる4機の飛行機を発見する。

 感情に訴えかけるような迫力のあるこのプロモーションムービーは、ある実話から着想を得ている。それは1952年から54年にかけて行われた“英国海軍北グリーンランド遠征探検(BNGE)”である。BNGEでは“ノースアイス”と呼ばれるキャンプ地を拠点に、25人の隊員に新しいチューダー オイスター プリンスの時計が支給された。だがその時計のほとんどは、歴史のなかで失われてしまった。しかしそのうちのひとつが現存しており、それがイギリスのとある家のキッチンの引き出しから発見されたのだ。これはデスモンド・ホマード少佐のチューダー オイスター プリンスが辿った数奇な運命の物語である。

desmond homard tudor oyster prince british north greenland expedition

英国海軍北グリーンランド遠征探検から帰還したデスモンド・ホマード少佐のチューダー オイスター プリンス。

 1952年、英国の軍人と民間科学者たちで構成されたBNGE隊は、グリーンランドの海岸に降ろされ、そこから北緯77度の未踏の地、ドローニング・ルイーズ・ランド(Dronning Louise Land)にあるノースアイスキャンプを目指し、犬ぞりで内陸へ向かった。“ウィーゼル”と呼ばれる大型トラックをはじめとする探検隊の装備の大半は、英国空軍4機の貨物機によって内陸部に空中投下された。しかし、わずか50フィート(15m強)の低空からある貨物を投下する際、ホワイトアウトに巻き込まれ、強制的に胴体着陸を行わなければならなかった。その後3人の負傷者を含む乗員は、救助が行われるまでの2日間、大破した機体のなかに閉じ込められてしまう。

tudor north flag

BNGEからイメージを得た、チューダー ノース フラッグ。

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 BNGEは2年間続いた。地質学や気象学、気候学、生理学的な研究を行うことを目的として、北極圏の長い冬を2回越して実施したのだ。この間、グリーンランドの氷床の厚さが2700mであることがわかり、観測史上最低の気温(華氏-87°F、摂氏-66℃)を記録し、また体に必要な1日の睡眠時間が平均8時間であるという結論に至った。さらに、未踏峰のバルト山脈の登山開拓も積極的に行い、見事登頂も果たしている。この遠征で収集した情報は、寒冷地用の防寒軍服や、遠征服の開発に貢献した。そして腕時計も。

British North Greenland Expedition

BNGEは、軍と民間の共用ミッションだった。

 チューダー オイスター プリンスが発表されたのは、BNGEが始まったのと同じ1952年。ロレックスとチューダーのトップであるハンス・ウィルスドルフは、頑丈さを追求した新しい時計のテストに情熱を注いでいたが、同時にプロモーションによる影響力の高さも理解していた。なにしろ、1926年にロレックスの新しいオイスターケースを水泳選手のメルセデス・グライツ(Mercedes Gleitze)にわたして首にかけて、イギリスのドーバー海峡に送り出したのも彼だったからだ。チューダーはBNGEのメンバーひとりひとりに新しいオイスター プリンスを供給し、その際時計の性能について、経験談や興味深い実体験を交えたフィードバックを求めるよう依頼した。彼らはBBCが毎日放送する時報と、自身がつけている時計の精度を照らし合わせて、日々日誌をつけた。これらの日誌は、探検のあとにチューダーに渡されている。また遠征中の数年の間、チューダーは“チューダー オイスター プリンスがグリーンランドに持ち込まれる”と題した広告で、過酷な環境下での耐久性をアピールし、広告においても効果的にも活用したのである。

Tudor oyster prince greenland

オイスター プリンスによるテストは、それぞれの着用者が、タイミングを図り記録して行うことになっていたそうだ。

 オイスター プリンス Ref.7909は、日付のないシンプルで小振りな時計で、ドルフィン針、12時位置にチューダー・ローズ(小バラ)、そしてアプライドインデックスを配したホワイトダイヤルを備えていた。当時のロレックスの多くがそうであったように、この34mmのステンレススティール製オイスターケースには、華美な装飾がほとんど施されておらず、穴のあいた力強く太いラグやねじ込み式リューズを備えるなど、実用に富んだ作りとなっていた。なかにはファブリーク・エボーシュ・ドゥ・フルーリエ(FEF)のエボーシュムーブメントをチューダーがモディファイした、FEFの自動巻きCal.390を搭載した。BNGEの隊員たちは、この時計を寒冷地で着る防寒服の袖の上からつけるために、特別に長いレザーストラップを通して使用していたという。さらに、遠征による日々の仕事の時間を計るために使われていただけでなく、ウィーゼルのドライバーの航海術などでも活躍した。なぜなら、彼らの居場所が北極に近く、その影響で従来のコンパスによるナビゲーションができなかったため、時計の時刻と“太陽コンパス”の影を照らし合わせていたからだ。

weasel British North Greenland Expedition

英国空軍の輸送機とウィーゼル車。

 探検隊のひとり、英国工兵隊のJ.D.ウォーカー(J.D. Walker)大尉はイギリスに帰国した際、チューダーに手紙を宛てている。

拝啓

 英国海軍北グリーンランド遠征探検での13カ月の任務を終え、最近イギリスに帰国した私は、遠征中ずっと腕に巻いていたロレックス チューダー オイスター プリンスに、心から賞賛の意を表したい。

 私の仕事には、重い荷物の運搬、小屋の建設から運転まで、さまざまな業務があった。

 氷の上での“ウィーゼル操作”と犬ぞり。気温は華氏70°Fから-50°Fまで変化し、さらに雪解けの季節にはやむなく時計とともに水に浸かることも何度もあった。

 このような試練にもかかわらず、イギリスから時折放送される時報により、私のロレックス チューダー プリンスの時計は極めて高い精度を保っていることを証明していた。手巻きをする必要は1度もなかった。基地から離れた氷帽の上に数週間いたとき、常に正確さを保証できる時計を腕にしていることは、何ものにも代えがたい価値がある。

oyster prince tudor British North Greenland Expedition

オイスター プリンス ウォッチの精度を検証するべく、BBCからの放送信号が使われた。

 オイスター プリンスが支給されたもうひとりの探検隊員、デスモンド・“ロイ”・ホマード二等軍曹(当時)は、機械工の訓練を受けていた整備士だった。彼は戦後連合国占領下のオーストリアで、シュタイア・ダイムラー・プフ(Steyr Daimler Puch)工場に勤務し、追跡車両の整備、修理を経験していた。ホマードの専門知識は、探検隊の重要な役割を果たす追跡型ウィーゼルの仕事にぴったりだったため、BNGEの隊員募集の広告に応募したのだ。ホマードは3年間ともに過ごした妻のイニド(Enid)をイギリスに残し、1953年の2年目からBNGEに合流した。

 ホマードは整備士の仕事として、グリーンランドの氷帽という厳しい環境下でウィーゼルを動かし続けるという責任を負っていた。「強烈な寒さのなか手袋を外して修理しなければならなかったため、車両作業は本当に苦労しました」とホマードは語っている。「クレバスがあるので移動だけでもとても大変でした。ですが私の仕事は台車、ボギーホイール、ドライブホイール、バネ、エンジン、ギアボックスなどを交換する車両整備です。これをずっと外で行うのは非常に大変な仕事でした」

 ホマードがイギリスに帰国するころには、彼は寒いところが好きになっていたのだろう。すぐに野心的な取り組みにトライしたのだ。それが1956年の、有名な極地探検家ビビアン・フックス(Vivian Fuchs)博士が率いる南極大陸横断隊である。この南極滞在中にホマードは、スコット(Scott)船長率いる不運な(帰途遭難)探検隊のローレンス・“タイタス”・オーツ(Lawrence "Titus" Oates)に次いで、南極点に到達したふたり目の英国人現役軍人となった。この功績が認められて、ホマードは帰国後にグリーンランドでの活動でポーラーメダル(極地メダル)を、南極探検の活動でイギリス女王からクラスプが贈られた。それはいいとして、ホマードのチューダーウォッチはどうなったのだろうか?

British North Greenland Expedition

グリーンランドの氷帽を越えて移動することは危険であり、技術的にも困難だった。

 1956年の南極大陸横断隊に出発するときのこと、ホマードが残したオイスター プリンスを、イニドがすぐに自分の腕につけると言い出したという。しかし彼が帰国するころには、彼女はもうその時計を身につけておらず、ホマードもそのことをすっかり忘れていた。それから月日が経ち、妻のイニドは亡くなってしまうが、その直前に彼女は時計のことを話していた。

 「彼女は“あなたが持っていたチューダーの時計を知っているか...”と、なぜか急に思いついたように言ったのです」とホマードは言う。「私はイギリスノースグリーンランド遠征探検のために、チューダーがプレゼントしてくれた自動巻きの時計だと伝えました。でもその場で私たちは話題を変えて、彼女はそのことに触れることはなかったんです。なぜ彼女がその話を持ち出したのかわかりませんでした。私は彼女が時計をなくしたか、手放したのだろうと思ったのです」

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その時計は数十年後に、キッチンの引き出しの奥底から発見された。

 後日、ホマードはチューダーのことを思い出し、あちこち探し回った。机の引き出しのなかからオリジナルの箱は見つかったのだが、時計はそのなかにはなかった。その場ではあきらめてしまったのだが、しばらくして、2014年に再び家をひっくり返すかのようにいちから探してみると、キッチンの引き出しの奥から、ほかのがらくたに混じったそれを見つけだした。時計はホマードの腕で過酷な任務を遂行した、当時の傷跡を残したままだった。彼はこの時計をチューダーに引き渡し、現在は歴史的なコレクションとしてチューダーが大切に保管している。チューダーはこの時計から、冒険をイメージしてデザインした頑丈な時計、ノースフラッグのインスピレーションを得たのだ。

 デスモンド・"ロイ"・ホマード少佐は、2015年5月に亡くなった。ノースフラッグがデビューしたバーゼルワールド2015から、わずか2カ月後のことであった。

 チューダー オイスター プリンスの写真はジャック・フォースター(Jack Forster)氏によるものです。そのほかの歴史的な画像はチューダーウォッチの提供です。