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ロイヤル オーク オフショアは、いかにしてオーデマ ピゲをポップカルチャーに押し上げたのか(動画あり)

今年、ロイヤル オーク オフショアは30歳を迎えた。AP Talksシリーズの一環として、CEOのフランソワ-アンリ・ベナミアスとヘリテージ担当のラファエル・バレストラへのビデオインタビューで、オフショアがポップカルチャーに浸透し、時計業界の流れを変えるにいたるまでの過程を振り返った。

オーデマ ピゲのロイヤル オーク オフショアは、1993年のバーゼルワールドで初披露されたモデルだ。42mm径のSS製クロノグラフで、ガスケット(パッキン)やリューズ、プッシャーのラバーがむき出しになっており、当時は物議を醸したものだ。ジェラルド・ジェンタによる声高な非難はクラシックを愛する人々の共感を呼び、それは今日まで続いている。

 しかしこの時計は大胆で過激、そして(当時としては)いやらしいほどに新しいデザインの価値を見抜いた人々からも支持された。この時計が“ビースト”と呼ばれるようになったのには理由がある。そしてこの時計が逆張りをしたがるコレクターや好奇心から集まってきたマニアに愛され続けているのにも同様に、理由があるのだ。

 オリジナルのRef.25721STに対する評価は、初代ロイヤル オークに向けられたものと多くの点で類似していた。それは、驚くほど斬新なデザイン言語に対する非常に複雑な反応であった。

 1993年、オーデマ ピゲはこの先鋭的な製品で市場の反応を伺うことにした。最初の100本にはケースバックに“Royal Oak”と刻印されており、オフショアという名前は影も形もなかった。もしこの試みが失敗していたら、オフショアはこの世から消えていたかもしれない。

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 今でこそクラシックとされるスタイルで時代を切り開いてきた1972年登場のロイヤル オークとは異なり、オフショアのデザインは90年代に生まれたときから大きく変わっていない。しかし、トレンドは周期的なものであることを忘れてはならない。時計とは文化を表現するものであり、その時々の時代背景やファッションとほぼ一致しているのが常だ。スタイルのトレンドは30年周期で変化すると言われるが、これは消費者が成長し、創造する側になるのに十分な時間だろう。

The beast

 時計文化の内側に身を置くと、そのサイクルは、例えばファッションや音楽と比べるとほんの少し時間がかかることを理解できる。ロイヤル オークはその典型的な例だ。2002年ごろは、ちょっと古めかしい感じがしていた。しかし、誕生から50年経った今では、私たちはこの時計をひとつの象徴的な存在として受け止めている。

 ロイヤル オーク オフショアは、ポップカルチャーに再び受け入れられる機会を辛抱強く待ち続けている状況だ。そのため、今はコレクターにとって高騰前に購入できる絶好のタイミングともいえる。

 私はこの時計が持つ90年代的な雰囲気が大好きだ。ラバーのアクセントとコミカルなほど大きなケースは、エクストリームスポーツの隆盛に呼応したかのようだ(オフショアの誕生からわずか2年後に、X-Gamesの大会が始まっている)。若者文化の全盛期である1990年代はスケートカルチャーや巨大なバギージーンズが生まれ、私たちの象徴も超巨大化していった時代であった。それこそ、グランジ愛好家が着る巨大なフランネルシャツから、パンクの信奉者たちが耳を拡張する巨大なプラグイヤリング、バックパッカーや、かつてないほど大きな荊棘線のタトゥーにいたるまでだ。

 ただ、オフショアは美観ばかりではなく、素材における革新も担っていた。また、それと同時に時計の世界では比較的新しい文化的な価値も持ち合わせていたのだ。

 実はこの物語は、アーノルド・シュワルツェネッガーから始まる。1999年公開の映画『エンド・オブ・デイズ(原題:End of Days)』限定オフショアは、オーデマ ピゲを初めて映画の世界に引き込んだ。そのとき銀幕に登場した、当時最も有名な俳優の腕にこの時計があったのだ。

End of Days

 そしてモハメド・アリだ。このボクサーは2000年に、シュワルツェネッガーとタイム・トゥ・ギブ(Time To Give)というオークションを共同開催した。これはクリスティーズの協力を受けたもので、シャロン・ストーン、ウーピー・ゴールドバーグ、ビリー・クリスタル、マライア・キャリーなど、90年代を代表するゲストが参加。ゲストにはオーデマ ピゲの腕時計が用意され、彼らのサインが施されたそれらの腕時計はモハメド・アリ・インナーシティゲーム財団の支援のためにオークションにかけられた。

オーデマ ピゲによる2000年のタイム・トゥ。ギブでの一幕。Image: Courtesy of Getty. 

 その5年後、ジェイ・Zが自身の限定オフショア(米国市場限定100本)を発表。これはオフショア史上最も重要な作品となった。「オーデマ ピゲの世界だけでも時計製造の世界だけでもなく、ラグジュアリーの世界においても、この時計以前と以降がありました」とベナミアスは語る。

Jay Z

 その扉は、より若く、より幅広いオーディエンスに向けて開かれていた。

 ロイヤル オーク オフショアは、ハリウッド、ヒップホップ、スポーツを横断するコラボレーションの温床となった。「オーデマ ピゲの歴史のなかでは、時計の開発におけるクリエイティビティは必ずしも内部から生まれるとは限りません。外部からもたらされることもありました」と、ベナミアスは説明する。「こうすることで、人々がサクセスストーリーに参加することができるようになるのです」

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ロイヤル オーク オフショアの詳細については、オーデマ ピゲのウェブサイトをご覧ください。