trophy slideshow-left slideshow-right chevron-right chevron-light chevron-light play play-outline external-arrow pointer hodinkee-shop hodinkee-shop share-arrow share show-more-arrow watch101-hotspot instagram nav dropdown-arrow full-article-view read-more-arrow close close email facebook h image-centric-view newletter-icon pinterest search-light search thumbnail-view twitter view-image checkmark triangle-down chevron-right-circle chevron-right-circle-white lock shop live events conversation watch plus plus-circle camera comments download x heart comment default-watch-avatar overflow check-circle right-white right-black comment-bubble instagram speech-bubble shopping-bag

In-Depth グランドセイコー SBGH255とともに飽和潜水に挑み、水中で一夜を過ごした週末

日本の美しくすばらしいダイバーズウォッチに、その実力はあるか?

ADVERTISEMENT

 これは時計のレビューだ。たまたまひと晩、海面下3ファゾムズ(約5.5m)の海中に滞在することになったのだ。

La Chalupa on the surface

右の船は1972年当時のラ・チャルーパ。船底の設置する場所まで船の後ろに曳航(えいこう)するように設計されている。

先日、ジュール海底ロッジに宿泊したが、これはプエルトリコ国際海底研究所計画(Puerto Rico International Undersea Laboratory program, PRINUL)の一部であった水中居住施設、ラ・チャルーパ(La Chalupa)の現在の姿だ。1972年に始まったPRINULは潜水技術者が深海で生活し、海洋生態学、潜水生理学、海洋工学を研究するマン・イン・ザ・シー(Man in the Sea)研究プログラム黄金時代の真っただ中にあった。PRINULがスタートした年、プエルトリコ沖の水深20mに沈んだラ・チャルーパという居住施設において、一度に4人の潜水技術者が滞在した。このプログラムの目的は次のような問いに答えることだった。すなわち「人間は海中で生活し、働くことができるか?」というものだ。

 PRINULプログラムは資金不足に陥り、1970年代後半には終了を余儀なくされたが、この水中居住施設の生みの親であるイアン・コブリック(Ian Koblick)氏は80年代に現在の海中ホテルとなる、ジュール海底ロッジとして船のセカンドライフを見つけたのだった。 

archival photo of aquanaut

潜水技術者も食べないといけない! PRINUL時代の水中居住施設はこんな感じだった。

 この居住施設は艀(はしけ)のような形をしているため、バラストタンクをすべて汲み上げると海面に浮かぶ船の後ろに曳航することができる。プエルトリコからキーラーゴ島まで運ばれ、現在はマングローブラグーンの水深30ft(約9.1m)のところに沈んでおり、この施設ではカーペットやテレビなど、快適に過ごせる基本的な設備が整っている。

sketch of habitat

書籍『海での生活と仕事(原題:Living and Working in the Sea)』より、ラ・チャルーパの技術スケッチ。

 アマチュアの潜水技術者でも志望者は潜水してこの居住施設に一泊することができる。エントリーハッチでは20.5FSW(※)を示しているが、潮の干満により±1FWSの変動がある。この居住施設は20.5ft(約6.2m)で加圧されているため、この水深がダイビングのあいだ生理的に体が認識する水深となる。水から上がってスキューバギアを脱いだ後もずっと水深計が21ftと表示していたため、私は何度も再確認した。水に浸かっていないのに正確に読み取れるのは驚きだったが、読み取るのは居住施設内の圧縮空気なのだ。70年代に水深60ft(約18.2m)で11回の科学的ミッションを行い、水深30ft(約9.1m)でホテルとして改装されたあとも数千回のダイビングを行っているが、ジュール海底ロッジを運営する人々(コブリックは氏今も深く関わっている)は、そのすべてを科学的に解明しているのである。

※FSW:Feet of Sea Water/フィート海水の略称。水中ダイビングで使用される圧力単位で、1FSWは0.30643MSW(メートル海水)、0.030643bar(気圧)

watch and depth gauge

水深計は上部(時計の右上)にある。水面から出ているのに21ftと表示されているのがわかるだろうか? これは完全に理にかなっているのだが、最初は読んでいて変な感じがした。

 ここで日本の美しくすばらしいダイバーズウォッチ、グランドセイコー SBGH255の登場だ。この600m防水のプロフェッショナルモデルは飽和潜水を念頭に置いて設計されている。居住施設内で18時間過ごしたのち、私の体は窒素で飽和状態となり(体は深さで平衡状態になるためにガスを放出する)、SBGH255を腕に装着して初めての飽和潜水を体験することが許されるのだ。

SBGH255入門編

SBGH255はセイコーグループのあらゆる組織によって製造された最高のダイバーズウォッチで、グループ全体を通して最高水準の技術と仕上げを施した時計づくりを担うグランドセイコーから生み出された時計だ。時計全体はシグネチャーでもあるザラツ研磨が施されたグランドセイコーの高強度チタンで構成されており、内部には毎秒10振動、日差+5〜−3秒の精度を備えたプレミアムキャリバーであるハイビートの9S85を搭載している。

dive equipment and watch

 東京のグランドセイコー商品企画チームによれば、SBGH255はグランドセイコーのなかでもほかのダイバーズとは一線を画すダイヤルを採用していると言う。メールでのインタビューでは「通常、グランドセイコーでは高い耐磁性を実現するためにダイヤルの下に純鉄を敷き詰めた2層構造になっています。SBGH255ではこの2層構造を避け、薄さを確保することに成功しました。SBGH255は特別設計の純鉄ダイヤルにより、1万6000 A/mの耐磁性を実現しています」と答える。

 SBGH255は2017年に初めて発売されたが、時計のその特殊性の高さから、近年のグランドセイコーの隆盛に関する話題の最前線に上ることはなかった。ダイバーズといえばグランドセイコーではなく“セイコー本家”のイメージが強いが、セイコー(とグランドセイコー)の愛好家としてはグランドセイコーのダイバーズがもたらす無限の可能性という結果を評価しないわけにはいかない。もちろんデザインの文法に従う必要があるが、SBGH255はスタンダードなセイコーダイバーを11倍にし、セイコーグループが提供する最高のものを詰め込むとどうなるか、というモデルなのだ。110万円(当時の税込価格。現在は生産終了)という価格では次なるタートルにはならないが、そうなることを意図したものではない。

deconstructed case

これらすべての要素がSBGH255のケースを構成しているのだ!

 SBGH255は幅46.99mm、厚さ17mmのケースを持つ日本が生んだ最強のダイバーズウォッチだと私は思っている。本当に大きい。しかしこのモデルはチタンのザラツ研磨(加工が難しいことで有名)だけでなく、ハイビートのCal.9S85や複雑なケース構造などのあらゆるスペックを限界まで高め、グランドセイコーの技術力を示すために設計された“ハローウォッチ(アイコン)”であると理解することが重要だ。オメガのプロプロフ、ロレックスのディープシー、セイコーのツナ缶もそうだが、この時計は日常的に使える時計ではないだろう。

 生産終了となったSKX007であれ、最新のSRPD25 “モンスター”であれ、普通のセイコーダイバーとはその完成度に大きな隔たりがある。SBGH255に関しては比較対象が少ないが、私はプロプロフ、あるいはシードゥエラー(どちらも防水性は約2倍ですが)と同じグループとして扱いたいと思う。これらは各メーカーのダイバーズウォッチに最も焦点を絞った表現であり、特に深海環境での着用と機能性を追求している。

Lighting isn't the best in the habitat, my apologies.
This isn't a monobloc case!

 深海のような環境ではないが、私はSBG255をせめて設計された環境にできるだけ近づけることを決意したのだ。

ADVERTISEMENT
下降

フロリダには、北はオカラの西にあるシーダーキーから南はキーウェストまで約46万9000エーカー(約1900km2)のマングローブ湿地帯がある。ジュール海底ロッジはフロリダキーズのなかで最も長いキーラーゴ島の海岸にある小さなマングローブラグーンに位置している。

 マングローブの湿地は主に耐塩性の常緑樹で構成されており、このラグーンの場合はキーラーゴ島の沿岸の潮際に並ぶ“赤い”マングローブの木がほとんどだ。マングローブの木はルイボスティーとイングリッシュブレックファーストティーの中間のような色合いで水を染める。つまり言い換えれば、フロリダキーズで通常連想されるのは絵に描いたようなアクアマリン色の水ではない。茶色く濁っているのだ。しかも深く潜れば潜るほど茶色く濁っていく。水底にある居住施設へのエントリーハッチ付近は高濃度の有機浮遊物が多い冷たい水の層があり、視界が極端に悪くなるとの警告を受けた。

上の動画ではラチェット式エクステンションクラスプのデモを行っている。これは3.5mmのウェットスーツだが、簡単に収納でき、さらにその上にグローブを装着している。その動作はスムーズだが、通常の開閉操作では意図せずダイバーズエクステンションが伸びてしまうことがある。

 エントリーテクニックの説明を受けたあと、腕時計を含むギアを身に着けて居住施設まで移動する。私のダイビングパートナー(そして彼女でもある)は、これが初めてのオープンウォーターダイブとなる。ダニエル・ブレジオ(Daniel Blezio)氏はジュールズ海中ロッジの従業員で、宿泊客が居住施設に滞在しているあいだ、夜通しモニタリングステーションを担当するエキスパートであり、彼の指導のおかげで無事に潜ることができた。彼はジュールズ海中ロッジがあるラグーンのドック近くの司令ステーションから酸素レベル、電気システム、居住施設内の圧力などを監視している。

ベゼルを分針に合わせ、BCD(浮力調整装置)を楽にダイビングショットライン(※)を離せるようになる中性浮力になるまで空にした。潜降中に大量の空気を使うつもりも時間を記録するつもりもなかったのだが、私はどんなに短い時間でも潜水したすべてのデータを正確に記録しておきたいのだ。今回は浅くて短いダイビングだったため、コンピュータは家に置いてきた。SBGH255はダイビングの長さを記録するための唯一の機器だったのだ。アナログの水深計と合わせて、これだけあれば十分だった。

※ウェイトとブイを接続し、ダイバーが水面とダイビングサイトのあいだをより安全かつ簡単に移動するための視覚的および触覚的な基準、また水中の段階的な減圧停止の制御された位置として使用するラインのこと。

上の動画はダイビングショットラインによる下降と居住施設までの侵入プロセスを示したものだ。

 ダイビングショットラインに沿って下降していくと、案の定、厚い浮遊物の層が底を覆っていた。雲は居住施設の底部4分の1を取り囲み、それはまるで霧の日に都市から登るときに雲を突き抜ける超高層ビルのように見えた。この構造物がフジツボで覆われていたことを除いては。そして、この雲は泥の色合いをしていた。

 居住施設が完全に見えてきたときには、すでに到着していた。視界が悪いため目視だけでは潜降できない。ダイビングショットラインは濁りのなかに入ってから、ダイバーをエントランスハッチに誘導するために必要不可欠なものだ。

 ムーンプール(※)のなかで浮上し、経過時間をメモしておいた。14:38にイン、14:45にアウトだ。短い時間だったが爽快感があり、すべてがスムーズに進んだことがうれしかった。技術的には居住施設内の空気は加圧されているため、居住施設にいるあいだもレギュレーターで呼吸しているようなもので、厳密にはすべて1回の連続したダイビングとみなされる。初めてプールから出るときに体験するダイビングはさぞかし地獄だろうなとずっと思っていた。レギュレーターを吐き出した彼女が何と言ったかよく覚えていないが「うわぁ。やっちゃったよ!」というような内容だったと思う。

※潜水作業支援船や調査船などの船底、海上プラットフォームや海中居住施設などの構造物の底に開けられる人や装置を出入りさせるための出入り口。

Depth Guage

PRINULのときもまった同じ深度計が使われたが、当時はもっと深く読み取れたはずだ。

 私は(この記事の撮影に使用した)ノートパソコンやカメラに水漏れがないことを確認した。一応、確認が取れたため、居住施設の外観を確認するためにエクスカーションダイブ(遊覧ダイビング)に出かけた。居住施設地の上部にはマングローブダイの群れがたむろし、構造物に組み込まれたさまざまなポートのなかを覗き込んだ。人類はこのような水中居住施設を利用して海のなかで生活し、働くことを学んできたのだと思うと本当に感動的だ。ラ・チャルーパはそのほとんどがアナログな時代につくられたもので、メンテナンスとマイナーバージョンアップを除けば、技術的なことはほとんど行われていない。1972年のデビュー当時と同じ技術が今も生きている。

 そして、私の腕にはセイコーが1967年に初めてデビューさせたダイバーズウォッチの技術であるL型ガスケットが、見事に装着されていた。

 魚の種類はマングローブスナッパーだけでキーズではよく見かけたが、居住施設上部をうろついている。また、生息地の周囲を泳いでいるときの映像も撮ってみた。

SBGH255とのつきあい方

グランドセイコーは、少なくともアメリカでは今やセイコーとはまったく別の会社だ。しかしSBGHH255の場合、必死に距離を置こうとする両社をつなぐ強い結びつきがある。グランドセイコーにはダイバーズウォッチに関する歴史的な前例はない。それはすべてセイコーによるものだ。しかしダイバーズウォッチに参入することは“新生”グランドセイコーにとって非常に重要な意味をもつ。

 グランドセイコーが日本(国内)市場のみで展開していたころは目立ったダイバーズモデルはなかった。それだけにダイバーズウォッチに関して、グランドセイコーがセイコーの遺産を基にしたということは理にかなっている。時計製造の技術や知識、そしてダイバーズウォッチ特有の評価基準はブランド間で共有されているのだ。例えばSBGH255にはセイコーのSLA041(日本ではSBDX035)のL型ガスケットがそのまま使われている。また、ケースの複雑な曲面は1967年に発売されたセイコーの6215と同じパターンを踏襲している。

ADVERTISEMENT

 これこそがグランドセイコーのダイバーズ、特にSBGH255の最大の魅力だ。このラインはセイコー初のプロフェッショナルダイバー(6215と6159)が築いたデザインの先例から脱却し、過去50年以上にわたって絶えず完成されてきたエンジニアリング技術を中心に新しい視覚言語を創造するチャンスをグランドセイコーが提供することを意味している。この時計のデザインは、現在は別の担当をしている久保 進一郎氏が担当した。現在、デザイン部門は彼の後任である鎌田淳一氏が率いている。鎌田氏はSBGH255が優れたダイバーズウォッチである所以を明らかにした。

 彼はグランドセイコーの代表モデルの要素を取り入れたケースについて「44GSや62GSからインスピレーションを受け、腕の上で力強く輝くフラットな面を取り入れた」と述べた。

cloud

クラウドの剣の面取りが見えるだろうか? 44GSや62GSからケースデザインのインスピレーションを得た現代のグランドセイコーを見るたびに、私はこの架空の人物と彼の剣を思い起こさずにはいられないのです。やはり時計にもキャラクターにも、非常に強い“日本らしさ”が働いているのだ。

 正直なところ、これほど大きく真面目な時計がSBGH255のようにキラキラと輝くのはまったく見慣れないことだ。道具としての時計がこれほどまでに生き生きとした輝きを放っているのは不思議としか言いようがない。この時計を見るたびに、人気ゲーム「ファイナルファンタジー」シリーズのクラウドが持っている巨大なバスターソードが思い浮かんだ。SBGH255のように単に巨大なだけでなく、ラグは彼の剣のベベルエッジとタントデザインを彷彿とさせるのです。私見だが、この時計の最大の魅力はケースにあると思う。ケースは7ピース(リューズ、クリスタル、パッキンを除く)で構成され、ラグには前述の44GSと62GSのライン、そしてケースリアには6159(およびそこから生まれたすべてのデザイン)の華麗なカーブを含むおなじみのラインがあちこちに施されている。このようなダイバーはほかにはない。

 グランドセイコーのダイバーズウォッチにはもうひとつユニークな要素がある。それはカテドラル針を採用していることだ。鎌田は「エレガントな演出のためだけでなく、その裏には実用的な目的があります」と説明する。鎌田氏は次のように語る。

 「グランドセイコーのダイバーズウォッチには、すべて共通のデザインレイアウトが採用されています。このレイアウトを開発するにあたり、独立行政法人 海洋研究開発機構(JAMSTEC)にプロのダイバーの実体験を語ってもらいました。印象的だったのは深海で作業すると認知能力が低下すること、深海では複雑な図形が読めないことでした。彼らができるのは丸、三角、四角の違いを読み取ることくらい。そこでインデックスにはこの3つの形を使い、まずはダイヤルの向きを読みやすいようにレイアウトを考えました。同時にダイバーズウォッチを海で使用する際に最も重要なポイントは分針の先端と回転ベゼルの目盛りの見やすさです。そこで分針の先端にルミブライトを塗布した大きなトライアングルを配置しました。ルミブライトは表面積が大きいときに最も明るく光ります。海中に潜るとき、自然と最も明るく輝く場所を見るので、これは重要なことなのです」

 ダイヤルに見られる格子状の幾何学模様は、デザイナーの久保氏がダイビング中にふと見上げた時、レギュレーターから出た気泡が光に向かって上がっていく様子を観察したことに由来している。そのイメージからダイヤルの模様が生まれたのだ。

watch and dive stuff

 重厚なケース内にはハイビートの Cal.9S85が搭載され、毎秒10ビートを刻み、秒針をなめらかに走らせる。ヘアライン装飾と鏡面仕上げのラグに見とれていると本当に楽しくなってくる。コストの多くはムーブメントに費やされるが、私は通常ダイバーズウォッチのキャリバーに対して“仕事をやり切る”アプローチを持っています。しかし、SBGH255は例外だ。目的に特化した時計に搭載されるムーブメントは工業製品として最も完成度の高いもののひとつであり、何か特別なものを感じる。日差+5〜−3秒の公称値をクリアしていることがわかるからだ。この時計はスペックから想像されるよりも小さく、チタンケースが腕に軽快にフィットしてくれる。

Seiko lume

SBGH255の夜光はかなり良いが、初代モンスターと比べると見劣りすると言わざるを得ない。でも、ルミブライトなのだから悪いはずがない。

 とにかく、この時計はダイビングに特化した飽和潜水に焦点を当てたモデルの限界に挑戦したグランドセイコー流のエクササイズであり、サブやSKX007のように装着するためのものではない。この時計が商業的に成功することを意図していたとは思えないし、だからこそ私はこの時計に引かれる。サイズも素材もSBGH255が果たすべき役割に合致しているからだ。

 この時計を考えるとき「私には大きすぎる」「高すぎる」という理由だけで判断してはいけないと思う。ボーイング747は大きすぎて車道に停めることはできないし、私の予算からは程遠いのだが、それでも私は空の女王のすべてを評価しています。しかし、私は空の女王に感謝している。そして747に乗ることができる人は実に特権的だ。

ADVERTISEMENT
深海での生活
doritos and watch

ドリトスが圧縮されているように見えるのは圧力がかかっているからだ。これはなかに“空きスペース”があるものを下ろすと起こることで圧縮される。しかも90年代のノスタルジックな味がする。

海底に固定された太い加圧された金属製チューブのなかでできることはそれほど多くはないが、想像以上のことがあるのだ。例えば水中で映画を見ることができる。我々はマイケル・クライトンの同名小説を原作とする1998年のSFスリラー『スフィア』を鑑賞した(数年前、私は彼の腕時計について書いた)。また、ペリカンケースに入った水面から届いたばかりの熱々のピザを食べ、そしてコブリックとジェームス・W・ミラーによる『海での生活と仕事』もほぼ全編読んだ。

 私はこの生息地で重要な科学的研究を行ったすべての人々について、そして彼らがどのように針を進めたかについて考えた。また人間が海で生活することを学ぶために経験した、すべての失敗と学習についても。彼らの研究があったからこそ、私はこの居住施設で安心して滞在できるのだ。

habitat shots

寝床だ。電話は地上のコマンドステーションに直結している。ダイビングで興奮したあとは快適とは言えないが、かなり楽に眠れる。この海底居住施設はISSのような密閉された環境で宇宙生活を送るためのモデルとして使用されており、なんとかなりそうだ。

habitat shots

ここはただぶらぶらと人生を考えるための空間だ。スフィアを見たり、珍しい水中音に耳を傾けたり、窓から魚を探したり、ただ何となく全体を見ていた。

habitat shots

“ムーンプール”と居住施設への出入り口。黄色い箱はカメラ機材や電子機器を降ろすのに使用する。中性浮力を保つために重りが入っている。潜水技術者が居住施設から釣りをするという報告も読んだことがある。私もそう思っていた。

 そしてここ数十年、有人海底実験場への関心が薄れてきているという残念な事実に思い至った。私はこの居住施設の観光客であり、自分が生きているあいだに起こったことさえないことにノスタルジーを感じていたのである。そして海中生活の未来は明るいとは言えないと考えた。60年代から70年代にかけて、人類は海中生活を大きく前進させたが、その後は減速してしまった。かつてのPRINULは現在、私のような観光客向けの高級ホテルになっている。

決して古びないものもある 。これは70年代のPRINULの時に撮ったもの。下の写真は'21年に撮ったものだ。

picture of me out the window in Jules Undersea

なぜかというと、やあ、どうも!今日はいかがお過ごしだろう?

 セイコーの飽和潜水時計が誕生したのも同じような経緯がある。このSBGH255が600mに耐えられるようにしたL型ガスケットと関連技術はセイコーのエンジニアである徳永幾男氏が1970年から5年間、水中での生活や作業から生じる複雑な問題を解決する時計を作ろうとして行ったことから生まれたものだ。その結果、グランドセイコー SBGH255のいとこであるツナ缶が誕生し、長い年月を経て高級品となったのである。

archival photo

居住施設にはまだ電子レンジが落ちている。ここではすべての配管やシステムが露出している。今はカーペットの壁の向こう側にある。ホテルとして利用することを考えれば、これで良かったのかもしれないが、やはり“内臓”や“システム”が見えると何かすっきりする?

 しかし、SBGH255を装着することはジュール海中ロッジに滞在するように多くの人々が潜水技術者の生活を体験し、海中で生活し働くことに最も近づくことなのだ。人生も潮の満ち引きもあるが、いつか海中生活がもっと身近になる日が来るかもしれない。そのとき、私はどの時計を身につけることになるのだろうか。

 ジュール海底ロッジとPRINULについてさらに詳しく知りたいなら、ラ・チャルーパの生みの親であるイアン・コブリック氏の『海での生活と仕事』をおいてほかにないだろう。絶版で値段も高いが。「カリブ海の水中研究(Underwater Studies in the Caribbean)」はすばらしいレポートだ。しかも無料だ。最後にPRINULの記憶を守り続ける組織がある。それはPRINUL50と呼ばれる団体で、この作品に使われているアーカイブ写真の一部はこの団体から提供されている。この団体には驚くほど多くのメディアが揃っており閲覧ができる

 セイコーとグランドセイコーのダイバーズに関する詳しい情報はinstagramの流郷貞夫さん(@mrseikosha)がすばらしい情報源となっている。『セイコーダイバーズウォッチ:セイコープロフェッショナルダイバーズウォッチの誕生』の著者です。また、セイコーの飽和潜水時計の開発に関するジェイソン・ヒートン(Jason Heaton)の記事もぜひ読んでみて欲しい。21年12月に更新されたものだ。

時計の詳細は、グランドセイコー公式サイトをクリック。