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ジャン-クロード・ビバー氏(72歳)は、時計ビジネスに戻りたくてうずうずしているようだ。2018年にLVMHの時計部門の社長を退任したあと、この4年間はビバー氏にとって比較的静かな時間が流れていた。スイス時計界の巨人を最後に見たのは、2020年にフランスのレジオンドヌール勲章を受賞したときで、そのあとは「フィリップス ジュネーブ時計オークション XI」だった。そのときは、ビバー氏個人が所有する4本のヴィンテージ パテック フィリップのコレクションが800万ドル超(約9億超)で落札された。
金曜の朝、スイス放送協会(Radio Télévision Suisse: RTS)の番組メディアローグ(Médialogues)のなかで、ビバー氏は、自転車事故で3ヵ月間入院したこと、その回復過程で人生の真の情熱である時計がいかに恋しいかを知ったと明かした。
そして、数十年にわたり大規模なブランドでリーダーシップを発揮し、最終的には世界最大の時計製造コングロマリットで活躍したのち、同氏は自分のやり方で物事を進めたいと決意したのだ。このエネルギッシュな70歳を長く抑えることは不可能だ。
「ブランドを始めるつもりです」と、フランス語で話しはじめた。「自分の名前には価値があり、信用があり、知られている。自分の名前、JCビバーでブランドをつくるのはどうだろうと考えたのです。情熱は、引退後に消えるものではありません。引退すれば、地位はなくなるかもしれないが、情熱はなくなることはない。私には受け継ぐべきものがたくさんあり、それを受け継ぎたい。そのための最良の方法は、家族経営で非常に高級な小さなブランドを始めること。そして、ほら、決定が下されたのです」。
その発表は、ビバー氏がこの新しい取り組みに着手した第一歩のように見える。インタビューのなかで、彼は今、スタッフとムーブメント製造のためのソリューションを見つける必要があると言及していた。さらに、後日、オフィス/本社の候補地を見に行く予定だとまで言っている。
ジャン-クロード・ビバー氏は、2014年に我々の「Talking Watches」に出演。
ビバー氏がチームを探すのに苦労することはないだろう。スイスの機械式時計産業を復興させたとされる人物だ。現在、時計製造に携わる人間で、ビバー氏に何らかの恩義を感じない者はいない。
しかし、彼はまず身近なところから始めるようだ。新しく設立されたJCビバー社の所有権は、彼の家族内にとどまるだろう。
「(我が家は)みんな時計に情熱を注いでいるんです。最初の子も、最後の子も、妻も、兄弟も、私のブランドは、私の家族や友人たちが共有する情熱の集まりになるでしょう」
末っ子のピエールは、ロンドンのフィリップス・オークション・ハウスを経て、近年、時計業界に波紋を呼んでいる。(2019年にフィリップスが公開した、ピエール、ジャン・クロード、そして元HODINKEE編集者のアーサー・タウショットが出演するレトロパースペクティブ[回顧録]は必見)だ。
ビバー氏の爆弾発言から数時間後、ビジネス・モントル(Business Montres) の ジョージ・ポンス氏(Gregory Pons)は、JCビバー ブランドと、同氏が 「まだ確定ではない」と引用していたロゴについて、正式に商標が申請されたとする短いレポートを続けた(記事全文は有料会員のみ)。
これは、ジャン-クロード・ビバーが残した唯一無二の時計遺産、その最終章となるのだろうか。我々は、ジャン-クロードとピエールの両氏にコンタクトを取り、その真相を探ろうとしている。とりあえず、RTSの記事をご自分の目でご確認を。
RTSとビジネス・モントルの記事はフランス語で掲載されているので、Google翻訳を起動してください。
翻訳を手伝ってくれたマルチタレントのJames K./@waitlistedに感謝します。
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ジャン-クロード・ビバーは、以前はLVMHグループに所属していました。LVMH Luxury VenturesはHODINKEEの少数株主ですが、編集の独立性は完全に保たれています。
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