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WATCH OF THE WEEK カルティエ 幻のタンク サントレ

歴史への束の間の旅に送り出してくれる、夢のような時計だ。

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HODINKEEのスタッフや友人に、なぜその作品が好きなのかを解説してもらう「Watch of the Week」。今週のコラムニストは、我々の限定モデル担当担当ディレクターだ。

あるモノがあまりにも完璧なデザインで、これ以上改良のしようがないと思われることがある。それは、そのカテゴリーの原型となり、私たちの脳裏にフラッシュバックするイメージそのものとなる。家具であれば、ジャン・プルーヴェ(Jean Prouvé)の305 メトローポールチェアやイームズ(Eames)の670 ラウンジチェアがそうだろう。クルマなら60年代後半のポルシェ 911S。テーラードウェアなら1980年代のアルマーニのダブルブレストスーツ。そして機械式時計ではロレックスのサブマリーナーがその栄誉に浴するだろう。これらのオブジェは我々のデザイン言語としてあまりにも普遍的であるため、その真価を忘れてしまうことがある。

 しかし、時計史のなかの偉大なデザインを空想するとき、私の心に浮かぶふたつ目の時計がある。カルティエのタンク、特にタンク サントレだ。しかも、ただのサントレではなく、1930年代に製造された特別なものだ。

A 1935 drafting of a Cartier Tank Cintrée.

1935年のカルティエ タンク サントレのスケッチ(Courtesy: Cartier, New York)

 2021年初頭、ジャックの記事「カルティエ タンク サントレ 100周年限定モデル(編集部撮り下ろし)」で初めてこのドローイング(スケッチ)を見たのだが、それ以来、頭から離れなくなった。これが時計の夢に数年間出続けたのにはいくつかの理由がある。

 まず第一に、プラチナケースのサントレで、美しいサーモンダイヤルだということ。ダイヤルの色合いは赤やピンクというよりも黄色やゴールドに近く、真っ白なケースに映えて非常に美しいと思う。これは私のもうひとつのお気に入り時計、オーデマ ピゲの15202BCと共通する。

 第二に、私がタンクで最も美しいと思う要素を備えていることだ。“ブレゲ”針、クラシックなローマ数字、シュマン・ド・フェール(レイルウェイ)のミニッツトラック、ビーズに囲まれたサファイアカボションのリューズなどだ。このドローイングはニューヨークのカルティエのアーカイブにあるもので、コンピューターによるデザインよりずっと前の時代に描かれたものだが、その魅力と奇抜さで、より一層美しく感じる。

 このドローイングにはふたつのラグの側面図が描かれており、片方は急遽削除されたものであることに注目して欲しい。走り書きや数字は記録簿とつながっている可能性がある。また、左下にはカルティエのスタンプ、右上には“OK”のサインがあり、カルティエのデザイナーがこのプロジェクトを最終的に承認したことを示しているようだ。これらの小さなディテールは、これらの時計がいかに特別でハンドメイドであるかを理解するための重要な要素なのだ。

 最後に、図面の上部に書かれているように、この時計はルイーズ・ヴァン・アレン・ムディヴァニ(Louise Van Alen Mdivani)王女という著名な人物に依頼されたものだ。ムディヴァニ王女とは、誰だろう?

A newspaper clipping detailing the marriage of Louise Astor Van Alen to Alexis Mdivani.

ルイーズ・アスター・ヴァン・アレンとアレクシス・ムディヴァニの結婚を詳しく伝える新聞の切り抜き。(出典:WikiTree.com)

 1910年、ルイーズ・アスター・ヴァン・アレンとして生まれたムディヴァニ王女は、ジェームズ・ローレンス・ヴァン・アレン(James Laurens Van Alen)の娘であった。ジェームズは南北戦争中の北軍の准将の孫であり、近代史上の富豪のひとり、ジョン・ジェイコブ・アスター(John Jacob Astor)の子孫であるエミリー・アスター(Emily Astor)の息子でもあった。彼女の母親はルイーズ・ヴァンダービルト(Louise Vanderbilt)の姪であるマーガレット・ポスト・ヴァン・アレンで、ヴァンダービルトは、やはり歴史上最も裕福なアメリカ人のひとりであるコーネリアス・ヴァンダービルト(Cornelius Vanderbilt)の孫であるフレデリック・ヴァンダービルト(Frederick Vanderbilt)と結婚していたのである。この時計がかなりの出自を持つことは言うまでもない。

 1931年、ルイーズはアレクシス・ムディヴァニ(Alexis Mdivani)と結婚した。アレクシスは、名声と富を求めてハリウッドの黄金期である1920年代にロサンゼルスに移住した、社交界で活躍するジョージア出身一族の3人の息子のうちのひとりであった。3人の息子と2人の姉妹は、俗に“結婚するムディヴァニ”と呼ばれ、自分たちの地位を高めようとアメリカやヨーロッパ中の俳優、芸術家、教授、実業家、王族と関係を築いた。Los Angeles Magazineのニール・ガブラーによる抜粋が、詳細を伝えている。

彼らは多くの意味で、最初の近代的な有名人であり、有名であることだけが取りざたされた人たちであった。また、個人の改革を国民的な関心事にした最初の一族であり、名前以外のものを売ることなく、家名を収益性のあるブランドに変えた最初の人々でもある。そして、名声の短い半減期を警告する物語を生き抜いた最初の一族だ。彼らは、カーダシアン家の80年前の姿である。

– ニール・ガブラー(Neal Gabler)

 皆さんはこのコラムでその名前が飛び出すとは思っていなかったのではないだろうか。

 結婚から2年足らずで、アレクシスとルイーズは離婚した。噂では、アレクシスはバーバラ・ハットン(Barbara Hutton)と浮気し、ルイーズを裏切っていたということだった。当時、バーバラ・ハットンは遺産を相続して世界一の富豪と言われていた。その数年後、アレクシスは交通事故で亡くなってしまう。弟のセルジュは、過ちを正そうと、1936年に亡き兄の前妻である元義姉と結婚した。私自身、3人兄弟のひとりであるが、これは“兄への仕返し”の常套手段であると認めざるを得ない。

Alexis Mdivani and Louise Astor Van Alen

アレクシス・ムディヴァニとルイーズ・アスター・ヴァン・アレン(出典:WikiTree.com

Serge Mdivani and Louise Astor Van Alen

セルジュ・ムディヴァニとルイーズ・アスター・ヴァン・アレン(出典:WikiTree.com

 この時計がムディヴァニ王女から注文され、届けられたのはそのころだ。ルイーズの豊かな家系とムディヴァニ家のハリウッドでの派手な評判を考えれば、この時計の所在を示す記録は簡単に見つかると思ったのだが。しかし、その記録はどこにもなかった。

 サーモンダイヤルのサントレを徹底的に探しても、わずかしか出てこない。どれも現代のもので、ムディヴァニ王女の時計と見間違うようなものはなかったし、似ているものもなかった。

Wei Koh's special order Cartier Tank Cintrée in platinum with burgundy Roman numerals and pink-ish dial.

ウェイ・コー(Wei Koh)氏のスペシャルオーダー、プラチナ製カルティエ タンク サントレ。バーガンディのローマ数字とピンクがかったダイヤル。近いが、目当てのものとはちょっと違う。

 過去のオークションのデジタルカタログを見ても何もないようだった。ゲッティイメージズでルイーズ・アスター・ヴァン・アレンを検索し、彼女の手首にある時計を見つけようとしても何も出てこない。HODINKEE Slackへのメッセージは、サーモンダイヤルで生まれたクラシックなサントレを誰も見たことがないことをさらに示しているようだった。

A Limited Edition Platinum Dual Time Zone Tank Cintrée ,circa 1990. The color is right, but the dial is not in the classic design.

1990年頃のプラチナ製デュアルタイムゾーンのタンク サントレ限定モデル。色は合っているが、ダイヤルがクラシックなデザインではない。(出典: サザビーズ)

 そして、思い当たったのだ。

 その時計は紙に描かれたもので、時間が経つにつれて色が落ちて、あの色合いになっているのではないか、と。

 私が夢中になった時計は、本当に作られたのだろうか? それとも、サーモン色の紙にシルバーダイヤルのサントレをスケッチしたものなのだろうか? 私はすぐに探偵モードに入り、オフィスにあるカルティエの本を漁って手がかりを探し、Instagramで専門家にコンタクトを取ってみた。しかし残念ながらあまり手がかりは見つからず、もうひとつの頼るべき場所だけが残った。カルティエのすばらしいアーカイブ部門だ。

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 カルティエに何度かメールでこの探求について説明した後、私は答えを得た。

  • この時計は1935年に製造され、ムディヴァニ王女に納品された。
  • この時計はサーモン色のダイヤルで生まれたわけではなく、紙そのものが実際にその色を印象づけた。

 正直なところ、がっかりした部分もあった。1年以上こだわった時計は想像の産物であり、実際に手にすることはできないし、ほかの誰にもできない。もちろん、ルイーズの時計の実物はまだあるかもしれないし、それを発見するのは楽しいことだが、それでも私はサンタが実在しないことを知ったような気がしたのだ。ひょっとして、カルティエがホワイトメタルでサーモンダイヤルのサントレを作ったことがあったのかもしれない。

 私はもう一度、カルティエのアーカイブ部門に問い合わせ、何かあるのではないかと期待した。彼らの回答は 「アーカイブス部門と協力して調べましたが、私たちの知る限り、サーモンダイヤルのサントレは記録にありません」だった。

 本当に? 信じられなかった。これほど美しい時計は過去100年のどこかで作られたはずだ思ったが、そうではなかったのだ。私の究極のカルティエは存在しなかったし、我々が知る限り、今も存在しないのだ。でも、夢は捨てがたいから、もしあったらどうだろうと考えるようになった。ルイーズのために作られた時計は、今どうなっているのだろう? もしかしたら、こんな感じかもしれない……。

Modern day Cartier salmon Cintrée drafting

 ねぇ、カルティエさん。次の作品のアイデアがあるんだけど。実はもう全部スケッチしてあるんだ。

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