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How To Wear It ショパール アルパイン イーグルのスタイリング

鷲の目の虹彩を持つ時計を、3通りのスタイルで。

Photos by Fujio Emura

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 スタイルエディターのマライカ・クロフォードが愛用の腕時計をより最高の状態にするための方法を紹介するHow To Wear Itへようこそ。このセクションではスタイリングのコツから現代におけるファッションの考察、歴史的な背景、ときには英国流の皮肉も織り交ぜて、その魅力をお伝えしていこう。

ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストのスタイル欄の記事、そしてキャシー・ホリン(Cathy Horyn)がザ・カットに寄稿したファッションに関する記事すべてに目を通すのが日曜日の私の楽しみだ。そして、サブスタック(著者やライターが配信したコンテンツをサブスクリプション形式で読めるサービス)で半ダースの記事を読む。なぜなら、ファッション業界の権威たちが流行の最先端と見なすものを絶対に知っておかなければならないからだ。そして時には、時計から離れることも必要だ。

 私はこれらの情報を、自分のアイデアのための指針というか、クリエイティブの呼び水として取り込むのが好きだ。コツはインスピレーションを受け取ってそれを消化し、自分流にアレンジしてみること! 私が理想とする“ワードローブの完成”とでも呼ぶべき領域に、一歩一歩近づいている。それはほとんどの人が決して到達することのない架空の場所であり、涅槃の境地である。しかし、私たちは今回の買い物が、神経が疲弊し、完成なんて不可能に思えるパズルの最後の1ピースとなることを常に期待している。それは時計の完璧なコレクションを作ろうとするようなものだ。そして、それが次の買い物を正当化するために、人々が広めている神話であることを誰もが知っている。

 本当に大切なのは、外部からのインスピレーションを得ることだ。ティム・ブランクス(Tim Blanks)やスタイルのためのサプリメント、情報満載のサブスタックだけではない。周りの世界から知識を得て、毛穴からカルチャーを吸収するのだ。残さず取り込もう。ヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders)やジム・ジャームッシュ(Jim Jarmusch)の映画を、ファッションのために見るのもいい。バロック時代の肖像画のアクセサリーを眺めるのもおすすめだ。パロマ・ピカソ(Paloma Picasso)やPJ ハーヴェイ(PJ Harvey)、ブライアン・モルコ(Brian Molko)、ヴィンセント・ギャロ(Vincent Gallo)といった、ちょっとマイナーなスタイルアイコンからインスピレーションを得てみよう。例えば、シャーロット・ランプリング(Charlotte Rampling)は私の心に刻み込まれている。生きていようが死んでいようが関係ない。自分のスタイルアバターを見つけよう。それが指針となる! ファッションは時計と同じで、ちょっとした文脈を持って楽しむのがいちばんだ。

 これらがもたらすあらゆる喜びと感動、そして高揚感! しかし、すぐに現実に引き戻される。というのも、服を着ることに知性を求める人々は、何かしら問題を抱えているものなのである。ファッションは突如としてラグジュアリーの代名詞となり、その過程で(Fashionから)大文字のFを失ってしまった。これは非常に残念なことだ。

 アレキサンダー・マックイーン(Alexander McQueen)やディオールのジョン・ガリアーノ(John Galliano)、ルイ・ヴィトンのマーク・ジェイコブス(Marc Jacobs)のような革新的なデザイナーが、境界線を打ち破るようなファッションに力を注いでいた数十年間は終わった。彼らのランウェイショーは衝撃的で、イノベーションにあふれ、時代を前進させるものだった。その衝撃はこれまで服について知っていると思っていたことをすべて見直させるほど破壊的であり、自分のスタイルを再確認するきっかけにもなったが、それは常に性的でグラマラスな演出のもとでなされていた。とにかくスリルに満ちていたのだ。

 今、私たちに突きつけられているのは、あらゆるものにロゴがあしらわれることの矛盾か、ベージュのロロ・ピアーナやブルネロ・クチネリにエルメスのバッグを添えただけの退屈なものばかりだ。ほとんどのランウェイショーは(デムナによるバレンシアガやリック・オウエンスなど一部の例外もあるが、ごく少数だ)、今や経営幹部が主導権を握っているために商業的な利益を重視している。

 高級ブランドによる、まるでサンセリフ体のように単調なデザインには、独創性とは一体何なのだろうと考えさせられる。本当に気が滅入ることだ。

 同じことが時計にも当てはまる。特に1960年代と70年代にはデザインのためのプラットフォームであったものが、今では予測可能な“ラグジュアリー”指向の機械となり、既成概念に囚われた平均的な消費者を喜ばせるために作られている。そして、その枠から飛び出したとしても、虹にインスパイアされたタトゥーアーティストとの巨大なコラボウォッチなど誰も求めてはいないのだから、いっそ枠のなかに閉じこもっていて欲しかったとつくづく思う。ああ、ため息が出る。

 私はよく、時計のデザインがなぜこのように行き詰まっているのか疑問に思うことがある(もちろん、この批評には例外もある)。もっと積極的なヴィジョンを持つデザイナーもいるはずじゃないか? 残念なことに経営陣は一般消費者に売り込むことばかり考えていて、カルチャーを再定義し前進させるようなことには無頓着なのだ。

 では、今日においてラグジュアリーはどのように定義されるのだろうか? 絶え間なく変化し続ける世界で起きているすべての事象のなかで、ラグジュアリーとは(これまでも常に)憧れの対象である。現在ラグジュアリーと呼ばれるものは、高額な値札を付けているだけで、どれも同じような印象を受ける。すなわち、高価で著名なブランドのハンドバッグや時計であり、カシミアの野球帽やロゴ入りのローファーだ。それはソーシャルメディア上の“第三者的評価を得るためのスタイルゲーム”に参加したときに、求める評価をリスクを避けつつ得ることができる“センスのいい”(あえて言えば当たり障りのない)アイテムであることは確かだ。

ショパール アルパイン イーグル
Chopard Alpine Eagle

 では、スポーツウォッチはこの悪趣味で歪んだラグジュアリーカテゴリのどこに位置するのだろうか? それはまさに、食物連鎖の頂点に位置する存在だ。しかし、ショパールのアルパイン イーグルは、私にとって中庸の幸せを得るための解決策である。私たちが慣れ親しんできたラグジュアリーカテゴリの一部でありながら、ちょっと風変わりな見た目とフォルムをしていて、見る者を催眠術にかけるような魅惑的な質感のダイヤルを備えている。アルパイン イーグルは周囲の人々に対し、ロイヤル オークやデイトナ、ノーチラスなどに見られる無言の肯定ではなく、手首に巻いた時計についての素直な問いかけを誘う。

 いわゆるステンレススティール(SS)製スポーツウォッチの競争において、アルパイン イーグルは劣勢を強いられている。ショパールは必ずしも正当な評価を受けているとは言えないブランドであり、多くの同業他社のなかでは過小評価されていると感じることが多い。60年代初頭にショイフレ(Scheufele)家によって買収されたショパールは、今日ではハイジュエリーの分野での活躍や、カンヌ国際映画祭やミッレ ミリアのスポンサーとしてのイメージが強い。しかし、ショパールの起源は生粋の時計製造会社であり、19世紀に創業者ルイス・ユリス・ショパール(Louis-Ulysse Chopard)の名を冠して創設された。

 ドイツを出自とするショイフレ家が現在経営するメゾンは、1980年にアルパイン イーグルの前身となるサンモリッツを発表した。当時22歳だったカール-フリードリッヒ・ショイフレ(Karl-Friedrich Scheufele、現在はブランドの共同社長)は、SS製スポーツウォッチの市場トレンドに乗り遅れないよう、一族に強く働きかけた。

Chopard Alpine Eagle

 2019年に初めて公開されたアルパイン イーグルは、20世紀の前身モデルを現代的にアップデートしたものだ。この時計は実に美しい。グレーダイヤルの41mm径スティールモデルにはサテン仕上げのベゼルが付いており、そのベゼルのエッジには面取りが施され、9.7mm厚のユニークな形状のケースの上にビス留めされている。防水性能は100mだ。3時位置には、ポリッシュ仕上げのリューズガード(9時位置にも同様のものが見られる)に挟まれるようにコンパスローズ(羅針盤)モチーフの刻印が入ったリューズが配置されている。このデザインはノーチラスのデザインに類似しているが、見た目の対称性は保たれている。

 41mm径のSS製で、自動巻きムーブメントである01.01-Cを搭載。毎分2万8800振動/時(4Hz)で駆動し、パワーリザーブは60時間を有している。同ムーブメントは、COSCクロノメーター認定を受けた自社製キャリバーだ。

 このモデルには、一部にリサイクルされたSSを使用したショパール独自の合金、ルーセントスティール™を採用している。SSを再利用することによる環境への配慮はもちろんのこと、新たに開発されたルーセントスティール™は実用的な利点も備えている。とりわけ硬度は223ビッカースと従来のスティールよりも硬く、耐摩耗性は50%向上している。

 これらの時計に見られるブレスレットとケースのバランスは、本当に素晴らしいと思う。誰か、過度に細かったり先細りしすぎていたりするブレスレットについての指摘をスイスに送ってくれないだろうか? 時計のブレスレットに劇的なテーパーは絶対に必要ないと思うのだ。あなたもそうであることを祈る! まあ、でもブレスレットの好みは人それぞれだろう。

Chopard Alpine Eagle bracelet

 ブレスレットとケースの仕上げは賞賛に値する。ケースおよび(わずかに)テーパーをつけたブレスレットには表面の大部分に縦方向のサテン仕上げを施しつつ、センターキャップ(各リンクはドライバーで簡単に取り外せるというおまけ付き!)をポリッシュし、各リンクのエッジにもポリッシュのファセットを添えることで、その輝きを際立たせている。そしてもちろん、鷲の虹彩を彷彿とさせる質感のあるダイヤルにも注目したい。

 私の手首には36mm径がぴったりだが、手首の太い人なら41mm径もよく合うだろう。

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ルック1: ラグジュアリーをどう定義するか
Ty in Look 1 + Chopard Alpine Eagle

シャツ、バッグ/ともにフェラガモ。

 ここ数シーズン、私の頭を悩ませてきた問題に戻ろう。現代の文脈でラグジュアリーを定義するにはどうすればいいのか? アスレジャー(アスレチックとレジャーによる、スポーティなファッションを指す造語)と同様に、クワイエット・ラグジュアリー(色柄を抑え、素材の上質さを引き立てた上品なスタイル)も私を苦しめる。艶やかさ、色彩、生地のレイヤード、そして過剰さなど、私が大事にしてきたあらゆるものが、物質的なレベルで強引に奪われてしまったような気がする。自分の服が芸術品や工芸品並みにエキセントリックであることを望んではいないが、どうして今よりも魅力的でない未来を描く必要があるのだろうか? 

 小売業を中心とした独裁政権のもとに生きているような気分だ。私たちが何をスタイリッシュとするか考えるにあたって、その定義を大きく狭めているように思う。

 ここで、フェラガモの新クリエイティブ・ディレクターである若き才能、マクシミリアン・デイヴィス(Maximilian Davis)に注目してみよう。1995年にイギリスのマンチェスターで生まれた彼は、2020年に自身のブランドをスタートさせた。それはセクシーかつ大胆で、色彩に満ちあふれていた。彼の名を冠したブランド、マクシミリアンでは、デイヴィスのトリニダード人としての伝統と生い立ちが黒人らしさについてのダイアログを通じて色濃く表現されている。しかしメゾンを率いるということは、自分の名前でデザインするのとはまた違った意味を持つ。イタリアの巨大メゾンの責任者に急浮上したデイヴィスは、フェラガモの伝統と理念をどう生かすかを考えなければならない。

Ty in Look 1 + Chopard Alpine Eagle

シャツ、パンツ、シューズ/以上すべてフェラガモ。

 デイヴィスにとってフェラガモでの2回目の作品となった23年秋冬コレクションでは、ボディコンシャスなテーラリングとウエストを強調したシルエットで80年代のフェラガモのエレガンスと官能を表現し、オールドハリウッドの栄光とメゾンとの関係性について言及した。なお、あなたがここで目にしているスタイル、それとはかけ離れたものだということは承知している。はっきり言ってこのスタイルの本質は、ジーンズとシャツだ。場合によってはモダンなニュアンスを落とし込んだり、散りばめることも必要だろう。デイヴィスはブランドの軸を担いつつ、新しいオーディエンスを取り込むためにブランドのあり方を再構築している。ゆっくり、ゆっくりと前進しているような状況だ。

 少し透け感のあるグレーのシャツをよく見てみると、細部まで丁寧に作られていることがわかるだろう。生地はシルクのような肌触りで、手袋のようにフィットする。ジーンズにも、味わい深いブルーグレーを採用した。鮮やかな色合いに、ロング、ストレート、バギー(クロップドはもう勘弁して欲しい)と、現代的なジーンズを思わせるカッティングが用意されている。アルパイン イーグルの質感のあるグレーダイヤル、シルバーのケースおよびブレスレットと完璧に調和する、モノクロームでクールな色調だ。ダイヤルはコーディネートのブルーとグレーの色合いに溶け込み、カモフラージュされているように見える。なんとも繊細だ。

シャツ、パンツ、バッグ/以上すべてフェラガモ。

 フェラガモのFW23コレクションは、仕立て、テーラリング、構造、そしてクラフトマンシップがすべてを物語っている。まとめると、これらの理念が服と時計の両方における2023年のラグジュアリーの定義なのだろう。デイヴィスがこのまま、自身のレーベルで私たちが親しんできた彼のセンスを発揮しながら、メゾンのコンセプトをさらに明確なものにしていくことに期待したい。

 それまでのあいだ、私たちはデイヴィスによるイタリアらしいエフォートレスなプレゼンテーションに酔いしれ、長いランチを食べた後にスタンディングバーでエスプレッソを飲むミラノ在住の美食家のように振る舞っていればいいだろう。ちょっぴりラフで、少しだけミニマルなイージーウォッチをつけたリラックススタイルで。そして勇気があるなら、モノトーンカラーの対策として大きなグレーのバッグをプラスして。

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ルック2: ジャパンブランドのデニム・オン・デニム
Ty in Look 2 + Chopard Alpine Eagle

ジャケット、パンツ/ともにキャピタル、タンクトップ/スタイリスト私物、シューズ/エルメス。

 1870年代後半にリーバイスがポケットにリベットを付けて以来、クラシックなブルージーンズのデザインはそれほど進化していない。しかしファッションの分野におけるデニムスタイルは長い道のりを歩んできた。ワークウェアからストリートウェアへ。そしてデムナ・ヴァザリア(Demna Gvaslia)は、バレンシアガのクチュールショーでフルデニムルックを披露した。デニムのトレンドはめまぐるしく変化している。

 ジーンズは長年にわたり、階級、地位、政治、そしてファッションに対する意識の変化を映し出してきた。アメリカの労働者階級の象徴として生まれたこの服は、やがてティーンエイジャーと呼ばれ始めた最初の世代と、50年代の若者文化の台頭(映画『理由なき反抗 原題:Rebel Without A Cause』からの流れ)に取り込まれた。アメリカの衣服が日本人の憧れの対象となったのもこのころである。ブルージーンズが日本で最初に姿を現したのは第2次世界大戦中のことで、進駐軍時代のアメリカ兵が予備のジーンズを闇市場で売買し始めたのがきっかけだった。日本の若者たちがアメリカ文化に影響を受け始めると、デニム人気は一気に高まり、やがて日本でのデニム生産は岡山県児島町を中心に盛んになっていった。

 しかし、日本人は上質な作りと技術に重点を置いた、より洗練されたデニムを生み出した。アメリカの定番アイテムをベースに、修正主義的な日本のファッションにつきものであるプロポーションや伝統をからめた手法を用いて、さらなる改良を加えたのだ。

 キャピタルは1985年に、平田俊清によって児島で設立された。現在のキャピタルは俊清の息子である平田キロによるクリエイティブディレクションのもと、伝統的なデニムにアヴァンギャルドなアプローチを反映し、レイヤーやパッチ(BOROデニムの歴史を参照して欲しい)、サイケデリックなアイコンを取り入れた、誰もが憧れるブランドとなっている。また、クラシックなワークスタイルに少しひねりを加えたものも手がけている(この写真のようなスタイルだ)。

Ty in Look 2 + Chopard Alpine Eagle

ジャケット、パンツ/キャピタル、タンクトップ/スタイリスト私物。

 デニム・オン・デニムに白のタンクトップというのは若干センスのないチョイスに見えるかもしれないが、定番に回帰するのは悪いことではないと思う。ランウェイのバリエーション不足を嘆く一方で、毎シーズン大量のアイデアの波にさらされ続けるのは無理だと思い知らされることもある。もし、あらゆるものが知性を揺さぶったり、感情を刺激したりするのだとしたら、私たちは自壊してしまうかもしれない。これは、私が時計に対して感じていることでもある。私は変化を求めているが、一方でロレックスのエクスプローラーをいつも身につけている。基本原則として、クラシックは決して無視できない。そして、このアルパイン イーグルは間違いなく未来のクラシックだ。クラシックな服にはクラシックなものを!

 このジャケットとジーンズに使われているデニムは11.05オンス。私は古着のセルビッチデニムを扱う難解なサブカルチャーの住人ではないので、それが何を意味するのかわからない。だが、ジーンズを触ってみたところ、とてもしっかりしたミディアムウェイトの生地であることは理解できた。要するに、上半身部のないオーバーオールだ。ウエストのサスペンダーボタン、ひざの補強布、たくさんのポケット、重厚なステッチワークと、ディテールも豊富だ。一見するといたってシンプルなブレスレット一体型のSS製ウォッチであるアルパイン イーグルのように、遠目には何の変哲もないが、近づいてみれば大いにおもしろい。そして、サテン仕上げのディテールや質感のあるダイヤルにこそ、その真価がある。目の肥えた人のための時計だ。

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ルック3: 私たちが90年代から抜け出せないのはどうしてだろう?
Ty in Look 3 + Chopard Alpine Eagle

シャツ/ERL、パンツ、シューズ/ともにルイ・ヴィトン、ベルト/グッチ。

 なぜ私たちは90年代トレンドバブルから抜け出せないのか? なぜ90年代からずっと90年トレンドが続いているように感じるのか? 90年代には、その字面以上の意味があったのか? ニューヨーク・タイムズ紙のスタイル評論家であるヴァネッサ・フリードマン(Vanessa Friedman)が、デザイナーは概して自分が育った時代の服に魅了され、それが彼らの美意識を形成しているという事実に帰着すると主張しているのを読んだことがある。今、指揮を執っているデザイナーたちはミレニアル世代で、彼らが育ったのは……、そう、90年代だ。

 このスタイルは、90年代に見られたグランジの要素を取り入れつつ整然とまとめたものだ。要素のひとつはペリーエリス在籍中のマーク・ジェイコブスであり、ひとつはカート・コバーン(Kurt Cobain)であり、最後のひとつは“パンツはヴィトン、ベルトはグッチ(my pants are Vuitton and my belt is Gucci)”だ。

 ERLのデザインは、ヴェニスビーチ出身の多才なデザイナー、イーライ・ラッセル・リネッツ(Eli Russell Linnetz)によるものだ。リネッツはカニエ・ウェスト(Kanye West)のデザインスタジオで働いた経験を持ち、テヤナ・テイラー(Teyana Taylor)のプロモーションビデオの監督を務め、レディー・ガガ(Lady Gaga)のパーソナルフォトグラファーであったこともあり、2022年のLVMH賞のファイナリストであるキム・ジョーンズ(Kim Jones)のディオール メンズコレクションにおいてはゲストデザインを手がけている。

 リネッツのブランドは2018年に立ち上げられ、以来、各所で高い評価を受けてきた。ソーカルサーフ、レトロアメリカーナ、コートとして着られていた巨大なキルト(A$AP Rockyを参照)にオーバーサイズのテーラリングなど、実にさまざまな要素が入り混じっている。しかしそのほとんどは、90年代カルチャーのタッチポイントをふんだんに盛り込んだ、アメリカ人男性的なアイデンティティに対する戯れだ。

Ty in Look 3 + Chopard Alpine Eagle

シャツ/ERL、パンツ/ルイ・ヴィトン、ベルト/グッチ。

 細身のシャツにバギーパンツ、90年代風のふっくらしたスケートシューズという完璧なプロポーションを取り入れたこのルックのポイントは、自身の心が導くままに、ということだ。一見シンプルに見えるものも、着こなし方によってクールになる。先ほどのルックと同様、実際にはそれほど多くの要素は盛り込まれていない。だが、プロポーションは常にキーとなる! エディ・スリマン(Hedi Slimane)によるセリーヌのランウェイモデルでもない限り全身スキニーにする必要はないし、リアーナ(Rihanna)でなければ全身オーバーサイズにすることもない。シルエットのバランスさえ正しく整えれば、誰もがあなたがサルトリアルの達人だと確信するはずだ。

 そして、今朝ほとんど寝ぼけた状態でドレッサーに手を伸ばし、深く考えもせずにやみくもに身につけたように見える時計をコーディネートに加え、それがどこかちぐはぐに見えるのであれば、それが正しい選択なのだ。なぜって、ファッションにおいて合わせすぎてしまうというのは、罪そのものなのだから。真のラグジュアリーは、誰かが間近で見るまでは、何の変哲もないアイテムを身につけているように装うことだ。2023年におけるラグジュアリーとは、誰もが認めるわけではないがとても素敵な時計を所有することなのかもしれない。

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