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WATCH OF THE WEEK タイメックス マーリン 僕が結婚するときにつけていた腕時計

ファッショナブルでもなく、高価でもないけれど、この手巻きのタイメックス マーリンは、僕を本当に理解してくれる時計なのだ。

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「Watch of the Week」では、HODINKEEのスタッフや友人を招いて、ある時計を愛する理由を説明してもらう。今週のコラムニストは、カナダ人時計ライターのジェレミー・フリード氏だ。

時計はあなたを見ることはできないが、あなたが見られていると感じさせることがある。これは、僕とタイメックス マーリンとの関係を表すのに最適な表現だと思う。そう、生き物ではないけれど、この時計は僕を見ているのだ。

 たぶん、僕が言っていることがおわかりになると思う。奇妙で不完全な自分を真に見てもらい、それを無条件に受け入れてもらっていると感じること。これは、意識するしないにかかわらず、私たちの多くが人生で求めていることだと思う。見られるということは、主に友人、親、兄弟、そしてパートナーとの関係に関わること。また、私たちが身の回りに置いているもの、特に時計についても言えることなのだ。実用性よりも感情的な目的を持つ物として、僕たちが購入し身につける時計は、ある基本的な質問に答えなければならない。この選択は、自分自身が何者であるかを示しているか? そして、さらに重要なことは、私がどうありたいかを反映しているかということ。マーリンは、ほかのどんな時計にもできない方法で、僕のためにこの2つのことをしてくれている。

 タイメックス マーリンを初めて目にしたのは、フィレンツェだった。時差ぼけのなかエスプレッソの飲み過ぎでビクビクしながら、ピッティ・ウオモの通路を歩きまわっていた。それは年に2回開催されるメンズウェアのイベントで、パンデミック以前は、ファッション見本市とストリートスタイルのスーパーボウルのようなものだった。日本のワークウェア、イタリアのカシミア、ファッショナブルなモカシンを売るブースのあいだで、タイメックスは目立っていた。それは主に、服という川のなかにある時計だったからだが、同時に、それがいかに著しくファッション性に欠けていたかということでもあった。

 ケースはシンプルな鏡面仕上げのスティール製だが、34mmという華奢なサイズのため、多くの男性は小さすぎると感じるかもしれない。しかし、細身の僕の手首にはぴったりとフィットした。文字盤は、ドーム型のアクリルクリスタルの下にシャンパンカラーのサンレイダイヤルが配されている。偶数インデックスには1960年代のファンキーな数字あるが、フォティーナ、夜光、そして日付表示といった類はない。ストラップはリザードのエンボス加工を施したレザー付き、ムーブメントは大量生産された中国製の手巻き式で、ステンレススティール製のケースバックに隠されている。税込みで4万1800円とタイメックスにしては高価な時計だったが、僕の知り合いの時計好きのほとんどは、この時計の品質に対して価格が高いと言ったことはなかった。つまり、完璧な時計だったのだ。

A Timex Marlin watch

タイメックス マーリンのハンズオン記事より。

 発売されてすぐに手に入れたマーリンはそれ以来、この時計よりはるかに歴史を持ち高価な時計よりも、ずっと私の腕にあり続けている。私はマーリンのギリギリの軽量性と(チタンは必要ないと思わされる!)、現代の多くの時計の肥大化したプロポーションに対して見事に中指を立てたような小ぶりなサイズが好きだ。タイメックスのデザイナーが、1960年代のオリジナルのマーリンを2017年のリブート版ではあまり変えなかったことも気に入っている。これは、最初に正しいことをしたので、50年経っても何も変える必要がないという自信があるからだろう。タイメックスが何十年も手巻きムーブメントを製造していなかったという事実を考えると、さらに注目に値する。この時計は、自分自身を理解し、自分の肌に馴染んでいて、小さすぎるとか大衆的すぎるとか、レトロすぎだとか思われても気にしないものだ。この時計は、自分自身すべきことをしようとしている。それは奇妙なことかもしれないし、あなたがそれを好きになるかどうかはわからない。この時計は、基本的には私がなりたいと思うすべてのである。

 タイメックスはその後、チャーリー・ブラウンやロサンゼルス・ドジャースとのコラボモデルや、洗練されたカリフォルニアダイヤルを持つモデル(ジョルジオ・ガリの功績だ、なんてセンスだ!)など、十数種類の新しいマーリンが発表されたが、これらはよりオーソドックスな40mmサイズで自動巻きムーブメントと日付表示窓を備えていた。いい時計だと思うが、僕のマーリンのようにはいかなかった。翌年に僕が結婚したときは、モスグリーンのコーデュロイのスーツを着て、足元はスエードのバックスシューズ、そして手首にはマーリンをつけてバージンロードを歩いた。

A Timex Marlin watch on a dark strap

 時計に関する記事を書くことを生業としている者として、時計沼がすぐそこに広がっていることを僕は知っている。この奇妙で魅力的な世界に深く入り込めば入り込むほど、時計とは何か、そして時計が他の世界とどのように関係しているのかということを見失いがちになる。このことは、僕の作品を読んだ友人や家族が困惑した表情を浮かべることからもよくわかる(僕の母はいつも「いったい誰が時計に100万円なんて大金を使うのかしら?」と繰り返している)。

 本を読んだり、買い物をしたり、欲しいと思う時間が長くなればなるほど、機械式時計というものは、その小さな金属のパーツがあわさった以上のものを表現しているのではないかと思うようになる。これを手に入れることが、今の自分の人生と、こうありたいと思っていた自分の人生を分けるかもしれない。もちろん、そうではない。しかし、すべての美の対象は、そうなるかもしれないと思わせ続けてくれるもの。

 見ることと見られることは、双方向の関係だ。私のマーリンのムーブメントが、昼食のサンドイッチの値段以下の価値しかないかもしれないということは気にしない。アクリルクリスタル風防を傷つけてしまったことも気にはならない。僕にとって、マーリンのリューズを巻き上げて身につけることは、大型で値段の高いつまらないものが多いなかで、34mmの奇抜なモデルにも価値があることを思い出させてくれる。同意しないかもしれないが、それはあなたとあなたの手首にあるものとのあいだの問題だ。僕にとって意味のあるものであれば、ほかの誰にとっても意味のあるものである必要はないのだ。

ジェレミー・フリードは、カナダ在住のフリーランスライター。

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