Photos by Anthony Traina
1週間にわたり開催されるロイヤルアスコットの歴史は、少なくとも数百年前にさかのぼる。1711年にアン女王がロンドンから約30マイル西に位置するイギリスの田園地帯を“馬が全力で疾走するのに理想的な場所”と宣言したのが始まりである。1752年までには、毎年恒例となったロイヤルアスコット競馬は完璧な社交の場となり、当時ロイヤルアスコットのレース期間中にロンドンに到着したベッドフォード公爵は、“夕食や晩餐をともにする者が見つからない”と嘆いた。そのころには競馬観戦者のために闘鶏、賞金争い、ジャグラー、バラード歌手、竹馬に乗った女性、見世物小屋といった娯楽も充実していた。
これらの娯楽の多くは今日では好ましくないとされた(見世物小屋はアメリカ大統領討論会に取って代わられた)。しかしイギリス王室、貴族、インフルエンサー、そして私のような新参者が毎年6月にアスコット競馬場に集まる。それがこのシーズンで最高の社交イベント、ロイヤルアスコットである。5日間にわたるレースで、総額1750万ポンド(日本円で約35億6780万円)の賞金がサラブレッドの競走馬に配られる。しかし、それはロイヤルアスコットという巨大なビジネスの始まりに過ぎない。毎年およそ1億5000万ポンド(日本円で約305億8105万円)がレースに賭けられていると推定されるからだ。アスコットでは、ブックメーカーたちがゴールラインのそばに陣取り、明るいライトと大きな掛け声で各レースのオッズを放送する。その光景は映画『ウルフ・オブ・ウォールストリート(原題:The Wolf of Wall Street)』時代のニューヨーク証券取引所のようなものだろうか。アスコットにはもう少しシルクハットが多いという違いがあるだけだ(編注:ロイヤルアスコットにおける男性の正装は燕尾服にシルクハットである)。
各日とも午後2時きっかりにロイヤルプロセッション(王室関係者が馬車で入場するパレード)が始まる。私が参加した晴れた日には、カミラ女王とウィリアム王子が行列を先導していた。
ロイヤルアスコットでは、アメリカ人の私には到底理解できないようなさまざまな社会的階層や分類が存在する。しかし最も明白なのは“エンクロージャー”と呼ばれる区域の区分である。ダンテの地獄の輪のように、各エンクロージャーは次第に小さく、より高い地位と名声を持つ者が入ることができる。エリアの入室基準はいまだ謎のままだが、王室の称号や企業スポンサーシップが有利に働くように思えた。ロイヤルエンクロージャーはそれよりさらに小さく最も排他的であり、王室の観覧席がその中心に位置している。
エリア入室が厳しくなると同時にドレスコードも厳格になる。ロイヤルエンクロージャーでは、男性はモーニングスーツの着用が義務付けられている。アメリカ人がこれになじみがあるとすれば、ハーバードの卒業式かケネディ大統領の就任式に出席したことがある場合だけだ(私はどちらも経験がない)。男性がロングコートとシルクハットを身に着ける一方で、女性はフォーマルなデイウェアと帽子の着用が求められている。
ロンジンはロイヤルアスコットの公式タイムキーパーを17年間務めており、この名誉あるスポンサーシップのおかげで、今年は私も専用のロイヤルエンクロージャーに入ることができた。レンタルのモーニングスーツとサイズの合わないシルクハットを身に着けてのことだった。ロンジンの馬術スポーツや競馬との関係は19世紀後半にさかのぼり、ブランド初のクロノグラフケースには馬と騎手が装飾されていた。クロノグラフを得意とするロンジンのロゴは大きなストップウォッチの上に位置する。競走馬がゴールラインに向かって疾走する光景を見るのは自然なことなのだ。
ご想像のとおり、腕時計のスポッティングはこれらのエンクロージャーの地位に比例している。外側のエンクロージャーでは、見知らぬ観客に“時計のウェブサイトのためにあなたの時計を撮影させていただけますか?”と尋ねると、ピムズ(編注;キュウリが入ったイギリスの夏の風物詩)に酔いつつも陽気な返答が返ってくることが多かった(Hoodwink<フードウィンク>って何? というのが典型的な反応だった)。しかしロイヤルエンクロージャーに近づくにつれて、ドレスコードと同様にその協力度も厳しくなる。同エリアではパテックのノーチラス クロノグラフ5990とアクアノート トラベルタイム 5164Aを撮らせてもらえないかお願いしたところ、ふたりの紳士に丁重に断られた。
一方、この日の私のお気に入りウォッチは、カルティエ トーチュを身につけた年配の女性だった。1世紀近く前のものであろうイエローゴールドのブレスレットは、彼女の赤い花柄のドレスと同様ゆったりと気ままに身につけられていた。彼女がレース後のパレードリングで馬を真剣に見つめている様子から、その馬は彼女の所有馬に違いないと思われた。
「美しいカルティエの写真を撮らせていただけますか?」と、アメリカ人としてできる限り丁寧に尋ねたが、私が“カルティエ”と言い終わる前に彼女は静かに断った。
紳士のウエストコートにきちんと収められた懐中時計を撮影したかったが、残念ながら運がなかった。それでも多くの素晴らしい時計を撮影することができた。
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