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私はオンラインの賞品付きコンテストの類にはほとんど当選したことがない。もう、わざわざ応募することもない。しかし10年前の2012年、人生で一度だけ当たったことがある。そのときの賞品が時計だった。フロリダに拠点を置くマイクロブランド、Ocean7が自社のLM-7というモデルを賞品提供していて、運よく私が選ばれたのだった。
私は有頂天になった。無料の時計に興奮しない人はいないだろう。
この時計を手にしたとき私は24歳、バンコクに住んでいて、WPPの広告代理店のネットワークでジュニアコピーライターとして働いていた。当時は労働許可証を持っていなかったので、仕事があるだけでも幸運だった。数週間ごとに出国して、また30日ほど滞在してをことを繰り返す。エアアジアのウェブサイトをチェックしてできるだけ安いフライトを探し、どんな格安ホステルでもよかった。ラオスのビエンチャンで一泊2ドルくらいで泊まったことがあるが、なかなかだったよ! 当時はテントでもそれ以上の値段だったと思う。
この時期、私の時計への情熱は所有や入手ではなく、ウィンドウショッピングやできる限りの時計メディアを見ることで、すでに持っているものを楽しむことを学んだ。ロッククライミングのインストラクターやバイクのメカニックの仕事をしていた数年前、バチス ハワイ(Bathys Hawaii)やノーティックフィッシュ(Nauticfish:ドイツのマイクロブランド)、そしてセイコーを数本手に入れることができた。SKX007のひとつは友人の助けを借りて大幅に改造し、そのプロジェクトは私を夢中にさせ、学習させてくれた。しかもすべて格安で。父からもらった時計は私のコレクションの基礎となり、マイクロブランドとセイコーは楽しさと多様性を加えてくれたのだ。
だから、1500ドルの時計をタダでもらったのは、もちろん天の恵みとしか思えない。それは、コピーライターの卵だった私が1ヵ月で稼ぐ金額とほぼ同じだった。皆が20代でパテックを集めているとは限らないはずだ。
ただひとつ、小さな問題があった。LM-7は、私が本当に愛してやまない時計、オメガ プロプロフの複製に過ぎなかったのだ。 私は今でもプロプロフに引かれ、2020年には何十人もの専門家に話を聞き、5000ワードの記事「オメガ プロプロフの真実を究明する」を書き、これまでにオークションに出品されたすべてのプロプロフのカタログまで作成したほどだ。この時計に深くハマったのだ。
時計趣味を始めた当初から、私はスタインハートやインビクタに引かれることはなかった。小さなブランドの時計が、他の有名な時計に似せてデザインされていると思うと、最初は好きになれなかった。今でもそうだが、LM-7は私の視野を広げてくれようとしていたものだった。
実際に時計が届いてみると、予想以上に素晴らしいものだった。チタン製で、ブラスト加工が施されたチタンは、とても華やかな光沢がある。ヴィンテージやモダンのプロプロフにされている鏡面仕上げのスティールよりも、断然いいと思った。面白いことに、Ocean7がプロプロフにインスパイアされたチタン製の時計を作った数年後に、オメガもチタン製のモデルを発表している。それまではスティール製しかなかったのだ(60年代後半のシュミッツフレール社のチタン製は知っているが、あれはプロトタイプであって、生産モデルではない)。
模倣品とオマージュウォッチには大きな違いがある。私の考えでは、模倣時計自身が居るべき場所はないと思っている。模倣品は本物に見せかけるために作られたものだ。オマージュウォッチは、オリジナルのデザインを出発点として使う。そのあとでデザインに加工を施すこともあるし、そっくりそのままの姿で登場することもある。LM-7の場合、いくつかの変更が加えられていた。
ケースに施された面取り加工がOcean7の個性を際立たせている。さらに、ブルーの色合いは、オリジナルのプロプロフよりも若干明るめになっていた。また、ベゼルのロックボタンも、プロプロフがダークなオレンジ色であるのに対し、Ocean7は明るいオレンジ色となっている。
LM-7を所有した後、Ocean7がプロプロフの完全なクローンを作りたかったわけではないことがはっきりわかった。「コピー」を販売するには、あまりにも難解な時計だ。すべては、デザインをどのように進めていくかの手順にすぎなかったのだ。ケースを形作り、ベゼルで実験をし、チタンで作った。Ocean7は、1500ドルという普及価格帯にするために、アジアの工場を使って生産コストを節約したことを堂々と認めた。参考までに、当時の最新のプロプロフは1万ドル弱、ヴィンテージは5000ドル前後だった。新型のプロプロフは、オメガが当時新進のコーアクシャル・エスケープメント技術を誇ったものだったため、少し高価な価格設定になっていた。
結局、LM-7のつけ心地が気に入った。この時計は、前述したように国境をまたぐような旅で、時計を傷つけられる恐れがあるところに行くときの必需品だ。また、オートバイでの旅行やハイキングなど、時計を手荒に扱うとわかっている外出の際にも着用した。他の時計も同じように酷使したが、LM-7はそのような用途に特化してデザインされているのが気に入ったのだ。ジャングルでイノシシ狩りをしたこともある。
あまりに頻繁につけていて、なんとなくこれがオリジナルデザインでないことを忘れてしまうほどだった。ハードにつけることで得られる喜びが、当初の不安を払拭してくれたのだ。
数年後、私はそれを手放し、その代金を自分の新たな時計資金にした。そして間もなく、新しいものがコレクションに加わった。それはヴィンテージのプロプロフだ。
ヴィンテージモデルを装着していると、分針から経年劣化した夜光が剥がれ、それが風防の下で浮遊し、文字盤に粉を撒き散らしたようになった。1970年代の防水性がまだ有効かわからなかったので、雨が降るたびに時計を外してポケットに放り込んでいた。時計は買えても、ちゃんとしたレストアをする余裕はなかった(それに何ヵ月も待つのは嫌だったのだ。20代の自分はまだ我慢を知らなかった)。 だから、結局は困ったことになった。私にとってツールウォッチの最高峰である時計をやっと手に入れたのに、それを1800年代後半の懐中時計のように扱わなければならないなあと感じていた。
結局、これもLM-7と同じ道を歩むことになった。
長いあいだコレクターとして、愛好家として、そして今では業界のプロとして、この2本の時計を所有したことは、私に貴重な教訓を与えてくれたと自信を持って言える。LM-7は、当時の私にとって素晴らしい時計だった。ずっと高価な時計を身につけるのと同じように、私はそれをつけることに熱中していた。事実、この時計は、私がまだ趣味で満足できないほど何も知らなかったころのものだ。ただ、自分が斬新だと思うものを身につけることで、純粋に自由な喜びを感じていた。そして、それが最終的に本物を所有することにつながったわけだ。そして、結局のところ、私は満足できなかった。大きなメーカーが研究開発にお金をかけて、それを小さなメーカーに「拝借され」、売り上げが落ちるのはおかしいという議論もあるだろう。しかしこの場合、私自身はその当時、現代版のオメガ プロプロフを小売店で購入することはなかった(できなかった)と主張したい。両者はまったく異なる市場なのだ。そして、私は最終的にプロプロフのオマージュから本物の所有者へとクロスオーバーしたが、そこに導いてくれたのはLM-7だったわけだ。
最近では、オマージュウォッチを身につける人たちを責める気にはならない。なんたって、俺もその一人だったからね! これも旅の一部だ。誰もがインビクタを買うべきだとは言わないが、ほんの少しの思いやりと視点が、我々のコミュニティをよりよい場所にすることができると言いたいのだ。
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