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Four Revolutions 現代時計の世界における簡潔な歴史

マルチパートで展開する新シリーズを紹介しよう。


※本記事は2017年10月に執筆された本国版の翻訳です 。 

40年前の先月、私は「Jewelers' Circular-Keystone(JCK)」という悩ましい名前の月刊誌の共同編集者という新しい職に就いた。レポーターとしての私のキャリアは、その前年に米ニュージャージー州ケープメイ郡の地元紙でスタートした。そこでの仕事は順調だった。地元のニュースや政治に加えて、1976年の民主党全国大会やカーター新大統領の就任といったいくつかの国家的なネタも報じることができた。ジャーナリズムの神様は、そんな新人に微笑み、いくつかの報道賞をもらうことができた。これで、待望の数万ドルの給料を求めて、ケープメイを飛び出すための切符を手に入れたのだった(そう、当時の小さな町の新聞社勤めの年収は数千ドルが相場だった)。

 新しい職に就いた初日、聡明なアイルランド人である編集長のジョージ・ホームズは私に、「君は時計を担当することになる」と告げた。JCKは、小売宝石商やそのバイヤーを中心とした宝石業界の専門家を読者層とする業界誌だ。時計は、ダイヤモンドや色とりどりの宝石と並んで、この雑誌の主要な掲載対象だった。

 あの日、私は憂鬱な気持ちで、職場から自宅まで車を走らせた。時計? 本当かよ? 時計について毎月、何を書けばいいんだ?

9Fのような最高級クォーツウォッチを発表する前、セイコーはより手ごろなモデルを市場に送り出し、スイスの時計業界をほぼ完全に打ち砕いてしまった。

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 やがて、それは全く杞憂だったことが分かった。1977年、時計業界は戦争状態にあった。スイス、日本、中国(当時は香港と台湾)、そしてアメリカの各社が、激しい戦いを繰り広げていた。クォーツウォッチ革命として知られる大変化が起きたのだ(スイスでは、それは今なおクォーツ危機と呼ばれている)。担当して数日で、私は時計業界に病みつきになっていた。この担当分野には全てがあった。時計は500年前から、芸術と科学の両方を映し出してきた消費者製品だ。時計はグローバルな市場をもち、技術的変化と苦闘する国家的産業でもある。その背景には、時計をめぐるビッグママネーと興味深いドラマの世界があり、マーケティングや技術革新の面で激しく競争してきた魅力ある役者たちが存在するのだ。フランス革命について語った偉大なる詩人、ワーズワースの言葉を借りれば、「生きてあの夜明けを迎えた喜びよ、だが若き時計レポーターであることこそが天国!」である。

 40年以上もの間、最前列の席に座ってモダンウォッチの世界の成り立ちを観て来られたのは、私にとって非常に幸運だった。私の見立てでは、今日の時計業界は、一連の4つの革命によって形作られた。それらの革命は、まず業界を混乱に陥れ、次に魅力的な新しい時計だけではなく、新たな時計のカテゴリーや消費者、ブランド、企業、グループを生み出してきた。

 その革命とは、1970年代のクォーツウォッチ革命、80年代のファッションウォッチ革命、90年代の機械式ルネサンス、そして現在のスマートウォッチ革命である。

より複雑で豪華な腕時計は、最終的にはスイスを救うことになった。

 HODINKEEはこれから数週間にわたって、5つのパートに分かれたストーリーのシリーズを展開する。テーマは、これらの4つの革命と、それらが腕時計業界に与えた影響だ。パート1では、クォーツ革命が世界の時計事情を一変させ、パワーバランスを極東に移行させると共に、時計の機能やスタイルに対する消費者の認識を変え、スイス第3位の輸出産業をほぼ壊滅させた経緯について考察する。

 パート2では、スウォッチ、フォッシル、ゲスが主導したファッションウォッチ革命が、クォーツ革命の軌道を劇的に変化させた経緯について考察する。この革命により、業界の焦点は時計の内部から外部へ、また新技術から新たな時計の美学へと移行し、日本勢の前進が阻まれた。時計の外観やマーケティング手法を再定義することにより、数十億ドル規模の時計カテゴリーが生まれたのだ。

LEDウォッチの時代は、業界の歴史の中でも異色だった。

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 1990年代に起きた機械式時計の反革命運動(パート3)は、技術史上、最もあり得ない復活現象のひとつとなった。HODINKEEコミュニティーの皆さんであればよく知っているとおり、スイスの古典的な時計製作技術に反映されている創造性、小型機械式時計の極小化、そしてブランドマーケティングの工夫が、機械式時計が本質的に伴う時代遅れの感覚を美徳へと転化させたのだ。カチカチと音がする機械式時計は熱心な信者を増やし、コレクターの収集対象となり、贅沢品に変わった。これにより、苦境に陥っていたスイスの時計業界が復活し、1000ドルを超す時計の市場で他の追随を許さない存在となった。

 アップルが主導する現在進行中のスマートウォッチ革命(パート4)の影響をいま評価するのはまだ早いが、それは大規模なものになる可能性がある。そのルーツは、SFファンタジー作品「ディック・トレイシー」の腕時計と、1982年のセイコー テレビウォッチのような多機能デジタルウォッチの時代にまで遡る。この後、多種多様なリストコンピューターが、一定の間隔を置いて生まれてきた。アップルウォッチの誕生によって、このトレンドはかつてないほどに加速している。次は何が登場するのだろうか?

スマートウォッチの長期的な影響については、まだ非常に未知数な面がある。

 このシリーズの最後の記事では、これまで見過ごされてきたクォーツウォッチ革命の魅力的な部分に焦点を当てたい。つまり、アメリカの半導体企業の役割についてである。我々はここ数十年にわたって、クォーツ対機械式、日本製対スイス製の戦いが繰り広げられるのを見てきた。ここで見失っているのは、デジタル対アナログの戦いという側面である。クォーツウォッチの最初の大波は、概ね伝統的な時計業界の外部からやってきた。これらの波とは、テキサス・インスツルメンツ、ナショナルセミコンダクタ―、モトローラ、ヒューレット・パッカードやその他の数多くのアメリカのエレクトロニクス企業が製作したソリッドステート型(すなわち、動く部品がない)デジタルウォッチのことだ。こうした企業は、クォーツ革命の最も急進的な面を体現していた。機械式時計だけではなく、全てのアナログウォッチを駆逐したのだ。彼らの初期の成功により、アメリカの時計メーカーの復活への期待が大いに高まったのだが、それは実現しなかった。我々は、その理由を調べていく。

 私にとっては、こうした革命は、現在の幅広くて素晴らしい、そして時に奇抜な時計の世界を理解、評価、称賛するための基礎を提供してくれるものなのだ。このシリーズの第1回目は週明け早々に掲載される。ぜひ期待していただきたい。