2021年に最も話題(今のところ)となっている時計の1つが、新作ではなく、むしろ生産終了だというのは世相を反映している。
ステンレススティールにブルーダイヤルのパテック フィリップ ノーチラス Ref.5711、その終焉が単なる時計をはるかに越えたものとなるまでには長い時間があった。尋ねる相手によって、それはいくつもの異なる姿を現す - 現代のラグジュアリーウォッチデザインのアイコン、ドレスウォッチでよく知られる会社による他とは違った指向のSSスポーツウォッチ、流行、本当に迷惑な流行、近年の資本主義とソーシャルメディアの慢性的な毒性が織りなす異様な過剰傾向の一例、などである。
5711の需要と価格の高騰を観察するのは人間学的に興味深い。そして多くの時計愛好家にとってそれはマゾヒズムを刺激する鑑賞対象でもあり、いったいどこまで行ってしまうのかを眺めて魅了されるものなのだ。
ノーチラス Ref.5711のこういった現象は、もちろん理由もなく起こったものではない。SS製ノーチラスは原初のノーチラスであり、ジェラルド・ジェンタ(Gérald Genta)の当初の意図のとおり、もしくは少なくとも、最近のコレクションの中では他のノーチラスよりも彼の意図に近いデザインである。そしてのウェイティングリストは、製造終了の発表前の時点で10年待ちに迫るものとなっていた。
パテック フィリップのティエリー・スターン(Thierry Stern)氏がニューヨークタイムズに語ったところでは、5711には“ウイニングラン”の予定がある。それは既存在庫の販売ではないラストランであり、おそらくいつか忍耐が報われる日が来ると信じていた不満を抱えている多くの顧客を、少なくともある程度満足させるはずだ。しかしこれは単なる短い猶予期間に過ぎない。というのも、スターン氏は1つないしは複数の後継機を出すかもしれないが、5711はパテックの過去に属するものであり、未来には属さないと断固決意しているからだ。
では、ノーチラスの今後はどうなるのだろう。Instagramにおいて、ジャシム・アル・ゼライー(Jasem Al Zeraei)氏(@patekaholic)はノーチラスの運命を的確に予見する急先鋒となっていて、不安を抱える34万5000人のフォロワーたちは、どうやら信頼できそうな彼の水晶玉に次に何が映るのかと興味津々だ。彼はこう言っている。
「41mmの時代が来ている。私は世界が欲しているのは41mmのデイト表示付きSS製ノーチラスだと思う。そう、デイト表示付きだ。しかもブルーではなくブラックのダイヤル」。しかし、別の意見もあふれている。我々は4人の著名な専門家とコレクターに意見を求め、今後どうなると予想するか、そして今後どうなることを望むかを訊ねてみた。
世界的に有名な時計のエキスパートであり、ジュネーブ ウォッチ グランプリ審査員を2度務め、以前Talking Watches (HODINNKE Radioにも登場。Episode 62:エリック・クーとオークションとオンリーウォッチ 2019の初見の話)のゲストにも来てくれたエリック・クー氏(@fumanku)は、変革ではなく進化が起こると考えている。スイス高級時計ブランドの中でおそらく一番の保守派に関する予想としては、理に適っている。
「ここにきてイチから作り直すようなことはないだろう」、とクー氏はHODINKEEに語っている。「少し変更を加えた“新型”ムーブメントや、クラスプ、ブレスレットデザインの修正、全体バランスのわずかな調整 - おそらくケースサイズが1mm大きくなる - とか、それからダイヤルの色やフォントのちょっとした手直しがあるかもしれない。5711に代わるものに関してはそれくらいだ…。でももっと興味深いのは、ラインナップに加わる別の時計のことだ。私は5976 アニバーサリークロノに似たものがまた発売されるはずだと思っている。リシャール・ミルやオーデマ ピゲのオフショアが好きな層を満足させる、大きくて手に負えないようなものだ」
Talking Watchesに来てくれたもう1人の人物、イタリアのメガコレクター、ジョン・ゴールドバーガー氏は、露出過多な製品を打ち切る判断を下したスターン氏は賢明だったと考えている。
「ティエリー・スターン氏のノーチラス Ref.5711の生産終了への動きは正しいものだったと思う。永遠に続くような投機買いも終わるだろう!」 ゴールドバーガー氏はこのように述べている。「デプロイヤント クラスプやダイヤルになにかしら改善を加えて新しいモデルを出すのかもしれない。私はSS/ゴールド、イエローゴールド、ホワイトゴールドバージョンのラインナップが増えることを期待している」
「50周年の記念には…」、と5年後について彼は以下のように述べている。「ジェラルド・ジェンタ氏がデザインしたオリジナルの3711の完全な復刻版を出すべきだ」
ジョン・リアドン氏はアメリカのパテックで営業・トレーニング部門の責任者として9年間勤め、著書に『パテック フィリップ・イン・アメリカ:世界一流の時計マーケティング(Patek Philippe In America: Marketing The World's Foremost Watch)』がある。現在はオンラインでパテックコレクターの情報源、Collectability.comを主導していて、つい最近、5711の熱狂的流行に関する詳細な分析を公開し、警告を発している。リアドン氏は5711の生産終了はだいぶ前に決定していたのではないかと考えている。それも注意深い計画のもとで。
「5711/1Aのディスコンについて初めて耳にしたとき、私が最初に感じたのは次に何が来るだろうという興奮だった」とリアドン氏は述べている。「ノーチラスの終焉ではなく、何か新しい始まりのサインに違いないと、私は考えた。1980年代に最初のノーチラスであるSS製3700/1Aがディスコンとなったとき、この時計は一般に既に過去のものとして認識され、終了すると考えられていた。ノーチラスの売れ行きは落ち込み、女性用のノーチラスシリーズだけが生き残ると思われた」
「今回は違う。今回、この象徴的なメンズモデルは、おそらく世界で最も求められるラグジュアリースティールウォッチとして、最高に渇望されているタイミングで姿を消すことになった」
「パテック フィリップのあらゆる主要な戦略的決定と同様に、今回のRef.5711のディスコンは数年前から決まっていたと思う。パテックは状況に左右されて短期的に決めたりはしない。この決定はパンデミックより以前、重要な革新を計画していた時期か、ことによるとサプライチェーンの移行のタイミングで下されたと推測している。これは根本的に一時代の終わりと新しい時代の始まりを示すものだ」
変化とアップデートに関しては、リアドン氏は概して少ない方が良いと感じている。
「まず何よりも、私はオリジナルのケース構造のDNAがそのまま残っているものが好きだ。どこかが1mm単位で変わることはあっても、ベゼルの全体的な形状は変わらないことを切に望んでいる。ブレスレットについて言えば、特にクラスプには驚くような変化があるかもしれない。アクアノートのようなストラップのオプションがノーチラスにもあればおもしろいし、快適な上にエレガントでもあるだろう。そして合成素材のストラップについては質感の選択肢が無限にある」
「ケース素材については、SSではない新たな素材で作るのも魅力的だが、私にはパテックがオーデマ ピゲの領域に乗りこんでいくとは思えない。もっと安全で控えめでクラシックなパテック フィリップが登場すると予想している。おそらく貴金属に焦点を当てた高価格帯のものだ。結局のところ、それこそがパテック フィリップである。もしかしたらダイヤルに違った模様が入るかもしれない。ひょっとするとホワイトゴールドのグランドマスター・チャイム 6300のように中心にエンジンターンド模様が入ったブルーのダイヤル? サーモンダイヤルはどうだろう?」
「レディースラインについては、1970~80年代の展開を継承する多彩なダイヤルカラーを想像できる(ロレックスのステラのように)。選べるレインボーカラーのダイヤルがノーチラスの世界に登場すればおもしろいだろう…。結局のところ、私がこの新たなスタートに求めているのは自然な発展だ(たとえ少し退屈になりがちだとしても)。しかし、新たな時計は間違いなく、すぐさまクラシックの風格を得るだろう。幸運を祈ろう、それは我々みんなが心から愛するあまり、今後10年間にわたってウェイティングリストに名を連ねながら、いつになったら手に入るのかと悲嘆にくれることになる、そんな一流の時計であるはずだ」
ベン・クライマー(Ben Clymer) HODINKEE創設者
では、HODINKEEのベン・クライマーは? 彼の率直な意見は「なぜこんなに時間がかかったのか?」というものだ。
「パテックが5711Aをディスコンにすると知ったとき、すぐに思った。『いいだろう、ちょうど潮時だ』と。需要がないからではなく(全くその反対だと誰もが知っている)、ただ単純にちょうどいいタイミングに思えた。実際のところ、3700の発売から2016年に40周年を迎えた時点で私は止め時だと思っていた。このモデルは長年にわたって製造されていて、率直に、そんなに多くの人が興味をもっているとは思えなかった。決して失敗作ではないけれど、それに近かった。私は値下げの広告に誘われて新品でこの時計を購入した人物を何人か知っている。それは単なる格好いい時計であり、それ以上ではなかったし、それは道理に適っていた。ノーチラスを40本取り上げて各地域のフラッグシップオークションで、テーマごとに展開したクリスティーズのノーチラス40周年オークションを覚えている方もいるだろう。その期間中、私はオークションに携わる人物から買い手を探すのがとても大変だという話を聞いた」
5711への熱狂の絶頂にある今となっては、買い手が見つからないという状況は想像できないが、彼はパテックについては長期的展望が大事なのだと気付かせてくれる。
「現代ではたったの5年後に、同じ時計の価値が2倍や3倍もしくはそれ以上(!!)になるということを想像しなければならない。でもあれはほんの5年前のことだった。パテック フィリップの歴史の中で、これは些細な成功に過ぎない。そしてこのモデルのディスコンによってパテックは本当にやりやすくなるとも、私は思っている」
「誰かが5711Aを3倍で売っても、パテック フィリップ自体には2010年にかろうじて小売店で販売した額より1銭も儲からないという事実が、一般にマーケットではしばしば忘れ去られている。さらに、それは消費者と自慢の正規代理店ネットワークを苛立たせる。そういったわけで、ノーチラスが圧倒的な成功を収めたことをスターン・ファミリーが喜んでいることは間違いないが、パテックをパテックたらしめるものを捧げるものではない。私にとってパテックの真髄は複雑機構であり、私が言いたいのは革ベルト付きのラウンドケースに収められたコンプリケーションのことだ。やはり話が逸れてしまった」
今後に関して、彼が本当に望むのはより良い5711だ。
「パテック フィリップによる次なるノーチラスについて、どう予想し、何を希望するか? 私としては、全く同じ時計の、微調整クラスプ付きで(コストがかさむハーフリンクなんかのことではない)ケースがより薄いものが欲しい。それだけだ。もちろん特別なデイト表示なしやチタンケースも素晴らしいだろうが、それは私には必要ない。5711は今も昔も変わらず、いつ着用するにもパーフェクトな時計だ。ブレスレットがどんなサイズの手首にも容易にフィットするようになって、もしもう少しだけ薄くなれば、大満足!」
「このような結果を期待できるだろうか。おそらくそうはならないだろう。ご多分に漏れず、1mmか2mmのサイズアップは想定すべきだろうが、それでも構わない。パテック フィリップがノーチラスシリーズについて、次にどんなものを用意するにしても、それは素晴らしいものだと私は心から確信している。なぜなら、パテック フィリップの成すことこそが素晴らしいことなのだから」
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