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In-Depth スウォッチ マニュファクチュール・ツアー

バーゼルワールドからの撤退を受け、ブランド6社を取材する200人の記者が、3日にわたり6つの町を巡った。

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2019年5月14日から16日にかけて、スウォッチ・グループのプレスイベント「Time To Move」が実験的に行われた。同グループは、同年よりバーゼルワールドから撤退し、17の傘下ブランドが顧客やマスコミに新作時計を披露するための場を別に設ける必要が生じていた。

 経営陣の決定により、グループの中で最も高級なブランド6社が、バーゼルワールドの期間中、チューリッヒ中心部のハイエック・グループ本社に法人顧客を招き入れる運びとなった。(ハイエック・グループは、スウォッチ・グループの筆頭株主であるハイエック家が所有する、株式非公開のコンサルティング会社だ)。他のブランドも、国内市場の顧客と顔を合わせる予定だ。

 マスコミへの対応について高級ブランド6社は、5月に200人のジャーナリストをスイスに招き、自社の工場施設を紹介することに決めた。「コンセプトを変えようと試みています」と語るのは、ブランパンのマーク・ハイエック(Marc Hayek)CEOだ。「時計が作られ誕生する場を、お見せしたいと思います」。ブランドが作る時計を見てもらうのと同時に、どこでどのように作られているかを知ってもらうことが狙いだ。 

 21ヵ国から集まった200人の記者が、言語別の小規模なグループに分かれ、スイスの時計生産地をバンに乗って3日で巡り、6つの町で6つのブランドを見学した。

 スティーブン・プルビレント(Stephen Pulvirent)と私も同行し、スティーブンが新製品を取材すた一方、私は工場の見学に専念した。スイスの機械時計作りの手順は「Tツアー」(Tはフランス語で仕上げを意味する「Terminaison」の頭文字だ)に基づいており、我々はこれについて手短な講義を受けた。Tツアーは時計製造の5工程を指す業界用語で、T0(ムーブメント部品の製造)からT4(包装と出荷)までの段階を踏む。

 以下は、スウォッチ・グループの慌ただしいマニュファクチュール・ツアーに同行した、ひとりの記者による所見である。 

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ブランパン

初期型ブランパン エアコマンド(左)と新型フライバック クロノグラフ リミテッドエディション。

 1日目の早朝、我々を含むアメリカとオーストラリアの14名の記者からなるグループは、ローザンヌのホテルでバンに乗り込み、スイスが誇るジュウ渓谷へ向けて出発した。ジュウ渓谷が佇むジュラ山脈は、スイスとフランスの西側の国境をなしていて、走り出してから1時間後、一行は蛇行の続く急勾配の道に差し掛かった。モランドリュ峠まで登ると海抜は1170m。もう一つ峠を越えたところで麓の谷に到達した。最初に立ち寄るのは、ブランパン・マニュファクチュールの本拠地、ル・サンティエ村だ。

Vallee de Joux

ジュウ渓谷より、ル・ブラッシュ村、ル・サンティエ村、ロリアン村、ジュウ湖の方角を望む。

 ここでは700人以上の従業員が働いており、時計とキャリバーの設計から、ムーブメントの製造、ケーシング、テスト、アフターサポートに至るまで、時計作りの各工程に従事している(ブランパンは1年に3万本の時計を売り上げるとのことだ)。

 今日は、ムーブメントの製造現場を垣間見る。案内人から渡された実験用白衣には、我々の氏名がエンボス加工で浮き彫りにされている。準備は整った。時計作りの第1工程、T0は地下で行われている。機械作業で製造されたムーブメント部品に、手作業で仕上げが施される。次に案内された倉庫には、真鍮板や棒鋼などの原材料が保管されている。隣の部屋からは、激しくリズミカルに何かを打ち付ける音が聞こえる。「Atelier Decoupage」(アトリエ・デコパージュ)と呼ばれるアトリエだ。中に入り、ESSAの製造機械が真鍮の地板を毎分100枚の速度で打ち出しているのを見る。

新型フィフティファゾムスを見せるブランパンのマーク・ハイエックCEO。

 続いて工具製造工場に移動する。時計のムーブメントを作るには、部品ごとに切削するための工具が必要だという。「ムーブメントに300点の部品があれば、300種類の工具が必要です」と案内人が説明する。ブランパンは、ほぼすべての切削工具を自前で製造している。

 続いて「Usinage」(機械加工)部門に移動する。ここにずらりと設置されたMTR 312切削装置は、NASAの月着陸船と似た姿だ。機械が備える18〜36本の軸は、真鍮部品を圧延・ねじ切り・穴あけ加工するようプログラムされており、その精度は1〜2μmだ。

 続く「Tournage」(旋盤)部門は、自動巻きムーブメントに使う金のローターを作る作業場である。ブランパンのローターは、同工場で生産されているレディバードのプラチナ製ローターを除き、すべてゴールド製である。続いて「Ebauches」(エボーシュ)部門。ここでは機械を用いてプレート、ブリッジ、ゼンマイ、レバーなどの鋼鉄部品を生産している。

時計が作られ誕生する場を、

お見せしたいと思います。

– – ブランパンCEO マーク・ハイエック

 続く「Lavage」(洗浄)工場では、すべての部品を中性洗浄剤入りの熱湯に浸し、超音波で洗浄している。最後に、各部品はジュウ渓谷の別の場所にある装飾工場に運ばれ、そこで装飾と二度目の洗浄が行われる。以上がT0の工程である。 

ブランパンの新型ヴィルレ ウルトラスリムのケースバック。

 次に、2階のT1に運ばれる部品の後を追い、我々も移動する。T1は、時計職人が部品を組み立て、ムーブメントを完成品に仕上げる工程だ。この工程の作業場では、土埃を中に持ち込まないよう、靴の上に青色の使い捨てオーバーシューズを履かなければならない。

 作業場では実験用白衣を着た男女が、ワイヤーで頭に固定したルーペを通して、地板、ブリッジ、リューズの組み立てを行っている。職人たちはビスに正確な圧力をかけられる電動ドライバーを使い、潤滑油には8種類の異なるものが用いられていた。彼らは手作業で香箱を組み立て、アンクルとシリコン製ヒゲゼンマイをエスケープメントに固定するなど、キャリバーを完成させるのに必要なあらゆる作業を行っている。

 ムーブメントの完成品は、すべてここで試験を受け調整されたうえで、T2に送られる。T2は時計の組み立て工程にあたり、同じ建物の別の場所で行われている。ところが我々は、近くのル・ブラッシュ村にあるブランパンの複雑機構工場に向かう。そこで一行を迎えるのは、実験用白衣に身を包んだブランパンのCEOマーク・ハイエックだ。 

ヴィルレ ウルトラスリム。ケース厚7.39mm、ケース径40mm。

 「農園」、ブランパンがそう呼ぶ工場は、複数の小さなアトリエからなる。建物はもともと、ル・ブラッシュ村の丘を流れる小川の隣に立つ製粉所であった。ここでは熟練職人が、ブランパンで最も緻密な複雑機構の時計として、ミニッツリピーター、スプリットセコンド・クロノグラフ、トゥールビヨン、カルーセルに加え、複雑なカレンダーを生産している。あるアトリエの外に飾られた展示品が、工場で起きているドラマを見事に描いている。1991年のブランパン 1735 グランドコンプリケーションに使われた、740点もの部品が展示されているのだ。当時、史上最も複雑な自動巻き腕時計であった。 

 ここでも、各アトリエが、ムーブメント部品や文字盤に装飾とエングレービングを施すことに専念している。アトリエからアトリエへと移動しながら、ブランパンの役員から新製品のプレゼンテーションを受ける。なかでもハイエック本人からは、新型フィフティ ファゾムスの説明を受けることができた。

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ブレゲ

ブレゲ・マニュファクチュールのエントランス。ジュウ渓谷のロリアン村にて。

 午後になった。一行はブレゲ・マニュファクチュールへと車を進める。目的地のロリアン村は、ル・ブラッシュ村の隣だ。そこで我々を迎えるのは、ブレゲのCEO、ティエリー・エスリンガー(Thierry Esslinger)と、同社で歴史的財産・マーケティング部長を務めるエマニュエル・ブレゲ(Emmanuel Breguet)だ。彼らは類稀な時計業界の起業家である2人の名に賛辞を送っている。

ブレゲで歴史的財産・マーケティング部長を務めるエマニュエル・ブレゲ(右)。新型のクラシック トゥールビヨン エクストラフラット スケルトンを見せてくれた。

 一人目は、エマニュエル・ブレゲの先祖にあたる、ヌーシャテル生まれのアブラアン=ルイ・ブレゲ(Abraham-Louis Breguet)。優秀なスイス人時計職人であったブレゲ(1801年に特許を取得したトゥールビヨンの発明者でもある)は1775年、パリに時計店を開いている。二人目はマーク・ハイエックの曽祖父、ニコラス・G・ハイエック(Nicolas G. Hayek)だ。スウォッチ・グループの会長を務めており、1999年にブレゲを買収して復活させたうえ、2010年に他界するまで同社でCEOを務めていた。

 この地に2人の魂が宿っているのを、我々はすぐに実感することになる。最初に見学するのはレストア部門だ。「ここには、アブラアン=ルイのDNAが宿っています」と案内人が言う。このアトリエでは熟練時計職人らが、創業期のブレゲ製時計をレストアしている。時計職人の一人は、1810年製のムーブメントを修理しているところだ。毎年、およそ20点のヴィンテージ時計がここでレストアされている。

Breguet 1160, an exact reproduction of the Breguet 160, or "Marie Antoinette."

ブレゲ 160の完全復刻版、ブレゲ 1160。「マリー・アントワネット(Marie Antoinette)」の名を冠する

 目の前のブレゲ 1160は、名高いブレゲ 160「マリー・アントワネット」の完璧なレプリカだ。世界で最も複雑な腕時計として、一世紀にわたりその座を占めていた。1983年にイスラエル博物館で盗難に遭ったが、後に取り戻されてたが、見つかるまでの時期に、ニコラス・ハイエックは時計を復刻することを決めたのだ。「ニコラス・ハイエックが一族、そして子孫に取り組んで欲しかった課題です」と案内人が言う。復刻版は2008年に公開されている。

ブレゲの社屋には、隅石の下に

タイムカプセルが埋められており、

中に収められたVHSビデオテープには、

ニコラス・ハイエックからの未来へ向けた

メッセージが録画されている。

 レストア部門が入居する建物は、1世紀にわたりヌーベル・レマニアが工場として利用した歴史的建造物だ。ブレゲ・グループがスウォッチ・グループに買収された際、既にヌーベル・レマニアはその傘下にあった。同社は、ブレゲやサードパーティの顧客向けにムーブメントを生産していたが、中でもオメガ スピードマスターのものは有名だ。ニコラス・ハイエックはヌーベル・レマニアの建物を復元し、その後2001年には、三度の大掛かりな増築工事の一回目に、施設の増築と更新を行い、2004年には建物の名前を「Manufacture Breguet」に変更している。

ブレゲが2019年に発売した新型クラシック トゥールビヨン エクストラフラット スケルトン 5395。プラチナ(左)とローズゴールドを揃える。

 一行はヌーベル・レマニアが残した建物を後にし、廊下を通って3階建ての近代的な増築部へと向かう。その途中、床にこう刻まれているのを目にする。「LA 1ere PIERRE A ETE POSEE / LE 28 09 2001 / PAR Monsieur NICOLAS G. HAYEK & SON FILS NICK」(2001年9月28日。ニコラス・G・ハイエックとその息子、ニック(Nick)が1つ目の隅石を積む)。隅石の下にはタイムカプセルが埋められており、中に収められたVHSビデオテープには、ハイエックからの未来へ向けたメッセージが録画されている。将来VHSが廃止されたときに備え、ビデオテープと共にVHSプレイヤーも収められている。ハイエックがブレゲを復活させた際の記事が載った当時の新聞も一緒だ。

 ブレゲはジュウ渓谷で800人の従業員を抱えているが、その大半がここで働いている。一行は、1階にあるT0 機械製造業務部門を足早に通り過ぎる。T0の続きは最上階で行われており、そこでは職人が部品を手作業で仕上げている。

ブレゲの新型クイーン・オブ・ネイプルズ / SSモデル。文字盤は天然のブルーMOP製。

 私が最も大きな衝撃を受けた部門は「Guillochage」(ギヨシャージュ)だ。ここでは文字通り数十人の職人がエンジン旋盤を操作している。円形の装飾用ローズ・エンジンと呼ばれるこの旋盤は、文字盤に線と線の複雑な交わりを刻むことができる。アブラアン=ルイ・ブレゲはこの美しいギヨシュを愛し、薄型ケースの懐中時計に幅広く使用したことで、腕時計の設計に革命をもたらしている。アブラアンは初めてギヨシェを文字盤に用いたことでも知られている。ダイヤモンド形のパターンが光を反射する様を気に入っていたそうだ。ブレゲ・マニュファクチュールは、35台のローズ・エンジン旋盤を保有している。

 時計の組み立て工程、T2(文字盤と針の取り付け、ケーシング、複雑機構の組み立て)は、中階である1階で行われている。ブレゲはトゥールビヨンの発明者であるため、我々はトゥールビヨンについて短い講義を受け、同社が6種類のトゥールビヨン・ケージを扱っていることを知った。


オメガ

特別なNASAのパッケージに収められたスピードマスター アポロ11号 50周年記念モデル。

 翌朝、一行はローザンヌから北へ向けて出発し、広大なヌーシャテル湖とそれより小さなビール湖を通過した。ビール/ビエンヌ(それぞれドイツ語とフランス語の町の名前。2005年に共に正式名になった)に入り、2017年に操業を開始したオメガの新工場に到着した。CEOのレイナルド・アッシェリマン(Reynald Aeschlimann)が挨拶で「オメガは素晴らしい時期を迎えています」と述べる。

オメガのレイナルド・アッシェリマンCEO(左)。スウォッチ・グループのニック・ハイエックCEO(中央)。2017年操業開始当時の工場にて。

 2017年に操業を開始した最先端の新工場は、オメガ復活の象徴である。年間収益では、ロレックスに次ぐスイス第2位の腕時計会社であり、Ventobel Equity Researchが予測する2018年度売上高は、2434億7000万円にのぼる。2019年はオメガ・ブランド誕生125周年に加え、NASAのアポロ11号ミッション50周年を迎える年であり、売り上げに貢献することは確実だ。50年前、月で初めて着用された腕時計はオメガだったのだから。

ビール/ビエンヌのオメガ工場外観。

 この場所に初めてオメガの工場が作られたのは137年前だ。アッシェリマンが誇らしげに新工場の魅力を紹介する。プリツカー賞を受賞した建築家、坂 茂が設計した5階建ての建物は、コンクリート、ガラス、スイス・スプルースでできている。

オメガ・ブランド誕生125周年を記念する新型デ ヴィル トレゾアのイグジビジョンバック。

 ここで見学したものは、工芸品作りではなく工業生産の様子である。アッシェリマンによると、オメガは1日に3000本の時計を生産しているという。つまりオメガは、ブランパンが1年間で生産する数を、2週間で生産していることになる。オメガの製造設備は1つの建物に集約されている。T2で時計本体の組み立てとケーシングを行い、T3でブレスレットを組み立て、T4で包装と出荷を行っている(T1のムーブメント生産はETAの工場で行われている)。またここは、「マスター クロノメーター」認定を取得するための、METASの試験所としても使われている。

オメガの工場では、

毎秒4mの速度で動く4本のロボットアームが

部品箱を掴み、

全長500mのベルトコンベアに運んでいる。

 工場で目を引くのは、人間の介在なしに部品を作業場まで運ぶ自動倉庫システムだ。3階建て・104立方メートルの耐火性倉庫区画は建物中心部に設置されており、T2とT3に必要なあらゆる部品が、3万個以上の箱に保管されている。

オメガの新型シーマスター アクアテラ ワールドタイマーには、ロンドンとアテネの時間帯の間に、オメガが137年間本拠地としてきたビエンヌの地名が表記されている。

 案内人のマリアーノ・サムディオ(Mariano Samudio)がそれぞれジョン、ポール、ジョージ、リンゴと呼ぶ4本のロボットアームと、2台の垂直リフトが協調して、驚くほどのスピードで部品箱を取り出し(毎秒4m)、500m続くベルトコンベアに運んでいる。1時間あたりの運搬数は1400個におよび、見学者はその様子を、1階の窓を通して、あるいは4階の窓を通して上から眺めることができる。

オメガのビール/ビエンヌ本社において、部品棚管理ロボットは自動部品ピッキングシステムの要となっている。

 しかし、ひとたび部品が作業場に運ばれると、昔ながらの手作業で時計本体が作られる。ムーブメントのケーシング、文字盤の取り付け、針の配置、巻き真の調整など、作業の90%が手作業で行われている。

 ジュウ渓谷のアトリエとは違い、オメガの作業場には立ち入ることができず、ガラス越しに作業を眺めることになる。オメガは埃の侵入を防ぐため、作業場には紙の持ち込みだけでなく、見学者の進入も禁止している。すべてのやり取りはタッチスクリーン式のタブレットを介して行う。

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ジャケ・ドロー

 昼食を済ませた一行は、「metropole horlogère」(時計作りの中心地)を名乗るラ・ショー・ド・フォンを目指し、ジュラ山脈を再び駆け上がる。人口4万人の町は、300年にわたる時計作りの歴史を持つ。一行はルイ=ジョセフ・シボレー通りを進むが、ここはそう、あの自動車の先駆者、シボレー(Chevrolet)の生まれ故郷である。有名建築家のル・コルビュジエ(Le Corbusier)もここで生まれている。トゥールビヨン通りを曲がり、ジャケ・ドローに到着した。

バゲットダイヤが散りばめられたジャケ・ドローの新型トロピカル バード リピーター。価格は9262万9000円(税抜)。

 スウォッチ・グループがブレゲの1年後に買収したジャケ・ドローの名前は、ある地元の有名時計職人に由来する。ピエール・ジャケ・ドロー(Pierre Jaquet-Droz)は、1721年にラ・ショー・ド・フォンで生まれた。彼は、才能を腕時計と置き時計だけでなくオートマタにも活かすことで、自身の時計が有名になるきっかけを作った。

 ピエールのオートマタは「世界の奇跡」とみなされている。3体の自動人形「文筆家」、「ド画家」、「音楽家」は、彼に世界的な名声をもたらした。これらは1774年に完成し、ラ・ショー・ド・フォンで初めて披露されるや否や、大きな反響を呼んだ。1775年には、パリでルイ16世とマリー・アントワネットを前に「芸」を演じたのを皮切りに、ヨーロッパ中の王宮を巡業して回った。現在は、ヌーシャテルの美術・歴史博物館で常設展示されており、未だに動作可能な状態に保たれている(博物館が定期的に公開実演を行っている)。

ジャケ・ドローのクリスチャン・ラットマン(Christian Lattmann)CEOと対談する筆者。ラ・ショー・ド・フォンにて。 

 ジャケ・ドローはピエール・ジャケ・ドローの遺産を受け継いでいると、クリスチャン・ラットマンCEOは言う。作業場では、60人の時計職人と工匠が、美術品たる腕時計の製作に取り組んでいる。腕時計の種類は、ジャケ・ドローの懐中時計から着想を得た八の字型の文字盤を持つオフセンターの腕時計グラン セコンドや、オートマトンを備えたエキゾチックな文字盤の限定モデルなど、さまざまである。

ジャケ・ドローは昨年、約7000万円の

トロピカル バード リピーターの8本すべてを、

8ヵ月で売り切っている。

購入者のひとりはアメリカ人だった。

 まずはショールームで「チャーリー」に会う。彼は2012年に作られたアンドロイドで、映画「チャーリーとチョコレート工場」でジョニー・デップ演じるウィリー・ウォンカが元になっている。チャーリーが2つのベルを持ち上げると、ジャケ・ドローの現行モデルが現れる仕掛けになっている。2693点の機械部品で構成されており、12のカムと7の電動モーターからなる装置で駆動する。

 続いて、なぜピエール・ジャケ・ドローが名匠とされているのか、その理由を探る。ひとりの技師が、ピエールが1780年に製作した「シンギングバード・ケージ」を見せてくれた。大型で凝った装飾の吊り下げ式鳥かごの底には時計が据えられ、2羽の鳥がとまっている。鳥かごの中央部には、上から下まで水晶の柱が並んでいる。技師が時計を巻き上げると、本物の羽を纏った機械仕掛けの鳥がさえずり声を上げ、羽根、くちばし、尾羽を動かすと同時に、メロディが演奏され、柱の表面を回転する12本の「水流」が、錯覚で滝のように見える。これが40秒続いた。時計にはメロディが6種類あり、好きなときに再生することも、1時間に一度再生させることも可能だ。21世紀の見学者にとっても驚くべき作品だが、18世紀の見学者にとっては、まさに魔法だったはずだ。

同ブランドを象徴する八の字デザインの文字盤を持つジャケ ドロー グラン セコンド オフセンター クロノグラフ。このデザインはグラン セコンドの全モデルに共通する。

 一大メーカーであるオメガが世界的に有名な「アンバサダー」にかけた予算は、ラットマンが想像すらできない規模だが、我々がそこに立ち寄ってきたことを知ったラットマンは、「オートマタは私たちにとってシンディ・クロフォードみたいなものです」と言いながら笑う。

 マジック ロータス オートマトンは、ジャケ・ドローの新型オートマタ時計だ。小さな円形の文字盤の周りには、小川が流れている。文字盤の素材はオニキスで、2本の針はゴールド製だ。文字盤の残りの部分には、ジャケ・ドローが得意とする、生き物の装飾が凝らしてある。 

 これは蓮の花の一生を、さや、つぼみ、春の花、秋の花の4段階で表現したものだ。2枚の青い円盤は、小川を表現している。文字盤にはさらに、鯉、青いトンボ、蓮の葉、睡蓮、ダイヤモンド、サファイア、ルビーなどがあしらわれている。

 リューズのボタンを押すと、小川に生命が吹き込まれる。大きな円盤が回転し、鯉が文字盤の中を動き回り、尾びれを揺らし、緑色の蓮の葉の下に潜り込む。水の流れに沿って睡蓮が浮き沈みを繰り返す。アニメーション全体の長さは4分。1回転30秒なので合計8回転することになる。

 手彫り彫金を色付けした鯉とトンボ。金のベースをグランフー・エナメルで覆った蓮の葉と葦の茎。マザーオブパールを掘り出し、半透明の塗料を薄く被膜した蓮の花びら。これらを含む文字盤の部品はすべてここの作業場で作られている。  

プリカジュール・エナメルを素材とする新型スマルタ クララ ハミングバードの文字盤は、ジャケ・ドローの工場で作られている。

 T2にあたる「Atelier de Haute Horlogèrie」(高級時計アトリエ)では、ひとりの時計職人が手作業で時計を組み立てている。また、ジャケ・ドローでは、ブランパンから調達したムーブメントに改修を加え使用する。「Atelier Automaton」(オートマタ・アトリエ)ではオートマタが製造されており、鳥のさえずりなどの音を作るため、小規模な音響スタジオを完備している。開発に3年を要した新型マジック ロータスのムーブメントは616点の部品からなるが、そのうち500点はオートマタに使われている。 

 塗装、エナメル加工、彫金、彫刻は全て、各アトリエで専門別に手作業で行われている。日光が差し込むアトリエは、修道院のように静まり返っていた。 

 マジック ロータスの価格は2149万5000円(税抜)。ジャケ・ドローは、レッドゴールドとホワイトゴールドのモデルを、それぞれ28点ずつ生産する予定だ。

 ラットマンが言うには、これらの時計は主にアジア市場向けだ。しかし世界的な需要もある。同社は昨年、注目に値するトロピカル バード リピーター(税抜価格:6984万9000円)の8本を8ヵ月で売り切ったが、購入者の1人はアメリカ人だった。


ハリー・ウィンストン

ハリー・ウィンストンの新型イストワール・ドゥ・トゥールビヨン(ケース径45mm)は、シリーズの最後を飾る。

 3日目。一行はハリー・ウィンストン・マニュファクチュールを見学するため、ジュネーブ郊外のプラン・レ・ワットへと向かう。スウォッチ・グループは2013年、ニューヨークの有名な同ダイヤモンド・ジュエリー・ブランドを、1071億3800万円で買収している。我々を出迎えるため待っていてくれたのは、ハリー・ウィンストンのナイラ・ハイエック(Nayla Hayek)CEOだ。彼女はスウォッチ・グループ取締役会の会長も務めている。プレスイベント「Time To Move」の意義を聞かれたハイエックはこう答える。「あなた達はとてもラッキーですよ。バーゼルでは目新しいものなど滅多に見つかりませんが、ここは斬新な物事であふれています」。

 実際、この厳重に守られた要塞のような場所に入れてもらえたのは幸運である。なにしろ、数億円の価値があるダイヤモンドや石が保管されているのだ。ほどなくして、ここのアトリエを見学するのは、部外者では「Time To Move」の参加者が初めてだと知る。

 ダイヤモンド・ジュエリーを象徴的な製品に据えるウィンストンだが、ハイエックによれば、ここでは180人の従業員が腕時計を作っている。そのほとんどは女性向けのジュエリーウォッチだ。

ハリー・ウィンストンのプルミエール・プレシャス マイクロモザイク オートマティック 36mmは、文字盤を作るだけでも1週間を要する。モザイクガラスの台枠と、14個のブリリアントカット・ダイヤモンドを使い、手作業で作られている。

 石のセッティングを担うアトリエでは、宝石職人らがオリンパス SZ51 顕微鏡を覗き込み、ケース、ブレスレット、文字盤に希少な石を固定している。彼らは、ダイヤモンドで覆われた角型ケースへの配置作業を行なっているところだ。ケースは、ハリー・ウィンストンのアヴェニュー クラシック 20th アニバーサリーのものだ。ウィンストンの名高い「invisible settings」(透明な台枠)に配された最上級の石が眩い。宝石職人がひとつのケースを完成させるには、4〜5日を要するそうだ。

 ハリー・ウィンストンの時計は、主にETAのムーブメントを用いている。その多くはレディースのクォーツ時計用だ。同社はムーンフェイズの複雑機構を、メンズ・レディースを問わずブランパンから調達している。

最後になるハリー・ウィンストン 

イストワール・ドゥ・トゥールビヨンは、

腕時計として初めて

4つの独立したトゥールビヨンを備える。

 ウィンストンが扱うのは、もちろんレディースウォッチだけではない。同社は、オーパスとイストワール・ドゥ・トゥールビヨンの投入を皮切りに、機械時計の世界にも堂々たる参入を果たしている。それにあたり、ジルコニウムとアルミの合金であるザリウムや、白金族金属のルテニウム、それにウィンストンが専有するプラチナ合金であるウィンストニウムなど、希少金属を活用している。

ミッドナイト・レトログラード セコンド オートマティック 39mmの目玉は、ブルーアベンチュリンの文字盤と、107個のブリリアントカット・ダイヤモンド、そして1個のエメラルドカット・ダイヤモンドだ。

 昨今、メンズで注目を集めているのは、10作目にして最終モデルとなるイストワール・ドゥ・トゥールビヨンだ。腕時計として初めて4つの独立したトゥールビヨンを備える。巨大なケースの四隅に配置されたトゥールビヨンは、4つがそれぞれ手首に沿って水平に伸びている(45mm x 32mm x 12.85mm)。これらは36秒で一回転し、3台の差動装置で統合されている。イストワール・ドゥ・トゥールビヨン 10は、21本の限定モデルだ。ローズゴールドとホワイトゴールド(各8058万2000円・税別)が10本で、残りの1本はウィンストニウム(8273万3000円・税別)となっている。

 プロジェクト Z13は、ハリー・ウィンストンのザリウム製最新時計である。オーシャン レトログラード オートマティック 42mmとしても知られ、ケースとバックルがザリウムを素材としている。ザリウム・コレクションの時計として、初めてムーンフェイズを搭載する。ムーンフェイズはハリー・ウィンストンならではといえる、円ではなく12角形のデザインを採用していて、トランスバースアームによって文字盤の切り抜き部の上に保持されている。自動巻きムーブメントは、ハリー・ウィンストン用の特注品だ。

 オーパスはどうか。長年待望されているオーパス 15(前モデルのオーパス 14「Jukebox For The Wrist」が出てから4年近くが経つ)は、まだ見当たらなかった。

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グラスヒュッテ・オリジナル

グラスヒュッテ・オリジナルの新型ダイバーズウォッチ、SeaQは、新しい「スペシャリスト」コレクションの第一弾として、アウトドア好きと女性をターゲットにしている。

 午後はジュネーブ空港付近のホテルで、グラスヒュッテ・オリジナルを見学する。同社のマニュファクチュールは、時計作りで有名なドイツ東部の村・グラスヒュッテにある。直線距離で805km弱のところだ。CEOのローランド・フォン・キース(Roland von Keith)によれば、同社はマスコミをマニュファクチュールまで連れて行くことができないため、逆にマニュファクチュールを連れて来たとのことだ(ジュネーブからザクセンまでは遠い)。ホテルのボールルームには複数の製造風景が再現されていた。着用義務のある実験用白衣を渡された一行は、斬新性と技術的なプレゼンテーションを見る最後のチャンスを求め、仮想の工場に踏み入る。 

 部屋の中心部にある仮の実験室では、2人の技師が品質管理試験を行っている。グラスヒュッテ・オリジナルが耐衝撃性と耐水性を保証するために行う耐久試験だ。実験室の外では、時計職人と技師たちが、部屋の所々の作業台で実演を行っている。   

SeaQの裏蓋には、20本の波を背景に、ブランドの頭文字Gを2箇所にあしらったトライデントが彫られている。時計が持つ20気圧の耐水性を象徴するものだ。

 午後1時。ある時計職人が、ビスの青焼きを行っている。まず小さなスティールビスを手作業で鏡面加工し、光沢を得るまで研磨板で磨く。腐食を防ぐための処理だ。次に、灰色のビスを作業台の小さな加熱装置の上に乗せる。ビスの色は瞬く間に変化し、黄色を経て茶色、赤色、スミレ色、そして290° Cに達すると職人が求めていた藍色に変わり、ビスはグリルから下される。

グラスヒュッテ・オリジナルでは、熱されたビスが灰色から黄色、茶色、赤色、スミレ色を経て、

290° Cで藍色になるのを見た。

 文字盤を印刷する作業場では、ドイツ・プフォルツハイムにある同社文字盤工場から来たひとりの技師が、「パッド印刷」を実演している。手作業でロゴを一つ一つ、文字盤に印刷する工程だ。パッド印刷では、シリコンまたはラバー製「バルーン」を使い、インクを「クリシェ」と呼ばれる凹版プレートから写し取る。技師が機械の取っ手を引くと、パッドが凹版プレートに下される。次に、彼女はパッドをラインに沿って動かし、無地の文字盤の上に配置する。パッドを下ろした瞬間、文字盤の上にロゴが出現する。

グラスヒュッテ・オリジナルの新型セネタ・クロノメーター・トゥールビヨンには、青焼きされたビスが散りばめられている。新型が備えるフライングトゥールビヨンは、世界で初めてストップセコンド機構とゼロリセット機能を搭載する。

 別の作業場では、時計職人が顕微鏡を通して、18本の極小ビスを、金のチラネジに締め付けているところだ。ビスのねじ山は、直径わずか0.35mm。顕微鏡が必要なのも頷ける。時計職人が、一行に作業を試してみないかと聞き、協力者としてRedBar Groupの創立者、アダム・クラニオテス(Adam Craniotes)が名乗り出た。クラニオテスはこのツアー参加者の例に漏れず睡眠不足なため、器用さが損なわれている。また、ハリー・ウィンストンでの昼食で出された高級スイスワインを口にした可能性も高く、これも不利に働く。驚いたことに、何度か失敗した後、クラニオテスはピンセットでビスを掴むことができた。だが残念なことに落としてしまう。本人からそのことを聞いた一行は、うめき声を上げる。一行のひとりが、作業台に落ちたビスを指差すが、そこに見えるビスはまるで食卓塩の一粒だ。クラニオテスは挑戦を続けるうちに、ついにもう一本のビスを摘み上げた。そして奇跡的にも、穴にねじ入れて見せたのだ。一行からは感嘆の拍手が上がる。17個の穴を残し、プロと交代する。

 この出来事はツアーの核心を突いている。我々は、高級時計作りが複雑な作業を伴うことを知っていた。しかし今回、その仕事がいかに、悪魔的なまでに困難であるかを、改めて理解することになった。それと同時に、職人技を極めた特別な人たちへの敬意を深めることができたのだ。