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In-Depth ホイヤー スキッパレラの台頭

40年間振り向かれることはなかったが、初代スキッパーは今やホイヤーの人気クロノグラフだ。

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Hero image; Wind Vintageより

2008年1月にスイスで開催されたタグ・ホイヤー・ミュージアムのオープンは、コレクターにとって夢のような瞬間であった。本やウェブサイトで最も有名なホイヤーの時計を数年研究してきた末に、我々はようやく実物を目にすることができた。そこで展示されていたのだ。映画『栄光のル・マン』の撮影でスティーブ・マックイーンが着用したモナコ クロノグラフ。ジョン・グレンが地球を周回していた時に身に着けていたストラップとストップウォッチのレプリカ。そして、1911年のホイヤー初のダッシュボードタイマー“タイム・オブ・トリップ(Time-of-Trip)”。しかし、その中で訪問者をびっくりさせた風変わりなクロノグラフがあった。 

BlurrySkipper

このぼやけた“スキッパレラ”の画像は、初めてこの時計と出会った瞬間に筆者が撮影したものである。

 館内には9つの円形の展示ケースがあり、それぞれがテーマに沿って展示されていた。例えば“海の誘惑(Call of the Sea)”のケースには、ヨットレース、ダイビング、スキー、サーフィンなどでお馴染みの時計がずらりと並んでいた。そして、その中にあった時計の1つは、ダイヤルがメタリックブルーに塗装され、インダイヤルがダークグリーン、ライトグリーン/ブルー、ブライトオレンジの3つのセグメントに分かれていることを除いて、2レジスターのカレラのように見えた。クロノグラフには“スキッパー”と記されていたが、今まで見たスキッパーとは違っていた。群衆の中にいたコレクターたちは、あらゆる角度からこの時計を見つめていたが、誰一人この奇妙な時計がどうしてこのミュージアムで展示されるようになったかは分からなかった。 

 開館式の後に帰国した私は、1962年から2002年までホイヤーの時計職人だったハンス・シュラグ(Hans Schrag)に電話をかけて、この奇妙なスキッパーについて尋ねてみた。ミュージアムでこの時計を見たときは驚いたが、彼がこの時計は実際に本物のホイヤーのクロノグラフであり、スキッパー(Ref.7754)の最初のバージョンであることを教えてくれ、さらに驚いたのだった。さらに彼からこのモデルが1968年に少量生産されたこと、そしてホイヤーのカタログに登場したことがないことを説明してもらったことで、私がこのモデルのことを知らなかったことに対する恥ずかしい気持ちは消えていった。

 私はヴィンテージホイヤーのディスカッションフォーラムでこの発見を共有し、数時間以内に、このスキッパーの最初のバージョンは、混成語のニックネームで“スキッパレラ”と名付けられた。

Skipper1

 コレクターの間で発見されてから13年後、スキッパレラは標準生産されたヴィンテージ ホイヤーのクロノグラフの中で最も価値のあるモデルとして浮上した(“標準生産”とは、プロトタイプやその他の特別生産されたクロノグラフ - 例えば、宣伝用に使用された最初の“クロノマティクス(Chronomatics)”や、ダイヤルにインディアナポリス・モーター・スピードウェイのロゴが入った“オータヴィア(Autavias)”などは除く)。2020年には5種類のスキッパレラが一般販売され、直近の2種類は7万2200ドル(約760万円。フェローズ、2020年10月26日)と8万1600ドル(約860万円。ボンハムズ、2020年12月4日)の値をつけた。

 なぜこのようなことが起こったのか? 寡黙なスキッパレラが、どのようにして無名で愛されていない状態から、ヴィンテージ ホイヤーのクロノグラフの中で最も価値のあるものとして現在の地位にまで上り詰めたのだろうか? それは主に5つの要因が寄与している。


1. 勝利の裏話をもっていた。
Intrepid

 1960年代のホイヤーは、クロノグラフ市場で支配的なプレーヤーではなかった。しかし、スポーツや科学、産業界で使用されるストップウォッチやその他のタイマーを製造するトップメーカーの1社であった。ホイヤーは、スカイダイビング、水上スキー、タイピング、速記など、あらゆる状況でタイムを計測するためにデザインされたストップウォッチを製作していた。ホイヤーはヨットレース(レガッタ)の分野に強く、1967年にアメリカズカップで優勝したチーム イントレピッド(Intrepid)の公式タイムキーパーに任命されたのは当然のことであった。ホイヤーは、ストップウォッチ、ナビアの防水時計、アクアスター クロノグラフなど、チーム イントレピッドのためにあらゆる機器を提供した。 

 イントレピッドがアメリカズカップで優勝した後、ホイヤーは全く新しいクロノグラフであるスキッパーを記念に製造した。スキッパーは、2レジスターのカレラ(Ref.7753)と、イントレピッドの色に合わせて再塗装されたダイヤルでデビューした。クロノグラフのインダイヤルは、レガッタのタイミングに合わせて改造された。30分までのクロノグラフの代わりに、最初のクラクションが鳴ってからスタートラインを通過するまでの15分間をカウントダウンするミニッツレジスターを採用した。ヨットタイマーのスタイルに倣って、5分単位のセグメントにはそれぞれ特徴的な色があり、スキッパーの3つのセグメントはダークグリーン、ライトグリーン/ブルー、ブライトオレンジとなっていた。

 スキッパーは、1980年代半ばまでホイヤーのカタログに残っていた。しかしながら、コレクターの間では、ホイヤーはこれらオリジナルのスキッパーを300本から400本しか生産していないと推測されている。


2. 完璧なタイミングで登場した。
Twiggy

1960年代のスタイルを象徴するモデルのツイッギー。写真提供: Getty Imagesを通してバート・スターン、コンデ・ナストによる。

 歴史が大衆文化やスタイルの変化を促していることは誰もが承知している。1960年代の年表を振り返ってみて、避妊薬や娯楽用ドラッグの増加、ベトナム戦争の激化と反戦運動、ポップミュージックからロックへの移行など、重要な変貌を遂げた出来事を列挙することで、これらの変化が一般的な物の外観にいつから影響を与え始めたのかを考えることができる。Tシャツやコンサートのポスターは数日で時代の変化を反映し、家電や家具は長い時間をかけて進化していく。対して自動車やビル、公共空間に新しい美学が反映されるまでには何年もかかる。 

 歴史的に、高級時計は、この“デザインと製造”の点では、変化が遅い方であった。スイスの文化や、ケース、ダイヤル、針、ムーブメントのサプライチェーンの非効率性など、文化の変化とそれを反映した新しい時計が発表されるまでには、かなりの時間のずれがある。ホイヤーは1963年にカレラを発表したが、1960年代のスタイルをほとんど反映していなかった。むしろ、カレラは1950年代にホイヤーが提供していたクロノグラフを再設計したものだった。従来の常識では、ホイヤーのクロノグラフの中で、1960年代のスタイルを反映していたものは1969年3月に発表されたモナコのみであったと考えられている。 

Skipper

画像: エイブル・コート, HeuerTime.com

 そこでスキッパレラの出番である。イントレピッドは1967年秋のアメリカズカップで優勝したのだ。既存のカレラのケースと針を使用し、新しいダイヤルを作成してムーブメントを修正するだけで済むようにしたことで、ホイヤーはデザインと製造プロセスを加速させ、1968年にスキッパーを提供することができた。その瞬間にデザインされたスキッパレラは、活気にあふれた60年代のカラーとスタイルを初めて反映したクロノグラフとなった。それまでの半世紀は、ほとんどのクロノグラフのダイヤルには、ブラック、ホワイト、シルバーなどの中間色が使われていた。結局は、実用主義の時計であったのだ。1950年代には、“パンダ”と“リバースパンダ”が登場し、長年にわたって、いくつかのクロノグラフは、カラフルなスプラッシュやアクセントを取り入れたが、大胆なカラーブロックを使用したクロノグラフはなかった。 

Heuer

画像: エイブル・コート, HeuerTime.com

 スキッパーにおいて、ホイヤーは海の深いブルーを捉えたダイヤルを採用した。そして、イントレピッドのデッキのグリーンを反映したカラーブロックと鮮やかなオレンジを追加した。一方、ファッション界では、ミニスカートがそれまでの数十年の堅苦しいスタイルに対して革命を起こしていて、大胆なカラーブロッキングは、相反するものを補完することができる色であり、時代の大胆なエネルギーを捉えていた。カーナビー・ストリートのモッズルックが解放運動を進める中、突如、女性のドレスは喜びに満ちた大胆なものとなった。

 スイスのクロノグラフの世界では、スキッパーのダイヤルは、同様の革命の初期段階を表していた。その後の10年間で、時計ブランドはあらゆるカラーを広く採用するようになった。もしツイッギーがクロノグラフを好んでいたとしたら、確実にスキッパーを選んだだろう。

Skipper

スキッパレラと一緒に60年代風のドレスを着た若い女性。写真は著者によるもの。


3. Instagramに掲載された。

 ソーシャルメディアの研究によると、明るい色はより多くの“いいね!”を集めることが分かっており、これでスキッパレラへの関心が説明できる。ウィンド・ヴィンテージのオーナーで、以前はクリスティーズのシニア・スペシャリストを務めていたエリック・ウィンド氏( HODINKEEの寄稿者であることは言うまでもない)は、「スキッパレラは人々を笑顔にする時計です」と語っている。「ブルーのダイヤルが目を引き、そしてインダイヤルの風変わりなオレンジとグリーンのセグメントが時計を際立たせています。1960年代には、このような色使いのクロノグラフは他になかったのです」

 スキッパレラ クロノグラフのサンプルを注意深く調べてみると、多くの時計はマーカーの周りのブルーのペイントが薄れていて、太陽や海にさらされたことによるダメージを受けていることが分かる。10年以上にわたりホイヤーのクロノグラフを集め、スキッパレラ市場で活躍してきたウィンドは、これをスキッパレラの神秘性の一部と捉えている。

 「スキッパレラのミントコンディションはあまり見かけないですが、ある程度の適度な摩耗は魅力を高めます。時計にはそれぞれに指紋があり、ダイヤルの経年変化に時計の寿命が反映されているのを見るのが好きなコレクターも多いようです」 


4. HODINKEEによる影響
HODINKEE
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 2017年6月、まさにこのウェブサイト、HODINKEEとタグ・ホイヤーがコラボして、スキッパレラにインスパイアされたスキッパーが復活を果たしたことで、スキッパレラはさらなる盛り上がりを見せた。HODINKEEリミテッドエディションのスキッパーは、オリジナルモデルのカラーを完璧に忠実再現しつつ、3時位置の日付表示に加え、0から30までのカウントが可能な従来のクロノグラフ分積算計を追加した。

 HODINKEEがタグ・ホイヤーとの初のコラボレーションにスキッパレラを選んだことで、それまで風変わりな遺物であった時計が広く注目されるようになった。5900ドルの価格で販売されたHODINKEEリミテッドエディションのスキッパーはすぐに完売し、2020年11月にはフィリップスで2万5200ドルの値をつけるなど、セカンダリーマーケットでも好調な売れ行きを見せている。価格高騰をあまり手柄にしたくない(責めたくももない!)が、リミテッドエディションの登場がその一因だったことは間違いない。


5. 永遠のものである
Skipper

画像: @WatchFred

 ホイヤー モナコ クロノグラフについての最近の発言の中で、引退したタグ・ホイヤーのCEOであり、業界の先駆者でもあるジャン-クロードー・ビバーは、モナコが永続性を得るために組み合わせた要素について話した。ビバーは、時計の歴史、その革新的な正方形の形状、そして革新的なムーブメントについて説明をした。スキッパレラはこれまでとは異なるカタチでの永遠の活躍が期待される。 

 この時計は、イントレピッドのアメリカズカップ優勝というヨットレースの歴史的瞬間を記念しているが、それだけではなく、世界を席巻した文化とスタイルの変化の全時代を反映したもので、単一の出来事を超越したものである。スキッパレラは1960年代の鮮やかなカラーとデザインをリアルタイムで捉え、新たなコレクターたちはその活気を永遠に伝え続けていく。 

ジェフ・スタインはヴィンテージ ホイヤーのコレクターであり、OnTheDashの創設者でもある。スキッパー クロノグラフの詳細やスキッパーの写真ギャラリーについては、OnTheDashのスキッパー リーダーをご覧ください