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金無垢のロレックス サブマリーナーで深海にいった男

金無垢のロレックス サブマリーナー 1680を伴っての40年間のダイビング。

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彼がサブマリーナーRef.1680と共に潜った数千のダイビングのなかで、彼の時計に顕著な痕跡を残したのは、2012年のメキシコ太平洋沖にあるグアダルーペ島付近でのサメの撮影だった。その時点で、ブレット・ギリアム(Bret Gilliam)氏は世界中で約1万7000回の潜水を行ってきており、その大半はこの時計と一緒だった。このときの潜水は、アルミニウム製ケージに囲まれて潜り、技術的に複雑な水中カメラを駆使しながら体長16フィート(約5m)の海の頂点捕食者を撮影するという困難なものだったが、彼は以前にも何度も経験していた。

ベゼルインサートの45分の目盛りにある傷は1匹のホホジロザメがつけたものだ。

 しかしこのときは、撮影していたサメがギリアム氏に特別な興味を示した。その経験を振り返ってギリアム氏が語ってくれた。カメラのファインダーを覗いているあいだ、1匹の巨大なホホジロザメが「突然向きを変えて私のすぐ側のケージを咬んで、それから少し怒って私を狙って動き回り始めました。カメラを引っ込めてケージの奥に戻ろうとしたのですが、その前にサメが再び激しくケージにぶつかって、私の左腕はバーに勢いよく叩きつけられました。そのときにこのロレックスのベゼルに傷が付いたんです」。

メキシコの太平洋側に浮かぶグアダルーペ島沖のホホジロザメ。

アイコンとなっているロレックス サブマリーナー

ロレックス サブマリーナーについてもっと知りたい? それならHODINKEEのスティーブン・プルビレントによるこちらの包括的な記事が知るべきことを網羅している。

ロレックス サブマリーナー 歴代モデルを徹底解説」をチェック。

 そしてそれは、普通のサブマリーナーではなかった。ブレット・ギリアム氏のダイバーズウォッチは、18K金無垢のRef.1680で、ブラックベゼルとマットブラックのフジツボダイヤルをそなえている。この1680は通常はドレスウォッチのためのものである金無垢をまとった最初のサブマリーナーだった。金のロレックスは、それがたとえサブマリーナーだとしても、真のツールウォッチというよりむしろ成功のシンボルだとみなされがちだが、ギリアム氏はなにしろルールなど気にしない人間だった。

 ギリアム氏はダイビング界の生きる伝説である。ダイビングをより安全で誰にでもできるものにするための数十年にわたる取り組みが評価され、彼は2012年にDiving Hall of Fame(ダイビング栄誉殿堂)に迎え入れられた。現在69歳で、いまだに活動を続けており、ダイビングと海の事故の鑑定人を務めている。私はギリアム氏と数時間にわたって20世紀半ばから現在までの業界の進化について話し合った。彼のようにスキューバダイビングの進化を見てきた先駆者たちはもうほとんどいなくなってしまった。彼は知識が豊富で、それを教える熱のこもった様子は半世紀以上もこの業界に身を置く人物とは思えないほどだ。彼は自分の独自の立場をまだまだ楽しんでいるようだ。

このペリー潜水艇は水深3000フィート(約914m)まで潜水可能。写真は1992年にケイマン諸島で撮影されたもの。

 ブレット・ギリアム氏の父は海軍士官だったので、水に親しむ生活は彼にとって自然なものだった。彼はダイビングのテクノロジーがまだ未成熟であった1959年、8歳のころにダイビングを始めた。ギリアムは軍隊のなかでダイビングをし、70年代に海軍のもとでディープダイビング・プロジェクトを行った。彼は大学で学んだのちに、海軍のために約525フィート(約160m)の深さでの高速攻撃潜水艦の撮影に取り組むことでROTC(予備役将校訓練課程)の義務を果たした。このプロジェクトは潜水艦が航跡としてどんな目視可能な渦を残すかを評価するものだった。潜水に際しては、極限状況で採用される海軍の「エクセプショナル・エクスポージャー」テーブルと呼ばれる表が用いられた。

 軍務を終えたギリアム氏は、商業利用、科学的調査、技術関連、撮影といった数多くの役割を担ってダイビングを続けた。『Dreams of Gold』や『The Island of Dr. Moreau』といった数々のハリウッド映画で水中撮影を指揮する顧問を務め、いくつかの作品には出演までした。彼のダイビング界での並外れた評判は水中での功績だけによるものではなく、彼の起業家精神によるものでもある。彼は認定機関であるテクニカル・ダイビング・インターナショナルをはじめとする数々の会社を立ち上げ、ダイビングコンピュータを作るUWATEC社の社長とCEOを務めた。

ギリアム氏はアメリカ沿岸警備隊の依頼を受け、ダイビングと海事ミッションのためにプエルトリコで対策チームのレスキュー作業訓練を行った。

 彼はキャリアの大半でロレックス サブマリーナーを着けていたが、いつもゴールドのものを着用していたわけではない。1973年に同氏は、ヴァージン諸島で娯楽目的のダイバーを引きつけ、調査ダイバーをサポートするダイビング企業V.I. Divers 社を設立。その事業の一環としてスキューバプロの機材の小売りを行い、そこには時計も含まれていた。スキューバプロは70年代にスイスのメーカーと契約を結んで時計を作り、その文字盤とケースの裏にはブランド名が入れられた。1971年から1985年に正規ディーラーとなっていたため、ギリアム氏はスキューバプロ・ベントス 500 ダイバーズウォッチを着けた。1974年にはステンレススティールのロレックス サブマリーナーを購入し、水中でも水の外でも日常的に着用していた。同氏は「その時計は弾丸も通さない」と言った。彼はこの時計を生涯をとおしてなんら問題なく使い続けることができたことだろう。

有名なアザラシのアンドレとギリアム氏は1982年にニューイングランド水族館で出会った。

 しかし1970年に、スキンダイバー誌がギリアム氏の記憶に残る記事を掲載した。それはスキューバダイビング初期の先駆者であり、真に伝説的なダイバーであるディック・アンダーソン(Dick Anderson)のあるミッションを記録したものだった。アンダーソンは自前の金塊をロレックスに提供し、それを使って時計を作るように依頼した。突飛な思い付きだが、結局ロレックスはそれに従い、アンダーソンに彼が求める時計を作った。金無垢のロレックスだ。当時ロレックスの営業部長であったレネ・ジャンヌレ(René Jeanneret)はアンダーソンにその時計を寄贈した際、彼にこう言った「どうかためらわずにダイビングに着けて行って欲しい」。

 1980年のある日、ギリアム氏はロレックスからの電話で断れないような申し出を受けた。「私はザトウクジラを扱う全国放送のドキュメンタリー特番のために、撮影を行って、その解説をする契約を結んでいたんです。ロレックスは私に連絡してきて、ゴールドのロレックス サブマリーナーを着けて撮影に臨んでくれないかと訊ねたんですよ」と同氏は回想する。何よりも素晴らしいのは、ロレックスがその時計を格安で彼に提供するつもりだったことだ。彼はセント・クロイ島にある自身の会社V.I. Diversの本部から4ブロック離れたロレックスの正規代理店Little Switzerlandでその時計を購入した。購入価格は6500ドル(当時の為替レートで約146万9000円)で、ギリアムによるとダイビング事業のために最初に買ったボートよりは高かったそうだ。

ギリアム氏のロレックス サブマリーナー Ref. 1680(18Kゴールド)。

 彼はこの時計を、前に使っていたSSのサブマリーナーとまったく同じように使った。つまり、濡らしたりぶつけたりすることを一切恐れなかったのだ。金時計につきもののチャラチャラとしたイメージは忘れて欲しい。「この時計は水深800フィート(約244m)以上の過酷な深海潜水や、飽和潜水、海技士として天文航法を行う際のメインの時計として、再圧チャンバー内での治療、北極と南極の氷の下、潜水艇に乗っての1万2000フィート(約3658m)の深海への潜水など、あらゆる場面で活躍してくれました」とギリアム氏は語る。

 この時計はギリアム氏がギネスブックに載る記録をつくったときにも彼の腕に巻かれていた。90年、93年と続けて、圧縮空気で呼吸しながらの潜水で新記録となる深さに到達したのだ。

1990年のギネスブックに載った潜水で、水深400フィート以上へと向かっているところ。

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 90年のダイビングで、カリブ海に浮かぶロアタン島の「メアリーズ プレイス」において完全に意識を保ちながら水深452フィート(約138m)に到達したとき、彼の腕にはこのロレックスが巻かれていた。ダイビングコンピューターがまだ比較的新しいツールだった頃、彼はダイビングコンピューターを片腕に、もう片腕にロレックスを着けていた。

 物語は他のどんな要素より価値が高まりやすいが、ギリアム氏のサブマリーナーのパフォーマンスもまったく悪くない。「この時計が私の物で、今まで40年以上も使っていたというだけの理由で欲しがるダイバーから絶えず購入の申し出があるんです。一番最近のオファーは1月のこと、4万5000ドル(約495万円)でした」と彼は教えてくれた。

 参考までに、新品の金無垢サブマリーナー Ref.126618LNは現在410万3000円(税込)で販売されている。金無垢のサブマリーナーを困難でしばしば危険を伴う水中での仕事で着用することは、間違いなく伝統的な時計愛好家の考えに反するだろう。しかし、1970年にレネ・ジャンヌレがディック・アンダーソンに言ったように、ダイビングにこの時計を着けて行くことをためらうべきではないのだ。ギリアム氏は本当に言葉通りにそうしたし、それでジャンヌレの言葉がはったりではなかったことが明らかになった。

「この時計はいつでも必ず役割を果たしてくれる」と彼は言う。

ギリアム氏は、世界中を航行してあらゆる種類のダイビングをサポートするために用意されたクルーズ船オーシャンスピリットの船長を務めた。この写真は1989年に撮影された。

550フィート(約168m)のオーシャンスピリットは史上最大のダイビング企業であるギリアムのオーシャンクエスト・インターナショナルの主要船だった。

1981年に海上で結婚式を執り行うギリアム船長。

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 ギリアム氏はベンチャービジネスによって大きな成功を収めており、この時計がほぼすべての彼のダイビングのキャリアを通して彼と共にあったことを考えれば、コレクターが提示するどんな高額の買い値にも勝る心情的価値がある。誰かが時計について訊ねると、彼はいつもシンプルにこう答えるのだそうだ。「これを手放す気はないよ」と。

1977年に撮影された『The Island of Dr. Moreau.』のセットに立つギリアム。

 「私には家族や子どもがいないが、ダイバーである大切な友人にこの時計を残そうと思っているんです。彼は私より若いし、たぶん私より長く生きるでしょう...、少なくとも彼はそのつもりのようだよ」と彼は語った。