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Photos by Mark Kauzlarich
1980年代後半、ブライアン・エコノミー(Brian Economy)中尉が海軍学校の爆発物処理学科を卒業したばかりのころ、次の赴任先に訪れた際に個人用ダイビング装備リストが必要だと判明した。結局、彼は腕時計という1点のアイテムが足りなかった。彼は海軍に入るまで腕時計をつけたことがなく、曹長に向かってこう言った。「曹長、あなたのものを使ってもいいですか?」と。すると彼は「いや冗談だろう? これはG-SHOCKで、しかも新品だ」と言ったのだ。エコノミー中尉は補給係のところへ赴いてダイビングウォッチの手配を頼んだ。
「“ダイバーズウォッチはもうない”と言われましたが、しかし私は彼に何か、何でもいいからと時間をかけてお願いしたのです。すると彼は、“ここに時計の箱があるから選んでくれ”と言われたので、その中から唯一使える2本の時計を選んだのです」
この時計はあくまでも軍事活動中にだけ使用し、街中では使いませんでした。私のダイビング用具の袋に一緒に入っていた、ただそれだけです。
偶然にもそのふたつの時計のうちのひとつが、信じられないほどに希少なトルネク-レイヴィルだったのだ。この時計は最近、エコノミー中尉がサザビーズ(Lot 81、オークションは6月9日に開催)で販売するために委託したもので、この時計の歴史と出自を裏付けるさまざまなアイテム(潜水用レギュレーターとクレッシーサブのスキューバマスク、海軍省のSCUBA認定証、ドッグタグ、メダル、写真、ネームテープ、階級徽章など)もセットになっている。ミリタリーウォッチの来歴として、これほど素晴らしい証明はない。
同僚のトニー・トライナは、最近執筆したフィフティ ファゾムスウォッチに関するコレクターズガイドのなかで、軍が支給したTR-900を“聖杯”カテゴリーの筆頭に挙げている。どんなに“普通の”トルネク-レイヴィルにも魅力的な歴史がある。1933年に制定された“バイ・アメリカン法”(米軍物品を米国から購入することを義務付けるもの)によってスイスの時計会社の勢いが失われるなか、アレン・トルネク(Allen Tornek)は独自の解決策を見出した。彼はブランパンが本社を置いていたヴィルレ(Villeret)の町のアナグラム、“レイヴィル(Rayville)”という名前に変えて時計を輸入したのだ。それ以外は古きよき時代のブランパンを再現しただけの時計だった。
トルネク-レイヴィル銘のモデルはおよそ1000本しか製造されておらず、そのほとんどすべてを軍用に支給して大量に使用・酷使していた。また時計の使用や耐久性など、厳しい条件をクリアしなければ発行されない時計であるにもかかわらず、そのなかで生き残ったのはごくわずかしかなかった。
この時計が生き残った理由のひとつとして、1988年にエコノミー中尉に支給されるまでTR-900が初めて米軍に採用されてから22年の歳月を要したことも挙げられる。なぜこれほどまでに製造に時間がかかったのかははっきりしていないが、いずれにせよ最終的にこの時計が(エコノミー中尉が選ぶ)最後の選択肢になるまで放置されていたということだ。しかもエコノミー中尉は数カ月前まで、それが大金に値するものであることにさえ気づいていなかったという。
この時計が保つ素晴らしい状態は、エコノミー中尉がこの時計を大切に使ってきたことを反映しているとは到底思えない。特にクリスタルには明らかな摩耗が見受けられ、またケースにもそれがあるようだ。傷のついたクリスタルの下に隠れたダイヤルは素敵で、ベゼルも驚くほど素晴らしい形状を残している。エコノミー中尉は、それがどのように持ちこたえたのかはよくわからないという。
「この時計はあくまでも軍事活動中にだけ使用し、街中では使いませんでした」と彼は言う。「私のダイビング用具の袋に一緒に入っていた、ただそれだけです。小さな黒いボートに乗ってバルト海、湾岸、フランス、ドイツ、アジア全域、インド洋など海の真ん中でともに過ごしたのです。その作戦でどう使われたかは肯定も否定もできません。ただ悪天候のなか、昼夜を問わず、あらゆる過酷な仕事をこなしました。真夜中にインチョン号から出動したとき、時計が光っていたのを覚えています。それはまるでクラゲが海で光っているようでした」
時計がどこで装着されていたかという信じられないような話のなかで、最も信じがたく破天荒だと思ったのは、米海軍で機雷を狩る訓練を受けた軍用イルカ、ニノをパートナーにしてともに仕事をしていたときに、手首にそれをつけていたという話である。
ケース9時位置には、“low mu”という刻印が粗く刻まれており、この時計が1982年7月と87年6月の“地雷戦(MIW)(U)用の磁気および音響信号制御”テストに合格したことを示している。エコノミー中尉のような肩書の人にとっては非常に重要な資格だ。地雷はしばしば音響や磁気に影響を受けやすいものだったため、これらの懸念を軽減することが重要だった。しかしたとえ古い時計であっても役に立つことに変わりはなかった。「古い潜水用具を使ってダイビングに行くときは、この時計を持って潜るんです」と同氏。「これらはすべて同じランクでテストを行い、刻印されていたからです」
エコノミー中尉に、彼のストーリーが刻まれている自身の時計のほうが価値があるかもしれないのではないかと尋ねると、彼はそれを受け流して、17歳で入隊し祖国のために戦い・守ることを決意した気持ちを語った。「私の名前は忘れてください。ただ私が何を支持し目指してきたかを覚えていて欲しいです」
私は最後に、彼に時計を手放すのは寂しいかと聞いた。彼は80年代後半に箱から取り出したもうひとつの時計、ベンラスを今でも大事に持っていると言った。その時計は家族に受け継がれている。その時計にはエコノミー中尉と、もうすぐBUD/S(Navy SEALs志願者が行う基礎水中爆破訓練)に参加し、父親のファーストイニシャルを共有する息子のために、“B. Economy, U.S. Navy”と刻まれている。このように重厚なストーリーを持つ時計はあまり市場に出回っていないため、8万ドルから12万ドル(日本円で約1120万円~1675万円)というエスティメートに対してどうなるのか、注意深く見ていきたいと思う。
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