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Found 『カー・アンド・ドライバー』とのダブルネーム文字盤を備えた最初期のホイヤー カレラ

オリジナルオーナーであるビル・フィッシュバーン氏から直接届けられた、デイビッド・E・デイヴィス Jr.氏とジャック・ホイヤー氏によるホイヤー カレラの全貌。

数カ月前、ベン・クライマーがHODINKEEのなかでも特に重要なヴィンテージモデルであるホイヤー カレラに焦点を当てたReference Pointsの記事と動画を公開した。記事はタグ・ホイヤーのヘリテージディレクター、ニコラス・ビーブイック(Nicholas Biebuyk)氏協力のもと、56種類にもおよぶユニークなカレラのバリエーションを詳細に紹介している。今日、我々はこのリストに、そしてホイヤーのコレクションに新しいバリエーションを加えたいと思う。ビーブイック氏によると、このモデルはヴィンテージウォッチの世界で知られている『カー・アンド・ドライバー(Car and Driver)』とのダブルネーム文字盤を持つホイヤー カレラ最初期のモデルだという。

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 こちらの1967年製、ホイヤー カレラ Ref.3647Sは、オリジナルオーナーである元『カー・アンド・ドライバー』編集委員で元米軍グリーンベレーのビル・フィッシュバーン(Bill Fishburne)氏から直接HODINKEEに届けられたものだ。


今回の時計
A vintage Heuer Carrera with Car and Driver dial on the wrist

 ホイヤー カレラ初の2レジスターモデルとなるRef.3647は、1963年もしくは1964年に発表された。3レジスターのRef.2447から大きく期間を空けずに発売されている。6時位置に3つめのレジスターがないぶん、このスペースで創造性を発揮することができることから同リファレンスではダブルネームやロゴ入りの文字盤が多く見られるようになった。このカレラの使用感あるオリジナル風防の下には、3色の『カー・アンド・ドライバー』ロゴが刻印された、ほぼ無傷のシルバー文字盤が備わっている。

A vintage Heuer Carrera with Car and Driver dial

 1度も研磨しておらず、また、おそらく長年にわたって調整されたことがないにも関わらず、全体的に優れたコンディションを維持している。針と各インデックスに使用されているトリチウム夜光にも剝がれはなく、心地よいクリーム色のエイジングが見られる。ヴィンテージホイヤーのコレクターが夜な夜な頭を悩ませているのは、まさに彼らが手つかずのオリジナルという最高のコンディションを夢見ているからだ。カレラの象徴であるシャープな曲線は磨かれていない状態でこそ存在感を発揮し、この時計の美観を別次元に引き上げる。なお裏蓋には、“Bill Fishburne 1967”と刻印されている。


ダブルネームを持つ1960年代のホイヤー カレラたち
Three vintage Heuer Carreras

 Reference Pointsで記載しているとおり、1958年に正式に入社したジャック・ホイヤー(Jack Heuer)氏が最初に目指した目標のひとつが、北米市場においてその存在を目立たせることだった。彼は当時多くの競合他社が行っていた第三者の代理店を利用する方法を採らず、中間業者を排除し、アメリカで100%子会社のホイヤー タイム コーポレーションを設立した。ホイヤー氏はアメリカでビジネスを拡大するにあたっての大きな取り組みの一環として、アメリカのクライアントと提携し、特別なダブルネーム文字盤を製作した。MGのロゴやドライバー、インディアナポリス・モーター・スピードウェイ(Indianapolis Motor Speedway)の“ウィング&ホイール”の名前が刻印されたもののようにわかりやすいものもあれば、ニュージャージー州のアーコラ・カントリー・クラブ(Arcola Country Club)のために作られたもののように、少し謎に包まれたものまでさまざまだ。

 幸運なことに、ダブルネームカレラの世界に新たに加わったこの作品はオリジナルオーナーから直接送られてきたものであるため、いろいろと推察を巡らせる必要はない。

A vintage Heuer Carrera with Car and Driver dial on the wrist
ある男の物語

 1965年の末、ビル・フィッシュバーン氏はノースカロライナ州立大学の学士課程の修了を控えながら、同大学の学生新聞『theTechnician』の共同編集者を務めていた。この物語の裏側には、自動車雑誌『カー・アンド・ドライバー』の編集者として知られるデイビッド・E・デイヴィス Jr.(David E. Davis Jr.) 氏の存在がある。デイビッド氏はニューヨーク・タイムズ紙に「広告を失う危険を冒してでも、テストしたクルマに対する批判を奨励する闘争的な剣客」と評されるほど、“ありのままを伝える”ことを得意とするジャーナリストたちの小さなチームを率い、成長する自動車愛好家たちのコミュニティを夢中にさせていた。

 卒業を目前にしたある日、『カー・アンド・ドライバー』の熱心な読者であったフィッシュバーン氏は、自分の業績を“殴り書き”した手紙をニューヨークのワンパーク アベニューにある同誌のオフィスに郵送した。その最初の手紙は、こう締めくくられていた。 「お気づきのように、私は謙虚さに欠けるところがあります。私の動向に関する続報と私が書いた記事のサンプルを不定期にお送りさせていただきます」

 この出来事から、若きフィッシュバーン氏と伝説的存在であるデイヴィス氏との数カ月にわたるタイプライターでの手紙のやり取りが始まった。技術的な知識や1960年代の『カー・アンド・ドライバー』によく見られるようなジョークが交わされ、“デイヴィス家(夫妻と3人の子供)と保守的なマニアにジャーナリスト、一般人、そしてそれに類する人々との感謝祭“のために“異教徒のいる大都市”への招待状をデイヴィス氏が送ることで終わりを迎えた。1966年8月号にはフィッシュバーン氏が『カー・アンド・ドライバー』の編集委員として掲載されている。

A page of Car and Driver

『カー・アンド・ドライバー』1966年9月号。ビル・フィッシュバーンが編集委員として記載されている。Image courtesy of Bill Fishburne.

A full page Heuer advertisement in Car and Driver

1966年12月号の『カー・アンド・ドライバー』に掲載されたホイヤーの初回広告。Image courtesy of Bill Fishburne.

 自伝『The Times of My Life』にあるように、時を同じくしてジャック・ホイヤー氏はアメリカ市場への進出を進めていた。1963年、ホイヤーはニューヨークで最初の広告代理店に依頼し、『スポーツ・イラストレイテッド(Sports Illustrated)』や『カー・アンド・ドライバー』といった雑誌の美しいフルページカラー広告を買い付ける戦略を立てた。その結果、ホイヤー氏は1966年12月号の『カー・アンド・ドライバー』に初めての広告を掲載することになったのだ。これはアド・パティーナ(Ad Patina)のニック・フェデロヴィッチ(Nick Federowicz)氏が確認した事実だ。

 フィッシュバーン氏がこの雑誌に在籍したのは、結局のところ短い期間であった。1966年半ばから1967年3月まで毎号の編集に携わり、技術的精度に関する編集を行いつつ、ロードテスト特集のほとんどを無署名のゴーストライターとして担当していた。フィッシュバーン氏が『1967 Car And Driver Yearbook』の編集長を務め、シェルビー・アメリカン(Shelby American)のマスタング GT-500に関するロードテスト特集を執筆したことは特筆すべきことだろう。また、オランダの自動車雑誌『Autovisie』から1967年の“Outstanding Young Writer”として表彰されている。ホイヤーによる最初の広告から退社までの期間に、フィッシュバーン氏はデイヴィス氏から今では非常に希少になったこのカレラを贈られたと回想している。

A vintage Heuer Carrera with Car and Driver dial

 同時期に見られるほかのダブルネームホイヤーの背景を調べると、そのほとんどがジャック・ホイヤー氏本人を介したものであることがわかる。フィッシュバーン氏はホイヤー氏とデイヴィス氏が親交を深めていたと証言しており、この時計はその賜物であると思われる。On The DashのJeff Stein氏とビーブイック氏の調査により、これらの特別な文字盤は一般的にはおよそ10セットのロットで生産されていたこともわかっている。フィッシュバーン氏から、『カー・アンド・ドライバー』のオフィスではこのほかにも数本が使用されていたという話を聞いたため、おそらくこの時計が唯一のものではなく、初めて世に出た1本だと思われる。

 1967年3月、フィッシュバーン氏はオーストラリアのメルボルンで油圧機械を設置するフィリップ・モリス(Philip Morris)社での職を得て、その後ニュージーランドのネーピアにあるブリティッシュ・アメリカン・タバコ(British American Tobacco)社でも同様の仕事をすることになった。そのあいだもホイヤー カレラは手首に装着されていた。その5月、父親からの電報により、故郷のノースカロライナ州アッシュビルに4日以内に戻らなければならないという知らせを受け、オセアニアでの勤務は中断。彼の番号に連絡が入り、1967年6月1日、フィッシュバーン氏はアメリカ陸軍に入隊することになる。

A photo of Bill Fishburne

ルイス・L・フェルダー(Louis L Felder)大佐により、ビル・フィッシュバーン氏は少尉に昇進した。Image courtesy of Bill Fishburne.

 ホイヤーは陸軍にいるあいだ、フィッシュバーン氏の愛用品であり続けた。必要なときだけ手首から離れ、支給されたフィールドウォッチと交換されていた。基礎訓練、士官候補生学校、迫撃砲手学校、空挺学校を修了し、最終的に特殊部隊の兵士、すなわち“グリーンベレー”に任命。フィッシュバーン氏はパナマの第8特殊部隊グループの分遣隊であるアメリカ陸軍南部軍(USARSO)パラシュートチームの責任者を務めた。500回のショーとジャンプのほとんどでカレラは彼の手首にあった。そして1971年、フィッシュバーン氏は一等陸尉として陸軍を除隊となった。

 その後アメリカに戻ったフィッシュバーン氏は、IMSA(International Motor Sports Association)の広報部長として東海岸で開催されるレースの運営に携わり、モータースポーツ界でのキャリアを再開する。1年後にはBFグッドリッチ(BF Goodrich)社に転職し、1973年にはジョン・グリーンウッド(John Greenwood)製作によるコルベットC3のスポンサーとしてル・マンに出向いた。フィッシュバーン氏は彼のカレラで、ル・マンのタイムを計測した。「その時点では私にとってカレラはショーアップされた時計ではなく、実用的なクロノグラフだったのです」

A photo of Bill Fishburne

サーブ(Saab)社のプレスキットに掲載されたビル・フィッシュバーン氏。Image courtesy of Bill Fishburne.

A Saab press release detailing Bill Fishburne

レースにおけるビル・フィッシュバーン氏の功績を紹介するサーブ社のプレスリリース。Image courtesy of Bill Fishburne.

 BFグッドリッチ社に入社してからは、フィッシュバーン氏はシカゴで働きながら自らもレースに参加。サーブ社の米国法人であるサーブ・スカニア オブ アメリカ(Saab-Scania of America)社が主催する中西部のレースではサーブのステアリングを握り、週末のレースを楽しんでいた。文字盤に以前の勤務先のロゴが刻印されたカレラは、その相棒としてふさわしい存在だった。

最終的な感想
A vintage Heuer Carrera with Car and Driver dial on the wrist

 フィッシュバーン氏や彼の物語、そしてこの希少なホイヤーの物語を知ることは、HODINKEEで過ごす日々の楽しみのひとつとなった。ヴィンテージウォッチは一部の道具やデザインと同様に、その物が歩んできたり、あるいは起こり得たかもしれない人生について知ることができる存在である。私はこのようなストーリーを発掘し、それを記す機会を逃すつもりは毛頭ない。

 レース活動をしていたある日、フィッシュバーン氏のカレラは動かなくなった。彼はそれを外したまま、今まで忘れていたのだ。HODINKEEのReference Pointsを見てテーブルの上に時計が見当たらないことに気がつき、彼は連絡をくれた。フィッシュバーン氏の『カー・アンド・ドライバー』カレラは発見されたままの状態で、いずれタグ・ホイヤーのミュージアムに運ばれることになるだろう。

A photo of Bill Fishburne

現在のビル・フィッシュバーン氏。Image courtesy of Bill Fishburne.

A vintage Heuer Carrera with Car and Driver dial