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本稿は2020年2月に執筆された本国版の翻訳です。
40歳より50歳がいまは境目と言われるが、10年前より髪の量は減り、痛みが増えたものの、少なくともある面では同意せざるを得ない。40歳の誕生日に、その記念すべき瞬間を祝うために時計をもらった。それはロレックス サブマリーナー(デイトなしのRef.14060Mだ)で、当時の私の時計に対する憧れと予算の限界を超える存在であった。そのちょうど1年前に、HODINKEEという風変わりな時計ブログの執筆を始めたばかりで、そこには神秘的で儚く、そして収集可能な世界が私の前に広がっていた。
それ以来、多くの時計が私の手首を飾った。自分のものもあれば、このブログやほかのメディアのレビュー用に借りたものもある。50歳の誕生日が近づくにつれ、半世紀過ごした人生を祝うためにどの時計を手に入れるべきかを考える時間が不健康なほど増えてきた。その結果、私はいまのままで十分だという考えに至った。40歳の時に手に入れたあの時計こそ、50歳の時にも身につけたい時計なのだ。
妻と私は、いまは無くなってしまったショッピングモールの宝石店でロレックスを購入し(クレジットで!)、その裏蓋には私のイニシャルと日付を刻印した。40代の最初の数年間はいつもそれを身につけていた。その時計が持つ個人的な重要性から、できるだけ多くの人生経験をともにしようと決意したのだ。レーニア山の登頂、ニュージーランドのミルフォード・トラックのハイキング、ロレックス・ビッグボート・シリーズでのレースボートのハリヤードジャンプ、そして沈没船HMSハーミーズに潜ったときも、この時計を腕に巻いていた。地球の果てまで私とともに旅し、真に私自身の一部となり、その結果かなりの傷がついた。
あるレガッタの際、ベゼルがワイヤーマストに引っかかりサンフランシスコ湾の深淵に消えたかと思われたが、後にクルーメイトが見つけてくれた。そのときクリックスプリング(ベゼルを回転させる際にカチカチと音がなるバネ)がないままベゼルを元に戻した。またレーニア山の頂上からグリサーディング(雪の斜面を滑り降りること)していると、折りたたみ式クラスプがアイスピッケルに引っかかって開いてしまい、手袋の上でゆるくぶら下がる状態になった。私は第2次世界大戦時の航空母艦の沈船まで170ft(約51m)のダイビングをした際、減圧停止時間を計るため、いまでは双方向に回るベゼルを使った。その時計は10年間で1度だけ整備に出し、昨年ようやくロレックスに送り、必要なメンテナンスを受けさせた。また時計を送る前にベゼルは外して、サービスセンターにケースを磨かないよう指示した。ケースの側面には冒険の軌跡として立派な傷が残っていたからだ。
数年後、私はこの時計をあまり身につけなくなった。いわゆる“七年目の浮気”だ。ほかの時計が登場したことで古いサブが少し退屈に感じられるようになった。ドクサの独特な魅力、ブレモンの現代的なダイナミズム、そしてブレイトリングやグランドセイコーが私の心を掴んだのだ。さらには価格が高騰する前に、ヴィンテージロレックスにまで手を出した。いまでは、不本意ながらも“コレクション”と呼ばざるを得ないほどの時計がある。そしてこれからも増えたり減ったりするのは間違いない。ただ日々時計に触れているため、飽きていないと言えば嘘になる。これは時計について書くことを職業にしていること、そして何百もの時計を身につけたことが原因だ。時計を狂ったように売買し、収集していた最初のころから時計の購入は減ってきている。新しい時計を手に入れるたびに、17歳の時に初めて手に入れたセイコー、36歳の初めての高級時計、そして40歳で手に入れたロレックスの時に感じたあの高揚感を求めていたが、その感覚は2度と訪れなかったことに気づいたのだ。
誤解しないでほしいが、私は不満を言っているわけではない。単に時計というものが、憧れて収集する対象ではなく、新しい経験を得るための手段や過去の経験の記念品へと変わったのだ。素晴らしい時計をショーで、他人の手首で、またはInstagramで遠くから眺めるだけでも十分で、自分のものにするために画策する必要はないと学んだ。
その一例として、40代も半ばを過ぎたころ、私は妻に50歳になったらA.ランゲ&ゾーネが欲しいと言ったことがある。グラスヒュッテを数回訪れ、そのブランドの理念に惚れ込み、50歳にふさわしい憧れの時計だと思ったのだ。しかし途中で、もしランゲを所有したら決してそれを身につけないだろうということに気づいた。40歳の誕生日に贈られた時計に対する扱いを考えると、手作りで防水性のあるドイツ製時計は私が60歳になるまで持たないだろうと思ったのだ。
かつての40歳は中年の危機の年齢と言われ、スポーツカーを買い、不倫をし、キャリアを変える時期とされていた。しかし私の40代は、決して危機と呼べるものではなかったが、非常に重要な10年間となった。会社員からフリーランスへの飛躍を遂げ、世界をより広く見て、新しい技術を学び、小説を書き始め、古いランドローバーを購入した。遅咲きと言われようが、この10年間でようやく自分自身に完璧に自信を持てるようになった。ある意味あのロレックスはそれを象徴していたのだ。説明しよう。
私の出身地では、ロレックスを着用している人を見たことがなかった。というのも沿岸地域やヨーロッパの多くの人々は、父親や手本となる人物が古いサブマリーナーやデイトジャストをつけているのを見て育ったが、アメリカ中西部だとロレックスは仰々しく、非実用的で気取っていると見なされていた。だからニューヨーク、ジュネーブなど、遠く離れた地域でロレックスとともに時間を過ごしても、故郷に戻ってそれをつけていると、他人に対してではなく少なくとも自分自身に対して何か説明が必要だと感じた。
そのためロレックスについて、そして時計全般について、自分が何を好きなのかを見直さざるを得なかった。そしてそれは、文字盤に書かれた名前やそれに関連する名声とはまったく関係がなかった。私はそれにはいつも違和感を感じていた。私が引かれたのは、戦場や探検で使用された歴史であり、冒険好きな人が直面するあらゆる事態に対する信頼性だった。これを聞いてくれる人には、対面でも文章でも説明するのが楽しかった。この手首にある時計? それは山にも登り、海にも潜った。クルマがなくなっても、私の老いた体が尽きる瞬間もともにあるだろう。ブランドはどうでもいい。カシオのダイバーズウォッチでも、オリスのクロノグラフでも、この10年もののロレックスでも構わない。Instagramのリストショットは忘れよう。時計をつけてクールなことをしている写真を見せてくれ。それが私が共感する#fomo(見逃すことへの恐れ)だ。
50歳が近づくにつれ、私はその特別な時計が何であるべきか考えてきた。プロプロフ? 私らしいね。ランゲ? 長年の夢だ。デイトナは? またロレックスか! パテック? 相続する人がいない50歳の誕生日にふさわしい時計だ。
しかし現実を直視しよう。50歳の時計は、私が40歳で買ったものに匹敵するだろうか? いや、時計のせいでもないし、私の最高の冒険が終わりを告げたわけでもない。だがいまの私にとって時計は違う意味を持っており、新しい時計を手にするよりも経験を積みたいと思っている。私の50歳の誕生日は、10年前のサブマリーナーを腕につけて深海に潜っていることだろう。
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