ノスタルジアは、私たちが過去を振り返る際に強い影響力をもつ‐歪められ、理想化された記憶のみが残る。
それを理解することは、歴史的なデザインにインスパイアされた現代の時計をどのように分析するかの糧となる。歴史的なリファレンスのオリジナルモデルを評価する際には、必ずしもデザインの詳細を評価するのではない。その時計が生まれた時代背景を評価するのだ。例えば、ロレックスのポール・ニューマン デイトナ。ダイヤルの視認性は酷く、ヴィンテージウォッチとしての作りは、現代の時計と比べてもそこそこといった程度だ。それでも、記録的な値を付けて以来、おそらく最も追い求められているヴィンテージウォッチだ。それは“キング・オブ・クール(訳注:P.ニューマンを指す)”がこの時計を作ったからだ。私たちは往々にして、時計そのものではなく背後にあるストーリーを買ってしまうものだ。しかし、それは悪いことではない。時計にまつわるストーリーの方が、時計そのものよりもはるかに面白いことが多いのだから。
この現象は、過去のデザインを再解釈して新しい時計を作る際に、メーカーに大きな裁量を与えることになる。そして、その物語性やノスタルジアに囚われ冷静さを失うと、疑問符のつくデザインでも許してしまいがちになる。
実は、今回紹介するブライトリングAVI Ref. 765 1953 リ・エディションが面白いのは、そこなのだ。50年代の時代背景を抜きにしても、時計そのものがとてもよい。この時計を押しつけるために歴史を利用しているわけではなく、デザインを再解釈する際に、現代性を手抜きするための言い訳として使ってもいない。この時計は、ブライトリングが商業的に通用するリファレンスとして生産する、理論上1953年発売のオリジナルモデルに限りなく近い時計である。
今日のブライトリングは、昔のブライトリングとは全く違うということを理解しておく必要がある。同社は1884年の創業以降、その歴史は平坦なものではなかった:1979年のクォーツ危機によってブランドが消滅し、突然歴史が途切れてしまったのだ。社長のウィリー・ブライトリング自身も同年に亡くなっている。1982年にアーネスト・シュナイダーが再スタートを切ったが、それまでとは少し違った角度からのアプローチで、現在では "ネオ・ヴィンテージ "と呼ばれるデザインの数々を発表した。
1940年代のブライトリングは、クロノグラフのトップメーカーのひとつだった。例えば膨大な数のリファレンスの数々だ。リファレンスごとに新しい技術やイノベーションが盛り込まれている。時計と並行して、ブライトリングのユイット アビエーション部門では、ヨーロッパの主要な航空メーカーに供給する計器を製造していた。50年代に入ると、デザインはさらに洗練され、道具としての魅力を増していった。軍事用ジェットエンジンを搭載した航空機が普及したことで、精密さ、正確さ及び信頼性を備えた時計が求められるようになったのだ。数多くの特許を持ち、数十年に渡ってクロノグラフを製造してきたブライトリングは、その10年前に発売されたクロノマットに加え、プレミエやスタイリッシュなスーパーオーシャンが登場するなど、常に時代の先端を走っていた。
AVI Ref. 765は1953年に発売され、今作の復刻版の名が示すように、ジェット機黎明期のニーズに応えた特殊な機能を備えていた。3時位置にある15分積算計は、航空機を安全に運航するために必要なウォームアップ手順と飛行前のチェックの時間を計るためのものだ。当時は、アメリカのF-86セイバーやイギリスのホーカー・ハンターなどのジェット戦闘機の時代だった。これらのジェット戦闘機は複雑で、当時としてはまさに最先端のものだった。AVI Ref. 765も同様だ。搭載されたムーブメントCal.ヴィーナス178は、標準仕様は30分積算計だが、AVI 765では15分積算計に改造された。また、ダイヤルの視認性を高めるため、当時としては巨大な41mm径のケースを採用した。このモデルは53年から60年代初頭まで製造され、その後、少しずつ異なるAVI Ref.765に置き換えられていった。ルイ・ウェストファレンが2016年にそのうちの1モデルのハンズオン記事をリリースしているのでご覧いただきたい。
AVI Ref. 765は、1950年代のブライトリングを象徴するモデルだ。アメリカやヨーロッパの地上では好景気が続き、空には超音速のブームが到来していたため、ブライトリングは航空時計に応用できる機能の基準を確立した。そして、2020年のブライトリングはそのことを忘れていなかった。
ほとんどの時計は、先代モデルのデザインを再解釈したものだ。それがブランドの特徴であり、同じものを繰り返し使うことで独自のデザイン言語を確立しているのである。ブライトリングはこの時計を "リ・エディション"と呼んでいるが、私はこのネーミングを正当かつ的確だと評価している。フォティーナ(これは確かに“着色に過ぎない”が、ほとんどの場合、復刻版や旧モデルへのオマージュを込めた時計に積極的に採用されている)を施していることや、夜光プロットにラジウムが使われていないことから、旧モデルの精神を受け継いでいないと言う人もいるだろう。私はかなりの期間、この2本の時計を併用していたが、もし53年モデルがNOS(未使用品)で1日たりとも使用されていなかったら、見分けるのにとても苦労しただろう。時計の重さの違いさえも気づかないほどだったからだ。
この時計の動力源は、ブライトリングのCal.B09だ。オリジナルと同じく、手巻き式のコラムホイール式クロノグラフムーブメントである。巻き上げてみると、思わず笑みがこぼれる。リューズの操作性は非常に優秀で、ラチェット歯車が回転するたびにクリック感がダイレクトに伝わってくる。ただし、その様子は、スティール無垢の裏蓋を採用しているため窺い知れない。むしろ好感がもてる点だ。
なぜ70年近く隔て、同じ時計を作るのか? それは、この方法論が有効だからだ。ジョージ・カーン率いるブライトリングが、ヴィンテージ・ブライトリングの収集コミュニティが昔から知っていたことを発見しているからである:ブライトリングの最も興味深いデザインの多くが、50年代から70年代にかけて発表されていることだ。ナビタイマー Ref. 806 1959リ・エディションは、2019年のバーゼルワールドで発表されたのを皮切りに、以来ブライトリングは歩みを止めることはなかった。ゾロ風ダイヤルの“トップタイム”リ・エディションやスーパーオーシャン ヘリテージ '57の成功を思い出してほしい。カーンのアプローチに最初は懐疑的だった収集家のコミュニティも、このレトロへの舵切りを熱狂的に受け入れていると思う。
ブレゲ Type XXI 3810
ブレゲは、50年代にフランス軍に供給するためType XXを開発した。同時代のブライトリングと同様、これらのモデルはコレクター垂涎のアイテムとなっている。また、ブレゲはフランスの航空技術の発展に大きく貢献した。アントワーヌ・ブレゲの息子であるルイ・ブレゲは、1907年に初期のジャイロプレーンを製作し、ブレゲ・アビエーションがダッソー( Dassault )と合併する1971年まで、航空機の製造と設計を担った。ブレゲ・アビエーションの中で私が最も高く評価する飛行機は、短命ながらアメリカのマクドネル社にライセンス供与されたSTOL(短距離離着陸機)の941だ。しかし、製造されたのはわずか5機で、そのうちの1機は試作機だったという。
Type XXは38mm径の時計だったが、Type XXIは先代のデザインを現代のケースサイズのトレンドに合わせて42mm径にサイズアップしたモデルだ。ブレゲで最も有名なツールウォッチのデザインを現代風にアレンジしたものなのだ。
歴史を感じさせる素晴らしい時計だが、仕上げの面でRef.AVI 765とは異なる。その違いは、サイズアップしたケースにある。Ref.AVI 765が完全復刻であるのに対し、このモデルはそうではない。パイロットクロノグラフの特徴的なデザイン(ブラックダイヤルにアラビア数字と3連レジスターのレイアウト)はすべて踏襲しているが、オリジナルから少しかけ離れてしまったため、その過程で多くの魅力が失われたようにも見える。価格はSS製が159万5000円(税込・他にチタンとローズゴールド製もある)と、ブライトリングよりもずっと高価格帯になる。ブレゲが欲しいなら、それは当然の選択だろう。しかし、同じように歴史的な意味をもつブライトリングを99万円(税込)で購入し、残りの費用を飛行訓練に充てるのが賢い選択かもしれない。
ジン パイロットクロノグラフ 103
現代のパイロットウォッチには、ミッドセンチュリーデザインからインスピレーションを得たものが数多く存在する。それらの時計は単体では優れているが、クラシックなトリプルレジスター・パイロットクロノグラフのデザインを裏付ける正当な歴史がまったくない。一方でジンはブライトリングよりもずっと若いブランドだが、その歴史は正当なものであり、私は妥当な競争相手だと考えている。
ジンは、80年代にドイツ空軍のパイロット向けに1550フライバッククロノグラフモデルを納入した。3連レジスターを備えた標準的なパイロットクロノグラフではあるものの、レジスターの向きを12時、6時、9時に変更し、3時位置のデイト窓を使いやすくしている。当時のパイロットのニーズを考慮して作られたという点で、ブライトリングのAVI Ref.765 1953 リ・エディションと方向性やスピリッツが近い。103シリーズは60年代に発表され、バルジュー72を採用していたことを除けば、オリジナルの53年型Ref.765ブライトリングと非常によく似たデザインだった。
ジンは、2017年に103の限定モデルを発表し、フォティーナのトレンドに便乗した。そのモデルはすぐに完売してしまったが、通常モデルの103 Stはまだ生産中だ。より親しみやすい価格帯(ストラップ付きなら35万2000円・税込)のパイロットクロノグラフを探しているのであれば、ブライトリングの代替品としても最適だ。
IWC パイロット・ウォッチ・クロノグラフ 41
ミッドセンチュリーの航空マニアとしてブライトリングを検討しているのであれば、IWCはお勧めできない。どちらかというと、現代的で一般的なパイロットウォッチだからだ。しかし、正当な歴史をもつ優れたデザインのパイロットウォッチを所有したいという理由で、ブライトリングを検討しているのであればIWCは有力な比較検討候補となるだろう。どちらも自社製キャリバーを搭載し、3連レジスター(IWCはデイト表示も備える)と大胆なアラビア数字を組み合わせ、空の旅にまつわる正当なヘリテージを受け継いでいる。1本だけのコレクションとして、あるいはパイロットウォッチの世界に足を踏み入れるには、IWCの方が適しているかもしれないが、ブライトリングにはもう少し個性がある。熟練した時計愛好家であっても、部屋の向こう側からこの時計を見分けるには近くで凝視する必要があるが(15分積算計の夜光で見分けがつかない場合は別だが)、IWCならすぐにそれとわかる。
オメガ スピードマスター ムーンウォッチ 321
オメガのマーケティング部門は、何十年にもわたってスピードマスターをムーンウォッチとしてプロモーションしてきたが、登場以来、パイロットにも人気のある時計であったことを忘れてはならない。アポロ時代の宇宙飛行士の多くは、宇宙飛行士である前にテストパイロットであったのだ。また、AVI Ref.765 1953 リ・エディションとの共通点も多い。もっとも、スピーディのダイヤルにアラビア数字はないが。
ブライトリングのCal.B09は、初代スピードマスターに搭載されていた古いオメガのCal.321をベースにしたCal.321と同じ典型的なコラムホイールを採用している。この2本の時計は、現代の状況下で可能な限りオリジナルに忠実に作られている。これらは、最先端の製造技術を用いて時代を遡ることを証明した時計だ。スピードマスターは、ブライトリングの2倍弱となる166万1000円(税込)という途方もない価格だが、知名度は10倍だ。しかし、月面着陸が、50年代の実験用戦闘機のパイロットが音速の壁を破ったことほど偉業でないと感じるのであれば、ブライトリングの方が間違いなく価値があるだろう。
ブライトリング収集家に話を聞くと、"旧型"が"新型"ブライトリングよりもはるかに優れていることを教えてくれるはずだ。そして率直に言って、AVI Ref. 765 1953 リ・エディションを着用する前は、正直なところ、それに心から同意していた。当時の時計は明確な目的をもって作られており、オリジナルのAVI Ref.765に搭載されている奇抜な15分積算計のように、当時の機能的な要求から素晴らしいデザインが生まれている。このような背景があるからこそ、私は新しいAVI Ref.765に魅力を感じるのだ。かつての栄光を誇示するために、ひどい妥協をしなければならないような時計ではないのだ。この時計は、私の18.4cmの手首に見事にフィットし、旧モデルのように取扱いに気を遣う必要も感じない。あとはF-104があれば、15分でエンジンをかけられるかどうかを試してみたいところなのだが。
ソルトレイクシティにあるリテーラーOC Tannerのブルーノ氏とコレクターのEberhardfan氏に感謝します。
その他詳細は、ブライトリング公式サイトへ。
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