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The Two Watch Collection チューダー ブラックベイ フィフティ-エイトとグランドセイコー SBGK007を2本限りのコレクションに選ぶ

ツールウォッチとドレスウォッチに相通じるものとは。

頭の体操として、時計コレクションを2本に絞るとき、時計ひいてはウォッチコレクションに最も重要視するものは何かという問いを自分自身に突きつけることになる。目新しさや好奇心だけでは、コレクションとして十分ではない。限られた空間は、時計をその核心まで迫り、こう問いかけることを意味する:これが、この時計が成し遂げようとすることに相応しい表現だろうか?もし、その問いかけを否定するなら、コレクションに加える余地はない。2本限りのコレクションを構成するとき、私が最も心がけていることだ。意図したとおり表現できているのかが重要なのだ。

 2本限りのコレクションを構成する過程の副産物といえるのが、我々がどのように時計を使用し、コレクションの役割について真剣に考えることである。自分自身に正直であれば、日常のあらゆることに完璧に対応するのに、2本の時計で事足りるのだ。突き詰めると、万能主義の境地に達するのだ。

 そこで、私はこの思索を実践するために2つの基準を設定している。
a)成し遂げようとすることに相応しい表現力を備えているか。
 b)コレクションは日常の用途に応えなくてはならない。

 前回のこのコラムでは2本限りの時計コレクションは極めて個人的で、著者の考えに左右されることが示された。2016年のベン(・クライマー)の記事を例にとろう:パテック フィリップ Ref.3940とA.ランゲ&ゾーネ 1815クロノグラフだ。もはや芸術の域に達したとされるこれらの時計を、私が長期間使用すると壊してしまい、うまくいかないだろう。また、ウォルター・ランゲとスターン家の顔に泥を塗るような真似は本意ではない。

 つまり、少なくとも一方の時計は、アクティブなライフスタイルに耐える必要があるということだ。もう一方の時計は、過酷な環境に身を置くことのない、特別な日のために取っておくのだ。言い換えれば、エレガントなタイムピースといったところか。ツールウォッチと、ドレスウォッチの組み合わせである。

 そこで、チューダー ブラックベイ フィフティ-エイトとグランドセイコー SBGK007をご覧いただこう。

 実用性のみがこの選択に至った唯一の基準ではない。確かに、この2本には相通ずるテーマが存在し、それはかつてゲイリー・シュタインガート氏がHODINKEEラジオ(1:01:48辺り)で「新・雲上時計」と呼んだことと関係がある。彼は気づいているのだ。チューダー、グランドセイコー、そしてノモスが現代の時計界の勢力図において、驚くべき高い価値と洗練さを提供する立ち位置にあることを。しかし、新・雲上時計の台頭の背景にある哲学を理解するには、“古(いにしえ)”より存在する伝統の誉ある雲上時計に目を向ける必要がある:ヴァシュロン・コンスタンタン、パテック フィリップ、オーデマ ピゲである。これらの時計製造業者は時計界の伝統に深く根を下ろし、語り継がれる歴史を通じて、彼らはラグジュアリー製品の担い手としての確固たる地位を築いている。したがって、彼らの時計の多くは、手の届かないところにある。2本という制約を考慮すると、私はより手頃な価格帯の時計を選ぶことにしたのだ。

 強力な価値を提供することは、チューダー、グランドセイコー、そしてノモスを聖壇における新たな地位へ押し上げた一因だ。これらの時計はいずれも、あらゆる方法で、現代の時計界の潮流を掴んでいるのだ。グランドセイコーは、全く新しい機械式ムーブメントと共に、新しいデザインの提供をとおして;チューダーは、チューダー/ロレックス双方のサブマリーナーの様式美の融合をとおして価値を提供している。実に素晴らしい。

 新・雲上時計を念頭に、私はゲイリー・シュタインガート氏の元、2本の時計コレクションを披歴した。単純明快な答えを求めたにも関わらず、この試みがあまりに多くの考えと言葉に溢れる結果となった後、彼がコレクションを見て発したのが次の言葉だ:

完璧な2本を新・雲上時計からコレクションとして選びましたね。一方は過去へのオマージュで、もう一方は冒険を渇望するドレスウォッチで、モロッコの砂漠を思わせます。ブルーやグリーンが近年の流行ですが、シャンパンダイヤルにはどこかエキゾチックな雰囲気を感じるものです。もう一本追加するなら、新・雲上時計からノモス ミニマティックが思い浮かびます。

 完璧なコレクション? 完璧が達成できたのか定かでないが、このペアがそこに近づいた手応えは確かなものだ。私にとって、これらの時計はそれぞれ独自の分野で現代の時計として最高の水準にあり、共にあることで、どのようなシチュエーションにも対応できるコレクションとして通用するのだ。チューダー ブラックベイ フィフティ-エイトは、次に紹介するグランドセイコー SBGK007も同様、1本のみのコレクションとしても通用する実力がある。つまり、この2本があれば手堅いのだ。


グランドセイコー SBGK007

“シルバー”でありながら、シャンパンダイヤルのような雰囲気を醸し出している。 

 シュタインガード氏はグランドセイコーの薄型ドレスウォッチのエレガンスコレクションの一部であるSBGK007に対してシャンパンダイヤルと修辞を添える。Web上ではしばしばシルバーとだけ説明されるが、実際にはシルバーの表面にクリームのような薄化粧を施すことで、絶妙な仕上がりとなっている。さらに放射状の絶妙なブラッシュ仕上げにより、ダイヤルは清廉な印象が与えられるが、微細な織地模様を隠した。シャンパンの風合いはポリッシュされた針とマーカーの輝きを際立たせている;私はSBGK007より視認性に劣るツールウォッチを数多く所有してきた。光の量が多くなくとも、ダイヤル上にアプライドされたファセットは徹底的に磨かれているので、僅かな光も捉えることができるのだ。 

 しかし、とりわけこのモデルに関しては、グランドセイコーお得意のザラツ研磨が織りなす煌めきだけが私を惹きつける要素ではない。

SBGK007は確かにエレガンスコレクションの一部ではあるが、ドレスダウンにも映える。

 エレガンスコレクションは、グランドセイコーが親会社セイコーから独立して以降、最初に新設されたラインであった。それは他のグランドセイコーの兄弟モデルとは全く異なることから、ある種異彩を放っている。エレガンスコレクションは、本質的には今回取り上げたSBGK007と同じだが、ブルーダイヤルを持つ限定モデルのSBGK005と共にデビューした。グランドセイコーにとって、この時計はホームラン級のヒット作となったが、生産数は1500本と非常に限られており、まもなく、SBGK007とSBGK009が通常モデルとしてコレクションに加わった。SBGK009はダークグレーのダイヤルを持つが、私の目にはSBGK007こそが傑出したモデルと映ったため、今回の2本限りのコレクションに加えたというわけだ。

 まず、ケースと文字盤のデザインは、過去のグランドセイコーとは一線を画しているが、一方で未来的だ。ケースの厚みは11.6mmでスティーブン(・プルビレント)は、A Week On The WristのSBGK005を取り上げた記事の中で、このブルーダイヤルを持つ兄弟モデルを“ケースデザインにおける凝縮感と緊張感が、デザインの素晴らしさであり眺めて楽しめる要素だ”と評している。グランドセイコーはエレガントな時計の製造に着手し、確かに成功したが、ケースの着け心地は紛れもなくスポーティウォッチのそれなのである。腕に巻くと、確かな安心感を覚え、ケースの曲面は傷を受けにくくなるよう配慮されながら、手首に見事にフィットする。実に考え抜かれたケースデザインをもっている。その美しい曲面はサファイヤクリスタル風防にも至り、ケースを保護するだけでなく、39mmケースとの風防の完璧な一体感を生み出している。-破綻のない連続したラインは実に美しい。

エレガンスコレクションは“薄型”デザインを強調する。

 ダイヤルはグランドセイコーの“Less is more(少ないほど豊かである)”の哲学を遺憾なく発揮した。針は剃刀のように鋭く、マーカーの傾斜した表面はプリズムのように光を反射し、9時位置のスモールセコンドと3時位置のパワーリザーブのバランスの絶妙さも特筆したいだ。“牙”のようなパワーリザーブ針の形状を嘆く声もある。しかし、手巻きの時計に非常に便利だと私は感じた。セコンドトラックとパワーリザーブ用のスケールは、刃物のような鋭いラインのスモールセコンド針とパワーリザーブインジケーター針に注目が集まるよう、どちらも絶妙にプリントされている。

 ダイヤルを観察しても、視線が泳ぐことがない。むしろ、落ち着かせるような穏やかな外観がただあるのみだ。グランドセイコーは確かにブランドコミュニケーションでその“日本らしさ”を売りにしているが、SBGK007で見せる静謐(せいひつ)な美学は、そのコンセプトに符合するものだ。この時計が感じさせるものは、日本において他にないものなのだ。そのために、内部のムーブメントに何が入っているのかを冗長に説明する、6時位置の過剰な文字の羅列を避けることをダイヤルに課した。それが知りたければ、時計を裏返しにすれば済むからだ。新たに導入された手巻きムーブメントCal.9S63の美しい姿が目に飛び込んでくる。

Cal.9S63の地板の“幅広”ストライプ仕上げ。

 ハイエンドなキャリバーの“カリッ”とした巻き上げる感触ほど、そそられるものはない。時計収集は、鑑賞が主で、“手首の感覚”もある程度はそこに含まれるかもしれないが、巻き上げる感触を楽しむ少数派にとって、9S63はひたすら巻いて楽しめるムーブメントだ。量産されたハイエンドムーブメントに関して、グランドセイコーは科学的にアプローチした。それは数値にも表れている:日差+5/-3秒に調整され、72時間のパワーリザーブを提供するのだ。セイコーが全てを担う自社製ムーブメントであり、地板とブリッジに典型的な幅広のストライプ仕上げが施されている。特筆すべきは、デザイナーが裏蓋のクリスタルにブランドのエッチングを廃止したことだ。これはSBGK005がリリースされたとき、グランドセイコーの獅子のエッチングがムーブメントの視界を遮り、愛好家から不評であった部分だ。私は確かにSBGK005の岩手山をモチーフにしたダイヤルの驚くべき繊細さに魅了されたが、SBGK007のミニマルな美学にも違った魅力がある。SBGK007 には、SBGK005の見事なダイヤルのような一点豪華主義は見受けられないが、代わりに50年代の巨大な銀色の宇宙船のように、モノクロームのモチーフは未来的でありながら、巻き上げる行為とその感触はロマンに溢れていて、我々の意識をどこか遠くの、そう、モロッコの砂漠へ連れて行ってくれる気がする。

グランドセイコーのために一新されたデザインを纏う。


チューダー ブラックベイ フィフティ-エイト

絶妙な39mmサイズのチューダーブラックベイ。

 チューダー ブラックベイ フィフティ-エイトは販売店に並ぶ前から既に成功が約束されていた。その絶妙なサイズ感とスタイル、ノスタルジーがひとつのパッケージとなり、時計界隈の住人がこぞって貪り漁ったのである。そうなったのも、次の理由から理解できる:最新かつ機能的でありながら、ヴィンテージ・ウォッチの地雷原に足を踏み入れることなく、ヴィンテージのロレックス サブマリーナーにもっとも近い時計が手に入る近道であるからだ。親会社のロレックス譲りの高品質を基盤にした最新のパッケージに、ミッドセンチュリーのテイストを備えているのだ。

 そして、39mmのサイズは41mmのブラックベイシリーズのモデルよりも多くの人に合うという単純明快な事実がある。ダウンサイズされたケースの高さを見ると、とても薄く、厚みはわずか11.9mmだ。SBGK007よりほんの少し厚い程度だ。日付カレンダーはないが、クリーム色の夜光塗料は1950年代、特に同社のRef.7922を彷彿とさせるものである。

ケースの厚みはわずか11.9mmだ。

 まるでチューダーのデザイン陣は、ブラックベイの通常モデルの理想形をインターネットのフォーラムから情報収集して、それをそのままブラックベイ フィフティ-エイトに適用したのではないかと思うほどだ。時計愛好家に照準を絞ったようなこの時計は、ロレックスの息がかかったものとは、少し異なる。ロレックスは、大衆に迎合することを是としない。しかし、ブラックベイ フィフティ-エイトの美点がここにある:ロレックスとは違うことである。これは良い方向に作用するはずで、ブラックベイは自由に冒険し、独自の地位を築く余地がある。ブラックベイシリーズは実に12モデル以上を擁するシリーズであるが、ブラックベイ フィフティ-エイトは日常使いできる現代的なスポーツウォッチとして、理想に近い存在である。

ブレスレット側面のフェイク リベットは、賛否両論ある。見過ごしやすいポイントだ。

 これはツールウォッチだろうか? そうである。ベゼルは掴みやすく、ダイヤルは実に読みやすい。さらに防水性能は200mもある。これはダイバーズウォッチだろうか? もちろんだとも。そのルーツは50年代のスキューバダイビングブームと符合する。しかし、この2つの特徴が必ずしも“日常使いできる”時計を成立させるとは限らない。普段着用するのに向かないツールウォッチは数多く存在する。任務に適切なツールを選択するのが最善である一方で、ブラックベイ フィフティ-エイトがコレクションの要となりうるのは、きれいにドレスアップしたときを含め、あらゆる場面に対応できるためである。ほとんどの“ツール”ウォッチはこうしたことが苦手なのだ(また、そうあるべきでない)。ブラックベイ フィフティ-エイトが事実上、どんな状況でも着用できるのは、驚くべき万能性を備えているからなのだ。 

チューダー ブラックベイ フィフティ-エイトはどんな装いにもマッチする。

 ブラックベイシリーズはかつて、ETAからムーブメントの供給を受けていたが、ブラックベイ フィフティ-エイトで、チューダーは自社製ムーブメントであるチューダーMT5402の採用を決めた。このキャリバーは実績としては乏しいものの、今回グランドセイコーを腕に巻いている間も動き続けた70時間のパワーリザーブの実力からも、このムーブメントの実力を証明している。ブレスレットは頑丈で懐かしさを感じるが、フェイクのリベットは少しやりすぎ感がある。とはいえ、ブラックベイ フィフティ-エイトは他の時計では感じることがなかったほど自然に着用できるようになった。

インデックスの柔らかいクリーム色のアクセントは、ミッドセンチュリーのダイバーズを思い起こさせる。

 ブラックベイ フィフティ-エイトは、現代の時計づくりにおける転機を捉えてもいる。過去5~10年は、過去を振り返り、ミッドセンチュリーの名作からインスピレーションを得てきた。このトレンドは今後変化していくだろう。チューダーを含む時計製造業者は新たなデザインと新機軸への活路を拓いているのだ。ただのオマージュのトレンドが陰を潜めるにつれ、大資本のメーカーは技術革新を取り入れ、最新のデザイン文法を取り込むだろう。最終的にはミッドセンチュリーの美学は再び過去のものとなるのだ。
 ブラックベイ フィフティ-エイトは、過ぎ去った時代からインスピレーションを得て、イチから設計した時計としては最後となるかもしれない。その出来は非常に素晴らしいため、チューダーをして二度と再現できないだろうと思わされるほどだ。前述したように、2本限りのコレクションで出番を獲得するには、その時計が何であれ、それに相応しい最高の表現が不可欠なのだ。私にとって、ブラックベイ フィフティ-エイトは現代の、日常使いできるダイバーズとして、ダイバーズウォッチの名付け親の歴史とノウハウを凝縮した最高の表現を発揮する時計なのだ。


2本揃ってこそ輝く存在

 2本限りの時計コレクションがひとつのテーマで構成されることがある。それは言いかえると、二面性だ:スイスの強力な日常使いできるツールウォッチが、日本のグローバル進出の最前線に立つ懐かしくもエレガントで、洗練された相反する時計と同居するのだ。コレクションにおけるそれぞれの立ち位置は両極端なものだ。しかし本質的には、どちらも根本が似ているのである。どちらも自社製ムーブメントを搭載し、ここ数年でゼロから設計されたオリジナルのデザインをもち、どちらもメーカーを代表した存在となっている。

 2本限りの時計コレクションを形成することは、1本だけに絞ったり、3本に増やしたりすることよりも難しい選択となる。おそらくこれが、雲上と呼ばれる存在が3つのブランド(新旧どちらも)で構成されている理由だ。しかし「2」という数字は、宗教上においても時計界の文脈においても重要な存在だ:それは統合と調和を象徴するからである。

 チューダーとグランドセイコーよ、共に幸あれ。