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A Week On The Wrist ユニバーサル・ジュネーブ ポールルーターを徹底解説

コペンハーゲン行きの航空チケットよりも手頃な、ジェンタデザインの名作。

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ジェラルド・ジェンタ(故人)はパテック フィリップ ノーチラスをデザインした人物。オーデマ ピゲ ロイヤル オークも彼のデザインだ。彼は想像を絶する伝説のデザイナーである。しかし、伝説の巨匠といえども、駆け出しの時代があったはずだ。1954年に発表されたユニバーサル・ジュネーブ ポールルーターは、彼の最初の傑作であるだけでなく、あらゆるヴィンテージウォッチコレクションの出発点としても理想的なモデルなのだ。

 1950年代初頭、ユニバーサル・ジュネーブは、スカンジナビア航空(SAS)が新たに開設した「北極航路」にちなんで、当時無名であった23歳のジェンタに時計のデザインを依頼。このルートは、磁北極上を飛行することで、ロサンゼルスとコペンハーゲン間をより迅速に結ぶことができるようになった。ジェンタがデザインした時計は、これらのフライトのパイロットと乗務員に支給され、ポールルーターの名を冠した全ラインの基本モデルとなった。

 1954年、ユニバーサル・ジュネーブが “ポールルーター”と命名するまで、初期モデルは“ポーラルーター”と呼ばれていた。このデザインは商業的に成功を収め、後にユニバーサル・ジュネーブ(現在は惜しまれつつも廃業)は、このシリーズに数多くのラインが追加された。ポールルーター・スーパー、ポールルーター・デイト、ポールルーター・デイデイト、ポールルーター・ジェット、ポールルーター・デラックス、ポールルーターNS、ポールルーターIII、ポールルーター・コンパクト、さらにはダイビング用に作られたポールルーター・サブなどだ。しかし、この記事では“ポールルーター”の定義を、オリジナルモデルと、それから派生する限られたバリエーション(日付表示やねじ込み式リューズなど)を加えたものを指すことにする。そのほとんどが、今もなお着用可能なほど優れている。

 現代でもポールルーターと恋に落ちるのは簡単だ:ミッドセンチュリーの時計を魅力的にする全ての要素(湾曲したラグ、コンパクトなケース、ミニマルなダイヤルなど)がバランスよく組み合わされているためだ。時計がよりシンプルだった時代を彷彿とさせ、さりげなくエレガントでありながら、ツールウォッチのルーツをもっている。しかし何といっても、それは上空2万5000フィートでの生活のために作られた時計だった。

 そして、信じられないほどの価値を提供する。ジェンタのデザインを好むコレクターは、ブティックであれば新品のパテック フィリップ ノーチラス Ref.5711を300万円程度で購入することができる。それと同じ金額があれば、貴金属や希少仕様モデルを含む約15本のあらゆるポールルーターのコレクションを組むことができる。ポールルーターは、収集の旅の一端に存在し、もう一方にはノーチラスのような時計が存在する。それはジェンタデザインということだけでなく、ヴィンテージウォッチの世界全体への“導入口となる時計”だということだ。

ポールルーターと共に離陸

 現代では、新しい民間航空路線の開設は時計製作の動機にはならないが、ライト兄弟による最初の飛行からわずか半世紀しか経っていなかったことからも推察できるとおり、1950年代半ばは全く時代が異なった。ポールルーターが市場に出回るようになった頃には、成長を続ける中産階級が商業飛行を利用できるようになっていた。飛行機は世界中を飛び回り、人々をそれまで夢見ていた場所に連れて行ってくれるようになった。世界は、航空世界の興奮とロマンを体現する時計を求めていたのだ。

 1954年11月15日、SASはダグラスDC-6Bを就航してロサンゼルス―コペンハーゲン間に新たな商業路線を開設した。ヘルゲ・バイキングとレイフ・バイキングの2機が、それぞれルートの両端から離陸。そして北極点の真上ですれ違った。2都市間を結ぶ最も直進性の高い「極地ルート」を飛行することで、従来の36時間に対して22時間と、14時間短縮し、1日未満で旅ができるようになったのだ。このルートは、航行中の北極点を越えることを含んでいたので、それ以前は航行不可能だった。なぜなら、当時北磁極はまだ約1000km南と近傍し、コンパスをベースとした方向システムでは精密な航法測定値を維持できず、航空機がコースを逸脱する可能性があったためだ。

 第二次世界大戦中に開発されたソーラーコンパスや極地の航空海図と共に、飛行機の航路を自動的に維持する装置、ジャイロセンサーの実装がそれを変えた。よく噂されたのは、SASがユニバーサル・ジュネーブ社との提携を選択したのは、同社が耐磁ムーブメント技術を開発したことで知られているからであり、ポールルーターは磁気の悪影響を受けないように特別に開発されたものだといわれているが、これは憶測に過ぎない。

 1954年に最初のポーラルーター(POLAROUTER)が発売された。最大の輸出市場の一つである北米市場では、その発音に問題があったそうだ。そこで1955年、ユニバーサル・ジュネーブのマーケティング部門は、より発音しやすい「ポールルーター(POLEROUTER)」と改名した。

 スタンダードモデルが商業市場に普及したのと同時に、ユニバーサル・ジュネーブは、コペンハーゲン―ロサンゼルス間(逆もまた然り)の最初のフライトの乗務員に配布するために、SASのためだけの特別仕様モデルを製造した。これらのモデルは販売されることはなく、ポールルーターのWebサイトを運営しているアダム・ハンブリー氏のシリアルナンバーの調査によると、150本程度しか存在しないと考えられている。これらの時計には“ポーラルーター”と記されていた。後に、ダイヤルにSASのロゴが入ったモデルは、航空会社のアメリカ人役員のために作られた。ポールルーターが発表された当時、ジェンタはまだ時計デザインの分野では無名であったし、ポールルーターが彼を業界のスターダムに押し上げたという証拠はほとんどない。

船内推進システム

 ポーラルーターは、1948年に導入されたCal.138 SSバンパーを搭載し、1954年にデビューを飾った。このキャリバーは1万8000振動/時で動作し、錘付きバンパーを使用して、ムーブメントを片方向に巻上げる。直径28mmで、最小限の仕上げしか施されていないため、素朴な印象を受けるだろう。

 ポールルーターはこの点がすぐにアップグレードされた。Cal.138 SSが採用されたちょうど1年後に、マイクロローターを搭載したCal.215に入れ替えられた。ポールルーター・デイトには、カレンダーモジュールを組み込んだCal.215-1を搭載。Cal.215とそのデイトモデルには、1950年代初頭に開発されたマイクロローター巻上げ機構が採用されていた。ユニバーサル・ジュネーブが特許を出願したのは1955年、登録されたのは1958年だったが、このキャリバーは早くも1955年にはポールルーターのモデルに搭載されていた。当時、このムーブメントは技術の大いなる飛躍を意味した。Cal.215とデイト派生版のCal.215-1には、コート・ド・ジュネーブ仕上げ、17石、インカブロック耐震機構、ローターへの金メッキ、60時間パワーリザーブを特徴とした。

 それだけではなかった。ポールルーターは商業的に成功を収め、ジェンタのデザインで武装したユニバーサル・ジュネーブは、さらにそれを推し進めた。次に登場したのは、カレンダー無しのCal.218-9と、カレンダー機構付きの218-2であった。Cal.218-2はCal.215-1と異なり、日付の配置が違う。Cal.215-1では、チャプターリングが連続していなかった(デイトホイール用の切欠きが存在した)。Cal.218-2では、日付表示がわずかに内側に移動したことで、日付窓の切り込みは小さくなったものの、チャプターリングが完全に連続するようになった。この新しいムーブメントは2万1600振動/時で動作し、地板のデザインが変更されたことで28石仕様となった。

 腕に巻くと、バンパー・ムーブメントは、マイクロローター・ムーブメントとは大きく異なることが分かる。マイクロローターが現代の自動巻き時計と同じように感じるのとは対照的に、バンパー・ムーブメントの特徴はバネによる反動がとってみえる。時計を動かしたときの「ゴツン」とした感触を得ることができ、内部に巻き上げ機構を備えた子供のおもちゃのように感じるのだ。技術的にはCal.215の方が優れているが、Cal.138SSを搭載したポールルーターは味を感じさせてくれる。

 ムーブメントを手で巻きあげると、Cal.138 SSの音は大きく、指を伝って、歯車が相互に作用している様子を容易にイメージすることができる。Cal.138 SSモデルを身に着けることは、ボーイング社ステアマンの操縦に似ている。この頑丈な機体は、飛行に「腰を据えて」アプローチすることを必要とし、マイクロローターの動きは、自動化されたシステムを満載したSAS初のジェット旅客機であるシュド・アビアシオン社カラベルの操舵感に近いものがある。

フライ・バイ・フィール

 プレシャスメタルケースを使用したモデルは、存在感のある重厚さがある。ステンレススティール製は、時計の存在感が全く感じられない。完全にフラットなケースバックと最小限の重量は、時計をさっと着用できることを意味する。ケースバックはケースと90°、ケースバックも90°で手首にフィットする。見た目と同じくらいコンパクトに装着可能だ。

SAS便ではハムには事欠かなかったようだ。

 ポールルーターのサイズは35mm前後で、1mmオーバーもあれば、1mmアンダーのモデルもあり、1950年代の時計としては標準的なサイズといえる。手首に装着してポールルーターの感触を楽しむためには、心の準備が必要だ。ケースサイズは控えめかもしれないが、この時計に込められたイデオロギーは、かつて飛行機が醸し出していたラグジュアリー感を連想させる。ポールルーターの時代、SASではエコノミークラスでスモーブレッド(デンマークのオープンフェイスサンドイッチ)が食べ放題のビュッフェを提供していた。身なりの整ったフレンドリーな客室乗務員が、ハムの足を切り分けて座席に配るカートを回していた。

 もちろん、ミッドセンチュリー的モダニズムをフェティシズム化することは、過去の時代を過剰にロマンティシズム化する危険性を孕むが、時計というのは一種の逃避行だ。時計は私たちの心を時空間の別の場所に連れて行ってくれるものだ。

無視界飛行

 1000本近くものモデルがあり、コレクションする特定のデザインを見つけるという点では、どこから手をつけて良いのか途方にくれる。最も人気のあるモデルは、ブラックダイヤルにSS製のチャプターリングが周回し、SSケースに収められている。ワイドアローの針を持つモデルは、希少価値が高いと考えられているため、コレクターの間で珍重されている。ケースはアメリカとスイスの両方で作られており、コレクターの中でも好みが分かれる。しかし、そこがポールルーターの面白さでもある。僕の心に語りかける1本は、それほど求められているモデルではないかもしれない。ジェンタがその後のモデルのデザインに関与していたかどうかは不明だが、一つだけ確かなことは、最初のデザインがポールルーターの膨大なモデルファミリーの基礎を築いたということである。ポールルーターの成功の一部は、デザインの自由度の高さにある。時計の針のスタイル(ドーフィン、アロー、バトン、スティック)の全ての様式が、ポールルーターシリーズのどこかに存在している。

 アダム・ハンブリー氏は、ユニバーサル・ジュネーブ ポールルーターの収集と研究に、人生の大部分を費やしてきた。氏はリファレンスをカタログ化し、多くのデータを基盤に時計の背後にある製造工程のイメージを再構築しようとしている。既に何千本もの時計を記録してきたものの、彼の仕事はまだ始まったばかりである。

 「パズルに例えると枠部分のピースは分かりました」と彼は言う。「しかし、内側のピースはまだ不明。青いピースがあるかもしれませんが、それは海か空かも分からないのです」

 ポールルーターは長い間コレクターのお気に入りであったにも関わらず、あまりにも多くの種類が生産されたために、これまでに知られていなかったモデルが今日まで登場している。ハンブリー氏によれば、ポールルーターの最も魅力的な点は、誰でもレアなものや生産量の少ないものを見つけるチャンスがあることだという。

 もちろん、新たなコレクターの間で人気を集めるようになるにつれ、状況は変化している。価格は約1000ドルから(「良い」モデルでも2000ドル以下で手に入るとハンブリー氏は言う)と、入手しやすい価格設定になっている。また、外観やケース素材にも十分なバリエーションがあり、ポールルーターに惚れ込んだ人は、通常、いくつものモデルをコレクションすることになる。そのため、最初に手に入れても、最後に手に入れても楽しい時計といえるだろう。

 そして、頻繁に飛行機を利用する人でさえも、地上に留まることを余儀なくされている昨今では、ポールルーターを腕に巻きながら、航空機の黄金時代を懐かしむことが、これまで以上に容易になってしまった。