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Second Opinions そもそも“ビーター”ウォッチとは?

それは、あなたの使い方次第だ。


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「これは僕のビーター(beater)だ」

– 僕、あなた、たぶんそこの彼も。

 この言葉は、15ドルのカシオから9000ドルのダイバーズまで、さまざまな時計に適用され、何年も前から時計業界で聞かれてきたものだ。この言葉には客観性がなく、すべてを意味しているとも何も意味していないとも言える。“ビーター”は侮蔑的な言葉なのか? “使い捨て”と同義なのか? 自分のビーターを誇りに思うべきなのか? ビーターは必要か?

基本的なこと - なぜビーターなのか?

 この漠然とした言葉は、時計コレクションのなかで何か特定の意味をもち、特定の役割を果たすべきだと思うのだ。気を使わない時計ではなく、気を使わなくてもいい時計というように。

楽しくて身につけやすい。スペシャルだけど、プレシャスじゃない。

 僕のなかで“ビーター”とは、気楽な愛着のある時計で、余計な手間をかけずに愛好家からの信頼を保っている時計を指す愛称だ。ビーターは、僕の時計への情熱のひとつとして機能すると同時に、いわゆる貴重な時計に関わる面倒くささから僕を解放してくれるものだ。貴重と言われる時計には、日常のちょっとしたことからも保護が必要な場合もあるのだ。

 一部の人達にとっては、この考えがほとんど、あるいはすべての時計に反映される。頑丈な時計だけを身につけたいという人もいるだろう。もしかしたら、時計を手入れする必要性などまったく感じていないかもしれない。このような考え方も理解するが、僕の考えとは違うものだ。

 時計への理解を深める努力を続けているうちに、僕は現在、日常生活のいろいろな用事をこなすのに向いていない時計をいくつか所有するようになった。40年代のゴールドのクロノグラフをつけて波止場から飛び降りたり、曾祖父のブローバをつけてジープの車道整備をしたりするつもりはない。そういった時計は、特別な時に使うものだ。例えばゆったりとソファに座っている時には、それにぴったりの落ち着いた時計を身につけたい。

 僕と同じような考えのコレクターにとって、ビーターというのは、心配(それが低レベルで、完全に自己誘発的なものであったとしても)からの解放を意味する。叩かれたり、打たれたり、湿気や水分、タイルの床などからの解放だ。90年代に育った人間にとって、ビーターをつけることはボブ・ワイリーになることであり、悩みの重圧から逃れ、問題から距離を取ることである。そのほかの“問題”からも。

 ビーターを週末や休暇用の時計と同義と考える人もいるだろう。いずれにしても、コンセプトは同じであり、その役割は尊いものであると僕は考える。

 使い捨てではなく、信頼性のあるものと考えよう。ビーターとは、大家族のなかで騒ぎを起こさず、良い成績を収め、トラブルには関わらず、いつも兄弟を助けてくれる子供のことだ。僕はこれを身をもって理解できる。5人の兄弟がいるが、確かに僕は優秀なビーターではなかったから。

 あなたのライフスタイルや税率、GME(世界市場経済)の出口戦略に応じて、ビーターはカシオのF-91だったり、セイコーのSKX007やロレックスのサブマリーナーだったりする。その差は数千ドルに及ぶかもしれないが、ビーターの役割はまったく同じだ。それは、あなたの生活を支障なく送らせてくれる能力と信頼性を備えたものだということ。そう考えると、ビーターは現代のツールウォッチなのかもしれない。リューズを確認して、飛び込んでみよう。

僕がこれまでに所有したなかで最高のビーターの一つ、ブライトリングのエアロスペース E56062。売るんじゃなかった。

 これは僕の意見だ。あなたは違う考えかもしれない。皆さんのなかには、心置きなくすべての時計を身につける美徳を讃えようとコメント欄に書き込んだり、なぜ不安を引き起こすようなもの(ここに書かれているような非常に低いレベルのものであっても)を所有するのかと、疑問を抱いている人もいることだろう。

 それに対して僕は“ひとそれぞれ”と言う事にする。僕のような進化していないタイプの人間にとっては気にする必要はないようだ。僕の目的のないコレクションの大部分はビーターの役割を果たすことが多いが、明らかに非ビーター仕様の時計を2、3本所有することを楽しめるようになった。神話上の存在ともいえる“ワンウォッチパーソン”になることをしばしば夢見ているが、それが僕の現実ではないことはわかっている。ビーターを1本(または数本)もつことで、所有する時計の楽しみ方が広がることも知っているのだ。

 僕の最初の質問の答えは、“ビーター”は必要だということだ。ビーチに行くときも、エベレストの頂上に行くときも、月面に降り立つときも、安心して身につけられる時計。それが“ビーター”である。そう受け入れてほしい。