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極地探検家と、彼らが身につけていた(そして現在身につけている)時計

史実として過酷な環境下で活躍した実績のある時計を、極地探検家たちの偉大な冒険譚とともに紹介していこう。

Top Photo: Courtesy The New York Times

本稿は2016年12月に執筆された本国版の翻訳です。

 北半球にも冬が訪れる。多くの人がスキーやアイスフィッシング、あるいはミネアポリスやマンハッタンの極寒のツンドラで行われる風変わりな雪合戦に、自分の時計が耐えられるかどうか気になっていることだろう。この重大な疑問を解決する最善の方法は、私たちの多くがInstagramのリストショットを撮る場所よりも、過酷な環境で自分の時計をテストした人たちに注目することかもしれない。それではさっそく有名な極地探検家たちと、彼らが身につけていた時計の概要を挙げてみよう。もちろん、これはまだ不完全なリストなので、もしほかに知っている人がいたらぜひコメントで教えてほしい。

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ロアール・アムンセン(Roald Amundsen): グラスヒュッテ製のデッキウォッチ(甲板用懐中時計)
Roald Amundsen

 アムンセンは誰もが認める極地探検の第一人者だ(さあ、刮目せよ)。初めて南極点に到達した探検隊を率いただけでなく、北西航路を最初に横断した人物でもある。また飛行船による北極圏全域の初飛行にも参加した。1911 年に行われた歴史的な南極探検で、彼は精密に調整されたドイツのグラスヒュッテにあるユリウス・アスマン(Julius Assmann)社製の“観測者用”または“甲板用”懐中時計を使い、地球最南端まで航行した。デッキウォッチ(甲板用懐中時計)は大がかりなマリンクロノメーター(甲板の下に安置された)の時刻に設定されており、甲板上に持ち出して天体観測を行うことができるため、航海用の時計として一般的に使用されていた。

ラナルフ・ファインズ卿(Sir Ranulph Fiennes): ロレックス GMTマスターとコボルト ポーラー サーベイヤー
Kobold Polar Surveyor

 ファインズは“存命するなかで最も偉大な冒険家”と呼ばれているが、それには理由がある。彼はアラビア半島の“空虚の地”と呼ばれる砂漠を征服し、南北の両極に到達し、さらには65歳でエベレストに登頂した。そして1979年から1982年にかけて行った“地球横断探検”は、飛行機を使わず、地上の交通機関のみで地球を縦軸に沿って1周した最初の(そして現在に至るまで唯一の)旅であった。

 そのころファインズはロレックスの広告に登場しており、極地の極端な気温や熱帯の暑さに耐えながら、すべての遠征をロレックスのGMTマスターで敢行したと語っている。2000年代初頭にファインズはロレックスを離れ、“エクスペディションツール”を専門に扱う小規模なブランドであるコボルト・ウォッチ・カンパニーのアンバサダー、そして時計デザイナーとして活躍した。コボルトのポーラー サーベイヤーは、24時間針とデイ/ナイト表示を備えた機械式クロノグラフで、ラノルフ卿のアイデアをもっとも強く反映したモデルである。

エドモンド・ヒラリー卿(Sir Edmund Hillary): ロレックス オイスター パーペチュアル

 エドモンド・ヒラリー卿は、1953年にエベレスト登頂に世界で初めて成功したことで知られている。そんな彼の手首にあった時計とは? ロレックスのオイスター パーペチュアル(あるいは、おそらくスミスも)だ。あの伝説的なエクスプローラーにインスピレーションを与えた時計だ。そして数年後の1955年、彼はスノートラクターを使った南極大陸横断の探検隊を率いた。この旅は3年を要し、南極大陸全域を横断した最初の記録となった。この冒険でヒラリーは、エベレスト登頂の達成後にカルカッタの宝石店ボセックから贈られたロレックス オイスター パーペチュアルを着用していた。この時計は2010年にアンティコルムのオークションに出品される予定だったが、裁判所の命令により出品が中止され、現在はニュージーランドのオークランドにある博物館に永久展示されている。

ラルフ・プレイステッド(Ralph Plaisted): オメガ スピードマスター プロフェッショナル
Ralph Plaisted wearing an Omega Speedmaster Professional

 極地到達の英雄のなかでおそらくもっとも意外な人物は、ミネアポリス郊外の保険セールスマンだろう。ラルフ・プレイステッドとその仲間たちは、1968年にダルースのパブでビールを飲みながらスノーモービルによる北極探検を夢見ていた。カナダでアザラシ狩りをするよりも少し勇気のいる旅だと考えたこの奔放な一団は、さまざまなところに支援を求めた。カナダのボンバルディア社はこの旅にスノーモービル(稼働させ続けるには常に細心の注意を払う必要があった粗悪なマシン)を提供し、オメガはスピードマスター プロフェッショナルの一式を支給した。チームを極点まで導いたリーダー、ジェラルド・ピッツル(Gerald Pitzl)は、六分儀とスピーディ Ref.145.012(1年後に月に行ったのと同じリファレンス)を使用していた。プレイステッドは、驚くべきことに史上初の紛れもない陸路での極点制覇となったこの遠征ののち、オメガに手紙を書いた。彼らの援助に感謝し、最後にこう締めくくっている。「我々がオメガの時計について言えることはただひとつ、素晴らしい時計だということだ」

ラインホルト・メスナー(Reinhold Messner): オメガ スピードマスター プロフェッショナル
Reinhold Messner wearing an Omega Speedmaster Professional

 その20年後、地球の反対側でもう1本のスピードマスターが栄光を手にした。チロル出身のラインホルト・メスナーはエベレストの単独登頂に初めて成功し、補助酸素を使用せずに登頂した功績から、世界でもっとも偉大な登山家として認められている。1989年に彼は南極大陸に目を向け、パートナーのアルブド・フックス(Arved Fuchs)とともに、南極大陸を徒歩で横断した史上初の人類になるべく挑戦を行った。後年、メスナーはこの遠征を地獄のようだったと振り返り、これまでのどの登山よりも困難だったとしている。1980年の単独登頂ではオイスター クォーツを着用するなど、メスナーは数々のアルペン遠征でロレックスの腕時計を身につけたことで知られているが、南極大陸徒歩横断の際はオメガのスピードマスター プロフェッショナルを着用していた。

ウィル・スティーガー(Will Steger): イエマ バイポール デュオポリー
Yema Bipole Duopoly

 メスナーとフックスがトレッキングで南極大陸を横断していたのと時を同じくして、同じミネソタ州出身のウィル・スティーガーが、犬ぞりを使ってはるかに長いルートで南極大陸を横断するという壮大な遠征を率いていた。1989年から90年にかけての“国際南極大陸遠征”は、条件や 距離だけではなくいくつかの理由から非常に野心的なものであった。スティーガーは自分自身のほかに、フランス、日本、イギリス、ロシア、中国の各国代表を集めた国際色豊かなチームを結成したが、それゆえに言語や文化の壁という問題も発生した。

 スティーガーは過去の遠征でロレックスの腕時計を使用していたが(彼は両極に到達した史上4人目の人物である)、1989年の遠征ではフランスのブランド、イエマが彼のために特別に製作した風変わりな腕時計を使用した。バイポール デュオポリーと名付けられたこの時計は、48mm径のチタン製ケース、ベルクロ式のケブラー製ロングストラップ、そしてクォーツムーブメントを備えていた。しかし、そのなかでも特に便利で特徴的な機能として、耐磁性の星座・太陽コンパスと、北極と南極両方でのナビゲーションを可能にするリバーシブルダイヤルがあった。信じられないほど希少であったり、世界でいちばん美しい時計というわけではないが、間違いなくこのリストの目的にもっとも合致した時計である。

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ベン・サウンダース(Ben Saunders): ブレモン テラノヴァ
Bremont Terra Nova

 ベン・サウンダースは自分の専門分野を「寒い場所で重いものを引きずること」だと語り、ほかの探検家が雪上車や 犬ぞりを用いるなか、実際に徒歩やスキーで極点まで“人力で運ぶ”ことを選んだ。彼は2014年の初めにパートナーのタルカ・エルピニエール(Tarka l’Herpeniere)とともに、ロバート・ファルコン・スコット船長(Captain Robert Falcon Scott)の苦難に満ちた1912年の南極点挑戦の軌跡を辿り、沿岸部から南極点までを往復した。彼らは、徒歩による極地旅行の最長記録を樹立したのだ。“テラノバ”遠征の終了間際、サウンダースは凍てつくツンドラのテントから衛星通信を使って腕時計をInstagramに投稿した。それは、彼がこの旅のあいだずっと身に着けていたブレモンによる特別仕様のダイバーズウォッチだった。テラノヴァと呼ばれるこのモデルはブレモンのスーパーマリン 500のチタンモデルである。潜水用経過時間表示ベゼルを方位表示付きコンパスベゼルに変更し、24時間のGMT針を追加することで、1日中いつでも方位を確認できるようにしたものだ。ブレモンはこの高機能な時計を限定生産したが、すぐに完売してしまった。

マイク・ホーン(Mike Horn): パネライ ポール2ポール
Panerai Pole 2 Pole

 冒険の分野においてラナルフ・ファインズに匹敵する人物がいるとすれば、それはマイク・ホーンだろう。この南アフリカ人探検家の偉業の数々は、無支援でのアマゾン川縦断から単独での北極圏1周まで、畏敬の念を抱かせるものばかりである。“アークトス”と名付けられた後者の遠征で、ホーンはムーブメントの外周に耐磁シールドが施され、ベゼルにコンパスが配されたパネライによる同名の特別モデルを着用していた。ホーンは長年にわたるパネライの愛用者であり(そしてパネライも彼をアンバサダーに起用し続けている)、彼は現在(本記事が執筆された2016年当時)地球を極軸で1周する2年間の遠征を行っている。パネライはこの遠征のために、ルミノール サブマーシブルGMTにチタンケースを組み合わせたポール2ポールと呼ばれる特別仕様の時計を製作した。今回のリストのうち、勇敢な読者が冬の冒険に出かけていない限り、まだフィールドに出ているのはこのポーラーウォッチだけである。