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Found SEALABで使われた可能性のあるロレックス サブマリーナー Ref.5512

eBayが提供するもうひとつの奥深いミステリーについて。

本稿は2017年10月に執筆された本国版の翻訳です。

深夜のeBayサーフィン中、裏蓋に“Gemini 7”と刻印された年代物のオメガ スピードマスターを見つけたとしよう。そこで立ち止まり、“どうしよう?”と考えるかもしれない。さて、鋭い観察眼を持つHODINKEE読者が、同じように(潜在的に)いいものを見つけた。米国を拠点とするeBayセラーが、翡翠の象のペンダント、エルジンの懐中時計3点セット、その他多くの小物と一緒に、ロレックスのサブマリーナー(Ref.5512)をこっそりと出品した。4本のラインが入ったギルトダイヤル、美しいパティーナ、リベットで留められたブレスレットは、どんなコレクターにもよろこばれる。しかし、これは普通のヴィンテージサブではないかもしれない。裏蓋には“SEALAB-13”と刻印されているこの象徴的なダイバーズウォッチは、人類が海の底で生きようとした、最も有名で野心的な試みのひとつと結びついている可能性がある。

 1960年代半ばから後半にかけて、人々の関心は米ソの宇宙開発計画に向けられていたが、米海軍は“マン・イン・ザ・シー”というSEALAB(シーラブ)計画(米海軍による海底居住実験計画)の名の下に、同じように困難で異質な環境に人間を送り込んだ。宇宙飛行士たちが天空の高台を支配するために戦っていた頃、海軍は海底を次のフロンティアとして捉えていた。波の下に本当の意味で足場を築く唯一の方法は、人間が居住地や作業場、そしてもちろん防衛の目的で長期間そこに住めるようにする目的だった。なにしろ冷戦の真っ只中だったのだ。しかし、比較的浅い水深であっても、水中での生活には複雑さと危険が伴う。

Artist's conception, Sealab III

1969年、カリフォルニア沖の水深100ファゾムス(約620フィート、約189m)で活動したシーラボIIIのイメージ図。

 ジャック=イヴ・クストー(Jacques-Yves Cousteau)はすでに、彼の個人事業であるコンシェルフで海中生活をしており、米海軍は彼にSEALAB生息地の開発について相談した。一方、海軍医師であるジョージ・F・ボンド(George F. Bond)大尉は、最初にヤギ、次にボランティアのダイバーで模擬的に、さまざまな深度で異なる混合ガスの呼吸実験を開始した。酸素は深さが増すと有毒になり、窒素は麻薬になる。したがってこれらのリスクを低減するために、両者の大部分が不活性ガスであるヘリウムに置き換えられている。それでも減圧症、別名“潜水病”の可能性を減らすために、海面気圧に戻すための新しい減圧プロトコルを開発する必要があった。居住環境と呼吸ガスを整えたSEALAB Iは、1964年7月、バミューダ沖の192フィート(約58m)の海水下、加圧された質素な生息地でスタートした。熱帯性暴風雨のため、予定していた3週間のプロジェクトは11日後に中止されたが、4人のダイバーは狭い住居で生活し、毎日探検のダイビングに出かけ、ミッションの終わりには減圧され無傷で帰還したためプロジェクト全体としては成功を収めた。

Crew of Sealab II

集合写真でポーズをとるSEALAB IIのクルーたち。下段の左から2番目に、マーキュリーの宇宙飛行士であるスコット・カーペンター(Scott Carpenter)がいる(ロレックス サブマリーナーも数本ある)。

 さらに2度のSEALABミッションが実施される。2回目はカリフォルニア州ラホヤ沖の水深205フィート(約62m)で行われた。SEALAB IIには温水シャワーと冷蔵設備があり、マーキュリー宇宙飛行士から水中飛行士に転身した元宇宙飛行士のスコット・カーペンターは、30日間水中に潜り続けるという記録的な数字をたたき出した。この2回目のミッションの成功を受けて、1969年2月に進水したSEALAB IIIは最も大規模なミッションとなり、水深610フィート(約185m)で数々の実験が実行されるはずだった。しかし、初日に居住スペースで水漏れが発生したため、ダイバーが問題解決のために派遣された。そのうちのひとり、水中飛行士であるベリー・キャノン(Berry Cannon)は、呼吸ガスから二酸化炭素を除去するための重要な成分を欠いたリブリーザー(※編注;閉鎖式または半閉鎖式で呼吸を循環させる装置)により、急性低酸素症で死亡した。これには妨害工作の噂が飛び交い、わずか数カ月後に月面着陸が成功したことと、国民(と政府)の一般的な海底居住への関心の低さから、SEALAB計画は中止された。

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 腕時計、特にダイバーズウォッチに興味がある人にとって、SEALABは間違いなく史上最も目的に特化した時計である、ロレックス シードゥエラーの開発に関わったことで伝説となっている。SEALABの3つのミッションすべてに参加した唯一の水中飛行士であるロバート・A・バース(Robert A. Barth)海軍兵曹長は、ある展示会でロレックスの担当者に、ダイバーの長い減圧サイクル中にサブマリーナーの風防が吹き飛ぶという事実について訴えたことは有名である。その答えはもちろん、時計の内部にたまったヘリウムを排出できるヘリウムガスエスケープバルブだった。しかし、シードゥエラーはSEALAB IIIのミッションまで開発されなかったため、最初の2回のミッションでは、ほとんどのダイバーがサブマリーナーを着用していた。

Chief Warrant Officer Robert A. Barth, whose experience on SEALAB was the impetus for the development of the Sea-Dweller

SEALABでの経験がシードゥエラー開発のきっかけとなった、ロバート・A・バース海軍兵曹長。

 イギリス海軍とは異なり、米海軍はダイバーに時計を支給しておらず、ダイバーが着用する時計の製造仕様も定めなかった。しかし彼らはダイバーズウォッチを含むSEALABに使用される、すべての装備品カタログとマークを作成した。ボブ・バース(Bob Barth)によると、2012年に私が彼に行ったインタビューでは、ほとんどのダイバーがロレックスを選んだという。理由は“ほかのものより少し頑丈そうだったから”だそうだ。したがって、1959年の製造日を示すシリアルナンバーを持つこのRef.5512は、初期のSEALABミッションのいずれかの水中飛行士、サポートダイバー、または水上クルーの所有物であった可能性が十分にある。裏蓋にある“SEALAB-13”のマークは、この時計が実際にマン・イン・ザ・シープログラムでボ使用されたことを示しているかもしれないが、出品者はこれを裏付ける証拠も、また否定する証拠も提示していない。

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 搭載されるムーブメントはオリジナルではなく、ロレックスのCal.1560を交換したものである。しかし、コレクターがオリジナリティを重視する一方で、現役ダイバーが最優先したのはトップレベルの装備、つまり最高級の機能を備えたツールウォッチである。そのためプロが使用していた時計には、ムーブメントが交換されていたり、文字盤の夜光の付け替え、その他の改良が施されていることがよくある。

 繰り返しになるが、HODINKEEはこれがSEALABのミッションで使ったロレックスであるという確証がないし、eBayセラーとの関係もない。購入時に特性や価値を把握しなくてはならない。しかし、SEALABの物語を新たな読者に説明できるきっかけとなり、もし仮に、この古いサブが本当にダイビングと探検の歴史の一部なのかもしれないというかすかな希望を刺激するいい口実になった。