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Found ロレックス ロビン・ノックス・ジョンストン卿のエクスプローラー

このトロピカルダイヤルは、世界初の単独無寄港世界1周により得られたものである。

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本稿は2018年7月に執筆された本国版の翻訳です。

“今、少し忙しいんだ”という言葉とともにそのeメールは始まり、“本を読み終えて…明日は仕事をするためにボートを引き上げ…、そして金曜日に再出航する予定だ。 土曜日はゴールデングローブレースでの出航50周年記念式典のためにファルマスへ出航する準備をしている。火曜日には出航するよ”と書かれていた。

 これらはeメールの返信が遅れたことに対する典型的な言い訳ではなかった。 というのも、このメールは他ならぬロビン・ノックス・ジョンストン卿からのものだったため、私は少しは大目に見ようと思った。彼は1969年に単独無寄港で世界1周を成し遂げた最初の人物だ。彼は同年4月に、312日間で世界1周という記録を成し遂げたが、そのわずか3ヵ月前には別の航海者チームが未知の世界へ向けて出航していた。アポロ11号の月面着陸には、NASAの“マシン”が総力を結集し、当時の最先端技術を駆使した。一方、ノックス・ジョンストン卿の航海はまったくのローテクで自費にて行われ、完全にアナログなものだった。自作の32フィート(約9.75m)のヨットに乗り、時には世界との接触が完全に断たれたこともあるなか、六分儀とクロノメーターを使って星と太陽を頼りに航行した。手首には? まさにロレックスのエクスプローラーが巻かれていた。

スハイリ号に乗るロビン・ノックス・ジョンストン卿。

 数年前、私は1967年にオーストラリアを1回経由して単独世界1周を達成した、フランシス・チチェスター卿が着用していたロレックスについての記事を書いた。チチェスター卿の偉業は革命的だったが、まだやり残したことが1つあった。ずばり寄港することなく航海を成し遂げることだった。サンデー・タイムズ紙は、誰が完遂できるかを競うゴールデングローブレースを開催し、優勝者には5000ポンド(当時の相場で約500万円)の賞金を提供すると発表した。レースには9人の船乗りがエントリーした。そのうち6人がリタイアまたはボートを失い、1人は気が狂って海に飛び込み、1人はレースを放棄してインドネシアまで航海を続けた。これによりノックス・ジョンストン卿だけがゴールし、“セーリング界のエベレスト”を最初に打ち破った人物となるために英国に戻った。

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 1960年代の単独世界1周の難しさは、いくら強調してもしすぎることはない。それはほとんどの点で、1860年代や1760年代にその偉業を試みたのと変わらなかった。GPSはおろかレーダーナビゲーション、ゴアテックス、カーボンファイバー、LEDヘッドランプ、レッドブル、ゴープロもない。ノックス・ジョンストン卿は、1960年代初頭にインドに住んでいたとき、地元で調達したチーク材を使ってスハイリ号のバーミュダケッチ(帆船)を作った。レースのスポンサーはイギリスのチョコレート会社とビール会社だけで、両社から製品代が支払われた。彼はフランス人のベルナール・モワテシエが出場していると聞き、イギリス人が勝てばいいと思い出場を決めた。

 ノックス・ジョンストン卿は、1961年にクウェートでロレックス エクスプローラーのRef.6610を手に入れたと教えてくれた。当時彼は商船に乗船しており、アフリカ、中東、インドを結ぶインド洋を航海していた。熱帯の海上での長い旅行のあいだ、セットして忘れてしまえる頑丈なものを必要としていた彼にとっては、理にかなった選択だったのだろう。日付も気にせず、防水機能も十分。その頃には、エクスプローラーはロレックスのラインナップに加わってから7年が経過していた。この時計は、1953年にエベレスト登頂を目指した英国ヒマラヤ遠征隊で着用されたオイスター パーペチュアルから派生し、そこからインスピレーションを得たもので、同じくイギリス人船乗りであるチチェスターがその功績のために着用していた時計と深く関連している。

フランシス・チチェスター卿のオイスターパーペチュアル。

 私はロビン・ノックス・ジョンストン卿に、歴史的な世界1周をしていた際、ロレックスを使っていたのか聞いてみた。すると「いいえ、腕時計は使っていません。それは毎日のスケジュールを管理するためのものでした」と彼は答えた。「太陽や星を見るときは六分儀を使いました。可能なときは時報を取得していましたが、クロノメーターも搭載していたのでその誤差を記録して評価できるようにしていました」

 我々は皆、時計をロマンチックにとらえるのが好きなため、ノックス・ジョンストン卿がデッキに上がって、ロレックスを見下ろしながら六分儀で太陽の写真を撮る姿を思い浮かべていた。しかし実際には、彼の手首から離れることもなく、もっと普通の用途に使われる粗末な道具だった。彼が1時間眠ったあと、寝台で寝返りを打ち、夜光塗料が発光する針に目を細めてから甲板に出て、スハイリ号が航路を維持しているかどうかを確認する姿が目に浮かぶ。あるいはホーン岬を通過した時間を航海日誌に記録したり、夕食のためにプリムスの小さなコンロでパスタを茹でるタイミングを計ったりしていただろう。

ノックス・ジョンストン卿は、世界を無寄港で航海するのに十分な食料を蓄えていた。

 エクスプローラーは、スハイリ号とノックス・ジョンストン卿自身とともに、312日間の航海という途方もない困難を乗り越えた。あるとき南極海で、波によってボートが転覆しそうになり、双方向無線機が壊れ、淡水タンクに海水があふれるなど、ノックス・ジョンストン卿は残りの航海のあいだ雨水を集めて飲むことを余儀なくされた。後日、天井の梁に硬貨が挟まっているのを見つけるまで、ボートがどこまで転覆寸前だったのかわからなかったと言う。

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 物理的な困難はさておき、乾いた陸地から1年近く離れて、完全にひとりで海上を移動しながら過ごすことは、おそらく独房の囚人くらいしか共感できる人はいないだろう。ノックス・ジョンストン卿は転覆寸前になったあと、無線で最新情報を送受信することができなかったため、空と海から捜索が行われたが、通りがかった貨物船が大西洋の真ん中でイギリスに向かっている彼を発見した。ファルマスに到着した彼は英雄として名を馳せ、本を執筆し、ナイトの称号を受け、79歳の現在も航海を続けている。

 彼のロレックス エクスプローラーを見ると、海でのタフな生活の痕跡を見ることができた。最も顕著なのは文字盤で、元の黒からほとんど完全に色あせて、アラビア数字は消えかかっている。一部の文字盤がこのような“トロピカル”になる理由については、塗装の欠陥、温度、日光への露出などさまざまな説がある。炎天下の船の甲板で、誰よりも多くの時間を過ごしてきた船乗りの手首にこの腕時計が巻かれていたと考えると、私は紫外線説を支持したくなる。コレクターが憧れるダイヤルのエイジングであり、それを得るためにお金を支払うのだが、それは自然の中で冒険的なことをしながら達成するものなのだ。この個体は現在、オリジナルのオイスターリベットブレスレットが装着されたまま、ロレックスのジュネーブアーカイブで静かに時を過ごしている。

文字どおりトロピカルな文字盤だ。

 私にとってこの時計は、ヒラリー卿のロレックスやオルドリンのスピードマスターのような、人類の偉大な探検の成果のなかで着用された、史上最も貴重な“アドベンチャー”ウォッチのいくつかと並んでいる。セーリングはほとんどの人には難解すぎるため、ノックス・ジョンストン卿のこの偉業は衛星ナビゲーションが普及した現代には十分に評価されないかもしれない。同年行われた月面着陸は、テレビの生中継という利点があったため、影に隠れてしまったのもほぼ間違いない。しかし最初の単独無寄港世界1周は、北極やエベレストに到達したり、大西洋単独横断と並んで、地球上最後の偉大な偉業のひとつであることに変わりはない。

 興味深いことに、ゴールデングローブレースでのノックス・ジョンストン卿の主なライバルであるベルナール・モワテシエも、レース中にロレックス GMTマスター Ref.1675を着用していた(ジョシュアという彼のボートに乗っている写真が何枚かある)。その時計の所在は現在不明である。モワテシエはレースの過程で、より哲学的かつ神秘的な思想になり、最終的には2度の地球1周を断念することを選び、妻を残して帰国した。おそらく彼は時間そのものや所有物が無意味であることに気づき、時計を海に投げ捨てたのだろう。それが私の仮説だ。当たっていないことを祈ろう。

フランス人船乗り、ベルナール・モワテシエとGMTマスター。

 2018年はゴールデングローブレースが始まってから50周年という記念の年であり、それを記念して7月1日からファルマスで新しいバージョンのレースが争われる。1968~69年のレース以来、ヴァンデ・グローブ、ウィットブレッド、ジ・オーシャンレース(旧ボルボ・オーシャンレース)など、ほかの世界1周セーリングレースが開催されてきた。しかしゴールデングローブ2018は、ロビン・ノックス・ジョンストン卿が1968年にファルマスのドックからスタートしときと同じ状況を再現することを目的としているという点でユニークだ。その状況とは、ボートはスハイリ号と同じようなサイズと構造でなければならず、競技者は六分儀やクロノメーター、ダクロン製の帆、フィルムカメラ、手巻き時計など、その時代の技術しか使用できないというものだ。ノックス・ジョンストン卿が私に送ってくれたメールによると、彼は7月1日のレーススタートに向けて、改修したスハイリ号をファルマスまで航行する予定だそうだ。選手のなかにロレックス エクスプローラーを着用する者がいるかどうかは不明だが、少なくとも着用する者がいれば、その性能が証明されていることがわかる。

 私はロビン・ノックス・ジョンストン卿に、GPSや衛星通信、そして最新の天気予報に頼るようになった現代のデジタル化された航海時代に失われたものはないかと尋ねた。彼の答えは現実的で楽観的なものだった。「GPSのおかげで、短距離や長距離のセーリングが多くの人に普及しました。そう、かつては六分儀を使って上陸することに満足感があったのですが、当時はまだそのような人は少なかったのです」