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October 29, 2020
October 29, 2020
“雲上ブランドにETAムーブメントは許されるのか?”(読者からの質問に回答)

“雲上ブランドにETAムーブメントは許されるのか?”(読者からの質問に回答)

重要度の観点で見れば、その問いはそもそも愚問である。

つい先日、HODINKEEのスティーブン・プルビレントが、時計愛好家入門者が犯しがちな過ちについて記事を公開し、過ちは回避が可能で、そうすべきという評論を展開した(補足すると、元々ベン・クライマーが2016年に執筆した同じ題材の記事をさらに発展させたものだ)。このようなリストは、多くの理由で非常に興味深いものだ。なぜなら、ある程度の過ちは、個人の好みの変遷から避けられない点で、それは過ちというよりは、成長のために必要な経験といえるからだ。どちらにしても、私の同僚たちは鋭い考察を披露したと考えている。また、その基本的な見方や考え方を身に付ければ、長い目で見て腕時計(あるいは別のものでも)の楽しみ方は拡がっていくだろう。

 例を挙げよう。最も基本的なことは、自分の好みを信じることで、単に他人が良いと言っているからといって、自分も好きになる必要はないのだ。現代はソーシャルメディア全盛期で、最大公約数的な共通の好みが押し付けられるため、そのような考え方は以前と比べてずっと難しいことだろう(Instagramであるテーマについて人気のある投稿の多くが、全く同じに見えるのはこのような特徴があるためだ)。

 私の腕時計に関する好みは確固たるものだと自覚していて、なるほど根本的な好みは30年間ほとんど変わっていないのだが、他の分野の嗜好に関しては多大な時間を浪費してしまったと認めざるを得ないのは、自分自身がただ単に好きだから選んでいるのだと、無理に思い込もうとしたためである。自身を洞察力のある人間に見せるためには、"どんなものを好むべきか"という思考法が有効だ。例えば、数十年にわたり、ヨード臭の強いアイラ島のシングルモルトウィスキーを嗜むことに喜びを感じていたのは、その行為が本物の、洗練された都会人の嗜みだと考えたからである。数十年この無益なマゾヒズムに耽溺(たんでき)した末、ある日完璧に飲み頃のラガブーリン(Lagavulin)を飲み干そうとしたときに感じたのは悦楽ではなく、例えるならピート(泥炭)に首まで浸かった状態で火を放たれ、燃え盛る炎に誰かが海水を浴びせて鎮めようとするような壮絶な体験だったのだ。それは、不快以外の何物でもなかったので―早めに付け加えておくと、あくまで私個人の感覚だ―、私はもう後戻りすることもなく、ヒースの花の香りが漂う口当たりの軽いウィスキーを、かれこれ3年ほど楽しんでいる。

 私がこの話を持ち出したのは、時計においても同様に、個人の好みとその進化(もしくはその欠如)を成り行きに任せることができるし、そうすべきだと指摘するためである。しかしながら、蒸留酒であれ、家具であれ、時計であれ、あらゆる工芸品は、専門家の評価が一致するための、その拠り所となる一定の基準がある。それがなければ、何も学ぶべきことがないため、目利き自体その存在意義を失うのである。品質基準に関する問いへの答えは、実際には常に“一概には言えない”とは限らないのだ。

A.ランゲ&ゾーネ ダトグラフ・アップ/ダウン"ルーメン"。

 この点について、初心者が回避すべき過ちに関するスティーブンの記事に対する数人のコメントが非常に興味深い。記事のある要点で、スティーブンはあらゆる場合において、自社製ムーブメントの方が優れているという過ちを次のように敷衍(ふえん)している。

 “追加モジュールが組み込まれたETA製ムーブメントのランゲ1を見たいと思いますか? それは、御免ですよね。または、パテック フィリップのクロノグラフが長年採用してきたレマニアベースのムーブメントを、徐々に自社製クロノグラフムーブメントに移行することに心惹かれるでしょうか? これにはもちろんアグリーです。しかし、ヒストリーク・コルヌ・ドゥ・ヴァッシュ(ヴァシュロン・コンスタンタン)にレマニアベースのキャリバーが採用されているからといって、劣った印象をもつでしょうか? それは全く違います。”

 この引用に対するコメントとして、読者が提起したのは“記事の中で、あなたは「追加モジュールが組み込まれたETA製ムーブメントのランゲ1を見たいと思いますか? それは、御免ですよね」と書きましたが、ランゲ1は自社製ムーブメントではないのですか?”別の読者がこう返信した。“いや、スティーブンは仮定の話をしただけだと思うよ。でも、彼にはもう少し詳しく掘り下げて欲しかったね:レマニアベースのヴァシュロンがOKでETA改のランゲがNGってさ、一体どうやって線引きしたわけ?”

 デュボア・デプラ(Dubois-Depraz)のクロノグラフモジュール(あくまで一例)を追加したETA2892-A2が称賛されるのは、多くの理由がある。それはエンジニアリングの観点からも興味深いからだ;自動巻きクロノグラフをゼロから設計・製造するよりもずっとコストをかけずに製造が可能となる等。しかし、それは超高級時計には相応しくなく、実際のところ、自社製ムーブメントか否かがその理由の全てではなく、-むしろ、他社製のムーブメントの採用がダトグラフに適切でない唯一の理由でもないのだ。

 時計のムーブメントは基本的には機械であり、一面的な見方をすれば、その作動をどれだけ効率的にこなすかのみで評価することができる。信頼性の高いムーブメントであるならば、オーナーの求める水準の精度を、最小限の労力とコストで製造できることが称賛に値するのだ。そして、それが全てである。しかし、そのようなムーブメントはダトグラフのCal.L951.7よりも時計界のヒエラルキーにおいては、下層に位置するのである。

 部分的には、これは単にムーブメントそのものに関係がある。モジュールを追加したETA2892-A2は第一に技術面の妥協案というべきものであり、そう見なされる一因である。もちろん、それを採用することに合理的な理由はある―コスト面から比較的近い候補としてETA7750が挙がるが、様々な理由(ムーブメントの寸法、部品供給の安定性等々)から追加モジュールとムーブメントの組み合わせを時計メーカーは好むようだ。しかしながら、多くの場合、ベースとなる自動巻きムーブメントとモジュールは、技術的観点のみで見ても一体設計されたムーブメントほどエレガントではないため、概して超高級時計メーカーが避ける理由となる。

ミドー バロンチェッリ ヘリテージに搭載されるETA2892-A。

 また、ベースキャリバーと追加モジュールは美的外観に貢献するとは言い難い。これは、全ての機械式時計に魅力がないということでは当然ない―その根源的な魅力がなければ、私自身を含むHODINKEE、読者の皆さんがここにいることはなかっただろう。しかし、安価に大量生産する目的でゼロから設計されたムーブメントは、自然と設計者の優先順位に準じた美的外観をもつものだ。一般的に言って、年間数百万個のムーブメントを製造するとしたら、必要な工程を品質と精度をそこそこ維持できる程度の必要最低限まで減らせば、より大きな利益が得られる。つまり、視覚的に美しいと感じられる仕上げ加工などは、優先順位のリストの遥か下に置かれるため望むべくもない(まして、ハイグレードムーブメントの特徴である、部品への装飾などはリストの圏外に弾かれる)。これは追加モジュール付きETA2892特有の問題というよりは、ムーブメント製造における経済的合理性の問題なのだ。-ETA7750は技術面でも素晴らしく、完全に一体として設計されたクロノグラフムーブメントであるが、同時に自動巻きクロノグラフムーブメントを低コストに製造する目的が随所に現れた設計でもあるのだ。

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 最後に、ムーブメントのクオリティと求められる品質水準、時計の美的感覚がどの程度調和しているかという問題もある。Cal.L951.7はA.ランゲ&ゾーネの価値観を非常に高いレベルで表現しており、それなしではランゲの時計とはみなされないほどだ。確かに、汎用ムーブメントは魅力的かもしれず、安価であり、そして何よりも量産が可能だろう。しかし、ランゲの自社製ムーブメントが失われれば、それは単に質的、客観的に無限大な、美しく興味深いムーブメントが失われるだけでなく、ムーブメントのもつ内在的性格と時計のその他の外向的性格が空中分解してしまうことを意味するのだ。我々が時計に求めるもの、それはどんな価格であれ、コストに見合う仕上がりの時計が手に入れば良いというだけでは十分でないはずだ。

 時計を評価するための優れた総合的な基準は、品質的な観点からその他の観点に至るまで時計の各側面に、一貫した哲学が浸透していると感じられるかどうか問いかけることである。この基準に照らせば、ETAに追加モジュールなど趣味の悪い冗談だと評価されるだろう―ミロのヴィーナスの顔にピエロのゴム鼻を付けた作品(シュルレアリスム派の諸君の反論は承知だが)と同様、そのような技術的妥協はダトグラフの美観や感触とは無縁だ。それは業界全体の理念とは正反対のやり方であり、例えていえばエイブラハム・リンカーン(第16代アメリカ合衆国大統領)が「私のゲティスバーグ演説の草稿は実によくできているが、皆の緊張を和らげるように冒頭にジョークを付け加えてみよう」と思いつくのと同じである(歴史的に重要なその演説を台無しにするようなことは実際には起こらなかったが)。

ヴァシュロン・コンスタンタン、Cal.1142。

 外部から供給されたレマニア製キャリバーがコルヌ・ドゥ・ヴァッシュで正当化されうるのは、それが超高級時計ムーブメントに適用されるような一般に公正妥当とされる基準に準拠している要所が、数多く存在するからである。くどいようだが、その理由はムーブメントが供給されているか否かに関係はあまりない。しかし、供給元からムーブメントの組み立てキットが届いた後の工程に秘密が隠されている。ヴァシュロンのCal.1142はベースキャリバーであるレマニアCal.2310(正確にはマニュファクチュールであるブレゲと言うべきだが)とはかけ離れたムーブメントに仕立て上げられており、その工程で機械の改造はもちろん、ムーブメントパーツに対する装飾と、オーナーに質の高い操作感を感じてもらうための調整に多大な労力が注ぎ込まれている。
 グレードの低いクロノグラフムーブメントは、有象無象の寄せ集めになる可能性があるが、一般に、ETA7750とヴァシュロン Cal.1142、あるいはランゲのダトグラフがもつプッシャーの感触には違いがないと結論付けるだろう。より優れたクロノグラフは、ダイレクトで感触が心地良さがあり、美しいまでの精密さを操作する中で感じ取ることができるものだ。その点ETA7750は、スタート、ストップ、リセット操作に意識的に強い力を加えなければならない傾向があり、その体験からは時計の他の部分と連動したエレガントな挙動というよりは、作動を命じられた機械らしい機械の印象を受ける。

 さらに、ムーブメントを評価する際の基本的な視点は、どれほどうまく組み立てられているか、微調整や美的観点からそのムーブメントで何ができるのかは、誰が製造したかよりずっと重要なことなのである。ハイグレードなムーブメントは一般に、グレードの低いものよりも、正確に作動するよう調整ができるだけでなく、美的観点の上でも、より高い水準に加工ができるのだ。ヴァシュロンのCal.1142は伝統的な手作業によるムーブメント仕上げに裏打ちされた見栄えの良さだけでなく、曲線的な美しさと部品ごとに整合性の取れたロジカルなムーブメントである。一方で量産ムーブメントは、精密エンジニアリング的な視覚的満足感は得られるものの、工芸的な要素はほとんど表現しない点で、超高級時計ムーブメントの入門機の足元にも及ばない。製造コストの低減が至上命題であるという事情により、彼らは、構造、デザイン、仕上げにおいて、ムーブメント装飾の工芸の発展に貢献しないのだ。

バルジュー/ETA7750は時計界のエレガンスの代名詞ではないかもしれないが、時計にクラシカルなアクセントを加えるという点で優れている。写真はデトロイト ウォッチ カンパニー社 M1ウッドワード。妥当かつ手頃な価格帯の時計である。

 しかしながら、私は2892-A2や7750など量産ムーブメントの使命を理解し、称賛することで、この記事を締めくくろうと思う。全てのムーブメントが同じように作られなかったし、そのような意図もなかったわけだ。そして、それらは一つの基準で評価されたり、偏った複数の基準で評価されたりすることはなかった(私がベンやスティーブンの話にさらに過ちを追加するなら、「全ての時計を同じ時計であるかのように評価すること」だった)。ETA2892-A2や7750、セイコー製エントリーレベルの自動巻きにも傑出した良さがあるのだ。
 信頼性の高いパフォーマンスと精度を量産できることは、何十年も、何世紀にもわたる時計製造業界の悲願であり、その夢が実現しかけてから実際それほど長くはなかった。末端の安価なムーブメントは、かつて、修理不可能な、精度の低いピンパレット脱進機のようなものを指した。今日、安価なムーブメントとされるものでも、非常に高い精度どころか、クロノメーター級の精度すら叩き出すのである。

 ランゲのダトグラフは時計製作の哲学や時間に対する概念を形あるものに具現化したものだが、このように内面も外面も頂点を志向する時計は極めて限られる。ETA2892-A2は例えば、ヴァシュロン Cal.1142と同じ美観、精度面での満足は得られないだろう。しかし、だからといって、このムーブメントにオーナーが満足を覚えるはずがないと決めつける理由は、どこにもないのだ。